六花、欠けることなく   作:ふみどり

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 誰もいない廊下に、俺の声はよく響いた。

 

「―――ええ、宮野志保は譲りません」

 

 断固とした声で、スマホの向こうにいる相手に言い切った。俺がこれからやろうとしていることの大前提は、彼女の身柄を決して合衆国に譲らないこと。何としてもそれだけは認めさせておかなければならない。

 

「仰る通り、合衆国とことを構えないようにするためには彼女と工藤新一の身柄を引き渡すのが一番楽な手段です。少なくとも、日本にとって損はない。一見ね」

 

 そう、一見だ。彼らを他国に引き渡すことは、有能な人材と画期的な研究を合衆国に渡してしまうというだけではない。「保護対象」や「協力者」である彼らを他国に渡すということが何を意味するのか、この人にわからないはずがない。

 

「公安警察が保護対象及び協力者を他国に売り渡したなんて前例は、決して作るべきではありません」

 

 公安警察の捜査に、協力者の存在は不可欠だ。彼らは我々の目となり耳となり足となり手となる。それゆえに確固たる信頼関係を築き、時にはともに危機を乗り越えることだってある。そしてその関係は、公安が彼らを守り抜くという前提があってこそ成り立つものだ。

 

「特に今回はベルモットの存在があります。そんなことをすれば、彼女は容赦なく契約を破った我々に牙をむき、そして公安警察の裏切りを声高に喧伝するでしょう」

 

 公安警察は、協力者を裏切った、と。

 そんなことになれば、今すでに存在する「協力者」は公安警察に不信感を抱くだろう。新たな協力者を得ることも難しくなる。それはつまり、公安警察の弱体化に他ならない。国家の治安維持を引き受ける我々の弱体化は、すなわち国家の危機だ。一時の外交問題のためにこの国の将来を危機にさらすようなことは許されない。

 

「……彼らを引き渡すことを選択肢から消すつもりはありません。しかし、それはあくまでも最終手段であるべきです」

『つまり、最終手段を取るまでもなく片付けられると言うんだな?』

 

 低く、威圧感のある声が耳に響く。電話ということもあるが、ひどく無感情に聞こえた。できるかどうか、その事実のみを尋ねられている。

 

「ええ、できます」

 

 俺は迷うことなく断言した。最終手段なんて使わせない。俺が指揮を執る以上は、絶対に。妥協した勝利だって許すものか、俺が目指すのはいつだって。

 

「完全勝利以外は、勝利ではありませんから」

 

 俺の合格ラインは満点のみだ。その信条はずっと変わらない。

 電話口で、低い声がふと笑ったのがわかった。頼もしいな、と言葉を続ける。納得してもらえたかはわからないが、この人が基本的にこちらのやり方にあわせてくれる人だということは知っている。

 

『お前に任せる。抜かるなよ』

「もちろんです、理事官」

 

 ぷつりと通話が切れる。さあ、これで上の許可は得た。

 俺のやるべきことはもう決まっている。完全勝利に向けて、俺のもつありとあらゆるカードを使い、粛々と終わりに向けて駒を動かしていくだけだ。俺ならできる自信は、ある。そう、手段を択ばなくていいのなら。

 スマホを床に投げ捨てたい思いを握りつぶして、俺は執務室へ足を向けた。

 

 

 *

 

 

「……CIAが、そんな……?」

「可能性の域を出ませんが、対策は必要だと思っています」

 

 眼鏡の奥の瞳は、驚愕と動揺で揺れていた。しかし、疑っている様子はない。そして数秒後には落ち着きを取り戻し、まっすぐに俺を見据えた。

 

「俺に、できることはあるでしょうか」

「もちろん。貴方の協力が必要不可欠です」

 

 あいつを守るためにも、手を貸してください。

 俺の言葉に、降谷の右腕であるその人は、力強く頷いた。

 

 

 *

 

 

 日々が過ぎていく。クリスマスも年越しもとうに過ぎ去ったが、仕事以外の何かをしていた覚えがない。まあ毎年何をするわけでもないだけに、特に感慨もなく終わった。まあ降谷は餅が食べたいとしょんもりしていたので、せめてと思って雑煮を差し入れたら泣かれた。お前疲れてるんだよ、こき使ってるの俺だけど。

 CIAは相変わらず腹の底が読めないなりに情報提供に協力的だし、FBIも精力的に捜査に動いてくれている。徐々に組織の力を削いでいき、もはやかつての巨大シンジゲートは見る影もない。相変わらず資金は潤沢なようだが、潤沢なのは資金だけだ。

 もう、そろそろいいだろうか。そう思ったとき、俺のスマホが着信を告げた。

 

「はい」

『例の件、終わったわよ』

「さすが、早いですね」

 

 ベルモットに頼んでいたのは、ある製薬会社の機密情報の横流しだ。組織に関わる情報を抜き取り、その企業もとっとと潰すつもりでいる。それなりに大きい企業だ、弱体化した今の組織にとって大きな痛手となるだろう。

 

『……ねえ』

「何です?」

『ヘイムダルは、いつギャラルホルンを吹き鳴らすのかしら』

 

 唐突な話題につい瞬きをした。そういえば俺のことをそんな風に例えたとバーボンが言っていたような気がする。随分と気障なことを言うものだと少々呆れたし、だいたいヘイムダルは神々の黄昏(ラグナロク)の最中、悪神ロキと相討ちになって死んだとされているのだ。縁起でもないからやめてほしいと思う。

 とりあえず、ベルモットが何を言いたいかはわかった。

 

「……そろそろ、と思っていたところです。貴方に、一番大事なことを聞かなければならない」

『そうでしょうね。……今夜』

「え?」

 

 今夜二十時、いつものバーで。

 一秒でも遅れたら許さないわよと言い捨てて、一方的に通話を切られた。思わず手の中にあるスマホを見つめる。何となく感慨深いものが込み上げた。そうか、とうとう。

 核心の話は、なるべくなら向こうから切り出してほしいと思っていた。ベルモットが俺たちの動きを見て確実に組織を潰せると判断してくれれば自分から話してくれるだろうと。そうなれば彼女はきっと、余計な言葉遊びをしたりもせず、偽りのない情報を提供してくれると信じて。

 

「……ベルモットか?」

 

 自分のデスクで仕事を片づけていた諸伏が、こちらをまっすぐに見つめていた。何の話をしていたか、もう察しているのだろう。俺は緩やかに微笑んで、頷いた。

 

「今晩二十時、行ってくる」

「了解、気を付けてな」

「Mr.柊木?」

 

 少し離れたテーブルで資料を手に話し合っていた他の捜査員たちも、こちらを見つめていた。CIA、FBI、そして公安捜査官。それぞれの思惑を隠した瞳が、俺に向けられている。

 

「終わりが見えてきましたね」

 

 終わりを迎えたその瞬間、微笑んでいるのはどの顔なのだろう。

 まあ俺は間違いなく笑ってるけどな、と弱気を打ち消し、俺は手元の珈琲に口を付けた。

 

 

 *

 

 

「あら、今日は飲んでるのね」

 

 後ろから掛けられた声に振り向くことなく、俺はグラスを軽く持ち上げた。飲んでるも何も、営業中のバーに入って何も頼まないでいられるほど俺の神経は太くない。

 静かだが品の良いジャズが流れる店内はほどよく薄暗く、他の客の会話も聞こえそうで聞こえない。マスターの顔すらはっきりとは見えないのだから、これはもう密談にはうってつけの場所と言っていいだろう。

 

「何飲みます?」

「貴方は?」

「スコッチです」

「そう。……以前にそのコードネームの幹部がいたわね」

 

 確か、公安からのNOCだったかしら。

 彼女はそう言ってカウンターに腰かけ、適当にオーダーをした。

 そういえば彼女には諸伏のことは言っていない。バラす必要も会わせる必要もなかったからだが、最後の作戦によっては伝える必要が出てくるだろう。

 現状のままなら特に必要ではないが、正直CIAよりはベルモットの方が信用できるだけに、バーボンが降谷であることもバラさなくてはならないかもしれない。注意深く計画を立てる必要がある。

 

「特に深い意味はないオーダーだったんですが……彼のことはご存じで?」

「名前とスナイパーだったってことしか知らないわ」

 

 軽く雑談を入れている間にベルモットがオーダーしたカクテルが差し出し、マスターはまたすっと身を引いて離れる。ここのマスターはあまり客に話しかけるタイプではないようだ。

 

「身辺に変化は?」

「特にないわ。CIA(カンパニー)の手出しもないわね」

 

 CIAが捜査協力していることはベルモットにも伝えてある。組織側に余計な横やりを入れる可能性を考えてのことだが、どうやら本当にノータッチ。キールに連絡を取ろうとする姿勢くらい見せればいいものを、まずは組織の壊滅が最優先と言って彼らは自分たちから組織に接触しようとはしなかった。狙いは完全にこちらだということだろう。何ともわかりやすい。

 

「まあ、どうでもいいわ。……これが、貴方たちがずっと欲しがっていた情報よ」

 

 差し出されたメモリを緩やかに受け取って懐にしまう。ベルモットの手が震えていた気がするが、気のせいかもしれない。

 これで、必要な情報は揃った。確認次第、最後の作戦を考えなければならない。

 

「感謝します」

「必要ないわ」

 

 改めて、彼女をまっすぐに見つめた。正直とても辛い。だが、俺は彼女に伝えなくてはならないと思う。

 彼女にとってこの組織の存在がどんなものだったのか、俺にはわからない。けれど、この核心の情報を差し出すことには相当な抵抗と決意があったはずだ。それでも彼女は自分からそれを提供してくれた。

 彼女の、大切な宝物を守るために。

 

「―――感謝をさせてください、ベルモット」

 

 すっと目線を下げて、軽くだが礼をした。

 必ずあなたとの契約は守り抜いてみせる、その意志を示すために。

 

「……相変わらず、変な子ね」

 

 そう言ってカクテルに口をつけるベルモットに苦笑を零しつつ、正面に向き直った。椅子に座りなおし、スコッチで口を湿らせる。彼女に一言断り、煙草に火をつけた。

 

「それはそうとベルモット」

「何よ」

「今頂いた情報にもよるんですけど、おそらく最後の作戦には貴方の協力が必要になります」

 

 ぴたり、と彼女は一瞬動きをとめた。

 

「その時は協力をお願いできますね?」

 

 にっこりと微笑みかけると、ベルモットは眉間にくっきりとしわを寄せ、彼女もまた煙草に火をつけた。呆れたようなうさんくさそうな目線に、構わず微笑み続ける。

 

「……一瞬前の殊勝な態度はどこにいったわけ?」

「見間違いでは?」

 

 そう切り返すと彼女は数秒だまり、ふと不敵に笑った。

 足を組みなおし、肩にかかったプラチナブロンドは払いのける。その表情、その仕草は、俺の目から見ても魅力的に思えた。ちっとも心は惹かれないし、できることなら今すぐにでも走って逃げたいけれど、それでも彼女は美しい。

 

「お手並み拝見、させてもらおうかしら」

「ご期待に沿えるよう努力しましょう」

 

 やはり彼女には、その笑顔がよく似合う。

 

 

 *

 

 

 警察庁に戻る前に、スマホの画面をタップした。

 着歴、メール、メッセージ、そしてSNSをチェックする。流れる文字を目で追った。よし、特に異常なし。

 

「……熱いな」

 

 久々に飲んだせいか、いつもより酒のまわりが早い。熱く火照る顔をぱたぱたとあおぎながら、酔い覚ましに少し歩く。

 

「……ダメだなぁ」

 

 アルコールで正直になった俺の思考回路は、自己嫌悪で埋まっていく。頬が冬の冷たい空気で冷やされるにつれ、だんだんと暗いものが胸の中に渦巻いた。

 決意も覚悟も、したつもりなのに。まだ俺は、こんなにも甘いのか。

 

「……こんなんじゃ、また叱られるな」

 

 これではいけないと軽く頭を振り、先ほどまでより早足で駅へと向かった。

 今はもう、落ち込んでいる暇すら惜しいのだ。自己嫌悪など、時間の無駄でしかない。そう自分に言い聞かせて、俺は思考を切り替えた。

 

 

 *

 

 

 ベルモットからもたらされたデータを、覗き込む。

 ボスの正体、ラムの正体、そして目的、組織のこれまでの変遷。十分すぎるデータが、これまで数多くの捜査員が求め続けた情報が、そこにはあった。情報を吟味するに、決して嘘とは思えない。ボスの正体も、予想していたとは言えないまでも驚愕するほどの人物ではなかった。しかし、とんでもない大物には違いない。

 逮捕自体は簡単でも、捕まえた後のほうが厄介な気がしなくもない。が、それは俺が考えることじゃない。

 

「……情報はすぐに共有します。まずは裏取りからですね」

 

 まずはすぐに宮野さんに情報を共有し、確証を得る。視線を降谷に移すと、万事理解したとばかりに大きく頷いた。

 これまで捜査に関わってきた捜査員が、真剣な顔で俺のデスクの前にずらりと並んでいる。とうとう、ここまで来た。皆の顔がそう言っていた。

 

「一か月」

 

 ひとつ呼吸を置いて、言葉を声に乗せる。

 

「本日よりおよそ一か月後を目安に、最後の作戦を執行します。組織のボス、その腹心であるラム、今だ凶行を続けるジン、それに従うウォッカ。彼ら全員の逮捕をもって、組織に引導を渡します」

 

 緩慢な動作でデスク前の椅子から立ち上がる。迷うことは何もない。

 絶対に、やり遂げてみせる。ここまで来たら、完全勝利以外の結末は許さない。

 

「終わらせましょう、全て」

 

 執務室に、全員の力強い返事が響いた。

 

 

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