六花、欠けることなく   作:ふみどり

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 CIAに叩きつける()()についての話をした後、思い出したように工藤先生は言った。

 

「それはそうと、この作戦にはもう一枚カードが必要だろう。そちらは大丈夫かい?」

 

 さすがにそちらは私たちではどうすることもできないが、と言う工藤先生に苦笑した。多分大丈夫です、と返すと、宮野さんが不思議そうな顔でこちらを見る。

 

「まだ何か必要なものがあるの?」

「まあね。けど、これは権力とコネクションの問題だから」

「……ああ、そっちのことか。けどお前、今までさんざん上層に喧嘩売っといて味方とかいるのか?」

 

 心底意外そうな顔をする諸伏にも、苦笑を返すしかない。

 まあ監察官の時に喧嘩を売りまくった自覚はあるが、それでもそれなりに目をかけられたりもしてたんだけどと内心だけで反論するが、今回頼れそうな味方がいないのは事実だ。

 

「……俺のツテじゃねえよ」

「ん? 違うのか?」

 

 じゃあ誰だよと問いかける諸伏に、ちょっと眉尻を下げ、言いたくないなと思いながら口を動かした。

 

「……親父の」

「え?」

「親父のツテに、そういうのを紹介してくれそうな人がいるんだ」

 

 できれば、もう会うつもりはなかったのだけど。

 

 

 *

 

 

 俺の姿を見つけた途端突進してきたと思ったら、即行で腕を掴まれてRX‐7に放り込まれた。パトランプ付けないなら安全運転な、と言ったらすごい目で睨まれる。

 

「法定速度は守る」

「安全運転と法定速度遵守はイコールじゃないんだよ」

「うるさいその話はいいんだよ」

「いや警察官としてはとてもよろしくない、」

「柊木」

「……はいはい」

 

 軽いノリに付き合ってくれる気はないらしい降谷は、そのままアクセルを踏んだ。一応思ったよりは安全運転。

 それで、とさっそく話を切り出される。

 

「CIAの暗殺のこと、いつから気づいてた」

「……いつだったかな……年末くらいか」

 

 随分前だな、と降谷の頬がひくりと引きつった。それには気づかなかったふりをして窓の外で流れる景色を眺める。随分前と言うほど前でもないと思うんだけどナーと内心言い訳めいたことを呟いた。

 第一そのときも可能性に思い至ったというだけで、確信を持ったのは本当に今朝だ。

 

「今朝、あいつらが爆弾を見つけてくれるまでは推測の域を出なかったよ」

「……まさか爆弾まで持ち出してくるとはな」

「ああ、予防線張っといて良かった。正直危なかった」

 

 予防線、と降谷が繰り返す。できる限りCIAから目を離したくなくて、俺は「街の目」を使う決断をした。「協力者」たちの顔が次々と頭に浮かび、思わずため息をつく。

 もう数年の付き合いになる奴もいるが、いつのまにあんなに頼りになるようになったのかと、嬉しいような申し訳ないような不思議な気持ちになる。彼らの力を借りたくはなかったが、借りずにはいられないほど優秀なネットワークに育ってしまった。

 

「……俺のベイカーストリートイレギュラーズは優秀なんだよ」

 

 今もこの近辺に溶け込んで生きる悪ガキたち。そこを卒業し、もう働いているような奴らにも声をかけ、恥を忍んで頭を下げた。お前らを利用するつもりはないと言っておきながら頼ってすまない、これが最初で最後だから、どうか助けてほしいと。

 

『何すりゃいいの?』

 

 一番最初に返事をくれたのは今や大学卒業を目前に控えた幸人だった。

 CIAの三人の顔と車両の情報を送り、彼らを見かけたら片っ端からその様子を報告してほしいと頼んだ。すると幸人は、全員分のメッセージ受け取ってたらスマホの通知死ぬよ、とSNSを勧めてくれた。

 

『全員に鍵つきアカウント作らせるからフォローしといて。ダミー混ぜながら報告流させるから、あとはひーらぎさんの方で判断よろしく』

 

 しかも、その報告の仕方と言ったら。

 キッチンカーの前でクレープをアップにした画像を上げたと思ったら、そのサイドミラーにはミスターの顔がうつっていたり。久々の再会、とか言って肩を組んでいる画像を上げたと思ったら、その後ろでCIAの車両が信号待ちをしていたり。何だお前ら優秀か。というか将来何になるつもりなんだと、正直本気で頭を抱えた。

 そしていったいどこでこんなやり方学んだんだよ……と愚痴を投げれば、速攻で「ひーらぎさんの悪影響」と山のような返信が届く。そんな英才教育をした覚えはないと言い返しても、「ひーらぎさん、英語わからねえって言った俺たちに何見せたか覚えてる?」の一言。

 そういえばスパイものの洋画を勧めたこともありましたね。何でもいいから英語に興味もてばいいと思っただけなんだよ。その内容じゃなくて英会話に注目してほしかったんだよ。閑話休題。

 

「流してもらった画像の中に、気になるものがあったんだ」

「それは?」

「一週間前、宿泊しているホテルに戻る彼らの手に、銀のジェラルミンケースがあった」

 

 そう大きなものではない。ただ、今までそんなものを持っているところは見たことがなかったし、少なくともその日の朝、警察庁に向かう途中と思われる画像には写っていなかった。つまり、警察庁からの帰り道に、どこかに立ち寄って、手に入れてきたことになる。

 

「彼らは何か購入する時、基本的に宅配を頼んでいたみたいなんだ。金持ちと言うか何というか、荷物をあんまり持ちたくないタイプらしいんだよな。なのにそのケースだけは後生大事に持って帰った」

「しかも一週間前と言ったら……今回の作戦の詳細を煮詰めたころか?」

「ああ、タイミングが良すぎたのもあって邪推せざるを得なかった。仮に彼らが本気で暗殺を企てていて、仮にそのケースがそのために用意したものであるなら、その中身は何なのか?」

 

 そう思ったときにふと浮かんだのは、何故か一度吹っ飛ばされた経験のある萩原の顔。まさかと思いつつも、ミスターの思想と思考を考えれば「有り得る」と判断した。むしろ、その方が「手っ取り早い」とも。

 そう思ったときにはすでに、あいつらにSOSのメッセージを送りつけ、あえて「それ」を仕掛けさせる隙を与えた上で、こちらがそれを探し出し解体するだけの時間を作る算段を立てていた。

 

「運が味方したと言わざるを得ないな」

 

 それが爆弾であるという確たる証拠はなかった。もちろん、本当に彼らが俺たちを殺そうとしているという確証も。

 いくつか可能性を考えた中で、一番可能性が高いと思うものから対策を打っていったが、たまたまそれが当たっていたというだけに過ぎない。本当に、運が良かった。

 

「……経緯はわかった。それで?」

「何だよ」

「本題だ。何故俺に黙っていた?」

 

 流れる景色をぼんやり見つめていた目を、数秒閉じた。まあ聞くよな、と思う反面、こいつ本当に自覚ないんだな、と内心溜息をつく。

 なるべく何気ない口調を装って、俺は言った。

 

「諸伏がNOCだとバレた時のことを覚えてるか」

「? ああ」

「あの時お前、どれだけミスを重ねた?」

 

 降谷が息を呑む。さすがに心当たりはあるらしい。

 あの日の降谷との通話やうちに飛び込んできたときの様子からいろいろやらかしている気はしていたが、当時の捜査資料を見たときには本当に愕然とした。冷静でないときの降谷が相応にポンコツなのは知っていたが、職務中にここまでポンコツになるとは。本当に心底呆れたし、肝が冷えた。

 

「はっきり言う。お前があの後も潜入を続けていられたのは、単純に運が良かったからだ」

 

 あの時の降谷は、組織の誰かに見つかる可能性のある状況で、「バーボンらしくない行動」を取りすぎていた。見つからなかったのは、NOCの「疑いがある」程度で今日まで潜入を続けられたのは、実力じゃない。運の問題だ。

 

「お前の強みで弱みだよ。職務中でも身近な人間の危機に過敏に反応する」

 

 そう言うと、降谷はきゅっと唇を噛み締めた。

 俺だってある程度のことは予測できるし、計算外だって計算に入れて策を考えてみせる。だが、降谷ほどの奴の「暴走」を読み切れるかは怪しいと思った。俺の策を乱すだけの能力が、降谷にはある。

 特に今回の作戦は、ギャンブル的な側面も強かった。風見さんと諸伏に任せたとはいえ、降谷が死んでもおかしくなかったし、もちろん俺が死んでもおかしくなかったのだ。

 

「確かにお前にも情報を共有して自分の身を守ってもらうことも考えた。反面、お前の甘さと日頃の暴走具合、それから対組織の作戦の肝はバーボンになるだろうことを考えたら教えない方がいいとも考えた。で、結局後者に軍配が上がったわけだ。その程度には俺、お前に好かれてる自覚もあったしな」

「……」

「反論があるなら聞いてやる」

「……お前のそういうとこ本当に腹が立つ……!」

 

 歯噛みするようなその言葉を、事実上の敗北宣言だと捉えた。とはいえ、今日の降谷は俺の危機かもしれない状況でも、やることはやってのけた。降谷も成長したということで、その辺の評価は改めておこう。

 

「……それで!」

「今度はなんだ」

「内通者がわかったのはいい! だがそもそもCIAの証言だけじゃ何もできないぞ! 裏も取れてないし、俺たちには身内を締め上げる権限がない! 階級も向こうの方が上すぎる!」

「とりあえず声のボリュームを落とせうるさい」

 

 しかし、降谷の言った通り。俺はもう監察官じゃないし、そもそも警察庁には警察庁の監察業務を行う人たちがいる。そして特殊な部署にいるとはいえ、警部程度の俺たちには限界がある。

 だから、カードが必要だった。俺たちの言葉を肯定し、動いてくれるだけの権力の後ろ盾が。

 

「……助っ人は呼んである」

「助っ人?」

「ああ」

 

 腹の中が真っ黒な、とっておきの権力者(たぬき)を。

 

 

 *

 

 

 阿笠博士の研究所を訪ねた次の日、俺はある場所に足を運んだ。平穏に生きる大半の人々にとっては縁のない、罪を犯した者を反省させるための施設―――刑務所だ。

 無機質な面会室の椅子に座って、その人を待つ。時計の音が、やけに耳にまとわりついた。透明な壁の向こうでがちゃりとドアが開く。俺は反射的に立ち上がって礼をした。

 

「お久しぶりです、先生」

「お、旭くんじゃねえか。久しぶりだなぁ」

 

 まあ座んな、と言ったその人は今も服役中の犯罪者であり、元法務大臣という経歴を持つ政治家であり、―――俺の父が、命を懸けて守ったひと。

 父さんは警視庁警備部警護課で要人警護を担当する、いわゆるSPだった。特にこの人に高く評価されていたらしく、よく指名されては先生の警護についていたと聞いている。俺が初めて先生に会ったのは父さんの葬儀だったが、俺の過去のことも何やらと詳しく知っていて、父さんが相当にこの人の事を信頼して慕っていたことはわかっていた。

 

「……来てくれるとは、思わなかったんだがな」

「ええ。俺も来るつもりは、ありませんでした」

 

 その日も、いつも通り父さんはこの人の警護についていた。政治家というのは難儀なもので、どれだけ真面目に働こうが命を狙われる可能性がなくならない職業である。

 この人を狙ったのは、過激な思想をもった人間だった。どこかから拳銃を手に入れて、それを先生に向け―――その弾丸を受けたのは、父さんだった。

 命にかえても対象を守る、それがSPだ。俺は父さんがいつも机の引き出しに遺書をいれているのを知っていたし、葬儀でこの人に深く深く頭を下げられても恨む気持ちなど微塵も起きなかった。あれこれと世話をしてくれるこの人に感謝をしつつも、葬儀や遺産について一区切りする頃にはそれも断った。俺は警察官になるつもりだから、貴方との関係はここまでにしたいと。

 

『貴方と縁があると言うだけで、そのつもりはなくても何かしらの特別待遇があるかもしれません。俺はそれを望まない』

 

 自分の力で這い上がりたいから、とこれまでの感謝と共に告げると、先生はわかったと頷き、しっかりやんなと俺の肩を叩いてくれた。だからもう会うつもりはなかった。汚職で逮捕されて尚絶大な影響力を誇る、この人には。

 しかし、今回はそうも言っていられない。

 

「今更どの口が、とお思いになるかもしれませんが、お手をお借りしたくて」

 

 ほう、と先生は面白そうに笑った。言ってみな、と視線だけで促される。

 

「ご存知かもしれませんが、無事、警察官として働いています。今は警察庁で、特殊な部署に配属されておりまして、非常に厄介な案件に関わっています」

 

 何から説明すべきか、何まで説明していいのか。頭の中で綱渡りをしながら、言葉を辿っていく。

 

「FBIや、CIAも絡んでいる案件で、」

 

 どう伝えればいいのだろう。何を説明すればこの人は協力してくれるのだろう。この人はこの人でとんでもない古狸だ、政治家と言うのはそういう生き物だ。

 今更にして実感するが、実は俺も相当テンパっていたし緊張していたらしい。上手くこの人を説得する言葉が出てこない。どんなに言葉を飾ったって、老練の狸には見抜かれると思った。

 それならきっと、ただ俺は率直に伝えるしかないと。

 

「―――友達の命がかかっています」

 

 あれ、おかしいな。何で俺、泣きそうな声を出しているんだ。

 

「今、もしかしたら、俺の大事な友達の命が危機にさらされているかもしれないんです。絶対に、死なせたくない。そのために今、策を練っています。それに俺の友達を売った人間も、何としても捕まえてやりたい。そいつが、警察上層でふんぞり返っている奴の可能性が高いのなら、なおさら」

 

 目の前のその人は、ただただ静かな瞳で俺を見返した。

 

「そのためなら、何だってします。誰にだって頭を下げるし、何だって利用する。貴方はあのとき、俺に言ったでしょう。俺には、俺の父には、大きな借りがあると。できることなら、何でもすると。それを今、返してください。俺に今必要なのは、権力者の後ろ盾です。それも、金だ利権だで左右されない、信用のできる後ろ盾だ。元法務大臣で警察官僚にも知り合いが多いだろう貴方なら、そういう人を知っているんじゃないかと思って、ここに来ました」

 

 どうか、手を貸してください。

 俺がそう言うと、先生は数秒間黙り、そして微笑んだ。政治家らしい、見た人を安心させる笑顔だった。

 

「いい顔するようになったじゃねえか、旭君」

「……最後にお会いしてから十年近く経つんですよ、俺だって成長します」

「はは、そうさなぁ、立派になりやがって。……人の命がかかってるとなれば、俺も一肌脱がねえとなぁ。これでも元坊主、無益な殺生は嫌いなんだ」

 

 実家がお寺で人命を何より尊ぶこの人は、法務大臣在任中も死刑執行命令書への署名は一切しなかった。そして一流の政治家と言う生き物は、言葉をごまかしはしても嘘の類は言わない。言質を取られるのを嫌がるからだ。

 

「話せる範囲で詳しく話してみな」

 

 紹介できる当てがあるかどうか、考えてやる。

 にやりと笑ったその人に、俺は改めて口を開いた。できる限りに端的に、今の状況を説明する。一通り話を聞いたその人は、静かな目で改めて言った。

 

「……旭君よ、『誰にだって頭を下げる』と言ったな?」

「言いました」

「それが例え、てめえと因縁のある奴でもかい」

 

 警察上層で、俺と因縁のある奴。そんな人は限られている。しかも先生は、かつて俺の身に起こったことを知っている。つまり、先生が言っているのは。

 だが、()()()()()()()()()()()()

 

「もちろんです、先生」

 

 俺にとって大事なのは過去じゃない。今、この時だ。

 そう言い切った俺に、先生は満足そうに頷いた。

 

「なら、あいつに話を通しておこう。だが、俺にできるのはお前さんの話を聞いてやれと言うことだけだ。説得するのは自分でやんな」

「十分です」

「お前さんのことだから杉下にはもう挨拶したんだろ?」

「特命係の杉下さんですか? はい」

 

 なら、杉下にも連絡をしておこう、と先生は微笑んだ。どうやらそのひとと杉下さんには直通のパイプがあるらしい。

 手はずを整える約束をしてくれた先生に、俺は深々と頭を下げた。

 

「……旭君よ」

「はい」

「ますます親父さんに似てきたな」

 

 イイ男になりやがって、とからからと笑うその人に、つい苦笑した。

 

「やめてください、あんなクソ親父」

「言うねえ、若造が」

 

 

 *

 

 

 警察庁に到着し、まっすぐにその内通者の執務室を目指す。自然と足早になり、足音が大きくなっていった。俺は、怒っている。職務で俺たちを殺そうとしたCIAも許せるものではないが、お前のそれは私欲に過ぎない。私欲で人の命を売り、その罪を隠蔽しようとしたことは絶対に許さない。許してはならない。

 形だけのノックをして、返事も聞かずにその部屋に足を踏み入れた。部屋の中央にある机を前に、そいつはふんぞり返っていた。

 

「、何だお前たちは」

 

 不快そうな顔を隠しもせず、俺たちを見てそう言う。おや、俺たちのことは知らないらしい。なるほど、ろくに調べることもせずCIAの要請に乗ったというわけか。いっそ笑えてくる。

 

「つれないことを仰いますね。せめて顔と名前くらいは知っておいて頂けませんか」

 

 貴方がCIAに売り払った、捜査官のことくらい。

 俺がそう言うと、彼はすっと目を見開いた。この反応はあたりだと確信をもつ。たとえ暗殺が失敗したところで、自分の名前が出ることはないと高をくくっていたのだろう。随分と、舐められたものだ。

 

「いったい何の話をしている? 無礼にも程がある、出ていけ!」

「しらばっくれますか」

「だから何の話をしているというんだ! もういい、所属と名前を言え!」

 

 まあ、認めるはずもない。罪を認めた先にあるのはその身の破滅だ。

 何人かの足音が開いたままのドアから聞こえてくる。来てくれた、と少し目を伏せた。

 

「失礼しますよ。やあ柊木君、早かったんですね」

 

 後ろに何人ものお付きを連れて執務室に入ってきたその人。その人を見た瞬間、彼だけでなく降谷までその顔色を変えた。警察に身を置く人間なら、まあどこかで見たことはあるだろう。

 大物も大物、この警察組織全体でトップから数えて五指に入るほどの権力者。

 

「官房長……!」

 

 警察庁長官官房室長という、もはや「とにかくとんでもなく偉い人」としか言えない立場のこの人。

 虎の威を借りて申し訳ないが、これもまた戦略のうちと主張する。

 

 

 *

 

 

 杉下さんを通して顔をつないでもらうと、ひと気の少ない公園を指定された。この寒い時期に、と思いながらベンチに座ってその人を待つ。約束の時間から少しして、背中合わせになっていた反対側のベンチに人が座った。

 

「会ってやれって言われたから来たけど、まさか君だったの」

「あれ、光栄です。俺のことをご存じなんですか?」

「一時期、僕のことを嗅ぎまわってたでしょ」

 

 ああ、バレている。そりゃそうか、と苦笑しながら頷いた。バレても構わないと思いながら探ってはいたのだが、やはりお見通しだったらしい。

 

「大河内くんがとんでもないのを引き抜いてきたって噂も聞いていました。若手の快進撃はなかなか見ものでしたよ」

「恐れ入ります」

「まさか、かつて警察の不正の犠牲になった子どもが警察官になっているとは思いもよらなかったけどね」

 

 直球で言われて小さく息を飲んだ。そう、それこそが俺とこの人の因縁。

 今も俺の深くに刻まれた忌まわしい記憶。このひとは、かつて俺を「家出少年」に仕立て上げたうちのひとりだった。

 

「僕のことを嗅ぎまわってたのも、その関連でしょ?」

「ええ。あの時の事件に関わっていた人で今の警察にいる人は少ないですから。……どんな人なのかなと」

「そう。で、僕のことを調べた感想は?」

「……納得、でしょうか」

「へえ?」

 

 監察官になったばかりのころ、その権限を利用して事件に関わった人々のことを調べた。その当時の警察の状況なんかも含め、できる限り。

 するとそこから、見えてきたものがある。

 

「当時の警察は、だいぶ不安定だったんですね」

 

 権力の集中の仕方も、派閥の在り方も危なかった。どこかのバランスが崩れれば、警察組織そのものが傾いてしまいそうなほどに。もし俺が「家出少年」でなく、「誘拐事件の被害者」になっていたら、いったいどうなっていたか。

 もちろん、だからといって罪が隠蔽されていいわけではない。どんな理由があろうと罪は罪で、それを隠そうとするのは決して正しくない。

 きっと少し前の俺なら、どんな理由があろうと許せないと、そう言ったと思う。だけど、今の俺には何故か。

 

「……不思議と、恨む気持ちはないんです」

 

 ずっと抱えていた黒いものは今も消えていない。だけどちゃんと、直視はできるようになった。今こうして因縁の相手のひとりであるこの人と話していても、黒いものは浮上することもなく大人しいまま。自分でも少し、驚いている。

 少なくとも、警察学校に入った頃の俺だったら、こんなことは言えなかった。あの頃の俺と今の俺の違うところ。それが何なのかと聞かれれば。

 

「警察官になって、……いろんな形の正義を見ました」

 

 ルール破りは嫌いだった。ルールに則っていれば正しいのだと思っていた。けど、世間は、正義は、そんなに簡単じゃなかった。警察官になってたくさんの人と出逢った。たくさんの人と話をした。

 どこまでも真実だけを追い求める新一君の正義。

 組織の壊滅のために国境やルールを飛び越えたFBIの正義。

 自国の利益のためなら命すら切り捨てるCIAの正義。

 事件解決のためなら民間人の手を借りることも良しとした目暮班の正義。

 捜査権がなかろうと事件が起きれば捜査を断行する杉下さんの正義。

 恵まれない子供たちのために汚職に手を染めた先生の正義。

 そして、この国の秩序のためなら何だってやってみせる、公安の正義。

 全肯定できるものはひとつもない。だが、全否定できるものもひとつもないと思った。だって彼らは、自分が正しいと思うことを貫いているだけなのだ。そこにあるのは私欲よりも使命感、そして正義感。信条の違いこそあれど、どうしてそれを否定できるだろう。この世に絶対的な正義などありはしないのに。

 

「……調べた限り、貴方は私欲で動くような人ではない。俺を『家出少年』に仕立て上げたのも、貴方なりの正義があってのことでしょう。だったら、俺は貴方を責められません」

 

 だってきっと、俺が貴方の立場であれば同じことをするから。少なくともこの人はただ、日本警察を守ろうとしただけだったのだと思うから。すでに公安としてたくさんの法を踏みにじっている俺がこの人を責めるなんて、それこそお門違いだ。

 そう少し笑うと、その人はふうんと感情を感じさせない声で呟いた。

 

「まあ昔の話はいいんですよ。俺は今の話がしたくてお呼びしたんです」

「今君が指揮を執ってる例の組織の話?」

「ご存知なんですね」

 

 僕も公安に関わっていたことがあるからね、とその人は何の気なしに言った。それは話が早くて助かる。

 

「ではCIAのことも?」

「わざわざ捜査協力とかよくやるよね」

「ええ、本当に。まだ可能性の段階なんですが、そのCIAが公安(うち)の保護対象の身柄欲しさに俺たちを殺しにかかるかもしれません」

 

 官房長は数秒押し黙り、少し低い声で、ない話じゃないねと呟いた。続けて、なるほど、とも。

 

「誰か内通者がいるんだ? それも警察上層に」

「おそらく。CIAにその名前を吐かせます」

 

 その内通者の締め上げを、貴方にお願いしたいんです。貴方が決して、利権や保身で動く人ではないと見込んだうえで。

 そう言葉を続けると、官房長はゆっくり足を組み替えた。

 

「見込んでくれるね」

「俺が調べた限り、貴方は日本警察のために大局を見て動ける方ですから」

「日本警察のために、君たちよりその内通者の方を取るとは考えないの?」

 

 その言葉につい肩が揺れる。俺はそこまで自分たちを軽く見てはいない。

 

「利権ほしさに自国の人間を売り渡すような輩と秤にかけられて負けるなら俺たちもその程度の存在だったということですね。とりあえず俺は若くしてゼロに引き抜かれたうえに、世界的犯罪シンジゲートをものの数か月で壊滅寸前にまで追い込んでるんですけど」

 

 加えてその世界的犯罪シンジゲートに潜入して幹部にまで上り詰め、今も尚内側からその組織に探りを入れている優秀な捜査官と、天才的な頭脳で新種の毒薬を開発したこれまた優秀な科学者の存在もある。

 これで内通者の方を取るなら馬鹿と言うほかない。

 

「……いいでしょう、そのとどめは僕が請け負います」

「ありがとうございます」

「かわりに、合衆国との交渉は僕に任せてくれる? CIAの落とし前も」

「どうぞご自由に。逮捕後の組織員の身柄を交渉材料に含めて頂いても文句は言いませんよ。ただし、俺たちの身の安全と保護対象及び協力者の身柄は絶対に譲りません」

「はいはい、わかっていますよ。しかし随分と大盤振る舞いだね」

「警察の仕事は悪い奴らの存在を暴いて捕まえるところまででしょ。悪い奴らをどこでどう裁くかは職務外なので興味がありません」

 

 面白いことを言うね、と少し官房長が笑ったような気がした。

 

「杉下が紹介してきたからあいつに似てるのかと思ったけど、そうでもなさそうだ」

「杉下さんには恩義もありますし尊敬していますが……そういえば杉下さんみたいになりたいと思ったことはありませんね」

「なるほど、君は人を見る目があるみたいだ」

 

 それじゃ、とその人はベンチから立ち上がり、ぱたぱたとスーツについた埃を払った。

 

「その時がきたら連絡してください。とどめは受け持つけど、そこに至るまでに失敗しないようにね」

「ええ、こちらも命が懸かっていますから。よろしくお願いいたします」

 

 ベンチに座ったまま、その人の背を見ることなく礼をした。大局的な正義を見るこの人は、俺たちが日本警察のために働く存在である限り切り捨てはしないだろう。せいぜい役に立つ駒であるように、心掛けていくだけだ。

 気に入られたいとも思わないが、できることなら敵に回したくはない相手。そして今回は、何としても協力を取り付けなければならなかった相手。何て心の内が読めない人だろうか。先生といい、全く煮ても焼いても食えなそうな古狸というのは恐ろしい。

 官房長の気配が完全に消えたあと、俺は大きく安堵の息をついた。

 

 

 *

 

 

「な、何故貴方がここに……!」

「内通者の名前がわかったって柊木君から連絡をもらったんですよ。彼?」

「はい。CIAには合衆国を盾にして吐かせたので間違いないかと」

「そのあたりもあとで報告して頂戴ね。じゃあ、とりあえず来てもらおうかな」

 

 音もなく前に出るのは、官房長の後ろにいた人たち。びしっとスーツを決めたその人たちはおそらく警察庁の監察官だろう。うわあ本物のエリート様たち。

 さっとそいつの両側に立ち、椅子から立ち上がらせて部屋の外へ引きずり出した。他の人たちはこの執務室にあるものをがさがさと段ボールに詰め始めた。これは彼の存在を丸ごと洗うつもりらしい。

 

「か、官房長、違う、違います! 私はそんな……!」

「うん、ちゃんと話は彼らに聞いてもらうから。間違いだったらその時はその時、もしも合っていたら」

 

 この部屋の持ち主は、警察にいられなくなるだろうね。

 特に変わらない調子で言った官房長に、彼は真っ青な顔でこちらを睨みつけた。

 

「このまま終わると思うなよ!」

 

 うーん、既視感。いつだったか、確か査問会でお見送りした誰かが同じようなことを言っていた気がする。そういえばあの人どうなったんだっけ。いつどんな仕返しをしてくれるかと楽しみにしていたのに、結局何も起きていないような気がする。俺に喧嘩を売るからにはしっかりと有言実行してほしいものだなと思いながら、笑顔で彼を見送った。やれるもんならやってみろ、今度は官房長の力を借りずに潰してみせる。

 連行していくその人たちの姿が見えなくなったところで、改めて俺は官房長に向き直った。

 

「ご助力ありがとうございました」

「いえいえ。君も降谷くんも無事で何よりです」

 

 唐突に名前を呼ばれた降谷はぴしっと姿勢を正した。さすがの降谷も恐縮した様子で、恐れ入ります、と少し震えた声を上げる。目上に対して緊張する繊細さは持っていたらしい。

 

「裏の理事官からもいろいろと話は聞きましたよ。組織の壊滅までもう少しだって?」

「ええ、鳥取でボス逮捕に当たっているFBIの作戦が成功すれば、無事」

「そう、お疲れ様。最後までしっかりお願いしますね」

 

 はい、と二人そろって敬礼を返すと、官房長はひとつ頷いて部屋を出て行った。騒がしかったその部屋がいっきに静まり返る。どっと疲労がやってきた俺たちは、ほとんど同時に壁に背を付けた。

 

「……いったいどういうコネクションなんだよ官房長って……大物すぎるだろ……」

「そのあたりの説明は後でな……おっと」

 

 ポケットの中でスマホが暴れだす。画面に表示された名前を見て口角が上がった。

 

「はい、柊木です。……ええ、……いえ、それは。……はい。わかりました、ありがとうございます」

 

 簡単な報告を聞き、通話を終える。俺の隣で、降谷が期待を込めた目で俺を見ている。そう、今の電話はお前が思っている通り。さすが彼は優秀だ、こんなに早く向こうの作戦を終えてくるとは思っていなかった。

 

「降谷」

「ああ」

「ただ今をもって本案件におけるすべての作戦の終了と、―――完全勝利を宣言する」

 

 俺たちの勝利だ。

 ぶつけ合った拳は、痛みを感じないくらい爽快だった。

 

 

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