フジキセキのトレーナーの薬指に指輪が光っている幻覚 作:バンタリマー
キンコンカーンコン…。
教室に設置されたスピーカーから響く電子音。
聞き慣れたお昼休みの合図。
午前の授業と練習が終わり、皆小走り気味で移動を始める。
カフェテリアの良い席をいち早く確保しようとする者、自主練の為にトレーニング場へと向かう者、はたまたウイニンライブの為にダンスレッスンをする者と様々だ。
昼休みの一時間という短い時間を有意義に使おうと、その動作は自然と早くなる。
斯く言う私、フジキセキも例に漏れず動かす脚は速かった。
教室からそそくさと退室し、階段を駆け降り目的地へと向う。
だけど他の皆とは少し事情が違った。
別にカフェテリアに行く訳でも、練習をする訳でもない。
理由は一つ。
好きなヒトに会いに行く。
皆とは違う、邪な理由だ。
「トレーナーさん失礼するよ。」
「フジキセキか、おつかれ。」
ガラッとトレーナー室の引き戸を開け放つと丁度、トレーナーさんがパソコンの画面を閉じる所だった。
チャイムが鳴ってしばらく経っているというのに、私が来るその直前まで仕事をしていたらしい。
そんな彼を見て私は口を尖らせる。
「もうっ…トレーナーさん?また私が来るまで仕事をしてたでしょ?駄目じゃないか、チャイムが鳴ったらパソコンを閉じる。それが君と私との約束だろう?」
「はは…ごめん、ごめん。切りが良いところまで終わらせたかったから。」
「メリハリをつけて仕事をするべきだと私は思うな。ただでさえ、君は放って置くと自分のことを後回しにするんだから。大事にしなきゃ、自分を…。」
もう君一人の身体ではないのだから…。
言葉には出さなかったが、直前に自分が喋っていた内容からそんな文言が連想されてしまった。
そうだ。
彼にはもう将来を約束したヒトがいる。
なんて不便な脳味噌なのだろう。
彼の健康を考えただけなのに、件の人物を連想してしまうとは。
視線は自然とトレーナーさん指へと誘導されてしまう。
途端に私の口は横一文字に閉ざされた。
「そうだな…って?フジ?」
急に声が小さくなった私を不思議におもったのだろう。
心配そうに彼はそう声をかけた。
「…あぁっ!なんでもないよっ!ごめんね少しぼーっとしてたかも。」
私は咄嗟に努めて明るい声を出して、彼の指輪から目を逸らした。
「…そうか」
良かった。
多分、バレてない。
指輪を見つめていた事は。
「でも、フジの言うとおりかもな。」
トレーナーさんはパソコンから手を放し、固まった身体を解すように背伸びをする。
「そうだよ、ちゃんと休む時は…」
「俺一人の身体って訳じゃあないからな。」
「──っ!!!???」
彼から放れた一言に私は動揺した。
きっと今、自分の顔は大変な事になっているに違いない。
「おいおい…どうしたんだフジ?」
再び、トレーナーさんからの心配そうな声。
駄目だ、調子が狂わせられる。
自分でもコントロールできない。
「いや、君ってそういう事言う人だった…ねって。」
そうだ。
忘れていたけどこの人は意識せずにそう言う事を言う人だった。
普通の人なら恥ずかしくて言わなそうな事を真顔ですぐ口にする。
それで調子を狂わされてきたのはいつものことじゃないか。
ポロッとそんな事を言う位、婚約者さんの事が大事なんだ。
「俺の身体の話なら、先にフジキセキが言ったんじゃないか?」
でも、彼はキョトンとした顔でそう言葉を続けた。
先に私が言った?
「なっなにを…?」
「なにって、俺の身体は俺一人の身体じゃないって。」
「え?」
なんという事だろう。
意識せずにとんでもない事を口に出していたのは私の方だった。
まさか思った事をそのまま言っていたなんて。
「うっうん、そうだよっ!だって折角婚…」
「疲れてバテてフジキセキのレースに支障が出たりしたら大変だもんな。」
折角、婚約者さんがいるんだから
「…っ!」
そう言おうとした私は面食らう。
まさか、ここで私の名前を出してくるなんて思わなかった。
そこは普通、婚約者さんの為と言うのが正しい筈だ。
どんな女性かは知らないけれど。
トレーナーさんが指輪を買う位なんだからきっと素敵な人なんだろう。
遡る事、一ヶ月前。
いつもの様に登校した私を出迎えたのはキミの薬指にはまるプラチナ色の指輪だった。
勿論、私の表情は固まった。
今まで彼にそんな存在がいるとは聞いた事が無かったし、彼に一番近い女性の地位は私だっていう自負があったから。
でも、今振り返れば、極たまに私の知らないヒトの残り香がトレーナーさんから漂っていた事があった。
とんだ自惚れだったんだね。
私の考えは。
その日からというもの、私の頭からトレーナーさんの事が離れない。
彼が他のヒトの物になってから初めて気づいたんだ。
私、フジキセキはトレーナーさんの事を異性として好きだったていう事に。
…だから、今になっても自分一人の身体じゃないという言葉でフジキセキの事を一番に出してくれるのは嬉しいし、こそばゆいけれど。
トレーナーさんにとっては私はそういう対象じゃないっていう事が彼の発言から読み取れてなんとも言えない感情に陥る。
あの発言は婚約者のヒトがいる前提で放たれた。
だから、端から私はそういう対象には見られていないのだ。
…当たり前だよね。だって大人と子供だもん。
だからこそ私は…フジキセキは先程の好きな人の発言を訂正しないといけないんだ。
「いけないよ〜、トレーナーさんっ!そこで一番に私の名前を出しちゃ!だって、今君には将来を約束しているヒトがいるんでしょう?婚約者さんを泣かせちゃあいけないよ?」
ははっそうだなと照れくさそうに笑うキミ。
多分、私も笑えていたと思う。
あぁ…イヤだなぁ…。
───
遡る事一ヶ月前。
「トレーナーさん?夏季休業中は学園待機お願いしますね。」
「はぁっ?」
緑の制服に丸い制帽。
7頭身の美人秘書、たづなさんにそう業務命令を喰らったのはかれこれ一ヶ月前の事。
まさに青天の霹靂、寝耳に水な事態であった。
いやいや、ちょっとまってくれと。
確かに去年も夏季休業中の学園待機という仕事はあったが当番制であったではないか。
と勿論俺は抗議したのだが。
「それがここ最近、トレーナーさん含めた学園職員が成婚、おめでたラッシュだったので…皆さん家族やお相手様と夏季休暇は…ね?失礼ですがトレーナーさんは独身ですよね?浮いたお話も聞きませんし。ですので任命されてしまいました。…代わりと言ってはなんですが9月のシルバーウィーク近辺に夏季休暇分の有給を取って頂くという形で。」
と申し訳無さそうに言われてしまった。
嘘だろ?この夏色々予定していたのに…。
オレ、夏休ミムリ!?独身ダカラ!?カノジョイナイカラ!?
「待機の時は私もご一緒しますから。独り身ですし…。そのぉ…もし良かったら待機中の打ち合わせにこの後お食事でも…」
「すみません、実は自分もこの夏婚約者と約束があります!」
「しませんか?…って、えぇっ!?」
たづなさんが何か言いかけたのとほぼ同時に俺はそう絶叫し、この夏の休みを勝ち取る事に成功したのだった。