そこそこ長い付き合いのこいつは、はたから見れば「完璧」に見えるらしい。
まあ確かにルックスはとんでもねえレベルだし、頭もよければ腕もたつ。しかもそとづらは徹底的に取り繕っていて、品行方正で穏やかな好青年も演じられる。まあ本性を知らなければ完璧な人間だと思ってしまうのも無理はないのかもしれない。しかし俺としては、そんな柊木が見せるこんなめんどくせえ姿の方をわりと気に入っているわけで。
「……柊木君も落ち込むことあるんだね?」
特命係の小部屋にある机、そこを陣取った柊木は盛大に影を背負ってぶつぶつと呪詛を吐いている。年に一回あるかないかくらいの頻度でこの姿をさらす柊木だが、神戸さんが見たのは初めてだったようだ。隠しきれないドン引き具合に俺は笑ってサングラスを外した。
「面白えでしょ」
いや面白いって君ね、と困ったように神戸さんは繰り返す。その後ろで苦笑をしていた杉下さんは、上品なティーカップに紅茶を注いでいた。
「柊木君、きみ、飲みますか?」
「……いただきます……」
のろのろと顔を上げて、ひどく情けない顔を俺たちに向ける柊木。ここで噴出さなかった俺は褒められていい。たぶん笑っていたら冗談抜きで柊木の本気の拳が飛んできていただろう。それはそれで面白そうだが、さすがに本庁で暴力沙汰はまずい。
「失礼しまーす松田いますかーってあれ、旭ちゃんもいるじゃん。どうしたの?」
「おう萩原、なんか用か」
「さっき自分のタバコなくなったからって俺のまるごと持ってったっしょ。返して」
「ああ、悪い悪い。お前のまずいな」
「ひとの奪っといてこの言い草だよ全く」
投げ返したタバコを軽くキャッチすると、萩原はそれで、と柊木の前の椅子に座った。
「何落ち込んでんの旭ちゃん。最近その呪詛言うのも減ったと思ってたのに」
「はぎわら……」
「交通とこの女の子の件は俺がうまいことしてあげたじゃん? あ、警察庁の同期の女の子の話がこじれた? それともまた変なラブレターでももらったの? いい加減恥を忍んで生安に相談いったら?」
「何で女性関係限定なんだよ、あと交通部の件は片付きましたお世話になりました!」
涙目の柊木には内心抱腹絶倒。相変わらず女関係でもめそうになるたびに萩原にヘルプを頼んでいるらしい。しょうがないなあと言いながら萩原も断らないのだから、結構柊木に頼られるのがうれしかったりするのだろう。
もはやその現状に慣れ切った俺はまたそんだけトラブルに巻き込まれていやがったのかといっそ感心するだけだが、横で聞いていた杉下さんと神戸さんはさすがに何ともいいがたい顔をしている。
「旭ちゃんが巻き込まれるトラブルなんて九割九分女性関係っしょ。それとも今回は違ェの?」
「ち、……がってて、ほしかったというか、でも実際ちょっと違うというか……」
またもやがっくりと肩を落とす柊木に、思わず、く、と喉の奥を鳴らす。案の定ぎろりとひとのひとりくらい殺しそうな目線が飛んできたが、今さらそれを気にするほど細い神経はしていない。
仕方がないので、なかなか口を開かない柊木にかわって事情を説明してやることにした。別に、面白いから教えてやるわけではない。あくまでも親切心だと念をおしておく。
「監察官の仕事の一環として、事故起こしたり道交法違反したやつら集めた安全運転講習ってのがあるんだが知ってっか?」
「ん? ああ、うん、聞いたことあるけど。何、旭ちゃんそれで失敗でもしたの?」
「俺は仕事で失敗なんてしない」
おーおー、落ち込んでてもプライドの高さは健在ときた。実際、講習だけならば柊木にとっては何の問題もなかっただろう。もともと法律の知識は豊富だし、大勢の前に立つことも、誰にとってもわかりやすい説明をすることも柊木にとっては得意分野だ。そう、だから油断していたのだろう。まさか、そんな落とし穴があるなんて。
「いつも通りの『控えめなにこにこ笑顔の監察官』で講習やったら最前列から順に女性陣で埋め尽くされたうえに、休憩時間になるたびに講習の対象じゃないやつまで紛れ込んでどんどん人数が増えてったんだと」
「しかも『今後の講習も是非柊木監察官に!』っていう陳情が監察官室には山のように届いてるって」
「くわえて講習を受けたいがためなのかはわかりませんが、女性警察官の交通違反が増えているそうです。本当に、警察官としていかがなものかと思いますが」
俺の言葉に神戸さんが続き、杉下さんがとどめをさした。ぶわっと涙腺が刺激されたらしい柊木は今にも涙が零れそうで、いやお前三十路にもなってその涙腺の弱さどうなんだとは思うが、いかんせん顔がいいために涙目さえも似合ってしまう。この顔を画像に残したら俺はひと財産稼げるだろう。殺されるだろうからやらねえけど。
事情を理解した萩原はあー……と頬杖をついて視線を迷わせる。
「いや、うん、でも旭ちゃんはちゃんと自分の仕事を果たしたんでしょ?」
「したはしたけど、俺の仕事は規律を破った警察官を反省させて同じ過ちを繰り返させないことだ。これじゃ意味がない」
「けどこればっかりは旭ちゃんのせいじゃないでしょ。そんなお馬鹿さんたちのために柊木が落ち込むことないよ。つーかそれ警察官としてあるまじきだし?」
「ええ、萩原刑事の仰る通りかと思いますよ。道路交通法違反もまた確かに犯罪です。それをあえて行う精神は、決して警察官に相応しいとは言えないでしょう」
ずび、と涙目の三十路は鼻をすすった。どう見てもガキにしか見えないその顔に、その辺にあったティッシュの箱を投げつける。こんなときまで可愛くないそいつは、軽々と顔の前でそれを受け止めた。
「三十路にもなって泣いてんじゃねえよ泣き虫」
「泣いてねえ」
「鼻すすっといて何言ってやがる。だいたいな、お前に失策があるとすればその『品行方正』保ったまま講習やったところだろ」
そう言ってやると、ぱちり、と柊木はひとつ瞬きをした。
そして無言のままティッシュをとり、ず、と景気よく鼻をかむ。丸めたティッシュをゴミ箱に放り入れたころには、柊木の目はすっかり据わっていた。
「講習会ってのはつまり悪いことやった奴らにその罪の重さを思い知らせてやる、一種の『査問会』だ。そうだろ?」
そう言ってにやりと笑ってやれば、調子を取り戻したらしい柊木は、それはそれは人形染みた美しい微笑みを浮かべた。
長い付き合いの俺たちは、知っている。柊木がこの顔をする意味を。その後に、何が起こるかということも。
「おっ調子戻ったね旭ちゃん!」
「しっかり絞めてこいよ、柊木監察官」
うん、と素直に頷いた柊木に、神戸さんは頭が痛そうに額をおさえ、杉下さんは微笑ましそうに大きく頷いていた。
*
余談だが、そのしばらく後に開かれたという安全運転講習では、阿鼻叫喚の悲鳴が響いたという。柊木旭がやり切った笑顔で監察官室に戻ってきたと、その上司が零していたとか何とか。
しかしその講習会で柊木が何をやったのか、詳しいことは誰も知らない。