六花、欠けることなく   作:ふみどり

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六花における、もうひとりの主人公のお話。


運命の王子様

 王子様を、夢見ていた。

 ごきげんようと微笑んで見せるだけの毎日から、私を連れ出してくれるような。

 

 エリート警察官僚の父、良家の母、家は裕福で、それなりに頭脳も外見も恵まれて生まれてきたと思う。他所から見ればどれだけ恵まれているのかと羨ましがられる生活なのだろう。実際、羨ましいと言われたことも、嫉妬を受けたことだって何度もある。そのたびに私は「良家のお嬢様」らしく、困ったように微笑んで見せるのだ。

 大学からの帰り道、夏の暑さが落ち着いてようやく半そででは辛くなってきた。うすいカーディガンに包まれた二の腕をきゅっと握る。この道を歩くのも、大学卒業までのあと一年と少し。

 卒業したら私は、父が決めた相手と結婚をする。私を外見通りの「オジョウサマ」だと信じて疑わない、父の部下である人と。

 

『初めまして』

 

 どんな人だったのか、正直あまり覚えていない。優しそうな人だったとは思う。顔はあまり見なかったけれど、その声は穏やかだった。

 父だってさすがに問題のある人に私を嫁がせるような真似はしないだろう。あの男は世間体をとても気にするから、問題のある人を義理の息子になんて迎えたくないはずだ。きっと、あの人は私のことを大切にしてくれる。愛や恋以前に、とりあえず「妻」として。

 それで、十分。今までだって、父や母の勧めを無下にしたことなんてなかったし、そうして上手く生きてきたのだから。

 秋めいた冷たい風が頬を撫でた。そろそろ本格的に秋物の服を出すよう言っておくべきかもしれない。陽が隠れて風が吹くと少し肌寒い。そう思ったとき、ふと近くの公園のベンチが目に入った。

 子供たちが楽しそうに遊ぶ公園の、少し外れたところにあるベンチ。雲の切れ間なのか、そこだけ優しい陽だまりが出来ている。引き寄せられるように足を進めた。普段は寄り道なんてしないけれど、今日だけ。少しだけだから、と自分に言い訳をしてベンチに腰掛ける。

 あたたかい。そのぬくもりに目を細める。

 寄り道をしたのが久しぶりなら、公園という場所に足を踏み入れたのも久しぶりだ。こういう場所で気軽に遊ぶことさえ、私には許されなかった。というより、その選択肢なんて始めから用意されていなかった。それがどれだけ息苦しい生活だったかなんて渦中にいる私には気づけない。気づいたのはいつだろう、ここ数年のうちのことだった。

 後悔しているわけでも、嘆いているわけでもない。不幸だとも思わない。だってそれが私の当たり前で、そのかわりに得たものがあることも理解している。対価のある不自由を嘆くほど、子どもではなかった。

 ただ、そう、――何というのだろう。夢を見てしまうことくらいは、あった。

 

『きっとお嬢様も、王子様と出逢えますよ』

 

 かつて私の面倒を見てくれていたばあやは、王子様が出てくる絵本に目を輝かせる私にそう言った。その眦は優しくて、声は温かくて、何度もせがんで絵本を読み聞かせてもらったのを覚えている。

 思いもよらないところで王子様と出逢い、新しい世界に連れ出され幸せになる、よくあるシンデレラ・ストーリー。現実に有り得ないのはわかっていても、それへの憧れはいまだにこの胸に燻っている。

 自嘲せずにはいられない。そんな夢を見たところでむなしいだけ。私に許されるのは、せめて父が連れてきた未来の夫が本当に「まとも」な人であることを祈ることくらいだ。

 ふと足元にボールが転がってきた。続いてごめんなさーい、とボーイソプラノが響く。何気なくボールを手に取った。走ってくる子どもの足音に、返してあげようと顔を上げる。

 

 ――呼吸の仕方を、忘れた。

 

 五歳くらいだろうか、さらりとした黒髪に、子供らしい愛くるしい色の頬。きらきらと輝く瞳を嬉しそうに細めていた。

 

「ボール、ぼくの、です」

 

 えへへっと上機嫌で笑う彼。

 自分でも訳がわからない感情が膨らんでいく。

 同時に頭の中で警鐘が鳴る。声が響く。

 生まれたときからずっと、私を「私」にするために律してきた理性の声。

 

『だめ』

『わかるでしょう?』

『気づいてはだめ』

 

 そう、気づいてはいけない。

 あまりに可愛い男の子、だから少し驚いてしまっただけ。

 震える手でボールを差し出すと、ありがとう、ございます、と少し言いにくそうに彼は言った。敬語、頑張って使っているのかしら。そのいじらしさに少しだけ安堵する。そう、微笑ましいと思うのが「正しい」。

 ボールを受け取った彼は、何かに気づいたように瞬きをする。少しだけ首をひねって私の顔を覗き込んだ。

 

「おねえちゃん、いたい?」

「え……?」

 

 その感情から目をそらす私の必死の努力を嘲笑うように、彼は言った。

 

「ないちゃいそうなお顔してる」

 

 どうして貴方は、そんな顔で、そんな言葉を口にするの。

 どうして気づいてしまうの。

 そう零れ落ちそうになる言葉を、残った理性をかき集めて押し込める。

 

「……なんでもないの」

 

 ほら、戻らないと、お父さんが待っているわよ。

 視界の端で少し心配そうにこちらを見ている影が見えた。遠目だけれどよく似ている。きっと彼のお父さんだろう。

 彼は少し困ったようにお父さんと私を見比べる。本当に大丈夫よ、と念を置くと、こくりを頷いてお父さんのもとへ走っていった。

 その背中を見送り、彼のお父さんもこちらに向かって軽く頭を下げる。私もひとつ会釈を返して立ち上がった。

 そのまま彼らの姿を振り返ることなく、いつものようにゆったりと歩を進め、公園を後にした。歩き方ひとつとっても品位が表れる。そう躾けられて、ゆっくりと品良く歩くよう癖づいていた。なのに今は公園から離れるにつれ、だんだんと歩みが早くなるのを止められない。

 頬をつたう雫になんて、気づきたくなかった。気づかざるを得なかった。どうして、どうして、とただただ内心叫びながら風を切る。とうとう小走りから全力疾走になって、家の門を勢いよく開けた。家政婦の声になんて気づかないふりをして、自分の部屋に飛び込んで鍵をかける。

 ああ、これは。

 これは、――恋だ。

 私の心は、奪われてしまった。十五は年下だろう、幼い彼に。

 何て愚かな。何て馬鹿な。自嘲する余裕さえない。私の心を奪ってくれる、夢にまで見た王子様。そのベールをはがしてみれば、まさか。――まさか。

 その運命の残酷さに、私はただ嗚咽をあげることしか出来なかった。

 

 どうして私の王子様は、幼い彼だったのだろう。

 どうして私の王子様は、愛の意味さえ知らないような、彼だったのだろう。

 どうして私の王子様は、応えてもくれないのに私の心を返してくれないのだろう。

 

 わかっているの。

 苦しくてもこの初めての恋にしがみついているのは、私の方だってこと。

 わかっているの。

 王子様にとって、私はお姫様でも何でもないってこと。

 

 だって勇気を振り絞ってもう一度彼に声をかけたとき、――彼は私のことを覚えてすらいなかったのだから。




それは確かに、双方にとって「愛」という名の「呪い」でした。
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