遠慮のかたまり、という言葉がある。おもに関西圏で使われる言葉だそうで、大皿料理や箱入りお菓子なんかをわけたとき、最後の一個が残ってしまうことを言うそうだ。俺にとっては日常的に使う言葉ではないが、皿の上にぽつんと残った最後のたこ焼きを見てその言葉が浮かんだ。
といっても、この状況でこれを《遠慮》と称するのは限りなく間違っているのだろうけれど。
「誰が今日のために人数分の材料買い込んできたと思ってんだよ。どう考えてもこれを食う権利は俺にある」
熱弁する松田の手にはいつもの銀色の缶。さて今日何本目だったか、と俺も同じ色の缶を傾けながらぼんやりと考える。俺はスーパードライよりクリアユウヒ派なんだけどな、と思いつつもそれを喉に流し込んだ。ビールの選択権は買い物をした奴にあるので仕方がないが、少しは家主に気を遣えと思わなくもない。
いやいや何言ってんの、松田の言葉に首を振ったのは萩原だ。新しい缶を手に取り、ぷしゅ、とそのプルタブを開ける。
「旭ちゃんに頼み込んで今日という日をセッティングしたのは俺よ? お好み焼きたこ焼きとそれはそれはしつこく言い続けたのは俺。つまり今日粉ものが食べられたのは俺のおかげで、だからこそこれは俺が食うべき」
ほんとにしつこかったな、こいつ。いつもは「粉もの!」「今度な」で終わる会話が、「お好み焼き」「たこ焼き」「粉もの」「食べたい」「ねえ」「食べたい」こんなメッセージがそれはもう毎日。お前は粘着系ストーカーかと。積極的にトラウマ抉りにくる萩原にちょっと本気でブロックしてやろうとかと思いましたが折れてやった俺は優しい。
いやいやそもそもだな、と萩原の頭を押さえ込んで、伊達が新しい缶を手に取る。
「今日は俺が大きい事件を片づけた祝いって建前の飲み会だろ? だったらここはやっぱり、俺を立てるべきじゃねえのか?」
建前と本人が言ってるあたりどうなんだとは思うが、確かに今日は、伊達が世間を騒がせていた連続殺人事件を解決した祝いという体の飲み会だ。一応最初の乾杯までは皆覚えていたと思う。ちなみに俺は今の今まで忘れてました。そういえばそうだったね。ビール美味しい。この手のことに伊達が参加してくるのは珍しいのだが、今日は結構に酔っているらしい。
いやいやちょっと待てって、と伊達のビール缶に自分のをぶつけたのは諸伏だ。
「確かに今日の主役は伊達だけど、山積みの書類片づけてお祝いに駆け付けた俺のこともちょっとは労ってくれないか? ていうか俺が来た時には皆食べ始めてたし、お前らはもう腹いっぱい食べただろ?」
俺まだ全然食べてない、とか口元に青のりをくっつけて言われても、と正直思った。諸伏が仕事の関係で途中からの参加になったのは本当だが、その分かなりのハイペースで食べて飲んでいたのを俺は知っている。あと、松田や萩原の取り皿からこっそりたこ焼きをかすめ取っていたのも知っている。公安ではスリも必要スキルなんだろうか。公安すげえ。今の顔色から諸伏が酔っているのかどうかは判別できないが、この状況を全力で面白がっていることだけは明白だった。ミスター愉快犯。
そして、いやいや待ってくれ、と口を挟むやつがもうひとり。まさかこいつまで、と思ったが、その顔は真剣だった。
「俺は食べたい」
「……ゼロ? 酔ってるか?」
「俺は食べたい」
「わかった、まず降谷は水飲め、な?」
「俺は食べたい」
「え、どしたのれーくん、いつもはこの程度じゃ酔わないのに」
「俺は食べたい!」
「アウトだな。柊木、水くれ」
松田に言われ、同じ言葉しか繰り返さない真顔に、とりあえずミネラルウォーターのペットボトルを投げつけた。可愛げのない酔っ払いはゆうゆうとそれを受け止め、キャップを捻ってそれを喉に流し込む。一息ついて、また一言。
「俺は食べたい」
「降谷、もう寝ろよ」
泊まってっていいから、と仕方なく声をかけるが、それでも降谷はたこ焼きから意識を離さない。お前そんなに食い意地張ったやつだったっけ、と思ったが、多分これはいつもの負けず嫌いが発動しているだけだろう。ここで引いたら負けとでも思っているようだ。
まったく、たかがたこ焼きひとつで何をやってるんだか。もうめんどくさいのでお前らジャンケンでもしろと言えば、何故だか馬鹿たちはまためらめらと闘志を燃やしだす。
「後出しは反則だからな」
「そんなことしなくても研二くん勝つし?」
「知ってるか? じゃんけんにも勝利の法則ってのがあるらしいぞ」
「あはは、心理戦とか付き物だよな。ちなみに俺はパーを出します」
「おれがかつ」
いやほんと、遠慮のかたまりとは何だったのか。
ところで、たいていの人間は、特に意識しない限り利き手でじゃんけんをすることが多いように思う。たとえ利き手に何かを持っていたとしても、わざわざそれを置いてジャンケンに挑むことが多い気がする。いや俺の気のせいかもしれないが、実際に今こいつらは何故だか箸を置き、互いを牽制するように睨みあった。そう、さっきまで凝視をしていた降谷ですら、目的のブツから目を離して。
つまり俺が何を言いたいかといいますと、遠慮のかたまりどころか争いの火種になり果ててしまった《危険物》は、制作者として責任をもって処理しないとな、という話です。
ジャンケン、と俺以外の全員が利き手を出すと同時に、争いの火種は俺の口に消える。ちょうどよく冷めたたこ焼きが美味しい。よく咀嚼して、ビールと一緒に喉に流し込む。
男五人分のうるさい悲鳴が、深夜の部屋に響いた。
柊木さんだいぶ酔ってます。降谷さんは仕事の連絡が入った瞬間に冷めます。