俺は知っている。柊木旭は、決して勇敢ではないということを。どちらかと言えば臆病で、心配性で、悲観的で、一番最悪の状況を想定して動くやつだということを。
だから、わかる。強く握られた手は震えを隠すため、強気な言葉は動揺を悟らせないため。ここですべてを終わらせて、後顧の憂いを断つために。
「……俺の杞憂であればいいと思っていましたよ、ミスター」
切り札を出そうとポケットに手を入れたミスターにも、柊木は嫌味なほど余裕な顔で笑ってみせる。
「昨晩は見張りを代わっていただいてありがとうございました。その間に貴方の部下の方々が仕掛けてくれた爆弾は解除させていただきましたよ。わりと単純なつくりだったそうですね、解体には五分とかからなかったそうです。貴方が見張りをしていた短い時間で仕掛けたせいか、隠し場所も安直で見つけ出すのもそう難しくなかったと」
暗殺の可能性に気づき、あいつらに助けを求めた柊木。たったひとこと「たすけてくれ」だけのメッセージだったが、心の底からの声だったのだろうと思う。それだけ、柊木は追い込まれていた。
公安に来て以降柊木ができる限りあいつらとの連絡を絶ったのは、あいつらと話をすると弱音や甘さが顔を出す自覚があったからだと思う。公安として、その指揮官として、冷徹に徹するためには、切り捨てざるを得なかった。
あの寂しがりには、本当に辛かっただろう。
『旭ちゃん寂しくて死んでない? 大丈夫?』
『いやあいつ兎じゃねえから。言いたいことはわかるけどよ』
『そんだけきつい
柊木からのヘルプに飛んできたそいつらも、そんなことを言って笑っていた。よくわかっている、と苦笑すると、三人そろって柊木だからな、と声をそろえる。風見さんですら、少し呆れたように笑っていた。
爆弾のことを説明すれば、一瞬で険しい顔になる伊達と、目を輝かせる馬鹿ふたり。ねえお前ら状況わかってる? この案件、かなりの佳境なんだけどわかってる?
『まっかせろ腕は鈍らせてねえ!』
『じゃじゃーん、なんと工具を持ち歩いてる超熱心な俺たちです!』
『諸伏、本当にこのふたりに任せて大丈夫なんだろうな?』
すいません風見さん腕だけは確かなんです頭に問題があるだけで。何も言えず両手で顔を覆う俺をよそに、まあまあと慌てた伊達が真顔の風見さんを必死に取りなしていた。
しかしいざ爆弾を前にすれば迷いのない手つきでそれを解体していくのだから、本当に何ともまあ。爆処も惜しい人材を手放したものだ。いや自業自得だけど。綺麗に解体した部品をひとつ残らず回収し、それ以上仕掛けられたものがないことを確認して、三人に礼を言った。何を今更、と予想通りの言葉が返ってくる。
『爆弾関係ならまた呼んで良いぞ、強盗騒ぎはもうごめんだがな』
『今回は除け者にしなかったから許す!』
『
その様子をモニターしていた柊木には、音声までは届いていない。けれど、爆弾解体の報告をしたときの柊木の顔にはわずかに優しい微笑みが乗っていた。そうか、と答えた瞬間には、それも消えてしまっていたけれど。
きっと、「そこ」に戻るために、柊木は堪えている。自分だけではなく、俺と、
策を弄し、目の前の相手を嘲笑う柊木をつくったのは、俺たちだ。
「もう一度お伺いします。快く協力者の名前を教えてもらえませんか?」
自身の勝利を確信している人間の顔に見えるだろう、内心では震えているくせに。どれだけ完璧な切り札を作って対策したとして、想定外がないとは限らない。ここまで手を尽くしてこの展開に持ってきたのなら、ほぼほぼ結末は見えているというのに、それでも。
工藤先生や探偵少年、そして宮野志保さんにまで全面協力頂いて作り上げた「違法作業」。まったく、とんでもないものを作ってくれたものだ。本当にこれが全世界に発表されたら、俺たちだって、特に全責任を負っている柊木だってただでは済まないというのに。全部わかった上で、交渉が決裂したときは本当に自分が全責任をとる覚悟をもって。
顔色を急激に悪くしていくミスターから、それでも銃口はずらさない。追い込まれた人間は何をするかわからないことくらい骨身にしみてわかっている。いざというときは、その脳幹に向けて引き金を引く覚悟はあった。柊木には止められていたが、この状況で柊木を喪うことだけはあってはならない。殺人の罪を背負うことも、俺にとっては今更だ。
と、思っていたが、どうやらミスターは逆上するタイプではなかったらしい。
「……さて、そろそろ増援が到着する頃です。貴方を連行しないといけない」
最後の選択を迫られたミスターは、膝をついた。
内心でだけ、気を抜かない程度に小さく息をつく。青白い口からこぼれ落ちた名前を脳に刻み、視線だけで柊木を見た。
「諸伏、彼の拘束と連行を頼む」
了解、と答えて一歩二歩とふたりに近づいた。片手で拳銃を構えたまま、逆の手で懐の手錠を探る。
これで柊木と
ミスターを拘束しようとしたとき、やめておけばいいものを、彼はまた顔を上て言い募る。負け犬の遠吠えほど見苦しいものはないが、よりにもよって死ぬほどキレているやつの地雷に飛び込むのだから、さすがに本気で馬鹿だなと思った。
柊木は、少なくとも俺ほどは怒りを殺すことに慣れていないのに。
「何も知らない友人を囮に使うなんて、さすがになかなか冷徹ですね? しかも。憤り憎む様子すら見せないとは」
柊木の擬態がなかなかのレベルとはいえ、その腹の中を見抜けない自分の度量を差し置いてこの言い草。困ったように苦笑した柊木を、さすがに止める気にはなれなかった。
がしゃ、とキーボードが吹っ飛ぶと盛大な音を聞きつつ、モニター車の修理費用って結構高いんだけどな、とすっかり器物損壊に慣れた俺はそんなことを思う。マイクのスイッチを切ったのは、冷静さに欠いたところをほかに聞かれたくなかったからだろうか。
「……公安の捜査官として、そして指揮官としては、貴方に憎しみやそれに類する感情は持ってはいません。貴方たちは職務に必要な行為を行ったにすぎず、そこに『暗殺』という項目があっただけ、そう考えます」
そんな風に割り切れる柊木だったら、きっとここまで苦しまなかった。
「でも俺はね、本当は自分の縄張りに手を出されるの、死ぬほど嫌いなんですよ」
柊木のこんな低い声、多分初めて聞いた。こんなに瞳孔が開いているのも、多分初めて見た。基本的に、怒らない人間なのだ、柊木旭というやつは。怒って見せても、適当に自分の怒りをいなして消化できる人間なのだ、本当に。
少なくとも暴力なんて安直な手に出ることは今まで一度もなかった。きっと、これが最初で最後であるように思う。今の柊木の表情を見ると、そう願わざるを得ない。
「
大きく出たな、と思いつつ、本心なんだろう、と内心で苦笑する。そういえばどこかの誰かも「俺の日本」なんて大きなことを言っていた。ふたりの見ているものはきっと全然違うのに、それでも同じようなことを言うのだから不思議なものだ。
「この程度で済ますのは、今回限りだ。……次はありとあらゆる手を使って、テメェの飼い主ごと潰す。世界一の大国だろうが諜報機関だろうが、この俺を敵に回したらどうなるか思い知らせてやるよ」
ああ、この言葉に嘘はない。本当にやめてやってくれよ、とすでに心の折れているミスターを横目で見て内心でつぶやく。
柊木のように、その手にあるものが少ないやつほど振り切ったときは怖いのだ。少ないからこそ、ひとつでもその手からこぼれ落ちることを許さない。奪おうとする相手には誰だろうと牙をむく。普段が温厚ぶってるだけにそのあたりの落差がかなり極端であることを、柊木自身も自覚しているのかどうか。
柊木が腹の中で飼っているこの獰猛さ。さっきまで内心で震えていたはずの柊木に、その気持ちすら忘れさせてしまうほどの激情。どうか、もう発揮されることがなければいいと思う。いつか、柊木自身を傷つけてしまう前に。
ふ、と柊木だけに聞こえるように小さく息を吐く。ぴた、と柊木が動きを止め、その瞳から怒りが引いた。突き出していた脚を下ろし、いつも通りの顔を見せる。
「じゃあ諸伏、よろしくな」
その笑顔を見て、安堵の息をついたことは悟られてしまっただろうか。
*
「なあ柊木、今回のいろいろで思ったんだけどさ」
「何だよ」
「柊木って実は結構びびりだしチキンだしネガティブだし、そのくせキレると怖いのな?」
「喧嘩売ってんなら買うぞ」
違う違う、と俺は口元をひん曲げる指揮官殿に笑顔を向ける。
「やっぱお前は物語に出てくるような完璧な勇者じゃないよなと思ってさ」
「当たり前だろ。俺もお前もせいぜい村人AとBだ」
「ははは! そうだよな、いや俺が言いたいのはさ、」
剣を持った自信満々な勇者に助けられるよりも、木の棒しか持ってないびびって震える村人Aに助けられる方が感動的でありがたみがあるなってこと。
俺がそう言うと、柊木は三秒ほど考え、それでも困惑した顔で俺の方を向いた。
「……つまりどういうこと?」
「うん、だからつまりな、」
勇者じゃないのに助けてくれてありがとうってことだよ。
そう言うと、ぱちぱちと長い睫を揺らして瞬きした柊木は、困ったように笑ったのだった。