よく晴れた空に流れる春一番。午前に吹く風はまだ少し冷たいが、今日はいい天気になると天気予報では言っていた。もう少し日が高くなる頃には暖かくなり、春の訪れを実感させてくれるだろう。
俺は朝早く起きて拵えたお弁当を片手に下げて、朝の挨拶をしにそこに訪れていた。
「……おはよう」
家からそう遠くないところにある墓地で二人は眠っている。この日だけは毎年必ず墓参りをしている。父さんが生きていたときから、一度も欠かしたことはない。
母さんは、あまり身体の強いひとではなかったらしい。俺を身ごもったときも、出産による危険を医者から伝えられていた。それでも産みたいと強く押し通し、俺を産んでくれたと聞いている。俺の誕生と引き換えに、母さんは亡くなった。
それから父さんは男手ひとつで俺を育ててくれた。俺の知る限り、再婚を考えたことはなかったと思う。どんなに忙しくても必ずこの日にはここに連れてきてくれて、旭はこんなにでっかくなったぞ、とお墓に報告をしていた。
関西の大学に行って父さんの元を離れても、ちゃんと気にかけてくれていた。死ぬほど忙しいくせに、と悪態をつきつつも、そんな父さんが好きだったし尊敬もしていたと思う。
俺の二十歳の誕生日が近くなって、せっかくだから晩酌するかと誘われたときは嬉しかった。ちゃんと自分の責任を自分で持てるようになって、ようやく父さんと対等に話ができるのだと。
俺は自分の誕生日のその日、新幹線に飛び込んで久しぶりに家に帰った。けど、何時になっても父さんは帰ってこなかった。
殉職されました、という知らせを受けたときのことはあまり覚えていない。けれど、哀しいとか寂しいとかそれ以上に、父さんらしいと思ったとは誰にも言えなかった。
対象を守る仕事に誇りを持っていた。それに、子どもは大人に守られるべきという考えの人だった。だから、俺が
父さんのパスケースにはいつも母さんの写真が入っていた。俺が笑うと、笑い方が一緒だと少し寂しそうに言った。父さんは、確かに母さんを愛していた。それをよく知っていたからかもしれない。父さんにとって、殉職は誇りを貫いた結果であり、母さんとの再会と同義なのだと、そう思えてならなかった。
泣きもしねえでしっかり挨拶して偉いじゃねえか、と葬儀のあと先生に背中を叩かれたけれど、そう思っていたからきっと独りになっても正気でいられたのだと思う。
―――父さんは、やるべきことをやって母さんに会いに行ったのだ。
「……父さんが死んで、十年か」
今日、俺は誕生日を迎えた。俺にとっては俺が生まれた日以上に、二人が亡くなった日だ。
「掃除は昨日済ませたからいいよな。お花もお線香もちゃんとやったし」
今日という日に予定が入ってしまったから、昨日のうちにやるべきことはやってしまった。だから今日は、顔見せだけ。作法的にダメなのかもしれんがそこは許してほしい、毎年来てるだけ褒めてくれ。
「今日さ、予定が入っちゃったんだよ。悪いけどそっち優先させて。いいだろ?」
だって、友達との約束なんだ。
まるで言い訳をする小学生のような物言いに、自分で笑った。本当に小学生だったときは友達もいなかったから、こんなこと言うのは初めてだ。三十路にして初って自分で笑うわ、本当に何言ってんだろう、俺。
「なあ、父さん、母さん、」
俺、父さんが大反対した警察官になっちゃったけど。警察って本っ当にクソめんどくせえ組織だなと思うけれど。それでも俺は警察官になって良かったし、今後も絶対に後悔なんてしないと思う。たとえ今後、何が起こったとしても。―――だって、
「俺、友達を守れたんだ」
少々納得の行かない部分はあるが、それでも皆、五体満足で無傷だ。
「反省点は多大にあるけど、結果だけ見ればとりあえず及第点だろ」
そう言うと風が強く吹き、それで満足すんな馬鹿野郎と父さんに頭を叩かれた気がした。相変わらず手厳しい。しかし、その通りだ。
「次はもっと上手くやってみせるよ」
そう言うと今度は優しい風が吹き、知らない手に頭を撫でられた気がした。まるで頑張って、と言うように。
俺はふ、と微笑んで、手に提げていた弁当入りのバッグを握り直す。
「じゃ、ちょっと遊びに行ってくるよ。来年、また来るな」
いってきますと言って両親に背を向ける。背中を押してくれた風に紛れ、誰かの声が聞こえたような気がしたが、―――まあ、気のせいだろう。
そんな自分に苦笑し、俺は振り向かずに足を進めた。
*
「お、旭ちゃんこっちこっちー!」
「遅かったな」
「悪い悪い」
時間に少し遅れてしまったせいか、俺以外の五人はとっくに集まっていた。
近くの公園の、茂みをいくつか抜けた場所。そこには大きな桜の木が一本だけあって、知る人ぞ知る花見の穴場になっていたらしい。俺もこんな場所があるのは知らなかった。
「見事な満開だな」
「ああ、いい日に当たったな。それはそれとして弁当寄越せ」
「はいはい勿体ぶってたヒロくんたちもお弁当出そうね〜」
「本当に花より団子だな、お前らは」
松田によって俺の手から弁当が奪い取られ、萩原につつかれた降谷がやれやれと背に隠すように置いていた包みを取り出す。
今日の弁当係は俺と諸伏降谷ペアだ。いつもの如くとも言う。
「お、さすが美味そうだ」
色とりどりの諸伏降谷コンビの洋食中心お弁当と、地味だけどとりあえずこいつらの好物を詰め込んだ俺の弁当。中身が被らないようにだけ打ち合わせをして、あとは適当に作った。
どうせこいつらは味より量だ、数さえあればいいだろう。いつもより少しくらいは気合いを入れたが、どうせ凝ったものを作ったところで次の瞬間には消えている、とはいえ。
「……足りるかな」
「いいんだよ、メインは夜だからな」
降谷の言葉に夜、と聞き返すと、諸伏にさっと紙コップを持たされ、お茶を注がれた。珍しくビールじゃないのかと不思議そうな俺に気づいたのか、伊達がにやりと笑った。
「何だ聞いてねえのか? 昼間の花見は前哨戦、本番は夕飯だ」
「はーいここで今日のスケジュールを発表しまーす。まずはここで花見しつつ弁当を食います。食いつくして一服したら腹ごなしに買い物に出かけて夕飯の材料を買います。当然旭ちゃんの奢りです。そんで旭ちゃんとこ行ってごろごろして、お好み焼きとたこ焼きを食べまァす!」
「待てツッコミどころが複数あった」
「すべて却下します!」
ばっさりと切り捨てた萩原はいい笑顔だ。俺は今日花見としか聞いていないし、夕飯の予定なんて完全なる初耳だ。
「というか何で俺の奢りなんだよ」
「俺らをこき使った分だ、お前が払うのは当然だろ」
「……わかった俺が払うのはこの際いい、だけど降谷と諸伏の分まで俺がもつのは納得いかない」
「ん? 確かにそうか」
「いや、異議を申し立てる」
伊達が納得しかけたところを、さっと降谷が遮った。
「詳しくは言えないが、今回の案件において僕は非常に重要な事実を柊木に秘密にされていた。釈明は聞いたが謝罪はもらっていない。よって僕も柊木に奢ってもらう権利があると主張する」
「あれ、謝って……なかったな。なかったけどお前も納得してただろ」
「僕は傷ついた」
「よし判決、降谷は奢ってもらう権利がある」
松田の判決に伊達と萩原も異議なし、と続く。いやまず裁判員の選出に疑問を呈したい。チェンジだチェンジ、俺に不利すぎる。じゃあ俺も、と諸伏も楽しそうに手を上げた。
「上司になった柊木はパワハラ三昧で大変でした。慰謝料として奢ってくれても罰は当たらないと思います」
「判決、やっぱり今日は全部柊木の奢り」
「控訴」
「棄却」
「理不尽だ……」
「諦めろ」
今日俺たちは倒れるまで食うし、お前は倒れるまで飯を作る。だから特に酒に弱いお前はビールも夜まで禁止、俺たちも夜まで飲まねえ。
いつになく真剣な表情でそう言う松田に、たまにこいつ真顔の使い所間違ってんだよなと思いつつももうどうにでもなれとハイハイと頷いた。ここまで来たら俺の意見など通るはずもない。
「ま、だから昼間はお茶で我慢な」
「別にいいだろ、楽しみは取っておくもんだ」
諸伏の言葉に、伊達が楽しそうに頷く。
それじゃあとりあえず、と降谷が紙コップを掲げた。それぞれも紙コップを持ち上げた。
「お疲れ。乾杯!」
乾杯、とそれぞれの声が綺麗に揃った。
*
腹ペコたちが弁当箱を空にする作業を始めてまもなくのこと。がさりと茂みが動き、ひょっこりと顔を出す意外な顔があった。
「ああ良かった、やっぱりいたね」
「え、神戸さん!」
ハンサムな顔に笑顔を乗せたその人は、やあ、と言いつつ俺たちのところに歩いてきた。いつものスーツなところを見ると、どうやら今日はお休みではないようだ。
「あ、神戸さん、この場所教えてくれてどうもでした!」
「いえいえ。このメンツを見る限り、人目の多いところで花見なんてしたら大変なことになりそうだしね」
「神戸さんがこの場所教えてくれたんですか」
刑事部通りかかったら花見の穴場の話をしてたからついね、と笑うその人は、どうやら同期たちと比較的いい関係を築いているようだ。特命係とはいろいろと複雑な関係のようだったが、まあ神戸さんは気のいい人だ。なんだかんだで気が合ったのかもしれない。
「で、どうしてここに?」
不思議そうに松田が聞くと、神戸さんはにっこりと笑って手に持った紙袋を掲げてみせた。
「君たちが花見の計画を立ててるってちょっと口を滑らせちゃって。不思議なことに今朝出勤してみたら特命係の机の上にメモとこの近くの駅のコインロッカーのカギがあったんだよ」
ひらりと見せられたメモには、俺にとってはよく見慣れた角ばった字。名前は書いていないが、さすがに自分の上司の筆跡は間違えない。
『どうせ特命係は今日も暇だろう。この鍵のロッカーに入っているものの処分を頼む。昼までには確認するように。もらいものだが、俺の好みではない』
それがこれ、と渡された中身は、相応の値段がしそうな日本酒の瓶。これはいい酒だ、と降谷がぼそりと呟いた。
「それで、そのロッカーを見に行こうとしたときに僕の上司も声をかけてきてね」
『神戸君、ついでに花の里にも寄ってください』
花の里は杉下さん行きつけの小料理屋さんなんだよ、と差し出されたのはずしりと重い重箱。黒い蓋を開けてみると、中には美しく彩られたちらし寿司が入っていた。美味そう、と歓声があがる。
「最後におまけ、これは僕からの差し入れ」
確かビールよく飲むって言ってたよね。最後に渡された紙袋には、いつもよりちょっとお高めのビールが何本か入っていた。俺の好きな奴、と諸伏が嬉しそうな顔をする。
「けどごめん、もしかして今日は酒飲まない日? お茶ばっかりだね」
「大丈夫です、夜は酒飲む予定なんで!」
ありがとうございます、と笑顔で礼を言う萩原に皆が続く。神戸さんも笑顔を返して、どういたしまして、と楽しそうに言った。
「ちなみにこれ、賄賂じゃないからね」
「念押されなくてもわかってますよ。特命係が何かやらかしたら容赦はしません」
「そのへんは少し手加減してほしいかな……」
「聞こえませんね。……また、こっそり特命係に遊びに行きますね」
「バレないようにしなよ、大河内さんはいい顔しないから」
うまくやりますよと返すと、まあ君ならそうだろうけどと軽く返される。
ハメを外しすぎないようにだけ気をつけて、と言ってその人は帰っていった。こういうことがさらりとできるあの人は、やはりスマートな大人だと改めて思う。
「お前、相変わらず上司にも杉下警部に気に入られてんな」
「否定はしないけど、俺だけじゃなくてお前らもだよ。大河内さんも杉下さんも褒めてたから」
マジで、と驚いた顔をする刑事部組に頷き、有難く頂こうと笑った。
お酒の類は夜にまわすとしても、弁当が食いつくされそうな今、重箱のちらし寿司はありがたい。美しく盛り付けられたそれも一瞬で崩されるんだろうなと少し遠い目をしつつ、登庁したら一番にお礼を言いに行こうと心に決めた。
*
桜吹雪が流れ、美しいちらし寿司も消えそうな頃。またひょっこりと茂みから顔を出したのは、ふたつの小さな影。
「あれ、コナンくんと灰原さん?」
驚いたように萩原が声を上げると、大きな荷物を抱えた二人はこちらに駆け寄ってきた。新一くんは笑顔で、宮野さんはいつも通りの無表情。
しかし、少し得意そうな色が二人の顔からは見て取れた。
「良かった、間に合って」
「二人とも、どうしてここに?」
「……差し入れに来たのよ。お世話になったし」
私たち、もうすぐ引越しするから。
その言葉に、わずかに目を瞠る。そうか、薬の完成が近いのか。思わず二人の顔をまじまじと見ると、新一くんはにっと笑い、宮野さんもふっと小さく微笑んだ。
はい、と二人が差し出したのは、見覚えのあるサンドイッチと珈琲入りのポット。そういえばしばらく行けてない、とたいした時間も経っていないのに何だか懐かしくなる。
「ポアロで用意してもらったの。珈琲とハムサンド」
「梓姉ちゃんから伝言だよ。『安室さんが辞めちゃった後も、ハムサンドの味はちゃんと守ってます。良かったらまた来てくださいね!』だって」
差し出されたそれらを受け取り、ありがとうと笑った。それにしても何で花見のことを知ってたのかを尋ねると、安室さんから聞いたのと宮野さんが言った。
「スーパーで安室さんに偶然会って、立ち話をしたときに」
お酒は飲まないって聞いたから珈琲を持ってきたのよ、という灰原さんに、降谷はそうだったかなと固い声。なるほど、嘘だ。降谷は今も定期的に阿笠博士の研究所に訪問して彼女の様子を見ているはずだから、そのときにでも口を滑らせたのだろう。本人も失敗した、と苦笑気味だ。
「そうか、わざわざありがとな。引っ越しても元気でやれよ」
「どこ行ってもちゃんと大人しくしてるんだよコナンく〜ん。灰原さんも元気でね」
「もう事件に飛び込むんじゃねーぞ」
二人の正体を知らない刑事部三人はそう言って笑う。松田はそっけない口振りだったが、それでも笑って新一くんの頭をぐしゃぐしゃと掻き回した。
俺が知らない間にも、何度か事件に巻き込まれたということは小耳に挟んでいた。だが話を聞く限り、新一くんは確かに変わったと思う。きっと元の身体に戻っても、前のような「日本警察の救世主」は現れない。彼のファンには申し訳ないが、彼や彼の周囲のためを思えばきっと、その方がいい。
「元気でな、『コナンくん』、『灰原さん』」
「また会えるのを楽しみにしているよ」
俺と降谷の声が続き、諸伏もにこりと笑った。諸伏は『江戸川コナン』と『灰原哀』を知らない。そして俺たちは、二人とまた会えることを知っている。
「うん。またね!」
「ええ。また、ね」
そう笑って走っていく二人の後ろ姿を、皆で見守った。もう事件に巻き込まれないといいけどね、と萩原が言うと、そうだなぁと伊達が苦笑した。
「巻き込まれねえのが一番だが、まあ巻き込まれても大丈夫だろ」
さらりという松田に、そうなのかと相槌を打つと、そいつは面白そうに続けた。
「自分の手に負える範囲を理解できる程度には、ガキじゃなくなったからな」
どこかの誰かの説教、相当に効いたらしいぜ。
そう言われてつい苦笑する。偉そうなことを言った自覚はある。彼と自分が似た者同士と気づいてからは、少々いたたまれない気持ちもある。
第一、きっかけは俺の言葉だったとしても、結局は彼が自分でちゃんと考えて出した答えだ。それは俺が何を言ったとかは関係なく、そして正しかろうが正しくなかろうが、きっと尊いものだと思うわけで。
「……そうだな。きっと、元気にやってくだろ」
考えて、行動して、反省して、また行動して。それができる人というのはたいてい強いし、何よりもっと強くなれる。俺と対等になるだなんて妙な目標を持ち出さなくても、きっと彼は彼としていい男に育っていくだろう。それこそ俺が、頼りにしたくなるくらいに。
「……嬉しそうだな? 柊木」
面白そうに俺の顔を覗き込む降谷に、誤魔化すように笑顔を返した。
「さて、お前のつくるハムサンドとどっちが美味いんだろうな?」
「馬鹿言え、僕がつくる方が美味いに決まってる」
お手並み拝見、と皆でハムサンドを頬張った。
なるべく近いうちに、ポアロの彼女にも味の感想を言いに行ければいいと思う。
*
「……それにしても遅えな」
ハムサンドの八割が消えたころ、伊達が腕時計を見て呟いた。何かあるのかと瞬きをする。俺の視線に気づいた伊達は、ちょっとなと誤魔化すように笑った。誰かほかに呼んでいるのかと首をひねったとき、本日三回目の唐突なお客人が現れた。
「す、すいません遅くなりました!」
「もう、高木君! 傾けないように気を付けて!」
頭に葉っぱを乗せ何やら箱の入った袋を下げた彼と、そんな彼を叱咤する彼女。つい先日顔を合わせて話をした高木くんと佐藤さんだった。
何で彼らがここにいるのかと思うのと同時に、遅えぞと声が飛んだ。松田だ。
「す、すいません……!」
「もう、仕事関係ないおつかい頼んだのそっちでしょ?」
「あはは、ごめんって佐藤ちゃ~ん。高木君も悪いね~」
「い、いえ! って、え、安室さん?」
お久しぶりです、とそう言葉を続けた高木君に、降谷はぎろりと目線と向けた。
「安室? 誰だそれは」
「えっ」
「警察庁警備局警備企画課の降谷だ。お前たちの部下か? 指導はちゃんとしろよ」
警察手帳を取り出しつつ「降谷」の顔でそう言うと、「警察庁」の文字に目を真ん丸にした二人は、蒼白になって敬礼する。
「し、失礼いたしました! あ、あまりに知人に似ていらしたもので!」
「どういう知人かは知らないが、別人だな。以後、気をつけるように」
しれっとした顔をでそういう降谷に、皆こっそり笑いを堪える。そういう体で話を進めるというのなら、話はあわせておかなくてはならない。
そんな俺たちの様子を見て思うところがあったのか、何かに気づいた顔をした佐藤さんはぺし、と高木くんの肩をはたいた。
「いたっ、何ですか佐藤さん!」
「ほら高木くん、頼まれてたもの」
「あ、そうでした! はい!」
そう言って高木君が差し出した袋を、悪いな、と伊達が受け取る。紙袋から取り出された箱にはこの近くにあるケーキ屋の名前がプリントされていた。
「それにしても可愛いですよねコレ。てっきりどなたか女性か親戚のお子さんがいらっしゃるのかと、……え? あれ、すみません、確か柊木監察官のフルネームって……」
「……柊木旭ですが、何か」
もう嫌な予感しかしなくて、額をおさえる。
にやりと笑った伊達の手には、どう見ても子供用の、非常に可愛らしくデコレーションされたホールケーキ。果物と一緒に飾られたホワイトチョコのプレートには、「あさひちゃん おたんじょうびおめでとう」の文字があった。
「……俺は幼稚園児か?」
あまりに可愛らしいそれに思わずそう言うと、同期の連中は一斉に噴き出した。はいはいそれ持って、と萩原にケーキを持たされ、さすが旭ちゃんよく似合うね、と親指を立てられ写真を撮られた。
その親指は景気よく折ってやりたいし、そのスマホも心から叩き割ってやりたい。祝おうという心意気は嬉しいのだけれど、どうしてこの悪友どもは素直に喜ばせてくれないのだろう。
「これ、柊木監察官のためのケーキだったんですね……」
「今日お誕生日なんですか! おめでとうございます!」
「はは……ありがとうございます……」
少し同情したような佐藤さんと素直に祝ってくれる高木君に堅い笑顔を返すと、じゃあ次これな、と諸伏に綺麗にラッピングされた箱を差し出された。とりあえずケーキを一旦置いてそれを受け取る。
「三十路一番乗りおめでとさん」
「うるせえありがとう」
「これは俺たち皆から。まあ開けてみろよ」
促されて丁寧に包みをはがす。中から出てきたのは、質のいい木目の写真立てだった。まだ写真は入っておらず、綺麗にデザインされたカードが入っている。
「定番のプレゼントで悪いけどな。そんでその中身はこれからだ。高木くんだっけ、悪いんだけど写真頼める?」
「! はい、もちろんです!」
諸伏が取り出したデジカメを受け取り、察した高木くんは少し距離を取った。佐藤さんも同じように離れる。
完全に展開に置いて行かれている俺は瞬きしかできない。
「え、写真?」
「そうだよ、むしろ本命はこっち」
はいもっかいケーキ持ってと萩原に促され、ケーキを持ち直す。いつの間にか俺を中心に皆が集まって来ていた。ほらちゃんとカメラの方向いて、と戸惑う俺の肩を萩原が叩く。
「俺たちのことがだーいすきな旭ちゃんのために、写真のプレゼントってわけ」
とろりと優しい目尻をさらに下げ、満面の笑顔でそいつは楽しそうに言った。いつだって周囲を気遣って笑うそいつの言葉に、その親友が続く。
「嬉しいだろ? お前未だに警察学校卒業したときの写真飾ってるもんな」
真面目で頑固で、いつだって真っ直ぐに突き進むそいつは、カメラを意識してか愛用のサングラスを外して仕舞った。
その隣で、いつも頼りになる太陽みたいなそいつもにかっと笑う。
「その隣にでも並べといてくれよ、この写真」
何故か今日に限って、俺の脳の処理速度が落ちている。うまく言葉に応えられない。何だろうこの気持ちは。胸の中に渦巻く感情をうまく表現できず、頬の筋肉も上手く動かせない。
「何難しく考えてるんだよ、柊木」
ここ数か月ずっと俺を支えてくれた、俺を守ってくれた力強い腕が、肩にかかる。
そういうときは「ありがとう」って言えばいいんだよ、と優しい声が耳元で響き、言われた通りに口が動く。
ありがとう、拙く紡いだ言葉に、皆がまた笑った。
「全く、何をまだ呆けてるんだ。ほら、笑え」
卒業式の時みたいに、馬鹿みたいに笑え。
ずっと競い合ってきたライバル、肩を並べてくれたそいつも、そう言って不敵に笑う。その顔を見るとなんだか気が抜けてきて、ふはっと子どもみたいに噴き出した。
そのままカメラに目を向けると、俺を見たふたりが何だか驚いた顔をした気がする。けれどまあいいやと、気にせず流した。忘れかけていたけど、今日は俺の誕生日だ。少しくらい羽目を外したっていいだろう。
「撮りますよー!」
空の蒼さ、頬を叩く春一番、桜の香り、視界にちらつく桜の花びら。そして近くに感じる宝物の気配。
俺はきっと今日という日を、こんなに幸せな誕生日を、生涯忘れることはない。
六花、咲き誇る。
寝室のベッドサイド、卒業式の写真の隣。
年甲斐もない馬鹿みたいな笑顔で、ひとりも欠けることなく、今も尚。
―――そしてきっと、いつまでも。
完結です。お付き合いありがとうございました。