六花、欠けることなく   作:ふみどり

87 / 95
柊木さんの寂しい高校時代のはなし。
モブ先輩目線です。


どうか、貴方に幸福を

 彼はよく図書室の中でも一番奥の、あまり日当たりのよくない席に座って本を開いていた。

 その精巧すぎる横顔を見たときは思わず三度見してしまったし、美を愛する芸術家の理想という理想を詰め込んだ人形が座っているようだと本当に思った。それはきらびやかで華美な美しさではなく、どちらかというと素数や数列のような均整の取れた美しさ。調和がとれているという言葉がこれほどまでにしっくりくるひとがいるなんて、と思わず感嘆してしまったほどだ。

 その胸元にあった名札を見るに、どうやら彼はひとつ下の後輩らしい。そういえば、とんでもなくかっこいい後輩が入ってきたと友人が騒いでいたような気がする。確か名前は、そう、柊木くん。柊木、旭くんだ。

 少し興味がわいて、情報通の友人に彼のことを尋ねてみる。アンタが興味を示すなんて珍しい、なんて言いながら、彼女は堰を切ったように話し始めた。見目麗しく、成績も優秀で運動神経もよく、それでいて常に孤独である彼のことを。

 

「別に愛想がないとかそういうわけじゃないんだよ、クラスの男子と話してるのも見たことあるし。でも女子には絶対近づこうとしないし、話しかけられたらとにかく逃げるんだよね。ま~あれだけモテてたら嫌になってもしょうがないんじゃない?」

 

 いつ見かけてもだいたい独りで、ぼうっと外を見つめているか、本を開いているのかなのだと彼女は教えてくれた。他とつるむのを好まない、ミステリアスな人間なのだと。

 そういうものなのだろうか、と内心で少し首を捻ったが、私とて彼のことを知っているわけではない。表向きは小さく頷いて、話を聞かせてくれてありがとう、と礼を言うと、別にいいよと言うように軽く手を振った彼女は、にんまりと笑った。

 

「本にしか興味がないアンタから見ても、柊木くんはかっこよかったんだ?」

 

 からかいを含んだ声に苦笑して、どうかな、とだけ返した。私は彼を見てかっこいいというより美しいと思ったわけなのだが、それをうまく説明できそうになかった。彼に抱いたこの感情は、どちらかというと小説に登場するキャラクターを知りたいという気持ちに近い。あるいは、美術館に飾られた絵画を見て、それを描いた画家の想いを知りたいと思うような。

 何となく、私は彼を目で追うようになった。放課後や昼休みには図書委員という体で図書室の受付を陣取り、彼が来るのを待つ。ストーカーをしたいわけではなかったので、なるべく彼を見ないようには気を配った。ひとの視線というものは案外当人に伝わってしまうものだ。私は彼の読書の邪魔をしたいわけではない。彼に関わりたいわけでも、なかった。

 彼が図書室に通い始めたのは、私が二年生の時の初夏。それから丸一年と、少し。受験勉強が本格化して私が図書委員をやめるまで、彼が図書室の片隅で本のページをめくるのを感じていた。彼は本を借りることはなかったので一度も言葉を交わすことはなかったし、目が合ったこともなかった。きっと彼は、いつも私が図書室のカウンターに座っていることも知らない。彼に恋情を抱いているつもりは全くないのに、まるで片思いでもしているかのような心地だった。

 受験を終えて卒業式を迎え、久しぶりに私は図書室を訪れた。別れと涙で騒がしい教室から少し離れたこの場所は、いつものように静かだ。卒業式にわざわざ図書室に訪れるもの好きなど私くらいで、誰もいない図書室を悠々と歩く。そしてふと、何となく気まぐれで、いつも彼が座っている一番奥の席に座ってみた。ぎぎ、とくたびれた椅子が鈍い音を立てる。

 教室のざわめきは遠く、目の前の窓から見えるポプラの木が風に揺られる微かな音のほうが大きく聴こえた。やはり日当たりはあまりよくないし、天井の蛍光灯もちょうど自分の体が影になって手元を照らしてはくれない。読書を楽しむにはどう考えても不向きな席だ。けれど、彼はずっとこの席で本を開いていた。ただひたすらに、ページをめくっていた。

 なぜ、と思った。彼はずっとこの席を選んで座っていた。ほかの席が空いていても、必ず。どうしてだろう、とぼんやりとポプラの葉が風に流されるのを見つめる。どうして彼はこんなにはしっこの、寂しい席に座っていたのだろう。

 話したこともない彼の気持ちなど私にはわからないが、何となく、この席で読書を楽しんでいたわけではないような気がした。

 

「……さみしい」

 

 やはり、寂しい席だ。孤独で、温かみのない場所だ。そういえば私は、彼が読書の合間に感情を見せたり、まして読書後の満足げな表情を見せたりすることもなかったような気がする。そういった感情を表に出すひとばかりではないけれど、その気配すらも感じたことがなかった。これまで彼は、相当な冊数をここで開いていたはずなのに。

 ふと、思った。ひょっとして彼は、読書が目的ではなかったのではないか、と。

 にわかに強い風がポプラを揺らした。ばさり、とその大きな枝がしなる。幾枚かの葉は枝を離れ、地面に打ち付けられた。私は、何となく葉が地面を這っていくのを目で追っていた。地面を離れまいとする葉を、強い風が容赦なく吹き飛ばしていく。

 

「……さみしかったんだね」

 

 特に何を思うでもなく、そんな言葉が口をついた。自分で自分の言葉に少し驚いて、思わず指先で口をおさえる。何となく決まりが悪くて、誰にも聞かれていないだろうかと周囲を見渡した。相変わらず、私以外の気配はない。それに安堵して、私は立ち上がる。

 彼は、寂しかったのかもしれない。寂しくて、寂しいからこそ此処に来た。独りがつらかったから、一人でいられる場所にあえて逃げてきたのだ。――なんて、すべて私の空想にすぎないけれど。

 小さく息をついて、その机をなぜる。冷たい木目を、指でなぞった。脳裏に、彼の調いすぎた横顔が浮かぶ。

 もしもまたどこかで会えるのなら、彼が幸福に包まれている姿を見てみたい。たとえば彼の寂しさなんてはねのけてくれる「誰か」と、笑って歩いていてほしい。人形のような静謐で調えられた様子は確かに美しかったけれど、日当たりの良い場所で心を許せる誰かと笑う彼の姿も、きっと人間的で美しいことだろう。

 いや、それを見たいなどと烏滸がましいことは言うまい。ただ、彼にそんな日々が訪れればいい。ただ、そう願っている。

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. よみあげ
  11. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。