夜空を切り裂く紅の曳光弾に照らされ、足元の影が伸びては消える。
舞台は整っただと?
我慢できなくなったの間違いだろうが。
「現れましたね」
「ようやくな」
ウィッチナンバーの上位者が動けない今を見逃せるほど連中は我慢強くない。
だが、こちらも即応戦力が間に合った。
金属の軋む悲鳴──屋上を囲うフェンスを極彩色の影が乗り越える。
私たちを中心に円陣を組む4体のハンミョウ。
鋭利な大顎を打ち鳴らす姿は普段通り、ではない。
金属光沢を帯びる青緑の外骨格に刻まれた傷は
ファミリアにとって小口径の銃器は脅威足り得ないが、ただ虚しかった。
「
円陣の隙間を埋めるようにモーガン少尉たちの影が動く。
以前、彼女たちは横田基地の防衛戦で息の合った連携を見せていた。
心配は無用だろう。
そして、なにより頭上から響き渡る羽音──スズメバチの編隊が全てを嚙み砕く。
軍用ヘリコプターもかくやという重々しい羽音が戦場を威圧する。
「黒狼、手を離すな」
「わ、分かった」
右手から伝わる体温が少し上がったように感じる。
傍から見れば、これほど滑稽な姿もない。
ウィッチナンバー2を解き放てば、ネームドのインクブスであっても真正面から粉砕できる。
これは下らない自己満足──知ったことか。
錆び付いた思考を頭の片隅へ蹴り出す。
感情の問題だ。
耳障りな銃声が途絶え、遠巻きから雷鳴のような爆音が一度だけ聞こえた。
「直下に反応あり!」
パートナーの警告とエナの放射量が膨れ上がるのは、ほぼ同時。
足元から突き上げるような振動に襲われ、爆発とも異なる地響きが世界を震わす。
「マジックか?」
「この反応は……」
見えるはずのない足元の空間が異物に埋め尽されていく錯覚。
いや、錯覚じゃない。
「ファミリアに近しいです!」
エナの反応が庁舎の内壁を貫通しながら、目まぐるしい速度で成長している。
ついに外壁から飛び出した
瞬く間に夜空まで覆い隠し、庁舎屋上に新たな天蓋が構築される。
「──樹か」
四方を囲う影の正体は 樹だ。
フェアリーリングを彷彿とさせる黒ずんだ外皮には深い皺が刻まれ、老齢な樹であることが窺える。
無論、自然発生した植生じゃない。
「ようこそ、我が庭へ」
檻の中を反響するインクブスの落ち着き払った声。
無秩序に伸びた枝が死角を生み、ただでさえ悪かった視認性は最悪だ。
上空のスズメバチを戦力外にされた上、眼も封じられた。
「ここへ招くウィッチは、お前が2人目だ」
視界の端で揺れるハンミョウの触角は、未だに獲物の位置を捕捉していない。
わずかな空気の振動すら巧妙に隠蔽する手腕には覚えがある。
黒狼たちと邂逅した夜、威力偵察に現れたボギーと同じ手合だ。
「
モーガン少尉の警告より早く右側面のハンミョウが姿勢を落とす。
視界の端で閃光が瞬く。
遅れて破裂音──火薬の爆ぜる音が耳に突き刺さる。
青緑の外骨格を擦過する紅の軌跡は、曳光弾だった。
「銃撃…!?」
インクブスが銃器、それもライフルを使用した。
これまで人類を家畜と見下し、嘲笑し続けてきた肉袋どもが?
「ヒトの武具とは素晴らしいな」
追撃なし。
再び闇に包まれた檻の中を回る声は、嘲笑ではなく称賛。
「指先一つで……」
火点を移動しているはずだが、足音は一切聞こえない。
ファミリアが反応できた敵の予備動作は射撃前の微細な動作音だけ。
下手に動けば死角から銃弾を浴びるか。
「お前を殺せる!」
天蓋で瞬くマズルフラッシュ──四方を護るハンミョウにとって死角となる直上攻撃。
「
反射的に姿勢を落とせば、視界一杯に舞う白い髪と灰色のロングコート。
装甲板のような分厚いシールドが降り注ぐ銃弾を弾き返す。
狙いが私と分かっている以上、無暗に動くべきではない。
「まぁ、同胞に理解されることは──」
この場においては悠長と思えるほど平静な声が降る。
「
それを遮るようにモーガン少尉たちの応射が闇を吹き飛ばす。
強烈な閃光と音圧、一筋の白線を引いて跳ねる薬莢。
枝の折り重なった天蓋から乾いた破裂音が鳴り響く。
「終ぞなかったが」
しかし、銃弾の代わりに降ってきた木片から戦果は見出せない。
これまでインクブスは己の能力に絶対的な自信を持ち、遠距離戦ではマジックを扱える少数個体が幅を利かせていた。
最近になってボウガンの集中運用や対ファミリア特化の劇物といった
だが、その状況を覆しかねない例外が今、目の前にいる。
「よく口が回るな」
このインクブスは危険だ。
人類の持つアドバンテージを理解している。
もしも
「これが最期となれば当然」
己の能力に自惚れていない。
ただ目的を果たさんとする、インクブスらしからぬ潔さ。
こちらの索敵を阻害する樹木を破壊しなければならないが、オオスズメバチの1個編隊が齧り落とすには時を要する。
火力が足りない。
オニキスの放射流、それとも――天蓋より枝が落とされる。
私の動体視力でも認識できた。
庭木を剪定するように、無造作に落とされた枝々には
有機的な曲線は一切なく、弁当箱のように見える物体は――
「
「Shit !」
歩兵を殺傷するために開発された指向性散弾だ。
「加害範囲を潰せ!」
「はい!」
思考より行動。
即座にハンミョウたちを指向性散弾の前面に押し出し、黒狼の手を引く。
床に伏せた刹那――周囲の音が消え失せる。
白く霞む世界と鼻を突く火薬の臭い。
ハンミョウの外骨格を貫けなかった無数の鉄球が火花となって闇を照らす。
「お見事」
色を失った鉄の雨が降る中、インクブスの称賛は聞き流す。
すぐさま身体を起こし、黒狼の安否を確認。
不安に揺れる年相応の幼い眼差しを受け、心配は無用だと口元を微かに緩めてみせる。
「だがっ」
背中から迫る風切り音に向かってククリナイフを振り抜く。
手応えはあったが、あまりに音が軽い。
視界の端で回転する物体は、両断したプラスチック製のマガジンだった。
「これは――」
続く投擲物を捉える。
形状は球形、あるいはリンゴ型。
独りでに安全レバーが飛び、その物体が内包する殺意に火が灯る。
回避不能。
「避けられないでしょう?」
耳を撫でる第三者の声。
アップル・グレネードが虚空に消え、眼窩まで焼かんばかりの絢爛たる蒼が咲く。
「
彼女は空間に充溢するエナへ点火する。
「
刹那、新星が瞬いた。
それは一面の闇を両断――否、消失させる。
狭隘な檻の中を光の暴力が吹き荒れた。
指向性散弾の炸裂の比ではない破壊が進路上の全てを撫で斬った。
「わ、わぁ……」
閃光が静まり、残滓の燐光が揺蕩う。
炭化した枝々が床面で砕け、吹き込んだ風に連れ去られていく。
私が持ち得ない
「馬鹿、な……!」
吹き消されそうな掠れ声の主は、コンクリートの床面に転がっていた。
ようやく目視できたインクブスの姿は腹から下が消失し、残された半身も灰となって崩れていく。
体毛に覆われた身体、苦痛に歪む大きな目、頭上の丸い耳を見るに、おそらくはリス。
初めて見るインクブスだった。
「間に合ったようですね」
その姿を蒼いドレスが隠し、ヒールの雅な音が響く。
可視化されたエナの燐光が踊り狂う屋外プラネタリウムで、身の丈ほどもあるソードが風を切る。
まさか、彼女が現れるとは思っていなかった。
「アズールノヴァさん!」
名前を呼ばれたウィッチ、アズールノヴァは花の咲くような笑みを浮かべた。
今宵も変わらず眩しい笑顔を向けてくれるものだ。
「お久しぶりです、シルバーロータス様」
「こ、こんばんは」
アズールノヴァの隣には、視線を左右に忙しなく揺らすレッドクイーンの姿があった。
両者の身長は変わらないはずだが、大型犬と小動物を想起させるバディだ。
「なぜ、2人が……」
最近はインクブスの出現頻度が落ちたことで、顔を合わせる機会がなかった2人。
偶然、旧目黒区近郊を巡回していたのだろうか。
そもそも、
「シルバーロータス、彼女たちは?」
穴だらけのコートから粉塵を払い除け、困惑気味の表情を浮かべるモーガン少尉たち。
その背後には勝手知ったる様子でハンミョウたちが触角の清掃を始めていた。
どう説明したものか。
「こちらはアズールノヴァさんとレッドクイーンさん――」
「主よ、申し訳ありません」
木枯らしのような掠れた声が、確かに聞こえた。
腹から下が消失する致命傷だ。
強靭な肉体と再生能力を有するオーガであっても事切れているはず。
なぜ、生きている?
「この臆病者は……災厄に指一本触れること叶いませんでした」
異様だった。
端から崩れ落ちる身体を気にも留めず、瀕死のインクブスは掠れ声を吐き続ける。
自嘲を含む語りは、ただの辞世の句ではない。
「されど、種は飛びました…!」
背筋に形容しがたい悪寒が走る。
アンチマテリアルライフルの発砲とアズールノヴァの跳躍は同時、そしてハンミョウの疾駆が続く。
銃弾も刃も間に合わない。
一歩先んじられた。
「……あとは任せます、主よ」
その肉体が粉砕される直前、右目に不気味な光が宿る。
「
禍々しい紅の閃光が視界を埋め尽くし、すべてを押し流す濁流となって渦を巻く。
このエナの流動はインクブスの移動手段たるポータルだ。
邪なエナだけを通し、あらゆる例外を拒む不可侵の門。
だが、発生の中心は――
「シルバーロータス!」
「シルバーロータス様!」
皆が手を伸ばす先、つまり私だった。
◆
揺り籠のように、ゆっくりと大地が揺れ動く。
違う、これは私の視界が揺れている。
心地良さなど感じない。
ただ焦点が合わず、世界が緩やかに回転していく感覚。
頭痛と吐気が酷い。
私は何をしている?
ここはどこだ?
色を吸い込む夜空に浮かぶ天体は、血のように赤い――赤い月?
ブラッドムーンと呼ぶには、あまりに鮮やかな血色だった。
背中から伝わる地面の感触は硬く、右手が掴んだ砂は乾き切っていた。
明らかにコンクリートの冷たい床面ではない。
「ここは……」
生温かい風が運んでくる鉄臭い砂塵。
そして、息が詰まりそうなほど濃密なエナを含む大気。
とても地球上とは思えない環境には、1つだけ心当たりがあった。
意識が覚醒する。
「目が覚めましたか、シルバーロータス」
顔を少し傾ければ、前脚を上げる拳大のハエトリグモが見える。
既視感を覚える状況だが、あの時よりも状況は深刻だ。
ファミリアから届くテレパシーが中継を介さず
「ああ」
鉛を詰められたように重い身体を起こし、赤茶けた砂を払い落とす。
周囲を見渡せば、人工物の見当たらない荒野に倒れ伏す人影が6つ。
黒狼、アメリカ陸軍危機即応部隊の4人、そしてレッドクイーン――アズールノヴァの姿が見当たらない。
喉元を掴まれたような焦燥感に奥歯を噛み締めて耐える。
「全員無事か」
場違いなロリータボイスから感情を削ぎ落とし、努めて冷静に呼びかける。
その間にも膨大な数のテレパシーが溢れんばかりに届く。
「うん、大丈夫」
砂の絡んだ黒髪を鬱陶しそうに払い、よたよたと立ち上がる黒狼。
その手には私が被せたロングコートを、もう一方の手には長大なシミターが握られていた。
やむを得ない、か。
「我々も問題ありませんが……」
側頭部を押さえ、辛うじて膝を突くモーガン少尉。
私よりもポータルの影響を強く受けたのだろう。
彼女のチームは頭痛に耐えながら装備の状態を確認し、苦々しい表情を浮かべる。
おそらく、通信は機能しない。
「こ、ここは……どこなんでしょう?」
座り込んだまま動けないレッドクイーンが不安に満ちた声で問う。
彼女の問いは皆が抱いている疑問だろう。
それに対して、私たちは解答を持ち合わせている。
この不毛な荒野は死後の世界でもなければ、インクブス真菌の領域でもない。
「敵地だ」
「敵地です」
解を聞き届けた大地を風が撫で、地平線を赤い砂塵のカーテンが覆い隠す。
「ようこそ、災厄のウィッチ」
文言こそ知的で友好的。
されど、響き渡る声は重苦しい威圧感を伴っていた。
濃密なエナ――邪なる気配が荒野を満たす。
赤い砂塵のカーテンを潜り抜け、舞台へ姿を現す魑魅魍魎の黒い影。
それは瞬く間に数を増やし、新たな地平線を築き上げる。
「そして、さようなら」
見渡す限りの荒野で、たった7人のウィッチを囲むはインクブスの大軍勢。
ネームドと思しき個体が肩を並べ、戦列を組んでいる。
戦力差は圧倒的で、こちらの手札は不完全。
状況は最悪だ。
道中の苦難は見なかったことにします(邪悪)