順調が過ぎる、と思う。
狩り場には連日馬鹿のように獲物がつめかけ、尾行にも気づかないままねぐらまで案内してくれる。そしてそのねぐらには組織に関わるもののみならず、長年公安が探し求めていた情報も結構にあった。裏世界というのは案外世間が狭いのかもしれない。
おかげでこちらときたら毎日仕事仕事、休みが欲しいとまで言わないから睡眠時間くらいは確保したいというのに、そうもいかない。
「柊木、これ追加の報告書」
「ん」
諸伏に渡された報告書に目を通していく。……ああ、例の指名手配犯捕まったのか。
情報源は馬鹿な獲物だけではない、組織から逃亡を図った者たちのなかにも重要な情報をもっている者は少なくなかった。バーボンとベルモットの誘導により保護された彼らは、組織の支配から逃れた解放感もあるのだろう、堰を切ったように持っている情報を吐き出してくれる。
組織の脅威はあの秘密主義あってこそ、そのベールさえ剥がしてしまえば攻略自体はそう小難しく策を立てる必要はない。そろそろ雪がちらつこうかという季節だが、できることならこの冬が終わるころには組織を片づけてしまいたかった。―――そう、余計な横やりが入る前に。
「……ところで柊木、お前最後に寝たのいつ?」
「今朝仮眠はとった」
「時間は?」
「二時間」
溜息をつかれるが、これは仕方がないと言いたい。というかお前だって最後に寝たのいつだと聞くと、諸伏も遠い目をした。
「……昨日の夜」
「時間は?」
「……三時間?」
「変わんねえよ」
そして同時に溜息をついた。
「……あの狩り場がこんなに盛況になるとは思わなかったんだよ……組織の実働部隊、本当に馬鹿すぎだろ……他の奴らが捕まってるって聞いたら警戒するのが普通じゃねえのか……危ない橋と思えば避けろよ……狩り場が機能するのはせいぜいひと月そこらだと思ってたのに、もう三か月だぞ……」
「それに気づかない奴らだから下っ端なんだよ……バーボンやベルモットも相当うまく煽ってるらしいし……」
確かにあの二人が本気になって人を扇動したらそりゃあ馬鹿は簡単に引っかかるだろう。想定より上手くいきすぎている状況に、こちらの対応もギリギリなのが実情だ。少々手加減をして頂きたい。
「組織の方も、自分から捕まりに行く下っ端に構ってる暇ないんだろ」
組織から逃亡してきた者によると、組織の威信を保とうとした幹部はどうやら強硬手段に出ているらしい。
早い話が恐怖政治だ。少しでも組織に逆らう者は粛清され、死の恐怖で構成員を支配している。俺からすれば下策も下策だと思うが、今までの組織のやり方を考えればそうするほかなかったのかもしれない。予想していなかったわけではないが、残念ではある。
「……資金ばら巻いて構成員を引き留めることを期待してたんだけどな」
大きな金の流れができれば、その資金源を探ることでさらに情報を集めることもできたのに。金を持ってる奴がバックにいることはわかっているのだ、できたらそちら側の情報も揃えておきたい。放っておいて後で面倒になるのは、絶対に下っ端よりスポンサーだ。
やれやれと首を振ると、諸伏は疲れた顔で笑った。
「まあ、そちら側の情報も少しずつ集まってるじゃないか」
「まあな」
探るうちに浮かび上がる、財界の大物だの政界の大物だの、めんどくさい相手がごろごろと。構成員というよりは本当にスポンサーなのだろう。半世紀分の歴史がある組織だ、どこかで協力関係になったか、弱みでも握ったか。おそらく下手に手を出したら警察上層からのストップが来るレベルだ。
俺は組織を潰せればそれでいいので、報告だけ上げて後は勝手にやってもらおうと思う。そんな面倒なもん相手にしてられない。
「……柊木」
「ん?」
少し声を改めた諸伏に、俺は報告書から顔を上げた。
「お前のことだからちゃんと考えがあるんだろうけど、まだ『核心』には迫らないのか?」
核心、つまりボスやラムの正体と、目的。
あれから何度かベルモットとは直接会って情報のやり取りをしているが、いまだにその話をしたことはなかった。宮野志保のこともあえて見逃してるだろと指摘され、それはそうと素直に頷いた。彼女も十中八九ボスやラムの正体を知っている。
俺は何と言ったものかと少し考え、口を開く。
「もう少し組織を弱らせてからかな。王手の直前でもいいと思ってる」
「何で?」
「俺、そもそもボスやラムがそんなに脅威だとは思ってないんだよ」
そう言うと、諸伏はえっと目を見開いた。予測の域を出ないけど、と前置きして言葉を続ける。
「何度も言うが、あの組織の秘密主義は異常なレベルだ。相応の資金力や武力、人員を持っているにもかかわらず、ボスもラムも隠れすぎだと思わないか」
「……それは、まあ」
「顔や名前を隠さなきゃいけない理由があるとしたら、それは何なのか。……俺は、正体さえわかれば逮捕はそんなに難しくないからだと思う」
早い話、本人やその周囲に警察の捜査をかわすだけの力がないのではないかと。すると諸伏はわずかに目を見開き、しかしすぐに表情を改めた。
「……つまり?」
「たとえばだ。ボスは病床にあってろくに動けない」
「!」
「たとえば、な。そんな風に、それこそ資金だけはあっても、顔や名前がバレてしまえば所在が掴めてしまう、指名手配でも掛けられると逃げるのが難しくなってしまう、そんな相手なんじゃないかと思うんだ。あとは表の世界で顔や名前がすでに売れてたりとか……正体がわかれば目的も読めてしまうとか……そんな感じかな」
残念なことに、犯罪者は犯罪者でも、大物が過ぎればそれなりに堂々と世間を歩けてしまう時代だ。調べようと思えばヤクザやマフィアのトップくらい、顔も名前も経歴もすぐにわかる。それを考えれば、この組織のボスだってもっと堂々としていても良かったはずなのだ。大物すぎるが故に手を出せない、そういう存在になってしまった方がむしろ自由に動ける。ただ用心深いだけだと言ってしまえばそれだけだが、そうしなかった理由があるのではないかと考えていた。
「仮にその憶測が当たっていたとすれば、多分向こうはこっちが正体を知ったと察知した瞬間に何らかの手を打ってくる。どんな手を打ってくるにしろ多分厄介だ。いくら俺がボスの正体を知らない体でこれからの動きを考えたとしても、やっぱり正体を知ってると無意識に余計なことをして察知されるかもしれない」
だったら、いっそのことまだ知らない方がいい。知っていて知らないふりをするよりも、知らないままでいる方が俺としても気が楽だ。
「……俺の言ってることわかる?」
「……どうせボスもラムも正体さえわかれば捕まえるのは楽なはずだから、ぎりぎりまで正体知らないままでいても支障はなく、むしろこちらが正体を知ったことを察知されて警戒される方が面倒ってこと?」
「ああ、そういうこと」
そう言って報告書に目を戻すと、諸伏が苦笑したのが気配でわかった。
「……珈琲飲むか?」
「よろしく」
納得したらしい諸伏は、そのまま俺に背を向けた。
とにかく今は、ボスやラムより組織そのものの弱体化だ。削れるところまで削りきってしまわないと、とどめには進めない。最後のとどめをより安全に進めるためにも、そこを妥協するつもりはない。このままなら、そう難しくはなさそうだ。
そう思ったとき、報告書の最後の部分が目に留まった。保護した元構成員から得た、組織の現状についての情報だ。
「……数名の幹部、ならびに有力構成員が行方不明……」
小さな呟きだったが、諸伏の耳にはちゃんと入っていたらしい。諸伏はカップに珈琲を注ぎつつ、軽く答えた。
「ここんとこ、幹部だの幹部候補だのが死んだり消えたりしてるらしいな」
「NOCか」
「可能性はある。何か気になったか?」
他国の潜入捜査官が、組織の崩壊に巻き込まれないように撤退した可能性はある。放っておいても勝手に崩壊すると見込んで母国に帰ったのかもしれない。それだけ内部から見ても組織の弱体化が進んでいると考えれば、それは別に構わない。だが。
「……」
「柊木?」
はい、と珈琲の入ったカップを差し出され、ひとつ礼を言って受け取った。俺はブラック派だと言っているのに、このところ諸伏はいつもミルクを入れて渡してくる。ブラックだと胃に悪いからろくに休んでいない今くらいはせめてミルクを入れろとのこと。その通りなので最近はミルク入りで我慢している。
「……いや。やっぱり組織壊滅は急いだほうがいいな」
「今も十分早足だろ。何を懸念してるんだ?」
「他国からの横やりだ」
成り行きでFBIと手を組んでいるが、他国と連携するのはメリットもあればデメリットもある。引き上げたNOCから組織の崩壊が近いことを悟った各国が、利権目当てに日本警察に協力を持ち掛けてくる可能性はゼロじゃない。組織で行われているアポトキシン4869の研究データや、それ以外にも使い方によっては金になる研究データは相当にあるだろう。優れた知恵や技術はそれだけで価値がある。狙う国も多いだろう。
他国が捜査に加われば手も情報も増えるが、それ以上にめんどくさい。違法捜査と言う弱みがあるFBIとは話が違う。指揮権と利権の奪い合いになる。
だからこそ、できるだけ早く「他国の協力を必要としない」と傍から見ても明らかな段階まで捜査を進めてしまいたかった。
「ここまで来たら組織を潰すことはそう難しくない。だけど俺は、あくまでも『日本にとって利益になるように』組織を潰さなきゃならない」
組織に引導を渡すのは、日本警察でなければならないのだ。だからこそ、今何より恐れているのは組織の動向ではなく、他国の動向だった。ここまできて他から口を出されたくはない。何より、宮野さんや新一くんの平穏な生活は何としても守らなくてはならない。指揮権を奪われれば、彼らの身柄だってどうなるかわからない。
「……まだ他の国ならいいけど、特に……」
そう言葉を続けようとしたとき、ドアをノックする音が響いた。反射的にはい、と返事をすると、入ってきたのは降谷と風見さん。
「お疲れ」
「ああ、お疲れ。柊木、聞いたか」
「何を?」
嫌な予感が、首の後ろを伝った。
険しい顔をした降谷が、後ろにいた風見さんに目配せをする。眉間にくっきりとしわを刻んだ風見さんが、俺に書類を差し出した。
ぞわりと、俺の中の何かが警報を鳴らし始める。
「CIAからの協力要請だ」
降谷の言葉に、思わず両手で顔を覆った。
***
確かに睡眠不足も相まって疲れた顔をしていることも多かったが、ここまで死んだ目をしているのは久々に見たかもしれない。
無理もない、ここまで来て余計な横やりだ。特に、柊木にとっては指揮権の取り合いと言う大きな負担を強いることになってしまう。何でこんな要請を受けたのかと、僕としても上に全力で食らいつきたい。
「……上手い手使うな、CIA……」
要請がまとめられた書類をめくりながら、相変わらず死んだ目で柊木は言う。上手い手って、とヒロが聞き返した。
「キールを自分のところの諜報員だと明かした上で、連絡の取れない自国の諜報員を救出したいから手を貸してほしいという体での要請だ。助けを求めてきてる以上、上も断る理由がねえ」
「ああ、これ以上手は必要ないなんて言い訳を使わせないようにそうしたんだろうな。まして相手が相手だ」
柊木と同時に溜息をついた。残念なことに、そもそもこの国は合衆国に弱いのだ。
「しかしその体なら、指揮権は柊木さんにあるまま……ですよね?」
「一応はね。ただし、隙あらば奪おうとはしてくるでしょう」
「キールの違法捜査は弱みにならないのか?」
「その辺はとっくにうちの警察上層丸め込んでるだろ。こっちが自力で拘束したFBIとは事情が違う。CIAが正式に申し込んできた以上、これは合衆国の意向だ。上でとっくに話がついてる」
間違いなく、柊木の言う通りだろう。正式に話が通っている以上、CIAにはFBIのような弱みがない。向こうが救援を要請した形である以上、少なくとも最初は柊木の指示に従うだろうが、最後まで全面的に協力してくれるとは思えない。
「俺たちの目的は日本国家の秩序と安寧、FBIの目的は合衆国内における犯罪者の逮捕と国内の治安維持、そしてCIAの目的は合衆国の国益だ。ぎりぎりFBIとの協力までは妥協できるけど、CIAとは明らかに目的が異なるだろ……馬鹿かよ上層……勝手に頷くなよ……」
さすがの柊木も愚痴っぽくなっている。無理もない。柊木は多分最初から、組織よりも他国のことを気にしていた。キールになるべく情報を渡さないようにしていたのもそのためだろう。「組織を壊滅させる」という「手段」よりも、「日本国家の秩序と安寧」という「目的」をずっと見据えてきたのだ。
「……で、CIAさんたちはいつ来るって?」
ヒロの言葉に、柊木はまたちらりと書類に目をやって、来週、と小さく答えた。しかも、対策を考える時間もほとんどないときた。
「……知ってたけど上層って現場のこと考えないよなぁ」
「ああ、今更だな。……いや、うん、結局はちゃんと会って話して向こうの出方を見ないと対策も何も決められねえな」
むしろ俺たちよりFBIの皆さんが気の毒かもな。
柊木がそうぽつりとつぶやいたとき、部屋にノックの音が響いた。入ってきたのは、今ちょうど話をしていたMr.ブラックだった。
「……お揃いと言うことは、CIAの話はすでにご存知かな」
ひどく冷静な声で、彼はそう言った。その表情には何の感情も浮かんでおらず、心のうちを全く読ませない。捜査官を束ねる者に相応しい見事なポーカーフェイスだ。
「ええ、たった今聞きました。来週からいらっしゃるそうですね」
代表して柊木が答えると、彼は何か考えるように小さく頷いた。
「……柊木くん」
「お立場、お察しします。そちらの国にはそちらの国の思惑があるでしょう。貴方は今まで以上に自分の考えで動くことができなくなった。そうですね?」
これまではある程度自分の判断で捜査を行ってきた彼も、今後はそうもいかなくなるだろう。
ただの「犯罪事件の捜査」でなく「国益が絡んだ案件の捜査」になってしまった以上、彼も相当動きにくくなるはずだ。上に頭を悩ませているという点では、僕たちも彼らも変わらない。
「……捜査にはこれまで通り全力を尽くそう。それを覆すつもりはない」
「十分です。俺も別に、貴方の立場を悪くしたいわけではありませんから」
「……柊木くん」
「はい」
どうか、油断をしないでくれ。そして私たちを含め、信用しないでほしい。
彼にとってはそれが精一杯の誠意で、忠告だったのだろう。重く響くその言葉だけを残し、彼は退室した。
部屋に沈黙が流れる。口を開いたのは、やはりというか、柊木だった。
「……まあ、俺が指揮権渡さなきゃ済む話だよな」
呑気そうな声でそう言ったが、その瞳には気楽な色など欠片もない。今まで以上の決意と覚悟で、彼の瞳は燃えている。本気になった柊木に、敵などいるはずがない。張り合えるのは自分くらいだと僕は本気で思っている。
それなのに俺はどこか、かすかに見える不安の影を消せずにいた。
何度でも書きますが、実際の組織とは何の関係もありませんし完全なフィクションですし、作者の拙い知識で書いていきます。ご了承ください。