蹄物語   作:棚かぼちゃ

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マンハッタンカフェの育成を終えて、衝動的に書きたくなりました。



序章
プロローグ


 

シラオキ様

 

僕がその名前を耳にしたのは、高校生活最後の夏休みも終盤に差し掛かろうとしていた8月のことだった。

 

「あ、(こよみ)お兄ちゃん。お邪魔してます…」

 

消え入りそうな、控えめな声で話す女の子。僕の小さい方の妹、月火ちゃんの友達で僕が6月に相談にのってあげた中学生。

 

千石撫子(せんごくなでこ)が、僕の家に遊びに来た時だった。

 

「シラオキ様?」

「うん…最近、撫子の学校で流行ってるお(まじな)いみたいなものなんだけど……」

「おいおい千石、お前そういうので大変な目に遭ったところだろうが…まさか、何かあったのか?」

「ううん!違うよ!撫子はなんともない…ごめんね心配かけて」

 

 

彼女は以前、学校で流行っていたというお呪いによって、命に関わるような危険な状況に陥った。僕はそれを何とかしようと、後輩の女の子まで巻き込んで大騒ぎしたにも関わらず何も出来なかったのだけれど、非常に後味が悪いものの、事態は一応の決着を見せたところだった。

 

「いや、それならいいんだけど。そういうのは自分から首をつっこまないようにしろよ」

「うん。ありがとう、暦おにいちゃん」

 

なにしろ、噂をすれば影が立つ

 

誰かがそこに在ると信じれば、なにもないところから火が出て煙が立つのが怪異というものだ。

怪しくて、異なる。

 

卵が先か鶏が先かではないけれど、煙が立ってから火が出る。

そういうものなのだから。

 

 

 

とにかく、お呪いとかそういうものは、出来るなら知ることさえ無いほうが良いし、知ってしまっても安易に近づくべきではないのだ。

 

「ところで千石、そのシラタキ様っていうのはどういうもんなんだ?」

「夏には鶏胸肉と一緒にごま油とおしょう油で炒めて唐辛子でピリ辛にするの、撫子は好きだよ?」

「普通に美味そうだな、それ…」

中学生女子とは思えないなかなか渋いチョイスだった。

 

「シラオキ様っていうのはね、お馬さんの神様なんだって。幸運を連れてきてくれるんだって皆が言ってた」

 

「馬の神様…ね」

 

 

哺乳綱奇蹄目ウマ科ウマ属

農耕・軍事・運搬・畜産など、少なくともクリスマスの主役のあの人が、おぎゃあと生まれる3500年前にはヒトと寄り添ってきた動物だ。日本でだって、たった数十年前までは普通に荷物の運搬手段などのインフラとして、人々の生活を支えていたのだ。

 

だけど、たいていの現代日本人が馬と聞いて思い浮かべるのは乗馬クラブでとことこと歩いている姿や、おじさんたちが馬たちのレースの着順を予想して悲喜こもごもしている姿であろう。

 

「確かに、馬の蹄鉄がラッキーアイテムっていうのは、僕でも聞いたことがあるな」

ヨーロッパでは魔除けとして玄関に蹄鉄を飾ったりもすると、以前聞いたことがあった。

「あ、撫子もそれは知ってる」

 

まあ、有名な話だしたまに驚くほどマニアックな知識を披露してくることもある千石なので、案外こいつは読書家なのかもしれないな。

 

なんでもインターネットで調べれば良いという声が大きくなっている昨今だが、調べようとしたこと以外も体系的に読むことの出来る本が、やはり僕は好きだ。

 

「銀の匙で読んだ」

 

漫画の知識だった

 

まあ…面白いよな。銀の匙。

荒川弘先生の実体験からくる物語の説得力は迫真だ。

 

「でも、それだけじゃなくて…」

「うん? 他にもなにかご利益があるのか?」

「恋愛関係でも…良いんだって」

彼女はいつも以上にもじもじと、何故か僕を顔を赤らめながら上目遣いで見てくる。

 

「ふーん…」

 

なんで?

僕はすぐには馬と色恋が結びつかず、わかったような気のない返事をした時だった。

 

ピロリンッと、僕のスマホが着信音を響かせた。

 

うん? なんでスマホを持ってるかって?

常識的に考えて、今時スマホくらいみな持っているのだ。2000年初頭でもあるまいに。

 

ショートメッセージが届いたことを、ホーム画面が通知する。

 

「…!ッ」

 

そこに表示された名前を見て僕はすぐにパスワードを入力してロックを解除した。

 

「悪いな千石、話してる時に」

「ううんっ…撫子は石ころ帽子みたいなものだから」

 

気にしないでと言いたいのだろうと思いつつ、スマホの画面に僕は目を落とした。

 

 

「こよこよへ★今度二人でお勉強しようね♪同じ大学に入れるように暦の頭を鍛えてあげちゃうから気合入れてといてよね! でないと殺します」

 

「……」

 

こええよ。

温度差で風邪をひきそうだよ。

あの女、どんどんキャラが崩壊してるのに急に思い出したみたいに初期のツンドラキャラを覗かせるんだよなぁ…最近は学校の昼休みに中庭のベンチで僕にお弁当を「あ~ん」付きで食べさせてくれたり、人目がないところではかなりふにゃふにゃの笑顔を見せてくるくせにクラスメイトがいるとスイッチが入ったみたいにクールキャラの猫をかぶるのだ。

蟹だけど、猫を被る

 

本当に、僕の彼女は最高だ。

 

 

 

 

 

――――――――――――――――――――――――

 

 

 

 

 

 

高校3年の夏、僕は今までの不真面目が祟って卒業さえ危ぶまれていた所をなんとか挽回し、目標を留年回避から大学進学へと変えていた。

 

夢のハードルを1段階ぶち上げた身としては、1分1秒でも長く机に齧りついていなければならないのは百も承知ではあるのだが、残念ながら僕の脳みそは未来から来たネコ型ロボットのポケットみたいにノンストップで知識を吸収してはくれなかった。

 

というかそんな人類はいない。いないと思う。

 

いや…かの委員長の中の委員長、世紀のおしゃれ眼鏡委員長こと羽川翼(はねかわつばさ)であれば、難なくやってのけてしまうかもしれないが、僕の如きちょっと死ににくいだけの凡人と、医大でも片手間に合格できるような偉大な彼女を比べることが土台間違っているのであった。

 

茹で上がった頭をリフレッシュするため、近くのコンビニエンスストアまで散歩に僕は出かけた。

 

家から一歩出た瞬間、僕は自分の軽率な行動を呪った。燃えるように暑い。

 

今にも発火してしまいそうな暴力的な太陽光を避けるように、日陰をこそこそと移動しながら、僕は逃げ込むようにコンビニに辿り着いた。

 

ガンガンに効いた空調が、僕の全身を瞬時に冷却する。急激な温度差は身体に良くないのは理解しているけれど、僕はこの心地よさを味わうためにここまでの灼熱地獄を耐えてきたのである。電気代を気にせず当たるクーラーはまた別格で、僕は存分に冷気を堪能しながら買い物を済ませた。

 

 

その帰りのことだった。

 

 

 

「あれ、八九寺じゃん」

 

一休みしたつもりが、往路の時よりも更に激しさを増したように感じるアスファルトからの輻射熱で、あと少しで茹で吸血鬼もどきが出来上がろうとしていた折、霊によって霊のごとく、いや、例によって例のごとく

 

僕は八九寺真宵(はちくじまよい)を発見した。

 

暑さに耐えかねて、コンビニで買ったソーダ味のアイスを齧りながら幽鬼のような足取りでとぼとぼと歩いていたところ、目線をふとを上げた先に、近所でお嫁さんにしたい女の子No.1と僕に評判の小学生は、アスファルトから立ちのぼる陽炎の中に立っていた。

 

何かを探すようにきょろきょろと周囲を見回し、そのたびに長いツインテールがゆらゆら揺れる。

 

あっちにゆらゆら、こっちにゆらゆら

 

その立ち姿さえ陽炎の中で歪みに歪んで、足すら無いように見える。

 

まるで幽霊みたいだなと詩的なことを考えたところで、そういえば幽霊だったと思い出し、いよいよ僕の頭も火がいい具合に通ってきたことを自覚してしまった。

 

「ふむ…」

 

僕は照り付ける太陽が奪っていた思考力を、非常な努力を以ってかき集め、はなはだ心底不本意ではあるのだが、あの小学生に意識を向けて思案する。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

いい加減このような前振りに、読者の皆様も飽きてきた頃合いだろう。

 

 

どうせ、僕が長い言い訳をのたまった挙句にあの貧乳女子小学生をもみくちゃにすると思っているんだろう?

 

甘い、甘過ぎると言わざるを得ない。

 

確かにね? 確かにそういう時期もありました。はいはい認めます。

 

しかし、だがしかしである

 

僕はもうそういう過剰なスキンシップをもってして、照れ隠しをする男子小学生みたいな時期は過ぎたのだ。

 

あんな僕の名前を噛むことしか芸のない子供に付き合って、まるで変質者のような真似をしてあげる義務はもう無いのである。

 

今の僕はクールなのだ。

 

なんなら、僕が今手に提げているエコバッグに入っているアイスを挨拶代わりに施してやってもいい。

 

まあ、それをすると「兄ちゃん外出るならついでにアイス買ってきて。ダッツでいいよ」などと宣った大きいほうの妹にボコボコにされかねないのだが、熱波の中を彷徨っていた迷子にアイスを下賜したと聞けば、さすがのファイヤーシスターズの怒りの炎も感涙の滝によってたちまち鎮火するだろう。

 

ならば、急いでもいないけれど、善は急げというものだ。

 

 

 

「そんな訳で、僕は八九寺からアイスの見返りに涙と共に献上された脱ぎたてのクマさん女児パンツをエコバッグにしまったのであった」

 

 

「ぎゃーーーーーー!!」

 

 

 

蹴られた。

 

両手を地面につけ、両足での後ろ蹴りである。

 

馬みたいなやつだ。

 

八九寺は僕の顔を狙ったつもりなのであろうが、小学5年生のちんちくりんサイズでは高校生の僕の身長に対して小さすぎるため、その蹴りは僕の腹部に突き刺さった。

 

「痛ってえ! なにすんだこいつ!」

 

小学5年生の女の子に背後から近づき、無言でショーツを脱がせてバッグに入れたあげく、反撃されてキレ散らかしている男子高校生の姿が、そこにはあった。

 

痛いのもなにすんだこいつも、僕だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

「なんだ、変質者かと思ったらよく見たらアオラ木さんじゃないですか」

 

「八九寺、僕の名前を、最近デビューしたゴールドシップ産駒の白毛馬みたいに言い間違えるな。僕の名前は阿良々木だ」

 

「失礼。噛みました」

 

「違う、わざとだ…」

 

「噛みまみた」

 

「わざとじゃないっ!?」

 

「神はいた」

 

「いや、お前神様じゃん」

 

「いえいえ阿良々木さん、それはもうちょっと先の時間軸です」

 

「あれ? そうだっけ?」

 

夏の日差しに()てられて、なんだか記憶が曖昧だ。

 

「というかボケが分かりづらいよ! これリアルタイムの競馬知らない人にはなんにも伝わらねえよ!」

 

というかお前、競走馬とか知ってるんだ。小学生なのに。

 

かく言う僕も、全然詳しくない。かの白馬もこの前たまたまテレビのチャンネルを回していたら真っ白な馬が走っていて、つい目を惹かれて見たというだけで、僕が知っている競走馬はハルウララくらいのものだった。

そのハルウララでさえ、僕がまだ純真な小学生だった頃に「一度も勝ったことが無い」ということをニュースでちらりと聞いたことがあるといった程度のもので、レースを見たことは1度もないのだけれど。

 

「私だって健全な浮遊霊なのですから、競馬のひとつやふたつ嗜みますよ? 阿良々木さん」

 

「いや、僕としてはどうやって馬券を買ってるんのだとか疑問は尽きないけれど、お前がギャンブルに手を出してるっていう事実がショックだよ…」

 

僕はそばをてこてこと歩く八九寺が、赤鉛筆を耳にはさんで馬券を握りしめている姿を想像してしまった。

妙に似合う。

 

「阿良々木さん、なにも競馬はお金を賭けて儲けることだけがすべてではありませんよ?」

 

「ん? まあ…そうだよな。見どころとかなにも知らずにちらっと見ただけの僕でも、あのサイズの生き物が走ってるの眺めるだけでなんか楽しかったもんな」

 

きっとあの数分のレースの中でも様々な駆け引きがあって、知っていれば多くの楽しみ方があるであろうことは想像に難くない。どうも競馬という言葉からは博打のイメージが強いけれど、きっとただ見て楽しんでいる人もたくさん居るのだろう。

 

それを競馬が好きというだけで、博打狂いみたい見るのはとても失礼であった。

 

やれやれ八九寺、僕はお前から人生の教訓を得られたよ。これからは敬意をこめてツインテール師匠と呼ばなければならないらしい。

 

「そうですよ。見て楽しみ多くを学び、いつか負けをドンと取り返せばいいんです」

 

「…ダメな思考パターンだろ。それ」

 

「次のGⅠで5番人気以下の3連単一点買いに全財産をつぎ込む予定です。今までの負け分を、全て取り返して見せますよ」

 

勝負師の目をしていた。

 

どうやら、教えを乞うのは止めた方が良さそうな方の師匠だったようだ。

 

言ってる意味は分からないけれど、かなりやばい方向に覚悟が決まっている感じがする。目がグルグルしている。

 

カタツムリみたいに。

 

「やめろ八九寺、僕はお前が呆然とした顔を世間様に晒しながら、府中からここまで歩いて帰って来るはめになるのを見たくない」

 

「なんですか阿良々木さん? まるで私が負けるとでも言いたそうな口ぶりですね? 心外です」

 

「負ける前振りにしか聞こえないよ…」

 

八九寺は博打をしてはいけないタイプの小学生であった。

 

まあ、そもそもするなという話である。

 

「なら、私に妙案があります。今まで誰も思いつかなったアンタッチャブルな必殺技です」

 

「…どんな?」

 

「阿良々木さんが馬の格好をして、吸血鬼パワーでぶっちぎるんです! そして私は阿良々木さんの単勝に全てを賭け大勝ちするんです。こう、尻尾と馬の耳を着けてしれっとターフに入れば大丈夫ですよ」

 

「バレるよ、そりゃ」

 

というか、普通に逮捕される。

 

なんで僕がお前のために、そんな危険を冒さなければならないのだ。

 

「直江津の種馬と呼ばれた阿良々木さんならきっと勝てます! 私が保証します」

 

「待て八九寺、僕はそんな不名誉な異名で呼ばれてる覚えはないんだが?」

 

「あれ? 知らないんですか阿良々木さん。なんなら阿良々木さんが通っている直江津高校以外でも名は轟いていますよ?」

 

嘘だろ

 

というか、本当に不名誉過ぎる。

 

種馬って…新宿のシティーハンターじゃないぞ僕は。

 

確かに種馬になれるようなお馬さんは、かなり優秀な雄であるが、僕は人間にその言葉を肯定的な意味で使われた場面を見たことが無い。

 

「仕方ないですよ。阿良々木さん、この数ヶ月で色んな女の子を年齢関係なくスケコマシまくってたんですから」

「スケコマすって…僕は本当になにもしてないぞ?」

 

「阿良々木さん、その見た目に反して男性的なしなやかな筋肉で覆われている胸に手を当てて、ご自分を顧みてください。阿良々木さんが最近関わった人のことを」

 

そんなことを言われても、自分で言うのも悲しいが、僕の極めて少ない交友関係において関わる人間は限られている。

 

神に愛された委員長、羽川翼

 

直江津の深窓の令嬢で僕の彼女、戦場ヶ原ひたぎ

 

弱小だったわが校のバスケ部を全国レベルへ引き上げたスターバスケット選手、神原駿河

 

妹の友達で、控えめだけどなんだかんだモテる千石撫子

 

そして、八九寺

 

確かに、見事に女の子しかいないが、本当に僕はなにもしていないのだ。

 

世間様になにか言われるようないかがわしいことは、一切身に覚えがないのである。

 

戦場ヶ原とはプラトニックなお付き合いをしているし、羽川とは放課後に副委員長として打ち合わせとしてお喋りをしたりするくらいだ。神原はたまにあいつの立派な屋敷をゴミ屋敷にしないため、掃除をしに行ってやっているくらいだし、千石に至ってはたまに道端で会った時に古い漫画の話題を話すくらいだ。

 

「いや、本当に思い当たる節がない」

 

「はぁ…」

 

溜息をつかれた。

 

小学生に。

 

 

「まあ、確かに失礼な話ではありますよね。確かに阿良々木さんは女性を囲っていますが、もっと格好いい呼び名を付けるべきでしょう。馬ならそれこそ、赤兎馬みたいな」

 

「八九寺、僕のために怒ってくれるのは嬉しいけれど、まるで僕がハーレムを作ってるみたいに言わないで欲しい」

 

僕にそんな度胸はない。

 

ハーレムなんか作ったら間違いなく、僕は戦場ヶ原に殺される。

全身から血のような汗ではなく、本当に血を噴出することになってしまう…。

 

それにしても、赤兎馬か。

 

千里を駆けると言われる、三国志で誰もが知っている呂布の愛馬。

 

思えば昔から『なんか凄い』というニュアンスで『千』という文字が使われるよな。

 

 

海千山千。悪事千里を駆ける。千里の道も一歩から。

 

一日千秋。千と千尋の神隠し。

 

 

「あ、思い付きましたよ。牡馬々木さん。男らしいあなたにぴったりの、赤兎馬も恥じ入って顔を赤らめながら裸足で逃げ出すような渾名です」

 

「ほう、僕にどんなかっちょいい名前をくれるんだ? ゴッドファーザー八九寺」

 

もはや、僕もこの小学生が一体どんな名前を考えてくれたのか楽しみになっていた。

 

僕はいくつかの予想をしていた。

 

こいつのことだから、平安時代、坂上田村麻呂が愛した阿久利黒(あくりぐろ)とかを持ってくるかもしれないな。

なんせ同じ「阿」を名に冠する馬だ。

 

さあ来い八九寺、僕はお前がくれる名前ならどんなものでも受け入れよう。

 

「ふふふっ」

 

八九寺はニヤリと笑うと、叫んだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「直江津のセン馬!! 暦!!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

去勢されちゃった…

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

僕たちがそんな他愛の無いおしゃべりに興じていた時だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『それ』は、いつの間にか僕たちの前に立っていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「阿良々木さん」

 

「…」

 

「この辺に競馬場ってありましたっけ?」

 

「いや、寡聞にしてそんなものが出来たとは聞いていないけれど…」

 

 

 

 

馬が、いた

 

 

 

明るい茶色 ―栗毛というのだろうか。きれいな体毛をした馬が忽然と、まるで今までずっとそこに居たように存在していた。

 

どこか神々しさを感じるような、優しげな目をした顔をしているけれど、それがただの馬ではないことはすぐに分かった。

 

なにしろ、影がない。

この強い日差しの中にあって、足元にも、そのたくましい馬体に本来出来るはずの影が、どこにもなかった。

 

噂をしても、影がない。

 

 

「シラオキ様…」

 

千石から聞いた噂話。

 

幸運を連れてくる、恋愛相談にものってくれる神様。

 

僕が遭遇する怪異としては珍しいことに、今のところ、こちらに危害を加えようというような剣呑な空気は感じない。なるほど、確かに悪いモノではないように思えた。

 

「阿良々木さん…」

 

「動くなよ八九寺、変に刺激しない方が良い」

 

触らぬ神に祟りなし

 

もし本当に良い神様だとしても、いったい何が機嫌を損ねるかは分からないのだ。

 

「…」

 

しかし、ひとしきりこちらを見つめていたシラオキ様は、ふいと僕たちに興味を無くしたように視線をそらした。

 

立ち去ったと、そう僕たちが認識したその瞬間には現れた時と同じように、初めからそこに居なかったように、立ち消えた。

 

「…何だったんでしょう? あれ」

 

すぐ逃げられるように身構えていた僕たちは、ほっと胸を撫で下ろした。

 

 

 

 

 

その時だった

 

 

 

 

 

 

「阿良々木さん!!」

 

「ッ!」

 

 

 

 

 

僕の背後に、真っ黒な『影』が居た。

 

 

 

 

 

目がどこにあるのかすら分からない程に黒い、馬の形をしたクラヤミのような『それ』

 

今しがた立ち去ったシラオキ様とは似ても似つかない、ドロドロとした禍々しさを放つそれは

 

 

 

 

 

 

「なんで戦場ヶ原先輩が、あの不動の寡黙と」

 

 

 

 

 

 

「…はっ?」

 

 

人間の言葉を発した。

 

 

 

 

 

 

驚く間にも、次々と言葉が吐き出されていく。

 

 

 

「ひたぎさんはあの男に弱みを握られたんだ」

 

「そんな…羽川先輩」「なんであんなチビと」

 

「私の方が絶対に神原先輩のことが好きなのに!」

 

「千石には年上の彼氏がいるんだ…」

 

しゃべる度に、声が変わる。

 

まるで、どこかの誰かの言葉を再生するように。

 

 

 

 

 

―― シラオキ様は恋愛関係の神様でもあるんだって

 

 

 

 

僕は直感的に、このクラヤミがどんなものなのか理解した。

 

 

 

 

 

 

「消えてしまえ」

 

 

 

 

シラオキ様が縁を結ぶ権能を持つならば、その逆。

 

()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

このクラヤミは、本来のシラオキ様ではなく、その影。

 

噂をすれば、影が立つ

 

そうと信じる人々の思いから生まれた、存在しなかったはずの怪異。

 

火のないところに、煙が立つ

 

 

 

消えろ消えろ消えろ消えろ消えろ消えろ消えろ消えろ消えろ消えろ消えろ消えろ消えろ消えろ消えろ消えろ消えろ消えろ消えろ消えろ消えろ消えろ消えろ消えろ消えろ消えろ消えろ消えろ消えろ消えろ消えろ消えろ消えろ消えろ消えろ消えろ消えろ消えろ消えろ消えろ消えろ消えろ消えろ消えろ消えろ消えろ消えろ消えろ消えろ消えろ消えろ消えろ消えろ消えろ消えろ消えろ消えろ消えろ消えろ消えろ消えろ消えろ消えろ消えろ消えろ消えろ消えろ消えろ消えろ消えろ消えろ消えろ消えろ消えろ消えろ消えろ消えろ消えろ消えろ消えろ消えろ消えろ消えろ消えろ消えろ消えろ消えろ消えろ消えろ消えろ消えろ消えろ消えろ消えろ消えろ消えろ消えろ消えろ消えろ消えろ消えろ消えろ消えろ消えろ消えろ消えろ消えろ消えろ消えろ消えろ消えろ消えろ消えろ消えろ消えろ消えろ消えろ消えろ消えろ消えろ消えろ消えろ消えろ消えろ消えろ消えろ消えろ消えろ消えろ消えろ消えろ消えろ消えろ消えろ消えろ消えろ消えろ消えろ消えろ消えろ消えろ消えろ消えろ消えろ消えろ消えろ消えろ消えろ消えろ消えろ消えろ消えろ消えろ消えろ消えろ消えろ消えろ消えろ消えろ消えろ消えろ消えろ消えろ消えろ消えろ消えろ消えろ消えろ消えろ消えろ消えろ消えろ消えろ消えろ消えろ消えろ

 

 

 

 

 

 

 

 

 

つまり、そういうモノなのだ

 

『これ』は

 

 

 

 

 

昔から言うではないか

 

 

()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 

 

 

 

「お前様!!」

 

 

 

 

僕の意識は、闇に飲まれた。

 

 

 

 




マンハッタンカフェ「なにかが…来る……?」

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