六花、欠けることなく   作:ふみどり

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 幸人が釈放されてからしばらく。

 あのあと幸人には懇切丁寧な説教をプレゼントし、夜中に出歩かないことを約束させた。詳細? 足の痺れでしばらく幸人の足が使い物にならなくなったとだけ言っておく。しかし本人も何やら思うところがあったらしく、学校に行くから勉強を教えてほしいと自分から頼んできた。これにはさすがの俺も涙腺が決壊寸前。どんな心境の変化かは知らないが、喜ばしいことだ。

 事件の経緯は伊達から聞いた。自分の無力を噛みしめつつも、せめて幸人を冤罪から救ってやれて本当に良かったと思う。情けない話だが、今の俺にできる精一杯がこれだったと思うしかない。今はとにかく、もっと自由に動けるよう地道に努力して出世していかなくては。警察内部でのこんな不正、許していいはずがない。絶対に、許さない。

 そう思った矢先の、急な呼び出しだった。

 

「……私が、監察官、ですか?」

「ほとんど見習いの扱いにはなるがね。何せ経験が浅すぎる」

 

 呼び出された先にいたのは、警視庁警務部人事第一課主任監察官、その人は大河内と名乗った。長い名称だが、つまりは監察官の中でも偉い人。監察官とは警察官の不祥事を取り締まる、言うなれば警察の中の警察だ。同時に出世が約束された人が通るエリートコースのひとつとも言える。

 まだたいした結果を残したわけでもない俺が見込まれる理由もわからない。

 

「……恥ずかしながら、光栄に思う以上に戸惑うところです。不躾は承知ですが、理由をお伺いできますでしょうか」

「つい先日の、高校生傷害事件」

「!」

「君も関与していたと聞いたが?」

 

 口止めはしていないのだ、情報が流れてもおかしくはない。ひとつ呼吸を置いた後、言葉を選びながら説明した。

 

「……当初疑われていた高校生と、個人的な付き合いがありまして。彼がそういったことをするようには思えなかったこともあり、彼の友人たちから話を聞きました。その中に有力と言える証言があったので、捜査にあたっていた刑事に報告したまでです。関与と言えば関与でしょうが、違法な捜査と言えるほどではなかったと記憶しております」

「ああ、非常にうまく立ち回ったと言えるだろう。確かに一般人の協力レベルと言って差し支えなく、その結果無実の者を救った」

 

 未だ真犯人の逮捕には至っていないそうだがな。

 その人によって付け加えられた言葉に、奥歯をかみしめる。

 

「……優秀な方々が捜査に当たっていると伺っております。きっとすぐに逮捕されることでしょう」

「いいや、捕まらない。そして君もそれをよく理解している」

「仰っていることがよくわかりません」

「賢いな」

 

 ぶつけ合うような言葉の応酬と、静まりかえるような沈黙。

 改めて、大河内監察官は口を開く。

 

「私は君を高く評価している。真面目で熱心な勤務態度もさることながら、能力の高さをひけらかすことなく内部へ侵入する人心掌握術、状況を瞬時に理解し目的に至る段取りをたてる理解力と構想力。何より、潔癖なまでの警察官としての誇りと、感情に流されることなく法を順守するその堅い意志」

 

 そこまで言って彼はその唇の端をほんの少し上げた。少し声色を明るくして言葉を続ける。

 

「……そうだな、この近辺の不良たちをまとめ上げ、更生へと導くだけでなく協力者にまで仕立て上げたその手腕も評価に入れるとしよう。故に私は君を監察官に相応しいと考える。これでは理由にならないかね?」

 

 思ったよりも俺のことは調べられているらしい。落ち着け、冷静になれ、と自分に言い聞かせる。おそらく今俺は試されている。本当に今後目をかけるべき人材であるか否か、テストされている。

 だからこそ、迂闊に餌に飛びつくべきではない。

 

「……なりませんね。少なくとも、『今』である理由が欠けています」

 

 俺もさすがにぺーぺーと言えるほど新人ではなくなったが、それでもまだ若手の範囲だ。監察官は人を見定める仕事、下手をすれば上層にだって喧嘩を売れる。そんな仕事をまだ若手にさせる理由がわからない。見込んでくれたにしても、他でもっと経験を積んでからでもいいはずだ。

 俺の言いたいことが伝わったのか、大河内監察官はまたほんの少し頬を緩めた。

 

「では、もうひとつ。優秀な人材には、早めに権力を手にしてもらいたい」

「と、言いますと?」

「君は入庁以来、その役職に相応しくない人間をどれだけ見た?」

 

 思わず、硬直した。一瞬で取り戻したが、悟られただろう。動揺を表に出すなどあってはならない。失敗した。

 役職に相応しくない人間? そんなもの、山ほど見たに決まっている。

 

「警察組織に絶望して辞表でも出されれば貴重な人材の流出だ。そうなるよりはその貴重な人材に権力を持たせ、その力を発揮させる場を用意したい。先日の事件で、君は見たくもないものを見ただろう。それゆえに『今』、打診をしている」

「……なるほど」

「受ける気はあるかね? 監察官は嫌われ者だ、恨まれもする」

 

 ―――上等だ。俺のやりたい仕事は、そこにある。俺が真っ当に仕事をしている限り、支えてくれる友人もすでに得た。

 

「若輩ではございますが、謹んでお受けいたします」

 

 敬礼とともにそう答えると、大河内監察官は満足げに頷いた。

 

 

 ***

 

 

「よう、出世頭!」

「ぐ、……この馬鹿力、勘弁しろよ!」

 

 すっぱーんと伊達に背中をひっぱたかれた。絶対赤くなってるぞゴリラめ。

 あれから数か月して、正式に辞令がおりた。警視庁へと出向し、大河内さんの直属の部下として監察官業務にあたることになる。それをどこかから聞きつけたこいつらは、祝いだと言って山のような酒を抱えて俺の家に乗り込んできた。そんなことを言って、実のところただ酒を飲みたいだけだろうと。

 

「出世するだろうとは思ってたが、こんなに早いとはな」

「監察官とか出世コースだろ? さすが旭ちゃーん」

「はは……俺が一番驚いてるよ」

 

 苦笑とともにそう漏らすと、よく言う~と萩原につつかれた。

 

「柊木は人を見る目あるし、向いてるんでない? 能力的には警備案とかそういうの考えるのも向いてるんだろうけど、性格的には監察官のが合ってるかもね」

「そうか?」

「お前、見た目以上に潔癖だし頑固だし冷徹だし、能力ねえのに権力振りかざす奴許さねえからな」

「褒められた気がしない」

 

 そう言うと皆笑いながらビールを呷った。冷蔵庫からつまみにと見繕ったきゅうりの浅漬けを口に放り込みながら、呆れた目で三人を見る。

 

「……まあ、監察官やる以上は建前よりも原則通すけど。お前らも頼むぞ、さすがに同期つるし上げるような真似はしたくないよ」

「ばっかお前、俺らを何だと思ってんだ」

「ああ、心配はしてないけど」

 

 なんだかんだ真面目な奴らだ。かつて防護服を着ないという馬鹿をやった萩原も、今では油断なく職務を遂行していると聞いている。こいつらのことを査問にかけるようなことにはならないだろう。

 もごもごときゅうりを噛みながら、自分の「やるべき仕事」を思い浮かべる。

 

「松田」

「何だ?」

「多分そう遠くないうちにお前に聴取を頼む。よろしくな」

「……どういう意味だ?」

 

 お前の仕事について話を聞きたいわけじゃないと付け加えると、当たり前だと憮然とされた。松田が実は本当に真面目な奴だってことくらい俺もよく知っている。

 狙うのは松田じゃない。その上だ。

 

「お前の上司、反省してないみたいだな」

 

 ぐ、と松田は息をのみ、萩原は硬直する。唯一伊達だけが、変わらない様子でビールを飲み、言った。

 

「やる気か?」

 

 短く何気ない一言だったが、静かになった部屋にはやけに響いた。やる気か、だと? 決まっている。

 

「監察官の話の打診を受けたとき、まず頭に浮かんだのがそれだったんだよ」

 

 上層からの信頼がある? しかも刑事部長を始めお偉いさんに同期がいる? そんなこと俺には関係ない、むしろ上等だ。別に処罰を与えたいわけではないが、自分が何をしているのかは認識させなければならない。

 

「殉死者を出す前に何とかしなきゃならない」

 

 たとえ誰に止められようと、必ず。監察官ならそれができる。そう言うと萩原はちょっと複雑な顔をし、松田はただわかった、とだけ返した。

 

「あ、ちなみに」

「ん?」

「俺仕事場では謙虚で物腰柔らかでいつも笑顔だけど、お前ら笑うなよ」

「笑うだろそんなん」

「笑うわ」

「やめろ想像しただけで無理」

 

 お前猫かぶってたのかよと指をさして笑われたが、警察庁のエリートというのはそんなものなのだ。猫かぶるのが当たり前の職場にいたのだから、そのあたりは笑わず見ないふりをしてほしい。俺もちょっと恥ずかしい。

 

 

 ***

 

 

 監察官という職務を任せられてしばらくは挨拶回りに必死だった。人の顔と名前を覚えるのはさほど苦手ではないが、派閥や微妙な力関係など、気を遣うことがとても多い。綱渡りのような人間関係に慣れるにはしばらくかかりそうだ、と内心で溜息をつく。

 

「疲れたかね」

「いえ」

 

 晴れて上司になった大河内さんは、多分基本的にいい人だ。仕事となると冷徹だが、それ以外のところでは部下にも気を遣ってくれるし、指導も論理的で丁寧だ。俺が問題なく職務にあたれるよう、自ら手本を示してくれようとしているのがよくわかる。この人が上司なのは運が良かった。

 

「これで上層の紹介はほぼ済んだだろう。顔と名前と階級は覚えたかね」

「はい、問題ありません」

「記憶力はいいようだな」

「失礼があってはいけませんから。必死ですよ」

 

 にこりと笑ってみせると、俺の内心を察したように少しだけ唇の端をゆるめた。ではもうひとつ、と新たに歩き出す。

 

「上層ではないが覚えておいた方がいい部署がある」

「部署、ですか? 人でなく」

「ああ。違法捜査の常連だ」

「それは……」

「よく覚えておきなさい。……そして、上手く使うように」

 

 どういう意味だそれ、と放心する俺に構わず大河内さんは廊下を進んでいく。案内されたのは組織犯罪対策部のさらに奥にある小部屋だった。

 

「失礼」

「おや、お珍しい」

「あれ、大河内さん。どうしたんですか? そちらは?」

 

 そこにいたのは、品よく歳を重ねてきた温厚そうな紳士と、エリート然とした頭のよさそうなハンサムな男性。ふと、過去の記憶が蘇る。胸の奥がトクリと音を立てた。

 大河内さんは彼らに構うことなく、俺の方を見て話し出す。

 

「警視庁特命係。人材の墓場と呼ばれる窓際部署だ。そちらが室長の杉下右京警部、そして部下の神戸尊警部補だ。捜査権もないのに捜査に乗り込んでくる、違法捜査の常連だ。よくよくマークしておくように」

「……わざわざご本人方の目の前で言わなくても良いのでは?」

「酷い当てつけだ」

 

 くすくすと神戸警部補は笑みを零し、杉下警部も気にした様子はない。言われ慣れているということなのだろうか。

 

「大河内さん、もしかして彼が噂の?」

「噂の、かは存じ上げませんが、つい数日前より大河内監察官の部下となりました、柊木と申します」

「そうでしたか。特命係の杉下です」

「神戸です。大河内さんから部下自慢は聞いてるよ」

「それは光栄です」

 

 ですが、と一言挟んで笑ってみせる。

 

「同じだけ悪口も言われている気がするのですが、いかがです?」

「それはノーコメント」

「ああ、やはり」

 

 悪戯っぽく笑ってくれた神戸さんにさらに笑い返す。この人はどうやら本当に大河内さんと親しいようだ。ノリも良い、楽しい人なのかもしれない。

 す、と一瞬考え込んだそぶりを見せた杉下さんが、改めて俺をまっすぐ見た。

 

「……恐れ入りますが、もしやフルネームは柊木旭さんでしょうか」

 

 やはり、と口元に笑みがこぼれる。俺が見間違えるわけがないと思っていたけど、やっぱりこの人は、―――あのときの。

 

「もう二十年も前の事件をよく覚えていらっしゃいましたね。改めて、お久しぶりです杉下さん。申し訳ありません、まさか覚えて頂いているとは思わず」

「やはり! 大きくなりましたね」

「お陰様で。……あの時は本当に、お世話になりました」

 

 杉下さんは感慨深そうに、いいえと一言返してくれた。不思議そうな顔をした大河内さんが問いかける。

 

「知り合いなのか? ……事件とは」

「私が小学生になる前のことですが、誘拐されたことがありまして」

 

 なるべく何でもないように言ったつもりだったが、それでも大河内さんと神戸さんは息をのんだ。

 

「その時に私を助けてくださったのが杉下さんでした。よく覚えています」

「あの頃から貴方はとても頭のいい子でしたねぇ。自分の状況を外に伝えるためにあんな方法を使うだなんて、小学校に入る前の子供は普通考えつきませんよ」

「そんな。あんな子供の悪戯じみたもの、正直本当に通じるとは思っていませんでしたよ。杉下さんが読み取って救出に来てくださって、むしろ驚きました」

「恐れ入ります。……そう、ですか、警察に。……なるほど、きっと貴方は、……監察官という職務、向いているでしょうねえ」

 

 少し嬉しそうに、少し悲しそうに微笑んでくれた杉下さん。

 そこに込められた思いなど―――少しも察していないという風に、俺も笑ってみせた。平気な顔で、その一言を返す。

 

「恐れ入ります」

 

 

 *

 

「……まさか杉下警部と知り合いだったとは」

「私も驚きました。警察官になったときから、いつかどこかでお会いできればとは思っていましたが」

「しかし、……君のことは一通り調べたが、誘拐事件の被害者という情報は出てこなかったが?」

 

 当然の疑問に、一瞬どう答えたものかと思ったが、まあいいだろうと頷いた。

 俺には何も後ろ暗いことはないし、大河内さんもそれを言いふらすことはないだろう。何せこうして俺を引き抜いた張本人だ、そんなことをしてもデメリットこそあれどメリットはない。

 にこりと笑って、俺は嘘偽りなく真実を口にした。

 

「上層からの圧力で、立件されていませんからね」

「……何?」

 

 ぴたりと動きを止める。驚愕するその顔に笑顔を向けたまま、続けた。

 

「私を誘拐したのは、ある警察官僚の娘さんでした」

 

 俺の女性苦手のスタートであり、一番大きな原因となった人。

 俺は杉下さんによって救出され、彼女も犯人として確保された。ほとんど現行犯で、状況証拠も物的証拠も、何なら俺という被害者の証言まで揃っていた。

 しかし、握りつぶされた。書類上、俺はただの家出少年として処理されたのだ。

 

「ちなみに当の警察官僚の方はすでにご勇退されておられます」

「……柊木君」

「警察に恨みはありませんよ。仕事に私情を持ち込むつもりもありません」

「……君ならそうだろう。しかし、……それでよく、警察を志したな」

 

 込み上げてきた黒い感情にまたしっかりと蓋をして、奥底へとしまい込む。

 そう、俺は警察官になった。そうなろうとずっと決めていた。俺はこの組織で生き抜いていくために、今まで努力を重ねてきた。

 俺はこれから、この組織でのし上がっていく。

 

「……そうですね。私も、そう思います」

 

 この内心は、悟られるにはまだ早い。

 

 




ようやくクロスオーバー。
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