門出
あの人に会う前の俺が今の俺を見たら、いったい何を思うのだろう。
未だに着慣れないスーツに身を包み、卒業証書の入った筒で自分の肩を叩きながら、通っていた校舎を見上げた。多分信じられないって顔をするんだろうなと自分で笑う。もしかしたらこんなの俺じゃねえって怒鳴り散らすかもしれない。
そこまで考えてようやく、俺も少しは大人になれたのかななんてらしくもないことを思った。反面、大学卒業くらいで大人になれたら苦労しねえのに、と自嘲する。
珍しく感傷に浸っていたそのとき、スマホが震えた。画面に表示された名前を見て、うえっと変な声が出る。
『裏門』
たった一言のメッセージに、すでにいろいろとバレていることを察した。メッセージのやり取りはしていたが、顔を見るのは軽く数年ぶりだったりする。
俺はあの人に今日が卒業式だということを伝えた覚えはない。余計なことを吹き込んだのは誰だと悪態をつきつつ、裏門に足を進めた。
相変わらず、立ってるだけで絵になる人だ。久しぶりなのに全く顔が変わってない。
「ああ、幸人」
柊木さんはいつも通りの柔らかい笑顔と声で俺を迎えた。
久しぶり、と軽く応じた後、めんどくさそうな顔を作って言う。
「卒業式のこと知ってたの?」
「ああ。お前な、あいつらに『卒業式のこと言うな』なんて言ったら面白がって逆に喋るに決まってんだろうが。結構な人数から連絡来たぞ、今日顔出してやってくれって」
「あいつら……!」
どうやらかつての仲間たちが余計な気を回したらしい。
別に、卒業式のことを知られたくなかったわけじゃない。ただ、卒業式に柊木さんが来たら、きっと尋ねるだろうことがあると思っただけで。
「おおかた、卒業どうこうよりも俺に進路を知られるのが嫌だったんだろ?」
あっさりと言い当てられて、思わず不貞腐れる。ここまでわかってるならもうすべてあいつらが喋ってしまっているのだろう。別に後ろ暗いわけではないが、何となくの気まずさと恥ずかしさが頭の中で暴れだす。
「良かったじゃねえか、公務員試験通って」
「……全部知ってんならさっさととどめ刺してよ」
「とどめとは何だ。別にからかったりしねえって」
なあ、未来の警察官?
柊木さんは面白そうに笑った。からかったりしないと言っておきながら、その声には明らかにからかいの色が含まれている。
「……別にひーらぎさんがどうとかは関係ねえからな!」
「はいはい」
「聞けよ!俺はただ、」
「うん」
俺はただ、と繰り返すと、柊木さんはからかいの色を消してゆったりと俺を見た。
昔からこの人は、こういう目で俺たちの言葉を聞いてくれる人だった。疑いも見せず、遮りもせず、ちゃんと最後まで言葉を聞いてくれた。そういう人だから俺たちにとっては数少ない、心の内を明かすことが出来る人だった。
誰にも言わずにいた本心を、その瞳に促されて言葉にする。
「……昔の……あの、リンチの事件。あの後、あの被害に遭った奴から、手紙もらったんだ。伊達さんを通して」
高校生の時に遭遇した、例の事件。傷害事件も冤罪も、全てテレビの向こうの話だと思っていたが、たやすく覆された。柊木さんや伊達さんがいなかったら、俺は本当に逮捕されていたかもしれない。今でも思い出すだけで背筋がぞっとする。
だが、俺以上に怖い思いをしていた人がいたのだとその手紙で知った。
「明らかに震えた手で書いた文字でさ、……すっげえ何回もごめんなさいって書いてあんの。俺がやったって証言したって聞いたときはマジでムカついたけど、本当にそうとしか証言できないくらい心折られてたんだなって」
嘘の証言をしてしまったことへの後悔、しかし本当のことを言うことが出来ないことへの謝罪。犯人への恐怖が痛いほどに伝わってきて、彼を恨むことなど出来なくなってしまった。
涙の跡が残ったその手紙は、今でも大事に取ってある。俺の、決意の証として。
「……あの事件の犯人、捕まってないんだよね?」
「ああ」
「で、被害者は転校してどっかいったって」
「そうらしいな」
「おかしいじゃん」
何でやった方が捕まんなくて、やられた方が逃げちゃうの。
俺の言葉に、柊木さんは笑顔を崩さないまま少しだけ眉根を寄せた。柊木さんや伊達さんが精一杯のことをしてくれたのはわかっている。それでも、納得なんてしたくなかった。この際俺のことはどうでもいい、だけど。
「何で悪いことしてない奴が、やられた方が、泣き寝入りしなきゃいけないんだ」
もしかしたら今でも、彼は怯えているかもしれない。いつ犯人に見つかるのか、どこかで遭遇しないか、また殴られるんじゃないかって震えているかもしれない。犯人が刑務所にでも入らない限り、その恐怖はきっと消えない。
そう思ったら、俺の進路はもう決まっていた。
「悪いことをした奴を、ちゃんと捕まえたい。悪いことしてない人が安心して暮らせるようにしたい。だから俺、警察官になる」
普通の人が、普通のまま暮らしていけるように。
そう言うと柊木さんは優しく瞳を細めた。それでいい、と言うように。
「……ガキくせえって笑わねえの」
「笑わねえよ」
俺よりずっと立派な理由だ、と笑う柊木さんに、思わず聞き返す。
「ひーらぎさんは何で警察になったの?」
「ヒミツ」
さらっと誤魔化されてえーっと声を上げると、柊木さんも声を上げて笑った。これは本当に言うつもりがないらしい。柊木さんが警察になった理由、聞いてみたい気もするが無理に聞き出すことでもない。
どんな理由があって警察になったにしろ、柊木さんはしっかりと務めを果たしている。と、伊達さんから聞いたことがある。俺にとってはそれで十分だ。
別に柊木さんに憧れて警察官になるわけではないけれど、―――間違いなく、柊木さんは俺にとって憧れの警察官のひとりなのだから。
「警察学校無事卒業出来たら俺の名刺やるよ」
「舐めんな、絶対逃げたりしねえから」
「ああ、だろうな」
柊木さんは改めて、俺を頭からつま先までじっくり見て頷いた。走り込みと筋トレでもやってんのか、とこれまたさらっと当てられて何だか悔しい。
「幸人」
俺より少しだけ背の高いその人の顔を見上げると、柊木さんはいつものように笑っていた。出逢ったころから全く変わらない、本当に変わらな過ぎてこの人実は歳を取らねえんじゃないかと疑ってしまう、いつも通りの笑顔。
「ほら、手ェ出せ」
手を出す前に腕を取られて何かを押し付けられた。握らされたのは、新書サイズの黒い手帳。新品ではなく、中にはたくさんの書き込みが残っている。よく見慣れた柊木さんの字だった。
「俺が警察学校にいたときにいろいろメモってた手帳。あそこはあそこで面倒な世界だからな、まあ読みたかったら読めよ。丸腰で挑みたいってんならそれはそれで止めねえけど」
「……いいの、もらって」
「いいよ、何となく取っといただけだから」
書き込んだ内容を見るに、そこにあったのは警察学校の情報だけではない。伊達、という文字や、他にも苗字らしき名前が見える。日記というほどではなくとも、柊木さんが日々感じたことや思い出も書き込まれているようだ。そんなものをもらっていいのだろうか。
俺の迷いを見て取ったのか、柊木さんは苦笑していいから持っとけ、と軽く言った。
「書いたことは全部覚えてるし、もう思い出に浸る必要もないからな」
「え?」
「今の俺にはいらねえもんってことだよ」
何かの役に立つかもしれないし、持ってろ。
そう言われては、受け取るしかなく。小さくありがと、と呟いた俺に、柊木さんは満足そうに頷いた。
もう一度幸人、と名前を呼ばれる。
「改めて、大学卒業おめでとう」
そして死ぬほどめんどくさい組織の入り口へようこそ。
悪戯っぽく笑った俺の憧れの警察官は、ひどく綺麗な敬礼をしてみせた。
*
いつかの数年後、あるかもしれない未来。
「本日より捜査一課に異動になりました、相良幸人と申します。ご指導ご鞭撻のほど、よろしくお願いいたします!」
「教育係の松田だ。まあよろしくな」