蹄物語   作:棚かぼちゃ

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今日はマンハッタンカフェの誕生日(ギリギリセーフ)
めでたい。


選抜

凍てつく冬の風が、頬を撫でる。

 

「はっ………はっ………」

 

後ろへと流れていく白い息が、海をゆく船の航跡のよう……。

 

 太陽はすっかり落ちきって、暗闇がひたひたと世界を包みながら熱を奪っていく。いまや、私以外の誰も居なくなったグラウンドを照らしているのは、夜間照明の冷たい光だけとなっていた。

 

 いえ…正確にはもう一人、このグラウンドには人影がありました。

 

 私と同じ、学園指定のジャージ姿。私と同じ長い黒髪、私と同じ体躯……。

 

 私のはるか前方を『お友だち』が駆けている。

 

 

 今日も……私は彼女の背中を追う。

 

 

 『お友だち』は…彼女はとても……とても、速い。私が少し近づけたと思ったら、コーナーで離される。まるで、遠心力など無いかのように…重力という軛など無いような身軽さで加速していきます。

 

「どうすれば、そんな風に走れるの?」

 

 その走りは、まるで柳のよう…。しなやかで、それでいて力強い。私だって必死に足を動かしているのに、差は縮まるどころかむしろ開いていく……。

 

 もうずっと…何年も追い続けているのに、私はただの一度だって、彼女に追いつけたことは無いのです。

 

「本当に…アナタは凄いね……」

 

速くて、疾くて、はやい……。

 

こうして最後の直線に入っても、アナタの背中は近づかない…。

 

 今日だけで、もう何度目になるかも覚えていないアナタとの追いかけっこ。

 

 足は「もう休め」と疲労を訴えている。轟々と通り過ぎる、切るように冷たい風で耳が痛い……。呼吸も乱れて、これ以上走り込んでもトレーニング効果は得られないでしょう。

 

 むしろ、度を超えた練習は逆効果ですらありました。

 

でも、私は……!

 

「――はぁっ……!!」

 

 深く……息を体の奥底に落とし込むように吸うと、酸素を供給された脚が再び力を取り戻し、練習用ダートコースの砂を舞い上げながら私の体を前へと運びました。

 

 身体が、軽い。まるで、私が夜闇に溶けていくかのよう…。

 

 

きっと、昨日の私は2日前の私より速い。

 

そして、今日の私は…昨日の私より速い。

 

 

それでも……。

 

お友だちは、私を置き去りにするようにゴール板を駆け抜けました。

 

「はぁ……はぁ……っ」

 

 ゆっくりと減速しながら息を整えます。

 

「はぁ…げほっ……はぁ―っ」

 

 立ち止まった途端、先程までの、どこまでだって駆けていけると思われるほど軽かった身体が、嘘のように重く感じられました…。

 

 脳がもっと酸素をよこせと、催促してきます。

 

『ダイジョウブ?』

「…うん……平気……。走ろうね…何度だって……」

 

 『お友だち』が心配して声をかけてくれましたが、でも、大丈夫。

 少し休めば、私はまた走り出せるから…。

 

 アナタに追いつくためには、これからも数え切れないくらい、走り続けなければいけないのですから。

 

これからも、繰り返し……繰り返して………。

 

「はい、そこまで」

「トレーナーさん……」

 

声をかけられて振り返ると、この凍りつくような気温の中でさえ、サイケデリックなアロハシャツの前を開けて、立派な胸筋と見事に割れた腹筋を見せびらかすようにした胡散臭いおじさんが……忍野さんがいました。

 

「これ以上は明日に響くし、今日はもう帰りなさい」

「……はい」

 

 明日は、年に4度の選抜レースが行われます。

 

 このトレセン学園に所属するウマ娘が、その実力をアピールすることでトレーナーとの契約を目指す非常に重要な意味を持つレースです。

 

 じゃあ、もう忍野さんというトレーナーが付いている私には出場は不要なのではと思われるかもしれません。

 

 実際、私もそう思っていました。

 

「まずは選抜レースに登録しないと、メイクデビューに進めないんだよ」

 

 学園のウマ娘が目指す、トゥインクル・シリーズへの第一步であるデビュー戦を勝たなければ、オープン戦やそれ以上の重賞には参加出来ないことは知っていましたが、選抜レースにそんなルールがあったとは知りませんでした。

 

 学園入学前から実力が轟いているような有力株のウマ娘は、選抜レースに出るまでもなくトレーナーからスカウトを受けたり…中にはトレーナーを逆スカウトすると聞いたこともあるのですが……。

 

「まあ、絶対ってわけでは無いんだけどね。暗黙のルールってやつさ」

 

「暗黙の……?」

 

「そう。どんなに有名なウマ娘だって、トレーナー側としては実際にその走りを見ないことには何もわからないいし、たとえ選抜レース前に担当が付いたとしても、その娘のデータをみんなで共有するのさ」

 

「共有……。もしかして、『抜け駆けしたんなら走りというデータだけでも見せろ』ってことですか……?」

 

「察しが良くて助かるよ」

 

 要するに、規則的には選抜レースに出ずともデビューは可能ですが、これからライバルとなる他トレーナーに担当ウマ娘がどんな走り方をするのか見せるのだとか。

 

 一度のレースを見るだけで、得られる情報は山のようにあります。

 

 走りには、必ず個人の癖が現れるので。

 

 単純に、速度はどれ程出せるのか? 脚質は? どんな状況が得意で、苦手なのか…。大まかな対策を練るには、十分すぎるほどの情報です。入学前の下バ評がどんなに良くとも、実際に走ってみたらてんで駄目なんてことも有り得ますし、その逆もまたしかり。

 

 百聞は一見にしかずとはこのことでしょう。

 

 かつて、冬季オリンピックのスキーハーフパイプという、半円筒状のコースからビルの2階くらいの高さに飛び出して技を披露する危険な競技に、ハーバード大学出身という女性選手が現れました。

 

 オリンピックへの参加資格は、世界各地で開催されるW杯のいずれかで、30位以内に入ることであったため、きっと相当な腕前なのだろうと、観客は世界的に有名な大学に入ることが出来る頭脳を持つ選手がどんな演技をするのかワクワクしていました。

 

 しかし、いざその選手が滑り出すと、みな呆然としました。ただ滑っているだけなのです。

 

 その選手は結局、なにひとつとして技を出すこともなく競技を終え、結果は最下位。

 当然、なんでそんな人がオリンピックに出られたんだと審査も観客も疑問に思います。

 

 そこには簡単なカラクリがありました。

 

 当時スキーハーフパイプは競技人口が少なかったため、彼女は世界中を探し回ったのです。

 

 参加者が30人以下の大会を…。

 

 ルールの穴をついた頭脳プレイと言えなくもないですが、肩書きや前評判が必ずしも実力に結びついていないという好例かもしれませんね。

   

 まあ、ウマ娘の走りという分野に限定すれば、この中央トレセン学園に入学できる時点で、一定の水準以上であるのは確かなのですが……。

 

「ま、無視するトレーナーもいるんだけどね」

 

 あ、やっぱりいるんですね……。でも、意外でした。どちらかと言うと、忍野さんはそちら側の人間であるというのが、まだほんの短い付き合いとはいえども、私が彼に抱いた認識だったのですが。

 

「そりゃこれからライバルになる相手に、情報をちょっとでも隠したいってのが人情だよね。でも、僕みたいな真面目で、社会からはみ出すのを恐れる常識人には、同調圧力に逆らおうなんて気概は無いんだよ」

 

「…………………………」

 

 それは、ひょっとしてギャグで言っているんでしょうか……? 

 

 

「おっと、おーいこっちだよ」

 

 

 ふいにトレーナーさんが声をあげました。

 

 

「悪い、遅くなった」

 

 

 見れば、黒い人影が校舎のほうから給湯ポットを両手にぶら下げてこちらに向かっていました。

 

 

「お湯を持ってくるだけでどれだけかかってるんだい? 僕とお嬢ちゃんを凍えさせる気かな?」

 

「だから悪かったって。まだ給湯室の場所知らなかったんだよ。つーか、お前はもうそのアロハ脱いでそのへんで凍ってろ」

 

軽い口論をしながらやってきた人物が、夜間照明に照らし出されます。

 

「こんばんは……阿良々木さん………」

 

「よう。って、冷えすぎて顔が真っ赤じゃねえか。一応スポーツドリンクと熱いほうじ茶持ってきたけど、どっちが良い?」

 

 私がラスト一周を走り出す前に、グラウンドを離れていた阿良々木さんが戻ってきたのでした。

 

「では…ほうじ茶を……」

 

「わかった。ほら」

 

 阿良々木さんが、コップに熱いお茶を入れて手渡してくれたので、一口啜ると香ばしい匂いが鼻腔をくすぐりました。

 

「ほうっ……」

 

 コーヒーも勿論素晴らしいのですが、たまにはこういうのも良いですね。

 

 熱いお茶を飲んだので、はいた息がまるで蒸気機関車の煙のよう……。

 

 トーマスカフェです。

 

 

「にしても」

 

 と。

 

 阿良々木さんが、人がいなくなったコースに顔を向けながら口を開きました。

 

「めちゃくちゃ速いんだな、アイツ」

 

「はい……。とても…………」

 

 

 いまだグラウンドを踊るような軽やかさで駆け回る、私の『お友だち』を見据えながら。

 

 

――――――――――――

――――――――――――

 

 

 

 翌朝、1月15日。気温の低さは相いも変わらずであれど、澄み渡るような快晴。

 

 選抜レース当日

 

 校内では、おせちの食べ過ぎで、体重が大幅に増加したウマ娘が青い顔をしている光景が散見され、多くの生徒から休み気分が抜けきっていない時期ではありますが、選抜レースは行われます。

 

 しかし、彼女たちも全国各地からよりすぐられた優駿です。選抜レースは各々のウマ娘が、身体が出来上がってきた頃合い……俗に言う本格化の時期を見計らって参加するため、この年明けに選抜戦に参加を予定していた娘は、しっかりと体調管理をしているようでした。

 自分の将来を左右するような時期に自制が出来ないようでは、アスリート失格とも言えるでしょう。

 

 ちなみに私は増減ゼロ。

 

 コースは芝2000mの右回り、いたって標準的な、王道の中距離。バ場は良の発表。

 

 私の脚質は差し。レース後半まで集団のやや後方に控えて脚を溜め、終盤一気に追い抜くのが得意です。ある程度スタミナがないと辛い走り方ですが、その点に関しては少し自信があります。

 

 なにしろ私は小さな頃から……、遥か先を走る『お友だち』を追いかけ回している内に、自然と体力が身に付いていましたから。

 

 先行や追い込みも出来ないことはありませんが、やはり私には差しがしっくりときます。

 

 今日の出走は私を含めて6人で、渡されたゼッケンの数字は6番。もっとも外側でした。

 

 一般的に外側であるほど実質的に走る距離が延び、体力を消耗するため不利となりますが、この人数ならばそこまで大きなハンディキャップにはならないかと思われます。

 

「おはよう。お嬢ちゃん」

 

「よっ」

 

 枠ごとに色分けされた、緑色の貸し体操服に着替えてグラウンドに出ると、忍野さんと阿良々木さんが待っていました。

 

 

「おはようございます……。トレーナーさん、阿良々木さん」

 

 忍野さんはいつも通りのアロハ姿で、阿良々木さんは先日の面接時に着用していたスーツ姿で立っていました。

 

 阿良々木さんはともかくとして、正直、忍野さんの格好は悪目立ちしていて出来れば他人のふりをしたいくらいです……。

 

 寒くないんでしょうか? あれ。

 

 

 ちなみに私はかなり寒いです。

 

 選抜レース時には、季節関係なく半袖短パンで走ることになるので、風が吹くとぶるりで身震いしてしまいそうです。

 

 

「お嬢ちゃんはいつも通りにしていれば大丈夫だよ。気楽に走っておいで」

 

「はい……」

 

「手を抜けなんて言わないけど、順調ならもうすぐメイクデビューをだから、怪我はしないように」

 

 

――特に足の爪には気を付けてね?

 

 

「……っ! わかりました……」

 

 忍野さんは、そのだらしない見た目とは裏腹に、けっこう……いえ、驚くほどしっかりと私のことを見てくれていました。

 

 私は、足の爪がよく割れる体質なのです。

 

 もっとも、指導をしてもらうようになってから1週間程度しか経っていないため、まだその事を話したことはないはずなのですが……。

 

 無意識に足を庇っているのが走りに出ていたのでしょうか?

 

 「まあなんだ。頑張れよ」

 「はい……阿良々木さん……」

 

そしてもう一人。

 

 ――彼。

 

 阿良々木暦。

 

 黙阿弥の阿に、良い々い。樹木の木と、カレンダーの暦で、阿良々木暦。

 

 私と同年代の、高校生。

 

 しかし、その生い立ちは少しどころでなく変わっています。大いに変わっていて大変です。

 

 なんと彼は、ウマ娘が存在しない異世界からやって来たというのです。

 

 

「阿良々木さん、今更ですけど、大丈夫……なんですか…………?」

 

「ん? 何が?」

 

「いえ…今日はとても、晴れているので……」

 

 阿良々木さんは、数瞬思考を巡らせるような顔をされましたが、すぐに私の言わんとすることに思い至ったようです。

 

「あぁっ、心配ご無用だ。今の僕はほぼ人間だから、なんともない」

 

 そう、異世界から来たという事実だけでも空前絶後で前代未聞であるというのに、阿良々木さんは吸血鬼なのです。

 

 本人いわく、吸血鬼だった頃の名残が僅かに残っている程度で、太陽にあたっても平気ですし、鏡にも映れば、にんにくも美味しく食べられる吸血鬼もどきであるそうですが。

 

 最初その話を聞いた時、そんな漫画やアニメではあるまいしと思ってしまった私を、誰が責められるでしょうか。

 

 だって、吸血鬼ですよ?  

 

 様々な不可思議なものや怪異と関わってきた私ですが、そんな古典的で有名すぎて逆に陳腐さすら感じてしまうような存在には、一度だってお目にかかったことは無かったのですから。

 見るからに日本人である阿良々木さんが、西洋の怪異代表みたいなヴァンパイアだと言われても、すぐには頭が追いつきませんでした。

 

 しかし、あの夜。私は確かに『あれ』を目にしていたため、納得せざるを得ませんでした。

 

 あの夜に出会った、血も凍るように美しく、そして恐ろしい金の髪を持つ女性の姿をした怪異を……。

 

 詳しいことを聞いたわけではありませんが、要約すると阿良々木さんは彼女が原因で吸血鬼になり、色々あって今の人間とも怪異ともつかない中途半端な状態になり、あの豊満な吸血鬼は力を失い、金髪金眼の幼児になって阿良々木さんの影の中に住んでいるのだとか。

 

 

「おい忍野……『あれ』はお前の指示なのか?」

 

「いやいや阿良々木くん。これは僕もまったくの想定外だよ」

 

 

 おや?

 

「だよな…。しかし、『あれ』は想定外もいいいとこだぜ……」

 

「うん。僕もそう思う」

 

 そんな彼とトレーナーさんが、鋭い眼差しで私を射抜くように見つめていました。

 

「あの…阿良々木さん?」

 

 

 何か…変な所があったでしょうか……? 自分では特に気になるところはありませんが、トラブルが発生したのやもしれません。

 

 

 そういえば、今朝は少し寝癖が頑固で梳かすのに苦戦しましたが、もしかしてまだ直っていなかったでしょうか……。私は反射的に髪の毛を手で撫でつけましたが、いたっていつも通り。どうも寝癖のことでは無いようでした。

 

「カフェちゃん」

 

「あ、あの…?」

 

 阿良々木さんの表情は真剣なそのものでした。

 

 阿良々木さんは、背丈は一般的な男性よりは低めですが、身体はかなり引き締まっていてスーツがよく似合っています。そして…その……、容姿はけっこう整っていて、世間一般的にはイケメンの部類に入る顔立ちです。

 

 長く伸ばした前髪から覗く右目が私を捉えていました。

 

「阿良々木…さん……?」

 

 そんなに見つめられると……ドキドキしてしまいます…………。

 

 

 

 

 生まれて初めて、あの子を……私の『当たり前』を共有してくれた人……。

 

 怪異の専門家である忍野さんや、人間もウマ娘も、怪異ですら圧倒する金髪幼女にすら見えない、私の『お友だち』を見て、触れられる人。

 

 多少、変わっているとは思いますが……きっと、良い人です。まだほんの短い付き合いですが、彼の人柄は決して悪いものではないように思うのです。

 

 

少しだけ……変な人ですが……。

 

 

「カフェちゃん」

 

「は……はい…………」

 

 

 

 

 

 

 

「バカな!! ハーフパンツにストッキングだと!?」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

少し…………だけ……………

 







お久しぶりです。
年度末でなかなか執筆できませんでしたが、カフェのお誕生日になんとか投稿間に合いました。
筆者は基本的にコンテンツを消費するだけのオタクなので、一度怠けるとズルズルと書けなくなるのが悩みどころ。

次回更新も間が開くかもしれませんが、お付き合い頂ければ幸いです。

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