六花、欠けることなく   作:ふみどり

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いつか、その隣に並ぶ日まで

 正直なところ、まさか俺がここに配属になるとは夢にも思っていなかった。

 多くの一般人が「警察といえば」と聞かれれば想像する部署であり、ドラマや小説にもよく出てくる定番中の定番、そして警察の花形、捜査一課。しかも警視庁の捜査一課とか、聞き違いかと思って聞きなおしすぎて怒られた。抜擢といえば聞こえはいいが、どっかで誰かの思惑が働いた結果なんだろうなと冷めた目で見ている。

 とはいえ、俺がやることに変わりはない。

 

「本日より配属になりました、相良幸人です。ご指導ご鞭撻のほど、よろしくお願いいたします!」

 

 指導係の先輩は、何か複雑そうな顔をしていた。

 

 

 *

 

 

 どこかで見たことのあるひとだと思っていたが、通りがかりついでに肩を叩いてくれた伊達さんを見て思い出した。そうだ、ひーらぎさんの家で見た写真。ということは、このひともひーらぎさんの。

 ちょっとついてこいと言われた先は、警視庁の各階にある休憩エリア。無造作に缶コーヒーを投げつけられて、慌てて受け取った。とりあえず座れ、と言われて、おとなしく缶を両手に持ってベンチに座る。安っぽいそれが、ぎしりと音を立てた。

 

「まず、最初に言っておくことがある」

「、はい!」

 

 壁に背を預けて立つ松田さんの顔は、ひどく苦い。メモのために手帳を取り出そうとしたが、それはいい、と止められた。

 

「仕事に関わる話じゃねえ。……相良お前、柊木旭、知ってるな?」

「……はい」

 

 その名前を出されて、おとなしく頷く。やっぱり、松田さんはあの写真のひとりだ。

 

「じゃあ、柊木の立場については?」

 

 言われて、はたと気付く。警察学校を卒業したら名刺をもらう約束だったが、ひーらぎさんも俺も忙しくて会う暇が作れず、連絡すら取る暇もなかなかなくて、結局もらえずじまいだった。それなりに偉いだろうことは察しているが、所属や階級については聞いたことがない。

 知らないです、と答えると、松田さんは深いため息をついた。

 

「……本当に説明してねえのかよあの野郎……」

「ま、松田さん?」

「あいつそういうところ抜けてるっつーか変に楽天的っつーか……どうせどっかで誰かが説明するからいいだろとか思って頭から抜けてんだろあいつ。腹立つわ」

 

 あ~と項垂れる松田さんに、どうしていいかわからない。思わず零れ落ちた謝罪の言葉に、いやお前は別に悪くねえだろ、とそっけない言葉が返ってきた。癖のある髪をぐしゃぐしゃと掻いて、めんどくさそうに松田さんは口を開く。

 

「警視庁警務部人事第一課監察官、階級は警視。順調に上役蹴落としながら出世街道三段跳びで駆け上ってる、そとづら完璧のキャリアのエリートだよ」

「え、……え? ……はああ監察官!?」

「声がでけえ!」

 

 反射的にすみません、と叫ぶが、……監察官? あのひとが? 多分偉いとか言うレベルじゃないし、松田さんの言葉にもいくつか突っ込みどころがあった。何から聞いていいかわからず口を開けては閉じていると、松田さんはまたも深い深いため息をつく。

 

「監察官の仕事くらい、説明しなくてもわかるよな」

「それは、はい」

 

 警察の警察とも言われる、身内の不正や怠慢を罰する部署。出世が約束されたひとが通る道だと聞いたことがある。何かやらかさない限り縁のない部署だと思っていたが、まさかあのひとがそこに。

 

「だから、言っておく。柊木と知り合いだってことは、誰にも言うな」

 

 力を込めるでもなく、抜くでもなく、平坦な声だった。俺は、ひとつ息をついて言葉を返す。

 

「……それは、ひーらぎさんのために、てことですか」

 

 松田さんは少し目線をあげ、考える様子を見せた。それから眉間に皺を寄せて、首をかしげる。そして改めて俺を見て、言った。

 

「……柊木は仕事中完全に猫かぶってるからな、人間関係は上手くやってるほうだと思うが、それでも敵は多い。ただでさえ嫌われ者の監察官って立場にくわえて、あいつ上層に喧嘩売りまくってるからな。柊木と知り合いだなんてばれてみろ、お前も目を付けられるぞ。それがひとつ」

 

 ぺーぺーの段階で上層に敵なんか作りたくねえだろ、と松田さんは言う。ちょっと待って喧嘩売りまくってるって何。怖くて聞けない。

 

「何でお前がうちに抜擢されたのかは知らねえけど、まあ異例は異例だ。それを柊木の口添えがあったなんてありえねえ噂を立てられたくねえだろ、お互い。これもひとつ」

 

 実際ひーらぎさんてそういうことできるくらい権力あるんですか、と余計な口を挟むと、ぎろりと怖い目で睨まれた。権力関係なく、やろうと思えばあいつは大概のことはできると返されたが、権力関係なくってのはどういう意味だろうか。

 

「それにあいつは、良くも悪くも目立つ。本庁でも多分知らねえ奴はほとんどいねえくらいの有名人だ。そんなやつの知り合いが捜査一課で新米やってるなんて知られたら、お前も相当の注目を集める」

 

 誰もが、お前を通して柊木を見、柊木を通してお前を見る。

 そう言う松田さんは、めんどくさそうな様子を見せながらも声は真摯だった。

 

「お前はお前としてこれから経験と実績を重ねていかなきゃならねえんだ、余計な先入観を周囲に与える必要はねえ。お前だって、柊木の知り合いなら優秀で当たり前とか言われたくねえだろ」

 

 それは正直きっつい。俺は自分が凡人なことも、むしろ要領がいい方ではないこともよくわかっている。あんたは本当に人間ですかレベルで有能なひーらぎさん並みの働きを求められたら潰れてしまう自信がある。

 確かに、と頷いて気付いた。ひーらぎさんとの繋がりを他言するな、というのは。

 

「ひーらぎさんとのことを誰にも言うなってのは、……俺のためですか?」

「正確には俺のためだな。お前が変に目立ったら俺まで目立つだろうが、めんどくせえ」

 

 ただでさえ柊木の同期ってバレたときはうるさかったのに、松田さんは本気で嫌そうな顔をしている。それが本音なのか建前なのかは俺にはわからなかったが、とりあえず自分に都合の良いほうで判断しておこう。思わず、頬が緩む。多分このひと、素直じゃないだけでいいひとだ。

 それを見咎めてか、松田さんはさらに嫌そうな顔になって続けた。

 

「あのな、本当にシャレにならねえんだぞ柊木と繋がりがあるのバレたら。上層のあーだこーだもそうだが何より女どもだな。群がられて今彼女いるかだの好きなタイプはどんなだの、延々柊木について質問攻めされんだぞ」

「……やっぱひーらぎさんてモテるんですね」

「モテるどころじゃねえよ。仕事にならねえからって毎年バレンタインに有給とるようなやつだからな」

 

 そういえば毎年二月ごろになると憂鬱そうな顔をしていたような。いやちょっと待って本当にどういうレベルでモテるんだあのひと。そりゃあの顔にあのスタイルにあの頭の良さにあの性格……って並べてみたら本当にモテる要素しかねえ。やっぱりあのひと人間じゃない。

 わかったか、と松田さんは心底嫌そうな顔で言う。

 

「俺や伊達、あと特殊犯にいる萩原ってやつは事情を知ってるからいいが、他で口を滑らせるなよ。あとどっかで柊木の猫かぶり見ても笑ったりすんな。どれだけ面白くてもだ」

「どれだけ……面白くても……?」

「お前、常に敬語でにこにこ笑顔の柊木想像できるか」

「無理です」

「そういうことだ」

 

 うわあ。声というより音が口から零れ出た。いやだってそれ……うわあ。

 気持ちはわかると言わんばかりに松田さんに肩を叩かれる。でもそれが本庁での柊木なんだと言われ、欠片も想像できないながらに頷いた。俺の知ってるひーらぎさんは、品行方正を千切りにしてお好み焼きに入れてこんがり焼くようなひとなんだけど。あのひとの作るお好み焼きはめっちゃ美味い。思い出したら腹減ってきた。閑話休題。

 

「…きっと偉いんだろうとは思ってましたけど、いろいろ想像以上で驚いてます」

 

 今までだってひーらぎさんのことをあまり大声で言うようなことはなかったし、これからもそのつもりはなかったけれど。やっぱりあのひとはすごいんだなぁと、そんなことをしみじみと思う。今まで身近な存在だったひとが、急に雲の上の存在になってしまったような。

 そんな俺を見て、初めて松田さんは少しだけ口元を緩めた。苦みの強い笑みだったが、笑うと少し幼い印象を受ける。

 

「ほかで話すなとは言ったが距離を取れとは言ってねえからな、その辺勘違いすんなよ」

「そう言われても…」

「拗ねた柊木はそれはそれで面倒だからな、適当に構ってやれ」

 

 あいつ寂しさで死ぬタイプだぞ、と面白そうに笑う松田さんに、俺もつられて笑った。

 わかっていたけど、このひと本当に柊木さんの友達なんだ、と強く実感する。それも、俺のように頼り切りの関係じゃなくて、きっともっと対等な。

 

「今の台詞ひーらぎさんに伝えていいですか?」

「やめろ馬鹿」

 

 わかったんなら戻るぞ、と俺に背を向けたその姿は、どこかひーらぎさんと似ているような気がした。

 

 

 *

 

 

『へー松田が教育係か。運が良いな、お前』

「そう思う?」

 

 その夜に、何となくひーらぎさんに電話を掛けた。すでに帰宅しているというひーらぎさんは特に気にした風もなく電話に出てくれ、今までと変わりない態度で接してくれる。

 松田さんのことを話しても、特に驚いた様子は見せなかった。

 

『松田は理屈でものを考えるやつだから。精神論振りかざすタイプとは違って、ああでこうでって順序だてて説明するだろ。本人はめんどくさそうにするだろうけど、指導には向いてるやつだと思うよ。少しばかり気は短いかもしれねえけど、筋は通すやつだし』

 

 それは確かに、と思わず頷く。ひーらぎさんのこと以外もいろいろと説明や指導を受けたが、理屈を通して話してくれるので理解がしやすかった。質問にもひとつひとつちゃんと説明をくわえて答えてくれたし、面倒見のいいひとなのだろうと思う。

 説明わかりやすかった、と言うと、そうだろ、と少し自慢げに返された。

 

「……それはそうとひーらぎさん」

『ん?』

「俺、今日初めてひーらぎさんの所属とか聞いたんだけど」

 

 柊木監察官、とあえてそう呼ぶと、電話口に沈黙が落ちた。これはどういう無言だ、と少し焦りつつ次の言葉を待つ。数秒後に返ってきたのは、あまりに呑気な声だった。

 

『……言ってなかったっけ?』

 

 ああそういや名刺渡しそびれてたか、と何でもないことのように。このひと本当にこういうとこ、と思わず大きなため息が出る。

 まあまあ、とあくまでも軽い声でひーらぎさんは続けた。

 

『公の場で会うことがあれば相応の態度で接してくれよ新米刑事。それ以外は別にいいけど』

「いいの?」

『本当はあんまりよくねえから他で言うなよ。俺は別にいい』

 

 いいのかよ、と続けそうになるのをぐっと堪えた。正直、今更ひーらぎさんに敬語なんてくすぐったくて仕方がないというのが本音だ。人前では弁えるにしても、それ以外でくらい今まで通りでいさせてほしい。

 それにしても、とひーらぎさんはしみじみと言う。

 

『そういうこと言われると、幸人もおとなになったんだって思うな』

「ねえ俺成人して随分経ったんだけど? ひーらぎさんより酒も強いんだけど?」

『酒の強さは関係ねえだろーが。……いや、まあ』

 

 そろそろ子ども扱いもやめてやらねえとな、と。

 そういうひーらぎさんの声は、温かくもあり、冷たくもあった。ひやりと、ほんの少しだけ背筋に冷たいものを感じた。しかし不思議と、それを嫌だとは思わない。

 

『おおかた松田に、俺との繋がりは公言すんなって釘刺されただろ』

「……うん」

『俺はどっちでもいいけど、お前の立場を考えたらそっちの方がいいかもな。その辺はお前の判断に任せる。とはいえ、せっかくある繋がりを使わないのも損だ』

 

 だから、と続けるひーらぎさんの声は、今まで聞いたことがないような雰囲気を纏っていた。

 

『どうしても助けが必要だと思ったら連絡してきてもいい。俺に出来る範囲でだが、手は貸してやる。……ただし、』

 

 その内容如何によっては、俺はお前を見限るからな。

 ぞわりと、背筋に悪寒が走る。ふと腕を見ると鳥肌が立っていた。ぞくぞくするその感覚は気持ち悪いのに、不思議と俺の口角は上がっていく。ようやく、と達成感に似たものすら覚える。

 そんな自分に笑えてきて、肩が震えだす。額に手を当てて、自室の天井を仰いだ。見慣れた天井の灯りに向けて、手を伸ばす。届くはずがない光なのに、何故か今なら届くような気がした。

 

「……ひーらぎさん」

『ん』

「俺、ようやく『おとな』になれた気がするよ」

 

 ひーらぎさんは、未成年ガキを見捨てるようなことは絶対にしない。子どもは大人が守るもんだって、そういう主義のひとだ。そうして今まで与えられてきた庇護はとても心地よいもので、俺たちにとっては救いでもあった。本当に、感謝は尽きない。けれど。

 いつまでも護られているわけにはいかないと思っていたのも、また、事実だ。

 

「……よっぽどのことがあったら頼らせてもらうけど、ちゃんと俺は俺でやってくから。松田さんや伊達さんもいるし、大丈夫」

 

 そう言うと、ひーらぎさんも少し笑った気配がした。そして、いつも通りの声に戻って、そうか、と小さな声が落とされる。その音の温度を察して、考えナシの俺と来たら思わず言ってしまった。

 

「あ、もしかしてひーらぎさん寂しい? そういや松田さんがひーらぎさんは寂しさで死ぬタイプだって、」

『へえ?』

 

 あっと口をおさえたがもう遅い。

 後で松田に連絡いれておくよ、と恐ろしいほどに穏やかな声が聞こえてくる。これ俺明日松田さんに殺されるんじゃないだろうか。ははは、と温度のない声で笑うひーらぎさんに、さっきとは全く違う悪寒が背筋を這う。

 

『口は禍の元だって、いい勉強になったな? 幸人』

 

 今後留意するように、と事務的な口調で電話は切られた。

 

 

 *

 

 

 この翌日、自分は何も怒ってないしパワハラだの何だのうるさい昨今にくそ長い説教や罰を与えるつもりは全くないと宣う松田さんに、書類の束を手渡された。それは過去にあった事件の捜査資料で、これはと尋ねると、松田さんは不気味なほどの笑顔を作る。

 

「今日使う資料だよ。これをもとに、供述調書を始めとする捜査資料全般の書き方と読み方を叩き込んでやる。ちなみに今日中に全部覚えてもらうから」

 

 その台詞はパワハラじゃないんですかなんてとても言えなかった俺は、引きつった笑顔でよろしくお願いしますと言うほかなく。遠い目をした視界の端で、伊達さんが苦笑しているのが見えた。あ、でも助けてはくれないのね、いやわかってたけどな!!

 その夜には知恵熱が出たし死ぬかと思ったけど、最後に「根性あるじゃねえか」と褒めてくれたあたり、松田さんもずるいひとだと思う。

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