蹄物語   作:棚かぼちゃ

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ドーナツを買いに

目的のドーナツショップは、トレセン学園最寄りの府中駅すぐ側なので、距離自体は大したことはありません。

普段なら余裕をもってゆっくりと歩いて向かうところなのですか、今はもたもたしていたら門限までに戻れるか不安な時間帯です。

それに、お店が混んでいたら会計にも時間がかかるので、更に余裕はありません。

 しかし、今日の天気は涙もよう。

タキオンさんの仮説が正しいことを信じましょう…。

 

普段よりは幾分か人混みが少ないような、そうでも無いような駅前を通り過ぎて、信号を渡ると目的地にたどり着きました。

傘を傘立てに刺すと、お店の自動ドアが開いて、ドーナツ箱を嬉しそうに抱えた子供とそのお母さんが出てきたのでドアが閉まる前に体を滑り込ませるように私は店内に入りました。

 

すると

 

「店長! ストックが…人気商品のストックが軒並み尽きました!!」

「なにーーー!? 100円セールを見越して朝3時から生産した在庫が全部か!?」

「はい…」

「ば…バカな……」

 

店員さんがまさに修羅場でした。

バイトさんと思しき女性の店員さんが、青い顔をしています…。

 

 

タキオンさん、あなたの仮説いきなり証明失敗しましたよ。

どうしてくれるんですか…これ。

 

 

 

 

「そ、そういえば…さっきタマモクロスと名乗る背の高い葦毛のウマ娘さんが大量に購入していたような……」

「バッカもーん!! そいつはオグリキャップだ!」

「ええー!! 彼女が他店の在庫を軒並み空にして注意喚起のFAXが来ていたウマ娘!? そ、そういえば…サングラスと帽子で顔を隠してました」

 

ああ…この状況を作り出したのは、我がトレセン学園において無類の胃袋を持つ葦毛の怪物だったようです。

確かに、彼女がレースで獲得してきた賞金を考えれば、この店舗のドーナツをすべて買い取っても痛くもかゆくもないでしょうが…加減して欲しいものですね……。

 

「店長! 過ぎたことはもう仕方ないの! 調理場の君、手が足りないでしょうから私も手伝ってもいい?」

「バイトリーダー…」

 

レジを担当していた、どこかで見た事がある気がするウマ娘のアルバイトさんが協力を申請します。

 

「そうだな…よしっ私も揚げ場に立つ。フィニッシャーは頼めるか?」

「はい! 店長!」

「乗り切るぞ!!」

「おおー!!」

 

…まあ、まばらにも商品が残っているのは彼女なりの遠慮だったのか…もしくは単に好みか。

 

ともあれ、問題はタキオンさんから渡された購入リストに入っているドーナツが出来上がるまで待たなければいけないということです。

もし、これが自分用なら諦めて早々にある物だけ買って帰るところなのですが、今回ばかりはそうもいきません。

 

可哀そうな私の大事なコレクション達…いくら掃除をこまめにしてもどうしても埃をかぶってしまうあの子たちを安住の地へ導くためにも、妥協はできません。

 

「ご来店中のお客様、大変申し訳ございませんが…商品補充のため、少々お待ちいただきますようお願い申し上げます」

 

なにはともあれ、私はトングとトレイを手にすると、まだ残っている購入目標を手早く確保しました。

 

あとは不足分が揚げあがるのを待つだけです。

 

手持無沙汰になった私は、なるべく邪魔にならないよう店内の端のほうへ寄って待つことにしました。

 

目を閉じて、時が過ぎゆくのを待ちます。

すると、私と同じく店内で暇を持て余した中央トレセン指定の赤いジャージを着た、ウマ娘のグループの話声が耳に入ってきました。

 

(ねえ、聞いた? 『ついてくさん』の噂)

(えっ…なにそれ?)

(夜になると『出る』んだって)

(え~? なになに怖い話?)

(なんでもね、日が暮れたあとに自主練で走ってた子がいたんだって。寮の門限間際までトレーニングして、グラウンドに誰もいなくなっている…。その子は最後にコースを一周したら帰ろうと思ったんだって。それで走っていると、気づいちゃったんだよ。自分以外誰もいないはずなのに、後ろから足跡がするんだ。しかも、少しずつそれが近づいてくる……。)

(ごくっ…)

(最初は気のせいかと思ったんだけど、何度確認してもやっぱり自分ともう一人分の足音がする…だんだん怖くなったその子が速足になるとそれに合わせて相手も速度が上がる。そこに恨めし気な「ついてく…ついてく……」って声まで聞こえてきたんだって…。)

(ちょっと怖い怖い! 私そういうの弱いんだって!)

 

(それでね? どんどん近づく足音と声がすぐ背後まで迫って、ついに恐怖に耐えきれなくなったその子は振り返っちゃったんだって…そうしたら……)

(そうしたら…?)

(首にちぎれたロープをくくりつけたウマ娘が立っていて言ったんだって…「追いついた」)

(ひー!!)

(ついてくさんに追いつかれると、『あちら』に連れていかれちゃうんだって)

(あっそれ私も聞いた。でも、顔が無かったんじゃなかったっけ?)

(私は足がないって聞いたよ?)

 

 

どうやら、怪談の類のようでした。しかし、ちょっと聞いただけですが、あまり練られていないお話でした。

最後の方なんて設定がめちゃくちゃですし…あの世か異次元かは知りませんが、遭遇した当の本人が連れていかれるというならなんで振り返ってしまった場合どうなるかが伝わってくるんですか……

誰かがそれっぽく作った話が伝聞するうちにアレンジが入っていったのでしょう。

 

あまり…怪談や怪異の話をするのは良いことではありません。

 

噂をすれば、影が立つ。

 

人々が怖がることで、存在さえしていなかった怪異が生み出されてしまうこともあり得るためです。

 

しかし、ここまで設定があやふやならあまり心配は必要ないかもしれません。いくら怪異といっても、それはある程度固定された概念でないと形を持つことすら難しいですから…放っておいても問題はないと思います。

 

「大変お待たせいたしました。揚げたてが補充されましたのでどうぞご利用ください」

 

そんなことを考えているうちに、ドーナツが揚げあがったようです。

私は素早く列に並びなおすと、購入リストを確認しながらトレイを満たしていきました。

 

 

「はい、お持ち帰りでオールドファッション、ゴールデンチョコレート、フレンチクルーラー、ポンデリング、エンゼルクリームをそれぞれおふたつで合計10点ですね。雨の日割り適用で合計1,080円になりますなの! ありがとうございましたなの!」

ハキハキとしたウマ娘のアルバイトさんが、とても良い笑顔で手提げ箱を手渡してくれました。

 

「思ったよりも…時間に余裕がありますね……」

 

会計を済ませ、お店を出ると雨はあがっていました。

 

右手につけている腕時計を確認すると、午後5時を過ぎた頃でした。

 

燃え尽きたような顔をした店員さんたちの努力もあって、不慮のトラブルはありましたが危惧したほど時間はかからなかったようです。

 

これなら…ちょっとくらいなら……

 

 

 

 

――――――――――――――――――

――――――――――――――――――

 

 

 

「ふぅ…」

 

ひと口、コーヒーを含むと、心地よい苦味が広がりました。

 

私は、お気に入りのコーヒー専門店のボックス席に腰を降ろし、淹れたてのコーヒーの芳しい香りと苦みに一息つきます。

 

こんな時間からカフェに入るなんて門限をぶっちぎる気かと思われるかもしれませんが、平気です。計算尽くの上での判断です。

つい、珈琲のお供にチョコレートケーキまで頼んでしまいましたが、この時間なら一服したあとでもなんとか門限までには間に合うので、大丈夫です。

 

 

チョコレートケーキを一口頬張ると、豊かな甘さとココアパウダーの苦みが口いっぱいに広がります。至福の味です。

甘さが、ブラックコーヒーにとてもよく合うので、たまに無性に食べたくなるのです…。

 

ゆっくりと、一口齧ってはコーヒーを含む。

 

繰り返し、繰り返し…目を閉じて……余韻に沈んでいきます。

 

甘味と苦味の終わりなき輪舞(ろんど)

 

心地よいひと時…。

 

浅い微睡みに身を任せていると、ふと―冷たい風が頬を撫でました。

 

(あ、これは…)

 

 

 

いつの間にか、店内の喧騒は遠ざかり、ただ爽やかな風が吹く優しげな音だけが鼓膜を震わせていました。

 

「わあ…っ!」

 

まぶたを上げると、私は雲海の中に浮かんでいました。

 

お洒落なカフェ(私のことではありません)の光景はどこへやら、私はいつの間にか空高くを浮遊していたのです。

 

 水平線の向こうに沈みゆく、熱い太陽と冷たい太陽が、その残光で照らす昼と夜をマドラーでかき混ぜたような雲模様。

 

遠くで、燃える鉄の雨が、凍てつく氷の海にそそいではもうもうと立ち上る蒸気が水を空へと還してゆきます。

 

雲海の上で、私の『お友だち』がくるくるとダンスをしていました。

 

「ふふっ…なんだか浮かれてる……楽しそう」

 

夕焼け色に染まった雲に、影のペリカンが飛んできて種を蒔くと、雲を吸って薄紅色の薔薇が見渡す限りに咲き乱れました。

 

 

私の世界。

 

目まぐるしく移り変わり、様々な姿を見せてくれる、私の風景。

 

 

 

「きれい…」

 

ここにいる時は、私はより多くを見て、より多くを感じることが出来ます。時には予知夢のように、未来の前兆すら…。

 

やがて、茜色を吸い付くされた雲が、奈落の底のような穏やかで、静かな暗闇へと変わっていきました。

 

宵闇が、ゆっくりと世界を包んでいきます。

 

さらさらと、シルクのような優しさで、私を包んでいきます…。

 

全てが黒に沈んだ頃、ふいに目の端が新たに生まれた光を捉えました。

見ると、はるか雲海の下…サファイアの海から顔を出した巨大なシャコ貝が、淡く光るふたつの真珠を吐き出していました。

真珠はふわふわと浮き上がり、私のいる雲海をあっという間に通り過ぎて、やがて天蓋にいたると金色に輝く双子の満月になりました。

 

空に生まれた金の月が…私を見ています……。

 

私もまた、じっと見つめ返しました。

『お友だち』も、私の側で同じようにその輝きに魅入っています。

 

 

どれ程、そうしていたのでしょう。

数秒だった気もしますし、ヴィシュヌ神*1が一度の瞬きを完遂するほどの時間であったようにも感じます。

 

飽きもせず、その美しい輝きを仰いでいると、ふいに金の輝きにふたつの黒点が生まれました。

 

 

(…?)

 

それは、二羽の蝙蝠でした。

 

月と同じ色をした、金の蝙蝠と、宵闇がその形に凝集したような、昏い蝙蝠……。

 

仲のよい兄弟のように、互いに付かず離れず、身を寄せ合うように飛ぶ蝙蝠は、こちらへと向かってきました。

 

そして

 

2羽の蝙蝠が、私の胸に…飛び込んで……

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「あっ…」

 

目が覚めると、見慣れたコーヒーショップの落ち着いた店内の光景が目に映りました。

 

長い夢から醒めたような、そんな眠気にも似た重さが頭に残っています…。

 

今の光景は、なにを伝えようとしていたのでしょうか?

 

「……」

 

…気にはなりますが、今はすぐに席を立って、トレセン学園に帰った方が良いでしょう。

 

ウマ娘の私の脚なら走ればあっという間に学園に帰ることは出来ますが、タキオンさんのドーナツを持っているためあまり急ぐことは出来ませんし、お気に入りの私服を着ているのに走ったりしたら、汗だくになってしまうので普通に嫌です。

また、時間短縮のために走ったとしても、帰った頃には粉砕されたドーナツだったものになっていましたでは、目も当てられません。

 

 

それに、門限破りはそれなりに叱られますので……。

 

 

私が店内に入ったのは5時過ぎ。

 

ゆっくり帰ることを加味しても、5時45分までにお店を出ればなんとかなります。

 

逆に言えば、それがボーダーラインです。

 

私は、時間を確認しようと目線を動かしました。

 

 

「え…?」

 

すぐに探し物の、店内の年季の入った時計が目に飛び込んできました。

 

マホガニーの光沢のある、重厚な木製のホールクロック。その金と銀の色合いが美しい文字盤の上で、針が現在時刻を指し示していました。

 

しかし、目に入った情報を、脳が処理するのに時間がかかります。

 

いえ…もしかしたら現実を直視したくなくて逃避しているだけなのかもしれません……。

私は、一縷の望みをかけて…お店の時計が壊れているという僅かな希望にすがって、自分の腕時計に目を落としました。

 

しかし、こういう時の希望というものは得てして儚いもの。

 

時計は、午後6時6分6秒を示していました。

 

*1
ヒンドゥー教における最高神の一柱。この世はヴィシュヌ神が見る夢であり、一度のまばたきが世界の始まりから終わりまでの時間であるとされる。

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