いつものように出勤してみると、昨日の夜「俺ももう帰るからお前も帰れ」と言って俺を追い出したはずの同期兼上司が、昨日と同じスーツで端末の画面を見つめていた。
「……徹夜したな?」
「……ああ、おはよう諸伏。次の作戦考えてたら止まらなくなってな」
こきりと首を鳴らしたそいつの目の下には、薄く隈が出来ていた。基本的に健康的な生活習慣を心掛けているはずだが、このところたまに隈を見かける。
「俺に帰れって言っといて……全く、仮眠行ってきたら?」
「そうだな……あ、諸伏、それ今日の朝刊か? 見せて」
「仮眠は?」
「新聞読んだら寝る」
やれやれと首を振りつつ、朝刊を投げ渡した。悠々と柊木はキャッチして一面から目を通す。
「何か大きな事件あったか?」
「いや、今日の朝刊はわりと平和だったぞ」
「おい爆弾事件起きてるじゃねーか、どこが平和だ」
「犯人捕まってるなら平和の範囲内」
昨日パトカーがうるさかったのはそれだろう。大きな事件だから多分萩原も臨場して頑張ったのではないだろうか。
出世して以降も我らが同期は優秀な検挙率を誇っていると聞いている。
「……この事件の規模なら萩原も多分徹夜だな」
同じことを考えていたのだろう柊木が、ぼそりと呟く。今頃萩原はくしゃみでもしているかも、と少し笑った。
「でも大きい刑事事件はそれくらいだな。後はまあ最近の政治云々の話と……ああ、前の法務大臣がやらかした不正の裁判の判決が出たとか、首都高のトラック横転事故の話とか、未発見だった歴史上の偉人の愛刀が見つかったとかかな。さしてめぼしいものはなかったと思うぞ」
「……そうか」
今ほんの少し柊木に動揺があった気がしたが、瞬きする間にいつも通りの顔に戻ったから気のせいだったかもしれない。そのままぱらぱらと新聞をめくり、あっという間に最後のテレビ欄までたどり着いた。相変わらずすさまじい速読だ。
「じゃ、俺一時間くらい寝てくる。シャワー浴びてから戻るから」
「了解。今日はデートの日だろ? ちゃんと隈消して来なよ」
「かわりに行ってくれないか」
「真顔で言うな。ほら、おやすみ」
心底嫌そうな顔でおやすみ、と言った柊木は仮眠室へと向かって行った。まあ、嫌がる気持ちもよくわかる。今日はベルモットとの約束の日なのだ。
ベルモットとバーボンを一度に相手にするなんて芸当、柊木くらいにしか出来ないだろう。
***
彼女に指定された先は、隠れた雰囲気のバーだった。
まだ早い時間なので営業している様子はなく、少し警戒しつつ扉を開けると、中にはベルモットがひとりカウンターに腰かけてグラスを傾けていた。
「遅いわ。レディを待たせるなんて男の風上にも置けないわね」
「おかしいな、俺の時計では時間ちょうどなんですけど」
「待ち合わせの時間前にスタンバイしておくのが男の嗜みよ」
「それは失礼。覚えておきましょう」
苦笑して彼女の隣に腰かけた。カウンターの奥にはさまざまな種類の酒が並んでいる。
「飲みたいなら勝手にしたら」
「生憎と車で来てまして。強いわけでもないので遠慮しておきます」
見たことのない酒の種類も多く、興味本位でぼんやりとボトルを眺める。
もっぱら飲むのはビールだし、洋酒も少し覚えたとはいえ詳しいとは言い難い。ああ、あれスコッチか。その隣にはバーボンもある。知った名前の酒を何となく目で追っていると、カウンターを滑るように隣からメモリが飛んできた。
「……お望み通りの情報よ」
「ありがとうございます。中身拝見しますね」
持ってきていた小型の端末を取り出す。彼女が偽の情報を出すとは思っていないし、メモリに細工をしているとも思わないが、念には念を入れたい。
「……やはり忠誠心が強い腕利きのスナイパーはキャンティとコルンですか」
「そのふたりがダントツでしょうね。仲間意識も強いわ」
「へえ。……なるほど。さすがベルモット、欲しい情報がすべてまとめられていますね。これなら次の作戦も問題なさそうだ」
「……次のターゲットは、そのふたりってことかしら」
そう言ったベルモットに、にこりと笑顔を返す。
「そうだと言ったら、邪魔をしますか?」
俺の顔を見て数秒沈黙したベルモットは唇の端だけで笑って、まさか、と嘲るように言った。どうやら彼女は仲間意識というものを持ち合わせていないらしい。
「私は貴方が約束を守るならそれでいいわ」
「もちろん、工藤新一の身柄も秘密も責任をもって守りますよ。毛利蘭にも手出しはさせません」
彼女から出された条件は、ただそれだけ。
ふたりのことを、その身の安全だけでなく、穏やかで普通の生活も含めて守ること。
むしろ、ベルモットがそう言ってくれるのは有り難かった。その「約束」のおかげで、俺は公私の両方の理由で彼らを守ることが出来る。
「それじゃ、今日の話は終わりかしら」
「ああすみません、今日は紹介したい人もいるんです。ちょっと待ってください」
「紹介?」
ベルモットが眉をひそめたところで、また店のドアがゆっくりと開いた。適当な時間に来いとは言ったが、相変わらずタイミングのいい奴だ。
「失礼、遅くなりましたか?」
「バーボン……!」
余裕の笑みを浮かべた降谷を見て、ベルモットが顔色を変えた。
*
「……やはりNOCだったというわけ?」
一瞬で落ち着きを取り戻したベルモットは、余裕の笑みを浮かべつつ降谷を見据えた。それに対して降谷は芝居がかったように両腕を広げる。
「だから違うと何度も言っているじゃありませんか。僕はNOCじゃない、立場的には今の貴方と同じですよ。……大切な『宝物』を守るために組織を裏切り公安警察に寝返った貴方とね」
その言葉に、ベルモットはかすかに眉をひそめた。
うわ、性格の悪い煽り方しやがる。内心そう呆れつつも表面ではため息をつくに留めた。
「……どういうことかしら」
「彼の言う通りですよ。彼は公安警察の人間ではありません。貴方と同じく、条件付きでこちらについてもらっている『協力者』です」
「警察の情報を手に入れようと彼に近づいたんですが、話してみると結構話のわかる人でしてね。それならと思って彼につくことにしたんですよ」
ふふ、とバーボンの顔で笑いながら、降谷はカウンターの中に入った。どれがいいかな、と遠慮なく酒を物色する。オイお前飲む気か。
「……貴方が出した条件は?」
「ふふ、秘密です。でも、大したことじゃありませんよ。そうでしょう?」
もちろん条件内容など決めてないので軽くまあな、と話を合わせておく。バーボンはそもそも秘密主義で通していると聞いている。別に秘密のままでも違和感はないだろう。
お目当ての酒を見つけたのか、降谷はグラスを用意して緩やかに酒を注いだ。
「まあ、条件なんて適当でいいんです。ほら、せっかくできた友人とは仲良くしたいでしょう?」
「……えっ俺お前と友人だったの?」
「ひどいな、友人のためと思って危険を冒して情報を手に入れてきたのに……やっぱりこれはいらないかな?」
「そういえば俺、お前とはとても仲の良い友人だった気がする」
芝居がかったように泣きまねをしながら、懐から取り出したメモリを自分の酒に落とそうとするのをとりあえず止める。中に何の情報が入っているのかは知らないが、降谷がバーボンとして集めてきた情報なのだろう、こういうのは振りでも心臓に悪いからやめてほしい。
そんな俺の心中を察してか、またふふ、と笑って俺にそのメモリを投げて寄越した。
「……随分親しいじゃない」
「友人ですから」
本当にNOCじゃないのという疑いを隠すことなく、ベルモットは降谷を見つめた。そこで余裕で笑顔を返すあたり、さすが腕利きの潜入捜査官だと思う。やっぱりこういうところは真似出来ない。
とりあえずさっさと話を済ませてしまおうと俺は口を挟んだ。
「今後、ふたりに協力してもらうこともあるかと思いましてね、早めに顔合わせしておこうと思ったんです。秘密を共有できる相手がいるというのは気楽でしょう? お互いに弱みを握り合うことにもなりますし」
「つまり、お互いに貴方を裏切らないよう見張っておけというわけね?」
「話が早くて助かりますね。その通りです」
もちろん、ベルモットの裏切り防止策のひとつでもあり、バーボンが窮地に陥ったときに助けるための策のひとつでもある。お互いがお互いを見張り合い、逆に言えばフォローできるというだけでそれぞれの生存率は跳ね上がる。もちろん、ふたりが協力することで作戦の幅が非常に広がるのも有難い。
この次の作戦はバーボンに動いてもらうが、いずれベルモットにも情報提供以外の形で手を貸してもらうことになるだろう。
「是非お互いに仲良くしてください。これまでと同じようにね」
俺がそう言うとバーボンはにっこりと笑みを返し、ベルモットは不快そうに眉をひそめた。その様子にまた笑いつつ、俺は立ち上がる。
「もう帰るのかい?」
「忙しくてな。今日は車で来てるし、お前の酒に付き合うのはまた今度だ」
「それは残念」
「ベルモットも、また連絡します。次はちゃんと時間前に伺いますよ」
「一秒でも遅れたら帰るわよ」
心しておきますとだけ言葉を残し、俺はふたりに背を向けた。
最初の接触としてはこんなもんだろう、次の作戦に必要な情報はちゃんと手に入ったし、ふたりの顔合わせも完了した。あの様子なら多少疑われても降谷は軽く煙に巻く。
俺は振り返ることなくドアを開け、外に出て太陽の光を浴びてようやく息をついた。とにかく長居は無用、俺の女性苦手をベルモットに知られでもしたら絶対に面倒なことになる。
「……とりあえず、今は目の前のことに集中だな」
ベルモットと「核心」の話をするのは、次の作戦でこちらの本気を示してからでも遅くはない。ふたりから渡されたメモリをきゅっと握って、俺は自分の車の方へ足を向けた。
***
そっと自分のグラスに入れたバーボンに口をつける。独特のほろ苦い甘みが口の中に広がった。
「……随分と気に入ってるようね?」
ベルモットの言葉に、唇の端を上げた。
気に入っている、そう見えただろうか。「安室透」「バーボン」として設定した性格は本来の俺とはまったく異なるもので、それぞれの立場にいるときは出来る限りその「顔」になり切って振舞う。そうすると不思議なもので、好き嫌いや感情までそれぞれの「顔」に合わせて感じるようになった。
「ええ。面白いでしょう? 彼」
降谷零にとって、柊木旭はとても良い友人だ。そしてまた、異なる「顔」の自分も彼のことは気に入っている。「バーボン」とて例外ではない。
「彼は本来真っ白なんですよ。真っ白なのに、職務において黒として振舞うことを躊躇しない。血に塗れることも、泥で汚れることも厭わない。それなのに、やっぱり彼は白いままなんです。どんなに汚れても、芯までは染まらない」
茨の道を自ら選ぶんですよ、染まってしまった方が楽なのに。
公安の仕事は汚れ仕事も少なからずある。長く務めている者の中には、警察官になった当初はもっていたはずの罪悪感を投げ捨ててしまっている者もいる。俺としてはそうなる前に別部署に異動すべきだと思うが、無理もないと思う。
確固たる信念をもって日本のために働き、「本来やってはいけないこと」だとわかりながら違法作業に勤しむのは、精神的に辛い。良心も痛む。その痛む良心を抱えながら、それに耐えながら、それでも職務を果たす。それが公安警察の務めだ。公安に来てそう日もたっていないのに、柊木はそれをよくわかっていた。
罪悪感を捨てることなく、自分の「罪」を正当化することなく、痛む良心を正面から見据えながら、それでもなお為すべきことを。
バーボンからすればそんなものは愚の骨頂だ。自分のことしか考えない「僕」にとっては、愚かとしか言いようがない。だからこそ、見ているのは面白い。
「見てみたくなったんです、彼がどこまで『白』でいられるのか。いつまで彼が、自らの『心』を捨てないまま職務を果たせるのか」
最後まで「白」のままでいてほしいような、いっそ「黒」にも染まってほしいような。どちらに転んでも見ているのは面白い。だから「バーボン」は柊木旭を気に入っているし、協力者になることを選んだ。
組織にいるよりも、彼の行く末を見る方がよっぽど愉快だと思ったのだ。
「NOCではなくともスパイだという現状は、とてもスリリングで刺激がありますしね」
「……貴方本当に性悪ね、バーボン」
「おや、ひどいな」
呆れたようにこちらを見るベルモットに、くつくつと笑う。
貴方だって、彼に対して思うところがあったからおとなしく言うことを聞いているのだろうに。ただ脅されただけで素直に言うことを聞くほど、彼女は安くない。
「貴方こそ、どうして? 彼らのことが心配なだけなら、やりようは他にもあったでしょう」
それこそ、柊木旭をさっさと暗殺してしまえばいい。難しくはあるだろうが、彼女が本気になって計画を練れば不可能ではないはずだ。
「……心からの言葉は、わかるからよ」
聞こえるか聞こえないかくらいの声で、ベルモットは呟いた。一瞬見せたその切なげな表情はすぐにかき消されたが、あの交渉の会話を聞いていた俺は、ベルモットが柊木のどの言葉を指しているのかはすぐにわかった。
『人でなしの俺から、貴方の宝物を。貴方自身の手で、守ってくれませんか』
あれは間違いなく、柊木があの場で零した「本音」だった。公私の両方で、心からそう願って出た言葉だった。柊木の「甘さ」ともいえるその言葉は、どうやら魔女の心も溶かしたらしい。
俺はそっと、ベルモットに笑いかけた。
「手を組みましょう、ベルモット。どうせ彼に目をつけられた以上、この組織の崩壊は決まったも同然です。沈むとわかっている泥舟に乗るよりも、泥舟の沈没を早める側にまわった方が賢明でしょう?」
「……随分高く買ってるじゃない」
「事実ですよ」
彼は組織に終末を告げます。それも間違いなく、近いうちに。
そう言うと、ベルモットは皮肉気に笑った。
「まるでヘイムダルね?」
「北欧神話ですか。彼がヘイムダルだとしたら、今すでに終末を予感してギャラルホルンをミーミルの泉に取りに走っているところでしょう」
ヘイムダル―――「世界を照らす輝き」という名を持つ、北欧神話の「白き神」。ラグナロクが到来するとき、彼はそれを知らせるためにギャラルホルンを吹き鳴らす。
「もっともヘイムダルとは違って、彼がギャラルホルンを吹くのは神々に危機を知らせるためでなく、本当に『終わり』を告げるためでしょうけど」
お前らが好き勝手する時代は終わったのだと、彼が自ら告げるのだ。
神々の中でもっとも容姿が美しく、暁の光の化身と呼ばれるヘイムダル。柊木のルックスにも、その「旭」という名にも、よく似合っている。
「彼の奏でる角笛の音色は、どれほど美しいのでしょうね」
「……本当に悪趣味だわ、貴方」
にこにことそう言うと、ベルモットは呆れたように手元のグラスに口を付けた。
***
警察庁の執務室に戻ると、諸伏と風見さんが書類を片手に作業をしていた。疲れた顔をしていたのだろう、顔を合わせた瞬間にふたりは苦笑する。
「お疲れ」
「お疲れ様です」
風見さんに差し出されたペットボトルを有難く呷る。短時間で済ませた分、今日は倒れずに済みそうだ。心配そうに風見さんがこちらを見ている。申し訳ない。
「大丈夫です。資料は集めてもらえましたか」
「そちらが指定された近辺の道路地図、その中にある信号のサイクルのデータです」
「あとその近辺に店を構えている協力者のリスト。……それから、」
伊達と松田の、この先一か月分の勤務予定。
それを差し出した諸伏は、隠してはいたが非常に微妙な顔をしていた。何に使うんだこのデータ、と表情が言っているのがわかる。俺は苦笑しつつそれを受け取った。
「助かる」
「……柊木」
「あいつらは俺たちの『協力者』で、非常に優秀な刑事だ。状況判断が正確で、少ない情報からでもきっと俺の意図を読み取ってくれる、頼りになる奴らだ。そうだろう?」
だからこそ、手を借りる。だからこそ、使わせてもらう。
次の作戦には、どうしても「刑事部」、それも「捜査一課強行犯係」の手が必要だ。伊達も松田もメインは殺人や傷害の捜査だから今回の作戦的には少し畑は外れるかもしれないが、「人手が必要な捜査」になれば応援として呼ばれるだろう。
「あ、風見さん、公安部からドライブテクのある人間を……そうですね、五人ほど選んでおいてください。人数分の車の手配もお願いします」
「了解しました」
さっと風見さんが部屋を出ると、もう一度俺は諸伏に向き直った。
「そういえば諸伏、お前キャンティやコルンと面識はあったって言ってたよな」
「え? ああ。一応何回か話したことはある。あいつらスナイパー相手には特に仲間意識の強かったから、わりと親し気に声をかけてきたよ」
それなら、と今まで得た情報から推測したことを尋ねた。これが合っているかどうかで作戦の危険度が全く違ってくる。外れているならもうひとつ対策を考えなければならない。
「……ああ、そういえばそんなこと言ってるの聞いたことあるな。こだわりがあるとか、スナイパーとしての美学とか、そういう感じのことを言ってたと思う。スコープ通して獲物を見るのが好きなんだと」
よし、ビンゴ。それなら伊達や松田にそう危険はないはずだ。あとは俺が、きっちりと計算をしてタイミングを計るだけ。この作戦は全て、タイミングがものを言う。
満足げに頷いた俺を見て、諸伏は思わずといった感じで口を開いた。
「何を企んでるんだ?」
俺はその言葉ににやりと笑って、一言だけ。警察官として本来あるまじき言葉を、口にした。
「ちょっと強盗事件を起こそうと思って」
その時の諸伏の顔ときたら、それは見ものだったと言っておく。
黒ずくめの組織における必須スキル「ポエム」ですが、作者にはこれが精一杯でした。難しい。