この物語の主人公には、モデルがいることをまず明記しておきたい。彼と交わした言葉の全ては、今でも鮮明に思い出すことが出来る。それだけ彼は、私にとって非常に衝撃的で、非常に魅力的な人物であった。そう、彼の物語を紡いでみたいと思うほどに。
そして書いたのがこの物語の原案であるが、残念ながらモデルである彼は「自分が主役の物語なんて照れくさくて読めない」と言って原稿を読んではくれない。それならばと、私は彼の友人たちに手を借りることにした。
彼の五人の友人たちは、傍から見ても非常に仲が良く、お互いのことをよくわかっている。きっと良い意見をくれるだろうと思い原稿を渡したのだが、結果は惨敗だった。
「まだまだですね、先生」
彼らは異口同音にそう言って、笑った。あいつはこんなもんじゃありませんよと、得意げな顔をして。
サングラスがよく似合う彼は、言う。
「あいつはもっと、冷徹だ」
こんなまだるっこしいことはしない、最短の道をいつだって選ぶ合理主義の鬼ですよ、と。
豪快に笑う彼は、言う。
「あいつはもっと、優しい」
人を否定することが苦手なんですよ、仕事外には限りますがね、と。
人懐っこい猫目が印象的な彼は、言う。
「あいつはもっと、容赦がない」
特に俺たちのことはもっと雑に扱うし、何なら徹底的にこき使います、と。
緩く下がる目尻が優しげな彼は、言う。
「あいつはもっと、素直だ」
素の時は思ったことをそのまま口にしちゃうし、人の言葉も抵抗なく受け入れる子供みたいな奴です、と。
ずっと彼と競い合ってきた彼は、言う。
「あいつはもっと、プライドが高い」
謙虚なように見えて、自分が積み重ねてきた努力を決して軽視はしません、と。
彼らの口から語られる「彼」の姿は一層魅力的で、私はそれからまた大幅な書き直しを余儀なくされた。幾度となく書き直し、幾度となく彼らから意見をもらい、ようやく完成したのがこの物語である。彼の友人たちには本当にお世話になった。この場を借りて謝辞を伝えたい。彼らの協力なくしてこの物語は成立しなかった。本当にありがとう。
もちろん、モデルになることを嫌々ながらも許してくれた彼にも、心からの感謝を。この話をした時の心底嫌そうな彼の顔は、今でも思い出すと笑ってしまう。それでも了承してくれて、本当にありがとう。
この物語は私にとって傑作のひとつであると同時に、筆力不足を痛感させるものとなった。どれだけ言葉を尽くしても、主人公よりモデルである彼の方が魅力的なのである。気高く、優しく、職務に忠実で、それでいて人間的な彼をどうにか表現しようと努めたが、今の私にはこれが限界らしい。
誰よりも桜が似合う彼の正義を、わずかでも伝えられればと願うばかりである。
*
と、いうのが当初書いていた物語の前書きである。そう、最初は、そんな物語を書くはずだった。しかしやはり、どうにも納得のいく作品が書けない。どうしても、主人公が「彼」になってくれないのだ。
締切も迫り、どうしたものかと頭を抱えていたところ、助け舟をくれたのはまさかの息子だった。「彼」やその友人たちのことも知っている息子は、こっそりと原稿を読んでいたらしい。それを私が咎めるより先に、愚息はさらりと言った。これではだめだと。
「あの人、こんなに『ひとり』じゃねーよ」
恥ずかしながら、衝撃が走った。その時書いていた物語の主人公は確かに「ひとり」だった。しかし、現実の彼は?もちろん「ひとり」であるわけがない、あれほどまでに互いを理解した友がいるというのに!
それに気付いてからは早かった。登場するキャラクターを追加し、構成を練り直し、エンディングも書き換えて。結局、当初考えていた物語とは全く違うものになった。しかし、絶対にこちらの方がいい。そう思えるだけの出来になったと自負している。そして、タイトルも変えた。物語が変わったのだから、当然といえば当然である。
全く新しい物語になったこれを、改めて彼の友人たちに見てもらった。五人とも、気恥しそうな顔で及第点をくれた。ガッツポーズなど何年ぶりにしただろうか。
そうして完成したのが、この物語である。改めて言おう。
誰よりも桜が似合う「彼ら」の正義を、その絆を、わずかでも伝えられればと願うばかりである。
六つの花の生き様を、どうか感じて欲しい。
―――工藤優作著『六花』前書きより抜粋。
この作品は作者たっての希望で日本のみで出版され、今後も含め翻訳の予定はないという。すでに続編の執筆にも取り掛かっており、その作品には同作者の作品『緋色の捜査官』の主人公も登場すると明言されている。
***
「お、皆ニュース見ろよ」
いつものごとくビール缶を傾けながら、伊達はテレビを指した。特に意味のない雑談に花を咲かせていた酔っ払いたちも、その声に釣られて画面に目を向ける。そこには、見覚えのあるハンサムな男性が映っていた。
「工藤先生じゃん」
「へえ、何か賞とったのか、『六花』」
画面の中で多くのフラッシュに照らされる工藤氏は、マイクを向ける記者たちに笑顔を返していた。
今回工藤氏が受賞したのは、一般大衆向けの娯楽小説に与えられる賞である。これまでも数々の賞を受賞してきた工藤氏だが、普段は本格ミステリを専門としていたこともあり、この賞を受賞したのは初めてだとテロップが流れた。
「へ~初めての受賞なんだ。意外」
「工藤先生と言えば本格ミステリだからな。畑が違ったんだろう」
「俺も工藤先生の他の本読んだことあるけど、『六花』は毛色が違うもんな」
諸伏がどこか愉快そうに言う。
対CIAの作戦において手を借りるかわりに、小説の主人公のモデルとなることを許可した柊木。そして当初はモデルとなるのは柊木だけだったが、いつのまにやらその主人公の周囲の登場人物にも、どこか覚えのある人間が揃っていた。
「いや~かっこよく書いてもらったよねぇ俺たちも」
「ま、一番いいところは主人公が持ってったけどな?」
にやりと口角をあげた降谷の言葉に、視線は柊木に集まる。当の本人は、何も聞いていないように素知らぬ顔でビール缶を傾けていた。
「結局お前は読んだんだっけ?なあ主人公サン」
からかうように松田が言うと、ようやく「主人公」はめんどくさそうに眉を顰める。そして口元に缶を寄せたまま、そろりと逃げるように目線をそらした。その反応に、驚いたように諸伏は瞬きする。
「えっ読んだの柊木。あんなに嫌がってたくせに」
「何も言ってないだろ」
「いやその顔は読んでるだろ。わかるよ」
さらりと言い返され、眉間のしわを深めた。なかなか口を開こうとしない柊木に、にやにやと笑いながら萩原はその肩に腕を回す。
「なーに旭ちゃん照れてんの〜? いやいや誰だって自分をモデルに小説書かれたら気になるって。読んじゃうって。照れなくていいよっていででででで旭ちゃんギブギブ指が抜ける!!」
「萩原マジでうるせえ」
指離して、と喚かれてようやく柊木は肩に回っていた手の指を離す。渾身の力で引っ張られて赤くなった中指に、萩原はふうふうと息を吹きかけていた。その姿に苦笑しつつ、伊達は柔らかい声で問い直す。
「読んだのか?」
からかいの色が消えたことを察してか、ようやく柊木は幾分か気まずそうに口を開いた。
「……お前らがモデルになったキャラクターも出てるって新一くんから聞いて、興味湧いたから。献本も貰ってたし」
「なるほどな。それで?」
「何だよ」
「感想は?」
降谷に言われ、柊木は一瞬考える素振りを見せる。形のいい瞳がゆるく細められ、そしてまた開いてテレビ画面を見る。そこにはインタビューに答える工藤氏の姿があった。
『本にも書いたのですが、この主人公たちにはモデルがいるんです。この受賞も彼らあってのことですから、改めてお礼を伝えたいですね。彼ら自身の信条やキャラクターが魅力的だったからこそ、こうして多くの方に楽しんで頂ける物語になりました』
そのコメントに続けて、アナウンサーが言葉を続ける。この「六花」はベストセラーとして増刷に増刷を重ね、既存のファンだけでなく、新規の読者にも広く受け入れられているらしい。モデルが実在すると明記されていることから、近年イメージダウンを危惧されていた警察の株が上がっているとかいないとか。
これを読んで警察を目指すことを決めました、と答えている若い読者への街頭インタビューの様子も放送された。
「……あんなに持ち上げられると複雑だなと……」
思わずと言ったように漏れた柊木の言葉に、確かに、とほかの面々も苦笑を漏らす。良いように書かれることは照れくさくも嬉しいことだが、綺麗なだけの仕事でないことはよく知っている。
「……面白かったし、誰が誰のモデルかってのもちゃんとわかったし、まあかっこいいキャラクターだったと思うよ、皆。ただなんて言うか……そんないいことばっかりしてるわけでもないだろ、俺もお前らも」
「はは、言いたいことはわかるよ」
リアルにしては泥臭さが足りないよな、あの話。
そう言って諸伏は新しいビールのプルタブを開け、柊木のもつビールにこつりとぶつける。
まあそこはねぇ、と萩原は自分の口にさきいかを放り込んだ。
「全部が全部は書けないっしょ。たとえば陣平ちゃんが聞き込み下手すぎて逆に不審者として通報されちゃった話とかさ」
「そうだな、聞き込みした相手に惚れられてプレゼント渡されそうになったところを断ったら本庁前で大泣きされた萩原の話とかな」
「お前らは本当に何やってんの?」
俺達は大真面目に仕事してたんだ、と真顔で言う馬鹿ふたりに柊木は天を仰ぐ。本当に同期を査問にかける日も近いのではないだろうか。
まあまあ、と伊達は柊木の肩を叩きながら手持ちのビールの最後の一滴を飲み干した。
「かっこよく書いてくれたんだし良いじゃねえか。警察のイメージが良くなることは上層も喜んでるんだろ?」
この小説のことは警察内でも評判にはなっていた。巷の名探偵たちのために下がっていた評価も見直されつつあると好意的に受け止められ、また単純に警察小説として面白い、と警視総監が絶賛したとの噂も流れている。
警察のイメージアップの施策として広告塔にされそうになったことのある柊木としては大変有難い話だった。そこだけは感謝してもいいと柊木も思っているが、警察の株を上げることも考えて書いたのではないか、とも少し思っていた。「日本警察の救世主」が奪ってしまった警察への信頼を少しでも取り戻そうという、工藤氏のいらぬお節介なのかもしれない。
「まあ俺たちは下書き段階というか、あのストーリーになる前のものから読んでるからなおさらそう思うんだろうが、『六花』はよく書けてると思うぞ。特に主人公についてはな」
面白そうに口を挟んだ降谷の手にはピーナッツ。それをぽりぽりと咀嚼する降谷に、そうだったか、と柊木は首を捻った。自分のことであるせいか、いまいち腑に落ちていないらしい。そんな彼に笑いながら頷き、降谷は長年のライバルにこう告げた。
「ああお前そっくりだったよ、最終的には僕たちを頼る可愛いところとかな」
その言葉に周囲はあー、と納得したように深く頷き、「主人公」は盛大に口角をひん曲げて拗ねることになる。