六花、欠けることなく   作:ふみどり

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最強の後ろ盾

 まるで悪魔とでも取引をするような気分だ。

 一服してくる、と先輩である松田さんがむしゃくしゃした様子で席を外した隙に、そっと廊下の物陰に身を隠す。誰も近くにいないことを確認してスマホを取り出した。最近は滅多に連絡することもなくなってしまった、けれど見慣れた名前をタップする。

 あのひとも仕事中だろうに、ものの数コールのうちに通話は繋がった。

 

『はい、柊木』

 

 どうした、と声を掛けられるより先に切り込んだ。

 

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 ん、とひーらぎさんが少し驚いたのが電話口でもわかる。何だよ俺がまともに敬語使うのがそんなに珍しいか。珍しいよねひーらぎさんにこんな風に話すの初めてだからね。

 だけど今は真面目な話、仕事の話。柊木監察官の後ろ盾が欲しいのだから、俺だって弁えくらいはある。

 俺が捜査一課に配属されたばかりのころ、ひーらぎさんは俺に言った。どうしても助けが必要だと思ったら連絡してきていい、出来る範囲で手は貸してやる、――ただし、その内容如何によっては俺を見限る、と。

 俺が今から口にしようとしているこれがこのひとのお眼鏡に適うものなのか、正直なところまったくわからない。手の震えを押さえ込むように耳にあてたスマホを握りしめる。手汗が気持ち悪くてつい反対の手は安スーツの薄い生地でぬぐった。

 少しの沈黙の後、スマホの向こうで落とされたのは、ひどく面白そうな様子の「へえ、」という声とも息ともとれる音。ぞっと背筋に悪寒がはしる。

 

()()()()()()()()()()()()

 

 返ってきたのは、丁寧なはずなのにあまりに冷え冷えとした声。

 俺の知る「ひーらぎさん」の声と同じはずなのにあまりに違っていて、そのちぐはぐさにはもはや恐怖しかない。ああああくっそ怖え、と思いながらももう退く気はなかった。

 このクソほど頭のいいひとが俺の話を聞いて何を思うかなんて、そんなもん考えるだけ無駄だ。俺は、俺がすべきことを迷いなく遂行するために、必要なことは全部するしかない。

 

「いま都内を騒がせている連続通り魔事件をご存知でしょうか」

 

 わざわざ暗号じみた犯行予告を出し、それが本気なのか悪戯なのかを警察がはかりかねていたうちに被害を出してしまった事件。この手の犯行予告が死ぬほど嫌いらしい松田さんは最初の犯行予告の時点で動くべきだと強く主張したが聞き入れられず、結局後手にまわってしまった。

 いまは捜査本部もたち、かなりの人数が捜査に投入されている。が、正直を言えばとても捜査がやりづらい状況にある。

 その原因は、たまたま犯行現場のひとつに居合わせてしまった()高校生探偵である工藤新一と服部平次――いや違う、すでに大学生になった彼らはかなり遠慮してくれている。以前は堂々と捜査に関わることもあったというが、いまはこっそり意見を言うことはあっても警察の捜査に首を突っ込みすぎないように気を使っているのが見て取れた。

 悪いのは彼らじゃない。彼らに――特に「大阪府警本部長の息子」にビビっていらぬ気を使っているやつらのほうだ。

 

「重ねて申し上げますが、工藤くんや服部くんは悪くありません。ただ……」

『変にどこぞに告げ口されても困るから、きっと本当は捜査をしたいだろうふたりに気を利かせ、積極的に捜査に巻き込もうとする動きがある、と』

「……仰るとおりです」

 

 現場に招き入れようとするわ公開していない捜査機密を話そうとするわ、かろうじて良識ある人々の手によってさりげなく阻まれているが、いつ本当に馬鹿をやるかと気が気じゃなかった。ただでさえこれ以上被害を出すまいと気を張っているのに、余計な心労を増やさないで欲しい。

 いや、そのせいで捜査が進まないんだとか言い訳をするつもりはない。それでも俺たちは犯人を捕まえるのが俺たちの仕事だ。

 だだ、これ以上面倒な事態に発展することだけは避けたかった。本当に捜査に支障が出る前に、話だけは通しておかなければならない。

 俺が、正しいと思えることをするために。

 

「現状として何かしてほしいわけではありません。彼らに働きかけているのは一部の捜査員のみであり、こちらで阻止ができているからです。ですが、()()()()()()()()()()()()()()()()、こちらも従うしかありません」

 

 一部の捜査員だけでなく、それよりもう少し上の人間までこの忖度を是としてしまったら。

 警察は完全な縦社会だ。たとえ間違っているとわかっていても、これを打ち破るのはかなり難しい。後々へ続く自身の立場への影響を考え、流れに身を任せてしまうひともきっと多いだろう。昔の俺ならそれを否定して我を通していたかもしれない。けど、それではただの自己満足にしかならないのだと今ならわかる。

 現実を否定するだけでは意味がない。現実を直視した上で、我を通せるように手を回すことが重要なのだ。

 緊張で呼吸が浅くなっている。それを悟られまいと、大きく息を吸って続けた。

 

「もし彼らへの忖度が捜査方針に影響を及ぼすようなことが起きた場合、手をお借りしたい。その確約を頂きたいんです」

 

 ひーらぎさんがここでどんな風に評価されているのかは知っている。「相手が誰だろうと道を違えた人間は容赦なく蹴落とす怖いもの知らず」「自身を鎖で繋ごうとした人間を笑顔で踏み潰す問題児」――あまりにもとんでもない。

 だから、そんなひとが味方についてくれるというだけで俺たちのような下っ端でも正しいと思うことが出来る。命令に流されそうになるひとたちを堰き止めることが出来る。

 いざというときに流れを変えられる切り札をもっておくのが、きっと、ひーらぎさんたちみたいな「大人」のやり方なのだと思う。

 耳元でふ、と少し柔らかく笑う音がしたような気がした。

 

『……ああ、』

 

 柔らかいのに、力強い声。

 すっと肩の力が抜けたのを感じた。

 

()()()

 

 たった四文字、その安心感ときたら。

 つい、はあっと大きく息を吐く。ひーらぎさんが笑いを堪えているのがわかる。うるせえこっちは必死なんだぞ、口に出しては言わないけどさ。

 膝の力が抜けそうになるのをかろうじて堪える。とりあえず、と改めて余所行きの声になったひーらぎさんは軽い口調で言った。

 

『私が本格的に動く事態になる前に何本か釘だけ刺しておきます。明日になっても状況が変わらないようでしたら告発状の提出を。フォーマットは君の教育係に送っておきますが、書き方がわからなければまた連絡してください』

「……え、」

『捜査に集中できない状況だというのがまず問題です。()()()()はこちらに任せ、君は犯人逮捕に尽力してください』

 

 一刻も早い朗報をお待ちしていますね、と言うだけ言って電話は切られた。ツー、ツー、と無慈悲な無機質な音が耳元で響く。

 そこでぷつりと緊張の糸が切れ、俺がすとんと廊下に座り込んだ。硬い床にぶつかった尻が痛い。

 何だろうこの感じ。壁に貼りつくように背中を預ける。

 

「……何か、めちゃくちゃ機嫌よかった……?」

 

 すっかり気が抜けてしまった俺は、ヤニ帰りの松田さんが俺を探しに来るまでその場でぼんやりと座り込んでいたのだった。

 

 

『幸人から聞いた。そういうのはさっさと俺に報告あげろよな』

「うっせー、それどころじゃなかったんだよ」

『ああ、お前が止め続けてたから致命的な状況にならずに済んでたんだろうけどさ。……なあ松田』

「んだよ」

『マジで見所あるな、幸人』

「親馬鹿かよ。……俺が指導してんだぞ、たりまえだろ」

 




「最強の後ろ盾」と書いて「諸刃の剣」と読みます。

ワードパレットでリクエストを頂いて書きましたが指定語句を一個入れ忘れるという馬鹿をやりました。これだから私は。
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