蹄物語   作:棚かぼちゃ

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希望

「でも、阿良々木くん。今すぐに帰れるという訳では無いんだよ」

 

と。

 

女子全員から、まるで凍るような ― ツンドラのような冷たい視線を浴びながらも、八九寺から(うば)ったクマさんパンツを握り締めていた僕に、忍野はそう言った。

 

迷子のスペシャリストである八九寺の所持品が、迷子と言うにはいささか、スケールが大き過ぎる事態に陥っていた僕が帰るための鍵になるという、第1話の僕の蛮行が見事に伏線として生きた事実に感動して喜びのダンスを披露しようとしていた折、忍野が冷や水を浴びせてきた。

 

喜び勇んでいたのに、水を差された。

 

源平合戦で扇の的を射抜いた那須与一を讃えて舞を踊った武者が、その称賛した当の与一に射抜かれた時はきっとこんな気持ちだったのだろうと思われるほど、僕のテンションは一気にだだ下がりになった。

 

「なんだよ忍野? 僕はてっきり、お前がそこの洗面所のドアを開けたら元の世界、つまり僕のいたA世界に帰ることが出来るんだと思ってたんだけど」

 

「いやいや阿良々木くん、そんなどこでもドアじゃないんだから。僕はドラえもんじゃないしそんな簡単なもんじゃないんだよ。 考えてもみなよ? いくら阿良々木くんが扉を開く鍵を持っている言ったって、世界を超えるんだぜ? そんなの怪異やオカルトと言うよりはSFの分野さ。本来は僕の専門外だよ」

 

「つまり…準備が必要ってことか?」

 

「そういうこと」

 

『本来は』などと前置きするくらいだから、忍野にも僕を元の世界に帰す方法の目処は立っているということだろう。

 もし仮に、僕が何も持たずにこちらに来たのであれば、さしもの忍野もお手上げだったのかも知れないけれど、ハンズアップだったのかも知れないけれど、僕は八九寺のパンツという鍵を握っている(比喩でもなんでもなく握り締めている)

 

白紙の地図に目的地を定めることは出来ないけれど、もしそこに辿ってきた道筋だけでも記されていたならば、現在地と目的地を結ぶことは十分に可能だ。

 忍野が言ったように、アリアドネの糸ごとく僕の手にしている布製品が道標となるのである。

 さながら、ヘンゼルとグレーテルが撒いたパンくずのように。

 

「その例えだと…途中で消えてしまうのでは……?」

 

「おいおいカフェちゃん、確かにパンはパンだけれど、履くならまだしも僕はパンツを食べたりはしないぜ?」

 

「えっ…………」

 

あれあれ?

 

場を和ませようとウイットの利いた返事をしたつもりだったのだけれど、おかしいぞ?

 カフェちゃんがまるで変質者を見るような表情で固まってしまった。

 再会時には自分から距離を縮めてくれたのに、心なしか心の距離といっしょに物理的にも距離をおかれちゃった気がするぞ?

 

おかしいな……神原ならすかさず

 

『流石は阿良々木先輩だ。近年は更に色々と厳しくなってきているというのに、世間の荒波何するものぞ。頭に被るという訳だな? いやいや言われずともこの神原駿河、阿良々木先輩のお考えなどお見通しだ。ヘンゼルとグレーテルの童話に絡めて、青い鳥に話を繋げたのだろう? 女性用下着という幸せの象徴を青い鳥に見立てたのだ。頭…つまり人体の中でことさら目に近い位置にあるというのに、そこにあっては目にすることが出来ない位置というわけだ。いやはや、幸せは目には見えないけれど案外近いところにある事を、この若輩に教唆しようという阿良々木先輩の温かいお心遣いに畏敬の念を禁じえない。私も女性用下着を蒐集することに喜びを感じるから、よく分かる。例え話ですら私に共感しやすいものを選んで下さるなんて、阿良々木先輩の深謀遠慮に恐れ入るばかりだ。ちなみに、青い鳥はメーテリンクの著作なのでグリム童話ではない』

 

などと返してくるところなのだが…。

 

「いやお前様よ、女子と会話する時にあの猿娘を基準にするで無いわ」

 

『ハクナ タベルナ カブルナ』

 

「ぐうっ…!」

 

忍とカフェちゃんのスタンド ―『お友だち』に同時にツッコまれた。

 

二人とも人外のくせして……常識の埒外の存在のくせして、常識的なことを言う。

 

「えっと……言い訳をさせてください」

 

「…どうぞ……」

 

「…………」

 

なにも浮かんで来なかった。

 

誰かのせいにしたいのに、いくら脳みそを回転させても自分の顔しか浮かんでこない。

 

空回りもいいところである。

 

「と、ところでさ」

 

『ハナシヲソラスナ』

 

あまりに苦しい話題転換のための枕詞を発した僕に、お友だちから抗議の肘鉄が飛んできた。

 

「痛ってえ! なにすんだ!」

 

 幽霊みたいなヤツなのに、かなり物理に訴えてくるぞこいつ…。

 

『オッ? ヤルカ? ヤルカ? 3マイニタタンデヤル。セイッ!!』

 

抗議の声をあげた僕に、なかなかキレの良い、腰の捻りの効いた右ストレートが飛んできた。

 

唐突な戦闘シーンへの突入である。

 

完全に不意打ちのアンブッシュであったが、舐めないで欲しいものだ。

 

「甘い!」

 

僕はそこそこの戦闘経験を積んでいるのだ。八九寺と初めて会った時もいきなり殴り合いの喧嘩になったが、僕は難なくいなし、返り討ちにしてやったものである。

 もうすっかり遠い昔の記憶のようにおぼろげではあるが、今となっては美しい青春の1ページの思い出だ。

 

それに、僕の大きいほうの妹、火憐ちゃんの光を置き去りにするような(比喩でなく、本当に正拳突きを付き終わったあとに音がする)拳を普段から見たり叩き込まれている僕には、お友だちの拳を避けて反撃することくらい、八九寺の手をひねるより容易いことだ。

 僕は飛んできた右腕を、身体を右に移動させながら左腕で絡め取り、一気にお友だちの懐に潜り込んだ。

 

『シマッタ!』

 

そして勢いそのまま足払いをかけ、体勢を崩したお友だちを地面から引っこ抜いた。

 一本背負いである。こうなればあとは消化試合のようなものだ。空中ではどのような反撃をしようにも、踏ん張ることは出来ず力は分散してしまうだろう。

 それに、以前八九寺を同じように一本背負いした時には、高校生と小学生という大きすぎる身長差があったが故に、僅かに長い滞空時間を利用して反撃されたが今回はそんな余裕を与える僕ではない。不可避の速攻である。

 

『グエッ!!』

 

完全に決まった。お友だちは受け身も取れずに背中からクローゼットにドスンと音を立ててぶつかるとそのまま頭からフローリングに落っこちて、足をジタバタさせて痛みに悶えていた。

 相手からしかけてきたとは言えども、僕の心は僅かに痛んだ。

 

勝者は僕なのに…。

 

「ふう……やはり虚しいもんだな。勝利なんて」

 

敗北を知りたい。

 

「…なあ、お前様よ」

 

と。そこに、珍しく黙ったまま一部始終を見守っていた忍が、怪訝そうに話しかけてきた。

 

「儂にはうぬが一人で、やたらと高度なパントマイムをしとるようにしか見えんのじゃが、本当にそこのコーヒー娘の言うところの、『お友だち』とやらがそこに居るのか?」

 

そう、この『お友だち』、どうやら僕とカフェちゃんにしか見えていないようであった。

 僕とリンクしている忍にも、専門家である忍野にさえ見えていないようで(お友だちのいる方向を、ニヤけ面で見つめていた忍野の言うことをどこまで信用していいのかは分からないが)、はたから見れば僕とカフェちゃんは誰もいない虚空に話しかける痛いやつか、危ないやつにしか見えないのである。

 もしかしたら、家に帰りたくなかったり、道に迷っている人間にしか見えない八九寺のように、何か条件を満たした者にしか見えないタイプの怪異になのかもしれない。

 

『〜〜〜〜〜〜ッ!!』

 

見れば、お友だちはいまだに声にならない苦悶の声をあげながら、カフェちゃんと同じ制服姿でもがいていた。

 

スカートという、極めてセキュリティの低い格好で。

 

「黒! あ、間違えた。クローゼット!」

 

危ない危ない。危うく僕が、どさくさに紛れて女の子のスカートの中身を見てその布地の色を声高らかに宣言する最低な男であるという、見当違いも甚だしい誤解を与えてしまうところであった。

 僕はこれでも紳士なのである。もし目の前で風に翻りそうなスカートがあれば目を背けるし、スカートをたくしあげている委員長がいたとしても完全な無視を決め込める自信があるのだ。

 

僕はただ、勝利の余韻に浸る間もなく、怪異とはいえ女の子を硬いクローゼットに叩きつけてしまったことを後悔し、心配して声をかけようとしただけなのであった。

 

勝者の余裕というものである。

 

『ソンナ イイマチガイガ アルカ』

「そんな言い間違いがありますか……」

 

中々に鋭い指摘であったが、事実なので仕方がない。僕にはなんら後ろめたいものは無いのであった。

 

『イマノハ ユダンシテタダケ イマカラハ ホンキ』

 

「……」

 

めちゃくちゃ小物臭いことを言い出したなこいつ。

僕としてはこのまま第2ラウンドに突入することもやぶさかでは無いのだが、ここらで停戦、講和条約を結ぶのが良いであろう。

 戦いは落とし所を見つけて終わらせなければならないのだ。

 

「ふむ…でもさ、最初に暴力に訴えてきたのはそっちなんだからこれで手打ちにしないか?」

 

『ウッ……ムゥ………』

 

「ほら、一本背負いという技の関係上、背中に押し当てられた膨らみが、女子小学生よりも乏しかったことは僕の心の中だけにしまっておくからさ」

 

『〜〜〜!! ブットバス!!』

 

むう…、どうやら講和条約は締結に失敗したようである。僕の最大限の譲歩すら受け入れられないとは…いったい何が悪かったのだろうか? インターバルもそこそこに戦闘続行のようである。

 

だが決裂したものは仕方がない。迎撃の準備は万全である。

 

さあ来い! 返り討ちにしてやろう!

 

「そこまで……」

「そこまでじゃ、たわけ」

 

『グゥッ!』

「ぐぇっ!」

 

戦いのゴングが鳴る前に、僕とお友だちは互いのパートナーに綺麗な足払いをかけられて顔から地面に突っ込んだ。

 

「少しだけ……静かに…………」

「お前様から煽ってどうする! 話が進まんじゃろが!」

 

『ハイ……』

「はい……」

 

僕とお友だちは、うなだれながら二人並んで正座した。

 

「はっはー。みんな元気いいねぇ。これが10代の若さかな? 羨ましい限りだよまったく」

 

さしもの忍野も僕たちには呆れ顔であった。

 

 

 

閑話休題 

 

 

 

「ところで忍野、具体的には準備。つまりは僕が元の世界に帰るための手はずはどれくらいで整うんだ?」

 

僕は、今一番知りたいことを単刀直入に聞いた。

 

すると、忍野はまるで軽い世間話をしているかのように、こともなげに答えたのだ。

 

「3年くらい」

 

「さんっ………!」

 

高校生活がもう一回できてしまう時間であった。

 

「これでもかなり短いんだよ? 忍ちゃんがいるからこそ、世界を越えるためのエネルギーが集まりやすくなってるんだ。いくらトレセン学園がエアポケット的な存在でも、もし自然に世界を飛び越すような分量が溜まるのを待ってたら、それこそ10年20年じゃきかないさ」

 

「それは…理解は出来るけれど……」

 

「そうじゃぞお前様、3年なんて有って無いようなもんじゃ」

 

「……」

 

600年も生きてるお前の尺度じゃ、そうかも知れないけれど、17歳の僕にとっての3年は今まで生きてきた人生の2割くらい占めるんだよ。

 

たかが3年、されど3年。

 

…3年だ。

 

「長えよ…」

 

もしその言葉通り、3年後にもとの世界に帰れたとして、その時あちらではどうなっている?

 法律上、行方不明者が死亡したと認められるのは失踪から7年だから、法的にはなんとかなるかも知れないけれど、その空白。隔絶は埋めようがない。

 

戦場ヶ原は? 羽川は? 家族は? 

神原、千石、八九寺…。

 

みんなと僕の間に、高校生をもう一回やり直せるほどの、時間というどうしようもない断絶が横たわるのだ。

 

それは、あまりにも…あんまりじゃないか。

 

「阿良々木さん…」

 

俯いた僕を気遣うようにカフェちゃんが声をかけてくれたが、ろくに返事も出来なかった。

 

「まあ、あまり悲観的になるなよ阿良々木くん」

 

「…? どういうことだよ、忍野?」

 

「阿良々木くんが持ってるその、クマさんパンツ。幽霊の、えっと八九寺ちゃんだっけ? その子は迷い牛の怪異だっていうじゃないか。なら、時間はあまり気にしないでいいよ」

 

「悪りい、忍野。僕にはお前の言わんとしていることが分からない…」

 

「はっはー、つまりさ。幽霊は時間が止まってるんだよ」

 

「えっと…つまり?」

 

「察しが悪いなぁ阿良々木くん。成長しない、つまり時間を積み重ねない幽霊の所有物を触媒にするんだから、阿良々木くんが怪異に蹴り飛ばされた直後、八九寺ちゃんと阿良々木くんがいたその時間座標に戻れるかもしれない……いや、十中八九戻れるよ。阿良々木くん」

 

「本当か!? 忍野!?」

 

「うん」

 

「そう…か……」

 

一気に体の力が抜けるようであった。

 確かにどうしたって、これから3年の時間を僕は積み重ねることになるけれど、僕の世界では時間が経過しないというのであれば、まだ希望はある。

 

つまりは、精神と時の部屋に居るようなものなのだ。

こちらで3年間過ごしても、僕の世界では1秒くらいしか経過しないのだ。

 

こうなれば、気持ちを切り替えるしかないのであろうが、当然、そんなすぐに整理がつくはずもない。

 

心配ごとは山積みだ。

 

吸血鬼もどきの僕は、老化が遅いであろうから外見年齢は向こうに戻ってもそこまで気にすることはないかも知れないが、帰ればやっぱり僕は受験期の高校3年生なのだ。勉強は続けないといけないのである。

 

それに、3年も人生経験を積んだあと、僕は今まで通り戦場ヶ原や羽川たちと付き合えるのだろうか? 

 

彼女たちが子供にしか見えなくなっていたら……いや、それは無いな………。たかが3年程度で、僕があの2人より賢くなっているというビジョンが全くといっていいほど浮かばない。

 

「なら…なんとかなるか……」

 

それに、そんな心配が出来るのは、帰ることが出来るという奇跡が約束されているからであった。

 

「阿良々木くん、安心したところで本題なんだけどさ。…んっ」

 

「ん?」

 

本題? なんだそれは? 忍野が要領を得ない単語を口にしながら、僕に手のひらを見せていた。

 

右手の5本の指を立てて、僕にむかって突き出している。

 

「???」

 

意味がわからない。

 

「い、いえ〜い?」

 

僕はとりあえずハイタッチをしてみた。

 

「なにするんだ阿良々木くん、気持ち悪いなぁ。知ってるかい阿良々木くん、陰キャがどんだけ陽キャの真似事をしても陰キャは治らないだぜ?」

 

「暴言を吐かれた!」

 

めちゃくちゃ傷付いた! しかも、恐らく陽キャ側の人間である忍野に言われると本当にもうどうしようも無い気がしてくる。

 

「じゃあなんなんだよ、その手は」

 

「報酬」

 

「ほ、報酬?」

 

「そう。仕事に対する対価。当然だろう? 慈善活動じゃないんだから。ましてや異世界移動なんて大掛かりなことをするんだから、お金くらい貰わないと」

 

そうだった。僕の知る忍野もそのへんははっきりさせるやつだった。

 

信賞必罰

 

値段は僕からしたらいい加減ではあったけれど、仕事には対価を。なによりもバランスを重んじるこのおっさんは、決してタダ働きはしないし、させないのだ。

 

そして、提示されているのは5本の指。つまりは5の倍数ということだろう。

 ああ、なんだかこの数字には随分と馴染みがあるな…。

「でも忍野…僕、いま無一文ではないにしても、働いてるわけでもないし、3年のうちに500万円なんて返せる保証はないんだけど…」

 

「なに言ってるんだい阿良々木くん? 桁が1個足りないよ」

 

「えっ?」

 

僕の聞き間違いか? なにか不穏なことを言われた気がする。

 

「5000万円、きっちり働いて払ってもらうよ。阿良々木くん」

 

「ごせんっ…!?」

 

「おい小僧! うぬ儂らを帰す気が無いのではないか? そんな金額を高校生が稼げるはすがなかろうが!」

 

「忍野さん………?」

 

僕のは心の内を、忍とカフェちゃんが代弁してくれたが、まさにその通り。そんな大金を僕みたいな高校生が手に入れる方法なんて、あろうばずもない。

 

アルバイトをしたことが無いから分からないが、居酒屋のバイトを3年間朝から晩まで休みなく働いたって、そんなお金は貯まらないことくらいは分かる。

 

つまり、現実問題として不可能であった。

 

「はっはー」

 

だが、忍野はいつも通り、おちゃらけたような笑い声をあげた。

 

「いやいや、ちゃんとそのへんは準備してあるよ。金額も金額だし、当然だろう? 未成年相手に職探しから自分でやれなんたそこまで僕は意地悪じゃないさ。ちょっと理事長ちゃんに話を通しててね」

 

そして

 

「じゃあ行っちゃおうか。就職面接」

 

そう言ったのだった。

 





仕事が忙しくなってきて、なかなか書く時間がとれずただでさえ分からない小説の書き方が、更に分からなくなってきてます。

ひとつの場面に3人以上の人物がいるの大変ですねこれ…。
エルデンリングやってガレージキットを塗装して積んでる漫画を読みつつ執筆をする。

やることが…やることが多い!

ご注文は……?

  • 花の咲く道理
  • 虹の出る原理
  • 慈悲の降る定理
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