少し古い話をしよう。僕たちが警察学校に通っていた頃の話だ。
今もあるのかわからないけれど、当時警察学校には夜間のパトロール実習があってね。拳銃をはじめ危険なものも多く保管している警察学校に不審者が侵入することのないよう、実習も兼ねて校内をパトロールするんだ。基本的に二人ひと組でペアを組み、深夜の学校をぐるりと一周することになっている。
そう、それで僕は柊木とペアを組むことになったんだ。たぶんこれも恒例なんだろうけど、僕らが担当だと知った先輩たちにはさんざん脅かされたよ。「ここの倉庫ではかつて訓練について行けなかった者が自殺をしてそれ以来幽霊が~」とか「あそこの角は不審者が隠れやすいからかつて刃物をもった暴漢が~」とか、よくある怪談話みたいなものだね。パトロールのルートを指示した教官にまで脅かされて、これはむしろ怖がって見せた方がいいのかな、なんて柊木と笑ったりしたものさ。
深夜になって校内のパトロールを始めても、もちろん気を抜いたりはしなかったけど、平和な散歩くらいの調子だったんだ。そう、開始十数分の間くらいはね。
最初は僅かな物音だった。ほとんどの者が寝静まっているはずなのに、僕らの背後から確かに足音がしてね。それもひとりやふたりじゃなく、しかも明らかに声を押し殺していた。
とっさに、隣の柊木と視線を合わせたよ。
『……柊木』
『三秒な』
一、二、三、と呼吸を合わせて走り出すと、背後からいくつもの足音が追ってきた。不審者かと身構えたけど、少し重めの動きにくそうな足音が気になってね、走りながら後ろを向いたら―――まあ驚いたよ。
『……先輩か?』
『ああ、訓練の一環なのか嫌がらせなのかどっちだろうな』
そう柊木も走りながら疲れた顔をしていたね。いや身体的でなく精神的疲労の方の。
僕たちの背後に迫っていたのは、逮捕術の防具をつけてソフト警棒をもった集団だったんだ。防具と暗闇で顔は見えなかったけど、隠さなくなったそれぞれの声に聞き覚えがあった。
『イケメン ニクイ』
『イケメン優等生 ニクイ』
『エリート キライ』
『ブットバス』
『ヤッチマエ』
いや、どこの森の猩々たちかなと。とっさに森に帰れと叫ばなかった僕らは偉かったと思う。
もちろん先輩たちもただのノリだったと思うよ? 社会正義の要たる警察官の卵が、まさかそんな私怨というか嫉妬で後輩をボコりにくるわけがないじゃないか。ただ、そんな異様な殺気をまき散らす集団に追いかけられるこちらの身にもなれというかね。
もっとも、訓練であれ嫌がらせであれ大人しくやられる気はなかった。建物の隙間を縫うように走りながら、とりあえず僕は広い場所に出るべきだと柊木に言ったんだ。校庭あたりで迎え撃とうと。
けど、一瞬考えた柊木は笑顔で首を振ってね。
『いや、倉庫裏に行こう』
『倉庫? あそこは狭いし、何より行き止まりだぞ?』
『ああ、袋小路だな。その方がいい』
いいから、といつになく柊木は強気に言うから僕はそれに従った。行き止まりについた僕らは、防具でかためた集団に追い詰められた形になったんだ。
行き先を誤ったなとせせら笑う先輩たちを前に、柊木ときたらいつになく満面の笑みを浮かべていてね。そう、寒気がするくらいに。
『ああ、追い詰められてしまったナァ。武器をもった集団相手に追い込まれたんだから、まあ、普通に抵抗しても許されますよね?』
ぎく、と先輩方が一気に硬直したのが面白かった。
『そして少しばかり
ごき、と柊木の指から景気のいい音が鳴る。
『ところで、まさか警察官を志す方々が自身の後輩を多数で追い込み、武器を持ってボコるなんて、さすがにやりすぎだって教官も怒るんじゃないですかね? ええ、卑怯にもほどがあるというか、もはやリンチで暴行罪ですし? あ、これはただの独り言ですよ、だって俺は皆さんの
ざ、と片足を引いた柊木は完全に臨戦態勢。満面の笑みの目だけは笑っていなくて、顔には完全に「全員潰す」と書いてあったな。
その後の詳細は柊木の名誉のために伏せるけれど、まあ僕の率直の感想としては、柊木こいつ訓練よりルール無用の殴り合いのほうが強いんだなとか、いつも適当に流してたけどやっぱり先輩たちのやっかみや嫉妬には苛立ってたんだなとか、心理的に自分たちのほうが全力で暴れられる状況を作りにいくなんて相当な策士だなとか、それから、そう。
―――柊木って、実は相当かなり性格悪いんだな、と。
***
「つまり僕が何を言いたいかというと、例の件でCIAを全力で脅したのも柊木の一面に違いないから、君が柊木に無理をさせたなんて心配をする必要はないということだよ、志保さん。大丈夫、柊木はいいやつだけど聖人君子ではないから」
「ええ、いま心から安心したわ」
「自分もノリノリだったことを意図的に省略した説明はどうかと思う。……ちょっと待って宮野さんそんな目で見ないで、絶対降谷のが全力で暴れてたから。備品壊しまくって教官にやりすぎって怒られてたから」
「ははは、柊木とふたりで正座させられたのは後にも先にもあのときだけだったな」
ちなみに白樺先輩は僕たちが倉庫の方へ向かいだした途端に離脱して高みの見物を決め込んでいたらしい。「教官の指示で襲撃に行っただけなのに悪役に仕立てられるとかごめんだから」と笑っていた。
あのひとはそういうところがある、とふたりしてため息をついた。