蹄物語   作:棚かぼちゃ

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B73

豊かさとは何であろうか。

 

人によってその尺度が様々であることは、考えるまでも逡巡するまでもなく、明らかであると僕は考えている。

 

山と積まれた金銀財宝

山盛りのご馳走

贅を尽くしたきらびやかな衣服

巨匠の手掛けた美術品

多くの実りをもたらす肥沃な土地

 

誰かにとっては、何を犠牲にしてでも手にしたいほど価値あるものも、他の誰かにとってはそうで無いということは、わざわざ論考するまでも無いだろう。

 

なにを以て豊かであるとするかは、千差万別である。

 

しかし『豊かである』と耳にした時、それがほぼイコールで、量が多いことやそのサイズが大きいものを想起することは、多くの人々に納得して頂けると僕は思う。

 

例えば、山

 

先ほど例にもあげたように、人間はその物体が大きいことやその量が多いことを表そうとする時、よく山を引き合いに出す。

 

それは、人にとって最も原初的な感覚であるからだと僕は考えている。

 

はるか昔、機械文明の足音はまだ遠く、空が無粋な鉄筋コンクリートで狭められる以前の時代には、人々がふと目線を上げた先にあったのは、せこせことわずかな平地にへばり付くように生きる自分たちを見下ろす、雄大な山々であったことだろう。

 

そして、大きく高い山は水を蓄え、動植物を育み、多くの実りを人々にもたらしていた。

 

大きいということは、高いということは、豊かさと直結していたのである。

 

 

 

また、山は人を惹きつける。

 

僕たち日本人が「山」と聞いて、まず思い浮かべるのは何であろうか。

様々なご意見があろうこととは重々承知しているが、敢えて誤解を恐れず答えるとすれば、富士山であろう。

 

日本最高峰。

 

古来から葛飾北斎は言うまでもなく、多くの人々を魅了し続けてきた、その存在そのものが神として崇められ、その歴史的文化の豊かさでもって世界文化遺産にまで登録された霊峰である。

 

だが、もしこの富士山が、せいぜい1,000mくらいの高さしか無かったならば果たしてここまで崇められたであろうか?

 

否。

 

富士山であったから霊峰になったのか、霊峰であったから富士山なのか。

 

僕は前者だとしか思えないのだ。

 

富士山はその大きさを以て…高さを以て、豊かな文化と崇拝を獲得したのである。

 

 

 

そして、人は豊かさのシンボルたる山に登る。

 

生活のためでもなんでもなく、登る人たちがいる。

 

 

 

― 人は何故山に登るのか

 

― そこに山があるからだ 

 

 

この問答は余りに有名であるけれど、その一例として、こんな話がある。

 

 

第二次世界大戦中、ドイツ軍のある部隊が命令を受けて進軍していた。

ところが、何日経っても目標地点にその部隊が辿り着かない。

 

後日、帰還したその部隊に上層部は何をしていたのかと問うと、予想だにしない答えが返ってきた。

 

「山に登っていた」

 

そんな馬鹿なことがあるかと、上層部は怒った。何故ならその部隊が登っていた山は、軍事作戦的には全くなんの価値もない山だったからだ。

 

コーカサス山脈の最高峰、エルブルス山

 

標高5,000mを超える、現地の人々ですら尻込みするような険しい山。彼らはその頂上に旗を打ち立て、自分たちドイツの威光を示し敵の戦意を挫こうとしたのである。

 

…というのは建前で、ぶっちゃけ、自分たちが登りたかっただけであった。

 

 

そのせいで、部隊長は降格の処分を受けてしまうのであるが、軍人が命令を無視するその意味を、彼が理解していなかったわけではないだろう。

しかし、それを差し引いたとしても、彼らは登らずにはいられなかったのである。

 

眼前にそびえた、遥かなる頂を。

 

 

 

ただ高く、大きい

 

それだけで、人間はわけもなく惹きつけられてしまうのである。

 

高さとは豊かさであり、豊かさは高き所にある。

 

 

 

ことほど左様に、人は豊かさを、高みを目指す生き物だ。

 

もはや、宿命や呪いとすら言ってもいいだろう。

 

それは、太陽を目指したイカロスや、バベルの塔の逸話をわざわざ紐解くまでもないくらい、歴史が証明しているのである。

 

 

しかし、僕はこう思うのだ。

 

 

豊かさとは、果たして高き所、つまり位置エネルギーが豊富な場所ばかりにあるものなのだろうかと。

 

 

遥かな山頂に到達した将校も、蝋で固めた翼が溶けたイカロスも、見たはずなのだ。

 

高き場所から見下ろした先にあった、狭く、せせこましいと疎んだはずの大地がいかに広く、人間をその懐に優しく包み込んでくれているのかを…。

 

大地に揺れる、太陽の光を浴びて輝く豊かな麦畑を、見たはずなのである。

 

平らな大地にこそ、人が生きるための膨大で豊かな恵みが内包されているということを。

 

上を見上げることを、僕は悪いことだとは思わない。けれど、たまに、思い出した時にでも、人は自分がよって立つその足元に目を向けてみるべきなのだ。

 

より高きを目指すのも、より多くを求めるのも良いだろう。

 

だが、僕たちヒトは、当たり前すぎてその有難みを忘れてしまい勝ちではあるけれども、平らな大地に優しく抱かれているということを思い出すべきなのだ。

 

大地に身をあずけ、寝転がってみよう。

 

きっと、母なる豊かな大地は、僕たちを優しく受け止めてくれるだろう。

 

 

母の胸に抱かれて、幼児(おさなご)のような優しく真っ白な気持ちになったなら、大地と風の声が聞こえてくるはずだ。

 

絶えず鳴動する大地は星の鼓動であり、吹き抜ける風は星の吐息なのである。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

故に

 

 

 

 

 

 

つまり

 

 

 

 

 

で、あるからして

 

 

 

 

 

 

 

僕が、何を言いたいのかというと

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

眼前の、まるで北海道の雄大な大地を想起させる素晴らしくなだらかな、豊穣たる畑に揺れる麦穂のごときベージュ色のフリルに覆われた平原に、身を投げ出すようにして耳を押し当てている僕には、不純な気持ちなどというものは僅かにも存在し得ないということだ。

 

 

 

 

 

 

 

「いやお前様、なんぼペッタンコじゃからといっても、どことは言わんが女子の体の一部を指して平原とか失礼過ぎるじゃろ」

 

 

 

 

 

 

無いのである

 

 

「脈拍確認、ヨシッ!」

 

 

ありはしないのである

 

 

「自発呼吸の確認、ヨシッ!!」

 

 

これっぽっちも

 

 

「浮き出た肋骨、ヨシッ!!!」

 

 

存在しないのである。

 

 

 

 

 

 

 

―――――――――――――――――

―――――――――――――――――

少し時間を遡ろう

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「いかんいかん! あまりに美少女すぎて危うく食べてしまうところじゃったわい!」

 

「いや、食べてるじゃないかよ。美少女が持ってたドーナツ全部食べちゃったじゃないかよお前」

 

先刻、忍が僕の冴えた機転によって怯んだテケテケさんもどきを返り討ちにしてボリボリ食べていた時、茂みの向こうから一人の女の子が現れた。

 

腰まで届くほど長い、カラスの濡れ羽色とはきっとこんな色なのだろうと言うような黒髪の女の子。

 

その少女は、忍を見つめながら酷く怯えた様子で震えていた。

 

無理もない、僕だって初めてキスショットに遭遇した時は体の奥底から湧き上がる恐怖に抗うことなど出来なかったから、よく分かる。

 

今の忍は当時よりも大分パワーダウンしているが、それでもやっぱり元怪異の王なだけあって、存在感が凄いのである。

 

ぱないのである。

 

長く慣れ親しんでいる僕ですら、時折なんの理由も無くその足元に跪いて踏んでもらいたくなるほどなのだから、間違いない。

 

 

僕たちに驚いたその子が、手に持っていたミスタードーナツ(なんだかロゴが微妙に記憶にあるものと異なっている気がする)の紙箱を取り落とした時、忍は跳んだ。

 

瞬間、彼女の脚力に地面がめくれ上がった。

 

土と小石が、まるで散弾のように、クレイモア地雷が爆発したんじゃないかという勢いで後ろにいた僕を蜂の巣にしたので本気も本気、ガチのロケットスタートだった。

 

忍はドーナツ箱が地面に落ちるまでのコンマ1秒で到達すると、見事にキャッチして食べた。

 

箱の中身を、躊躇も遠慮もなく、全部。

 

他人の持っていたドーナツを、なんのためらいもなくダッシュで奪取したのであった。

 

 

その後、なにやら忍はじっと女の子を凝視していたが、ふいに顔を上げたその子を抱っこして、口を塞いだのである。

 

「んっ…あっんんっ!」

 

キッスで黙らせたのである。

 

「ん……っ…ぁ、…っ…ぁぁっ……」

 

誰に似たのか皆目見当もつかないけれど、イタリア男みたいなやつだ。

 

僕はその背景に百合の花のトーンが舞っていそうな光景を、穴だらけにされた体が修復されるのを待ちつつ指の間からドギマギしながら見ていたけれど、やがて女の子は糸が切れたように忍の腕の中でぐったりとして気を失ったようであった。

 

エナジードレイン

 

吸血鬼の持つスキルの一つである。

 

「おい忍、なにやってんだよお前」

 

「いや、じゃって! じゃてじゃって!! お前様、見てみよこの顔立ちを」

 

忍が腕の中の少女の顔を、まるで宝物でも扱うように、愛おしそうに撫でながら僕に見せてきた。

 

「うおっ… モデルさんか?」

 

美女がいた

 

月の光に浮かび上がる肌は白磁のような透明感を湛え、僕の片手で覆えてしまうんじゃないかってくらいの小顔は、すっと通った鼻筋、涙の雫を湛えた長いまつ毛、薄い唇…全て熟練の彫刻家が作り上げた芸術品のごときパーツで彩られていた。

 

もう、超がつく美少女である。

 

忍という、現実味のない美人を知っている僕をしてそう言わずにはいられないほどの端正な顔立ちだった。

 

年のころは僕と同じくらいか、少し下と言ったところ。

 

フリル付きのシャツに、チェックのスカートという私服姿であったが、遠くに見える大きな学校に通う生徒であろう。

 

きっと、クラス一番の美人とかそんなレベルではない。

 

今すぐにでも、芸能事務所からスカウトマンが全力疾走してきそうなくらいの色白美少女であった。

 

 

 

とういうか、本当に色白だ。

 

雪のように白い。雪の美人だ。

 

白すぎて、もはや青いくらいに白い…青ざめていると言っていい。

 

 

 

 

血の気が失せている。

 

 

 

 

というか…さっきからぴくりとも動かない。

 

 

 

「吸血鬼パンチ!!」

 

「ギャアッ!!」

 

僕が忍の顔面に全力の拳を叩きこむと、間抜けな悲鳴をあげながら、お気に入りの人形みたいに抱えていた少女を手放した。

 

「いきなり何するんじゃお前様!」

 

 

僕は忍が放り出した少女を、地面に倒れ伏す前に身を投げ出すようにしてキャッチした。

 

忍の歯やら頬骨やら色んなものが折れる感触が伝わってきたが、悪く思うなよ忍。

 

お前を殴る僕の手も痛いんだ。

 

…ちなみに、僕の心は全く痛んでいない。

 

 

だってこれは人命救助活動なのだから。

 

 

「バカ忍! この、莫迦! 馬鹿すぎてお前その…ばか!!」

 

焦り過ぎて、罵倒の言葉も全部同じになるくらいの非常事態であった。

 

だってそうだろう?

 

怪異の行うエナジードレインは、対象の生気と精気を根こそぎ奪ってしまう。生物の生きる力そのものと言えるエナジーを吸い取られると、カッサカサのミイラみたいになってしまうのだ。

 

そして吸われ過ぎれば、死ぬ。

 

吸いつくされて絞りカスになってしまう。

 

 

いくら吸血鬼の最大の特徴たる吸血、本気のエナジードレインではないと言っても、今の忍はかなり力を取り戻している状態なのである。

 

最近の忍は幼女形態、つまり吸血鬼のスキルもエナジードレインの吸引力も大きく制限された状態に慣れていたのに、そんな彼女がいきなりパワーを取り戻した状態でエナドレったら、加減を間違えてしまうのは明白であった。

 

「やばいやばいやばい!」

 

僕は特に真面目に受けていたわけでは無い、学校で行われた交通安全教室の救命講習を必死に思い出そうとしていた。

 

確か、まずは周囲に助けを求める

 

「誰か、誰かいませんか!?」

 

「儂ならおるぞ!」

 

お前じゃない座ってろ。お前のせいでこんなことになってるんだよ。

 

「えっとえっと確か次は……くそっ! ままよっ!!」

 

本来であれば、すぐに救急車を呼んでもらっている間に、要求救護者を仰向けに寝かせて気道を確保してからバイタルチェックを行うのであるが、気が動転した僕はいろいろすっ飛ばして、少女の位置エネルギーが乏しい山間にある胸骨に這いつくばるようにして耳を押し当てたのであった。

 

かくして、冒頭の場面が出来上がったのである。

 

 

 

 

 

―――――――――――――――――

―――――――――――――――――

 

それから、女子の身体に許可も無く触るなんてと咎める声もあるかもしれないけれど、僕は黒髪の少女をお姫様抱っこで頭部を固定しながらゆっくりと運び、林から出てすぐ近くにあったベンチに横たえて肋骨を軽く触診してから、もはやボロ雑巾のようになってしまった僕のパーカーをお腹の上にかけてあげた。

 

「んむ? お前様、パーカーなんて着ておったか?」

 

「いや、ずっと着てたけど…」

 

僕は第1話の冒頭から、アニメでもお馴染みの半袖パーカーを夏用のTシャツの上から着ていたのにおかしなことを聞く。

 

まるで、筆者が僕が何を着ているのか描写するのを忘れていたことを思い出して、慌てて僕の口から言わせようとしているみたいじゃないか。

 

「まあ、そんなことはどうでも良い。それよりお前様よ、今の、必要じゃったか?」

 

「うん? 何言ってるんだ忍、寝てる子がいたらお腹の上になにか布をかけてあげるくらい当然だろ?」

 

「いや、その前じゃ」

 

「その前? まさかっ…!」

 

「そのまさかじゃ」

 

「忍お前…。 はぁ~~~っ……」

 

 

僕は、肺の中身を全部吐き出す勢いでため息をついた。

 

忍のあんまりな発言に、思わず漏れてしまったのだ。

 

「なんかムカつくのう…」

 

忍がなにやら不満そうな声をあげるが、ため息の一つもつきたくなるというものだ。

 

だってそうだろ?

 

「忍…。僕はお前を、そんな非道な娘に育てた覚えはないぞ? いつの間にかお前が、気を失っている女の子をどんな危険があるか分からない野外の、それも地べたに転がしたままにしておけだなんて酷いことを言う不良になっていたなんて…僕は悲しいのを通り越して自分の不甲斐なさを呪ってしまうよ」

 

「たわけ! お前様に育てられた覚えもないし、初対面のおなごのあばら骨を撫で回すお前様こそが今ここにいる一番の危険人物じゃ!」

 

忍がなにやら訳の分からないことを喚いていた。

 

なにを馬鹿な事を。

ウマシカなことを。

 

肋骨は人体の重要な臓器を守る骨だ。肺、心臓、肝臓や腎臓など、重要な臓器を保護しているのだ。

もし折れていたりすると、その守るべき臓器を自らが傷つけてしまう危険性もある。

 

人間というのは重心の位置が高く、頭部や心臓など強打すれば危険な部位を守ることも出来ない状態で地面に倒れ伏せば、それだけで大けがを負うことも珍しくは無い。

 

いくら僕がキャッチしたとは言えども、この子は意識の無い状態で、全く無防備に倒れ伏したのである。

 

であれば、呼吸と脈拍が確認できたならばあまり動かさないように気を付けつつ安全な場所に移動させ、あばら骨の確認をするのはある意味当然の行為であった。

 

それに、僕ほどの肋骨マエストロになれば、一撫でで状態を見極めることが可能だ。

 

「むしろ、服の上からでもあばら骨の全てを見通すことが出来るね」

 

「キモイのォ…。我があるじ様がこんな変態なんて、ぴえん超えてぱおんなんじゃけど!」

 

「キモイとか言うな」

 

興奮するだろうが。

 

いや、それよりも

 

「鼻炎こえてぱお…なに?」

 

 

いきなり、忍が聞き慣れない呪文を唱えたため僕は思わず聞き返してしまった。

 

「はッ! これじゃからボッチの陰キャは!」

 

鼻で笑われた。嘲笑われた。

 

「やめろ、僕は自分を陰キャであるということは自覚しているけれど、それはそれとして面と向かって言われると滅茶苦茶へこむんだよ」

 

つーかお前だって、なんかあるとすぐいじけて自分の殻にこもる陽キャとはいえないキャラだろうに。

 

というか、そんな当世風な言葉を使わないで欲しい。

 

古き時代から生きる吸血鬼だろお前は。

今更すぎると言えばそうではあるが、ある程度はイメージを大事にしろ。

ただでさえ僕の周りのは女子はイメチェンしまくるんだから。

 

語り部の僕の苦労も考えろ。

 

 

まあ、それはさておき

 

 

「この子、怪異なのか?」

 

「う~む、そんなような気もするし、そうでないかも知れん」

 

「なんだよ、随分歯切れが悪いな。怪異の王様なんだからなんか感じたりしないか?」

 

「溶けあって、混ざっている…? いやしかし、こやつは確かに生きた生身の人間じゃ」

 

わからん。

 

それがちょっと間考えた忍の結論だった。

 

僕たちがこんな問答をしたのには理由がある。

 

眼前に横たわる、()()()()()()()()()()()

 

最初僕たちは、もしかしたら今日はこの学校の文化祭で、コスプレ喫茶でもあったのだろうかと思ったけれど、忍がその耳をふにふにと触っていたら意識は無いであろうに、その耳がその手を払いのけるように動いたため、まぎれもなく本物の耳であった。

 

「これ、なに耳っていうんだ?」

 

明らかに、萌え業界で確固たる地位を持つ、我が親愛なる羽川が僕に披露してくれた殺人的可愛さを誇るネコ耳ではなかったが、なんだか、最近見た事があるような無いような形状をしていた。

 

何で見たんだろう?

 

絶対そう遠くない過去に見たという確信があるのだが、どうも思い出せない。ウナギの小骨がのどに刺さったようなモヤモヤした気分だ。

 

「モヤッとボールでも頭に落ちてきたら思い出せるかもしれないのに」

 

「なんじゃそれ?」

 

「え?」

 

「む?」

 

いやいや、みんな知ってるだろモヤッとボール。

あのトゲトゲのついた緑色のボール

 

「いや、知らん」

 

「嘘つけ。だって、あの番組やってたのは13年くらい…前……?」

 

そうか…知らない世代も出てくるか……。

 

かのトゲトゲボールが登場する番組が終わった年に生まれた子供が、もう中学生になるほどの年月が流れているのか…。

 

光陰矢の如しとは言葉としてはよく使うけれど、こうして、実感するとなんだかクるものがある。

 

だが、これでもはや僕の記憶を呼び覚ましてくれるものは無くなってしまった。

 

そう思うと、更にモヤっとしてきた。

 

「ちょっとだけ」

 

僕は、感触という五感を得ればもしかしたら思い出せるかもしれないと考え、今なお少女のケモ耳を触り続けている忍の手を押しのけて、学術的興味として心の中で謝罪しながらタッチさせてもらった。

 

ふにふに

 

細かな、細い毛で覆われたケモ耳は柔らかく、確かに血の通った温かさを僕の手に伝えてきた。

 

ふにふに

 

興味深い

 

ふにふにふにふに

 

実に

 

ふにふにふにふにふにふにふにふに

 

 

「いつまで触っとんじゃたわけ!」

 

 

忍に手首を切り落とされた。

手刀で。

 

 

「ごめんなさい!」

 

当初の目的を忘れ、意識の無い他人の耳に触れるという、通報されてもなんの文句も言えない行為をしていた自身の行動を恥じて素直に土下座した。

 

本日2度目ではあるが、拾った右手を切断面に押し当てて修復しながらだったため、芸術点は対テケテケさんもどきの時に比べれば劣っているだろうが、今度は演技ではなく、誠心誠意の謝罪である。

 

 

僕はすっかり、少女に出会う前の自分の醜態を自分でも演技だと思い込み始めていた。

 

 

『ハナレロ』

 

「悪かった」

 

『ヘンタイ』

 

「…忍、確かに僕の行動は咎められて当然ではあったけれど、もとはと言えばお前にも非があるんだぞ? それなのにことさら僕だけを責め立てて、言葉攻めにして、そんなに僕を…」

 

「なあお前様よ、なに一人でぶつぶつ言うとるんじゃ?」

 

「?」

 

お前以外誰がいるんだと、僕は抗議の声をあげようと顔をあげた。

 

すると

 

「…なんじゃお前様、おぬしはアホみたいに呆けておる顔も可愛いが、儂以外にはちょっと理解出来んじゃろうから控えた方がいいと思うんじゃが」

 

何やらたわけた事を忍が言っていた気がしたが、僕は気にしていられなかった。

 

何故なら、忍のすぐ横に並ぶように人影が立っていたからだ。

 

だというのに、忍はなんの反応もみせず、目と鼻の先に立っているのに呆れた顔で僕を見ていた。

 

()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 

腰まで届くような長い黒髪、ぴょこんと生えた耳と、長い尻尾。

 

ベンチで横たわる少女と瓜二つと言っていいほどよく似た、人影。

 

しかし、顔が見えない。

 

まるで世界から、顔の部分だけ情報が抜け落ちたように、闇がその表情を覆い隠していた。

 

 

『フットベ』

 

 

そして、本日2度目

 

(思い出した。あの耳……馬の耳だ)

 

その人影が放った、ジャイアント馬場もかくやというドロップキックが…2()()()()()()僕の顔面に炸裂し

 

「お前様?! ぬおおっなんじゃあ!?」

 

僕の影に引っ張られて、驚きの声をあげながら側に吹っ飛んできた忍と一緒に、僕たちは金色に輝く満月の下、レモン月夜の夜間飛行と洒落込んだのであった。

 

 





筆者は書き溜めると言うことが出来ないので、前話投稿時点では、この話の原稿には「山 平原 バイタルチェック」の11文字しかありませんでした。
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