異端
草木も眠る丑三つアワー。
ぺんぺん草も生えてない郊外の廃工場で、私は狭い夜空を見上げていた。
「ぶんぶんぶん、はちがとぶ」
ふと脳裏を過った歌を口ずさむ。
いまだに細い喉が奏でる声は違和感の塊なのだが、それも周囲の音に掻き消されて気にならなくなる。
どんな音と聞かれたら──咀嚼音と答える。
むしゃむしゃ、ぱきぱき、ぼりぼり、人によっては食欲減退待ったなし。
「なぜボヘミア民謡を?」
「いや、日本の歌だが?」
「Summ,summ,summ……正確にはチェコ・ボヘミア地方で歌われていた民謡に、詩人ホフマンが詞を付けた歌です」
「へぇ」
割とどうでもいいから、おざなりな相槌を打つ。
私の左肩を定位置とする自称マスコットのパートナー、拳大のハエトリグモは特に気にした様子もなく、黒曜石みたいな眼を向けて問う。
「歌ほど和やかな光景ではないと思いますが?」
「せっせとハチが働いてる」
黄と黒の警告色が私の周囲で忙しなく動く。
その正体は人間大のスズメバチ、数えて20体。
顎と脚を器用に使って、せっせと肉団子を作っている。
材料は
異世界からポータルを通って現実世界に現れた人類の、女の敵だ。下半身で思考する肉袋で、物量作戦が得意。
そんな肉袋80体は5分足らずで20個の肉団子になった。
「一般的なウィッチであれば忌避する光景でしょう」
慣れている私と違って、常人なら卒倒する光景だろう。
一般的なウィッチは、きらきらを纏って、ふりふりしたの着て、ステッキやらソードやらを使って華やかに戦う。
世間の言葉を借りるなら魔法少女。
それと比べ、虫をけしかけてスプラッターな光景を生み出す私は──
「一般的ではないからな」
「む……私が未熟なばかりに申し訳ありません」
表情は読めないが、声色から申し訳なく思ってるのは間違いない。
同期のマスコット枠に落ちこぼれと言われたことを未だに気にしているらしい。
思わず溜息が漏れ、腰を預けているオオムカデの頭部を静かに撫でた。
「問題ない」
きらきらも、ふりふりも、戦いには全く寄与しないことが分かっている。
私の格好はフードを目深に被った鼠色のてるてる坊主で、得物は無骨なククリナイフだけ。
空は飛べず、派手な必殺技もない。
「それで十分だ」
肉団子を作るスズメバチも、気絶中の新米ウィッチを守るハンミョウも、私が腰を預けるオオムカデも、そのマジックで呼び出せる。
華やかな衣装や装飾にエナを使っても、それは自尊心とインクブスの獣欲を高めるだけ。
優れたアイテムやマジックがあっても、個であるウィッチには限界がある。
だから、私は個ではなく群を率いて、個は圧殺し、群と相対する。
ウィッチは負ければ、その場で凌辱され苗床にされる──思い出した。
視線を投げた先には肉団子になっていない肉袋が1体。
生意気にも王冠を被り、安っぽい鎧を身に着けている。
キングを自称する肉袋の仲間で、そこそこ体格が良い。
そんな肉袋には鮮やかなオレンジ色のコマユバチがのしかかり、腹に長い産卵管を差し込んでいた。
「そろそろか」
「…おそらく」
「不満そうだな」
「インクブスを彷彿とさせますからね」
正義の味方は大変だな、などと他人事な感想を抱く。
インクブスは若年女性を苗床に、豊かなエナを得て繁殖する。
これを思いついた女神の死を願いつつ、私は一歩踏み込んで考えた。
インクブスは生存にエナが必要──つまり、連中はエナを蓄える。
マジックで呼び出す
その量次第で成長し、増殖し、進化するが、
ならば、インクブスを捕食させ、苗床にすればいい。
「インクブスは死に、ファミリアは増える。一石二鳥だ」
手段は似ているが、インクブスほど悪趣味じゃない。
恐怖を感じる暇もなく顎で噛み砕き、咀嚼する。
麻酔をぶち込んで昏倒しているうちに卵を産みつける。
少女の悲鳴が嬌声に変わるのが楽しみと抜かした肉袋より良心的だと思うが?
「むぅ……」
回数をこなし、効果があると分かっても納得できないらしい。
左肩でまごまごするパートナー。
そそくさと飛び去るコマユバチ、次いで重い羽音を響かせてスズメバチの群れが離陸する。
肉袋は一つを残して肉団子にされ、持ち去られた。
インクブスの死骸は処理を怠るとガスを発し、吸った男性を凶暴化させる。満身創痍で動けないウィッチが強姦されるケースは少なくない。
「こ、ここは……」
ようやく麻酔が切れたらしい。
完全には意識が覚醒していない肉袋が、のろのろと立ち上がった。
多分、ククリナイフを力任せに振るしか能がない私でも頭を割れる。
それくらい無防備だった。
だが、
「う、ウィッチ!」
私を見るなり、後ろへステップ──に失敗して転ぶ。
麻酔の影響と重心の変化が原因だ。
私はオオムカデの頭から薄い尻をどけ、肉袋を見下ろすように立つ。
右肩にククリナイフを担ぎ、身長146cmの身体に少しでも威圧感をもたせる。
「我輩に、我輩に何をした!」
そんなことをせずとも、肉袋の声には未知への恐怖が滲み出ていた。
悪即斬が基本のウィッチが、こんなことをするはずがない──
ならば、言ってやることは決まっている。
「インクブスが
「好きなこと…?」
左肩のパートナーは片脚で頭を押さえて、やれやれと体を揺らす。
嘘は言っていない。
肉袋は理解できないという面で、ただ顔を顰めて睨んでくる。
いや──わざと立ち上がらず、手を後ろに隠した。
回復が早いな。
何かを企むだけの思考力と体の自由を取り戻している。
そうやってウィッチを不意打ちして、
フードを取り払ってアイコンタクト、私を中心にオオムカデが
「抵抗するな」
「…くっくっくっ甘いっ」
気色悪い笑いを漏らす肉袋は、後ろに隠していた手を前へ突き出す。
インクブス御用達の痺れ薬か媚薬──ではなく、女体を模った悪趣味なオブジェだった。
臨戦態勢のオオムカデの背を撫で、私を見下ろす黒い眼に待てと合図を送る。
「ポータルです」
「ああ」
淡々とした報告に淡々と返す。
反撃を警戒していただけに拍子抜けだった。
「
掲げたオブジェが禍々しい紅の閃光を放ち、廃工場を紅一色に染め上げた。
不気味な風切り音が反響し、突如として肉袋の背後に紅い渦が生じる。
さっきの転倒が嘘のように、軽快に紅い渦へ駆け寄る肉袋。
「甘いぞ、ウィッチ!」
紅い渦、インクブスの世界へ通じるポータルは周囲の空間を歪め、あらゆる攻撃を
安全を確保した肉袋は振り向き、気色悪い笑みを浮かべる。
「我輩を仕留めなかったこと必ず後悔させてやる。帰還した後、同志を集め、ここへ再び現れる!」
べらべらとよく喋る。
早く逃げればいいものを。
お望み通り、ハンミョウの顎で首と胴を泣き別れさせてやろうか?
「次に会う時は、その面が快楽に染まるまでたっぷり犯してやるぞ!」
「がんばれよ」
私の声援を煽りと受け取ったらしい肉袋は顔を真っ赤にしてポータルの渦に飛び込む。
お前には言ってない。
お前の
すくすく育った暁には、お前の腹をぶち抜いて、新しいインクブスに卵を産みつけるコマユバチの。
「二度目があったインクブスはいません」
パートナーの無慈悲な言葉が肉袋の耳に届くことはない。
おそらくは二度と。
ポータルは一瞬で消滅し、廃工場に色と夜の静寂が戻ってくる。
「今のところな」
肉袋の捨て台詞を鼻で笑い、ククリナイフをシースへ差し込む。
似たような捨て台詞を残したインクブスは四四体いるが、残らずコマユバチやコバチの餌となった。
私はポータルを潜れないため、孵化した幼体の成長は見届けられないが、せっせと苗床を増やしていることは分かっている。
このままインクブスの生存圏を脅かすまで増えてほしい。
「他のウィッチもやれば──」
「一般的なファミリアはインクブスを苗床にしません」
「…そうだな」
「捕食もしません」
食い気味に否定するなよ。
エナを自給自足して自らを強化するファミリアなんて画期的だ。
ウィッチらしくないと毛嫌いせず、もっと誇ればいいと思う。
それを言うと拗ねて面倒だから言わないが。
「引き上げる」
「待ってください。まだ彼女が意識を取り戻していません」
忘れていたわけではない。
わけではないが、進んで関わりたいものじゃない。
「……起こすか」
あまり気は乗らないが。
オオムカデに
身の丈ほどもある一振りのソード、ふんだんにフリルを使った蒼いドレス──初めて見るウィッチだ。
暗所の戦いに慣れておらず、肉袋どもに翻弄されてたところから推測するに、おそらくは
確証はないが。
「純潔は守られたようです」
ウィッチの身体能力は高く、
それよりも心への負荷が問題だ。
しかし、新米ウィッチのメンタルケアを担うパートナーの姿は、どこにも見当たらなかった。
未成年を戦わせている自覚があるのか?
「パートナーは?」
「残念ながら確認できません」
騎士の如く彼女を護っていたハンミョウの頭を撫で、苛立ちを紛らわす。
その手触りは硬いが、不思議と安心する。
それから、ゆっくりとしゃがみ込んで新米ウィッチの細い肩を軽く揺する。
「起きろ」
「う…うぅ……」
眠り姫は目覚めない。
後頭部を強打されて、気絶で済むのは幸か不幸か。私には分からない。
しかし、睫毛長いな。
整った目鼻立ち、髪も肌も艶やかで、インクブスでなくとも魅力的に思うだろう。
ぺちぺちと頬を叩くと吸いついてくるような弾力があった。
「あ、あれ…ここは…」
ようやく開かれた碧眼は、私を捉え、背後から覗き込むハンミョウを見て──凍りつく。
悲鳴を上げる前に口を塞ぎ、ジェスチャーで沈黙を要求する。
「落ち着け」
無理な話だとは思う。
人間大の虫が目の前にいて平静でいられるか、という話だ。
感謝の言葉は一度もなく、救出したウィッチから攻撃されたこともある。
もう慣れたが、だからといって良いわけではない。
「後ろのはファミリア、敵じゃない」
違和感しかないロリータボイスをできるだけ、聞き取りやすく、ゆっくりと発する。
子どもを宥めるように──いや、子ども相手に違いはないが。
ともかく、落ち着かせる。
かちかちと顎を打ち鳴らすな、ハンミョウ。
「敵は倒した。ここは安全、いい?」
必死の形相で頷く新米ウィッチ。
本当に分かったのか?
私は面倒が嫌いなんだ。
ゆっくりと手を離──がっしり掴まれた!?
「あ、あなたは!」
目を新星みたいに輝かせ、ひしと手を握って離さない新米ウィッチ。
なんてパワーだ。逃げられない。
相手がインクブスだったら、私はお終いだ。
「ウィッチナンバー13、シルバーロータス様ですか!?」
「そ、そうだが…」
渋々肯定してみると、目の輝きが一層強くなったような気がする。
ただでさえ小っ恥ずかしい名前に、様付けは勘弁してくれ。
二度目の人生どころか一度目ですら、そこまで敬われたことはない。
大きな碧眼に映る銀髪の少女、つまり私は困惑していた。
こんな手合は初めてだ。
次に何が飛び出すのか想像もつかない。
「私、ファンなんです!」
「は?」
「なんと」