夢寐
意識が覚醒した時、私は青空を見上げていた。
今まで何をしていたのか、鮮明に思い出せる。
夜を徹してファミリアから送られてくるテレパシーを処理していた、はずだ。
まさか意識を失ったのか?
「ここは…?」
返答はない。
固い地面が微かに震え、上空を報道ヘリコプターが通り過ぎていく。
いつも行動を共にしてきたパートナーの気配が──いや、ファミリアの気配も感じない。
テレパシーすら受信しないのは、異常だ。
状況を確認するために上体を起こすと、まず給水タンクが目に入った。
両手が撫でる地面はコンクリート、周囲には転落防止柵が設置されている。
どうやら屋上らしい──
「その程度か、エージェント!」
午後の市街地に響き渡る大声には、聞き慣れた雑音が混じる。
どこにでも湧くな、インクブスども。
鼠色のコートを翻して転落防止柵へ駆け寄り、眼下の道路を睨む。
「温い、温いぞ!」
灰色の粉塵を切り裂き、白刃が瞬く。
鋭い風切り音を響かせる一振りのブレードは目算で2m近い。
それを振るう者は真紅の甲冑で身を固め──本当にインクブスか?
初めて見る個体だ。
3階建ての屋上からではエナが全く感知できなかった。
私が鈍感なせいもあるが、全身を隠されると遠目では人間と判別できない。
「ひ、ひぃ…!」
甲冑武者と相対する少女は、長大なチェーンソーを振るって白刃を辛うじて退ける。
間違いなくウィッチだ。
しかし、どこか近未来的な印象を受ける。
紺色のボディスーツに身を包み、身体の各所を灰色のプロテクターで護っている。
「甘いっ!」
甲冑武者の放った一撃がウィッチの右肩を掠め、背後にあった街路樹を両断する。
「うぅっ…!」
得物のリーチは互角だが、技量の差は歴然。
薄緑の髪から覗く瞳は恐怖で潤み、彼女が膝を屈するのは時間の問題だった。
「ぶら下げてるもんが重いからだろ」
戦いを周囲から観戦する黒い人影が、耳障りな声で嘲笑う。
ウィッチの身長は私と同程度に見えるが、大人顔負けの豊満な体形をしている。
なるほど、着眼点がインクブスだ。
これで躊躇なく潰せる。
「犯罪的だぜ」
「あの身長だと、より際立つよな」
数は8体。
全身を黒一色で覆われ、プロテクターで胸と関節を保護している。
やはり見慣れない姿だった。
既視感──芙花が観ているアニメの
見間違えでなければ、3体はライフルの類を装備している。
原始的な飛び道具しか持たないインクブスが火器を?
「トランジスタグラマーって言うらしいぜ」
トランジスタグラマーは和製英語だ。
俗世に染まっているインクブスだな。
「どうして、私ばっかり、こんな目にぃ…!」
息も絶え絶えになりながら、チェーンソーを必死に振るうウィッチ。
あのままではインクブスの餌食だ。
眼下に逃げ遅れた一般人の姿は確認できない。
パニックの危険性は低い──ならば、私の為すべきことは一つだ。
転落防止柵から下がり、ゆっくりと目を閉じる。
今、私の持てるエナで召喚できるファミリアは、おそらく1体。
市街地を構成する全ての音を意識から締め出す。
脳裏に浮かぶ膨大な情報を選別、ファミリアの輪郭を形成。
「…
目を開き、唱える言の葉。
そして、世界の色は反転する。
スズメバチを1体召喚するだけで、私のエナは底を突いてしまう。
全身に倦怠感が押し寄せ、揺れる視界──私の肩を
しなやかな指先は、明らかに少女のもの。
屋上には私以外に誰もいなかったはずだ。
「…母様」
あどけない少女の声が耳元で聞こえた。
パートナーではない。
恐る恐る振り向くと──スズメバチを召喚した場所に、少女が立っていた。
私を映す大きな黒い瞳、蜜柑のような橙色の髪。
黒を基調とした服装に身を包み、腰にククリナイフと
それだけなら武装した
「母様?」
硬直している私を覗き込み、
口内には鋭利な牙が見え、癖毛に紛れた触角が風に揺れる。
黒いスカートから伸びる脚は4本──ロングブーツを履いた人間の脚と外骨格に覆われた昆虫の脚。
背中には4枚の翅が見え、腰からはスズメバチの腹部が生えている。
ギリシア神話のアラクネーもかくやという姿。
予想外の事態に理解が追い付かない。
「何か変…?」
170cmは確実にある異形の少女は頬を微かに染め、視線を泳がせた。
そして、髪を梳かすように触角を丁寧に撫でる。
グルーミングだ──観察している場合か。
微塵も理解したくないが、私のエナを宿していることは紛れもない事実。
彼女こそがファミリアだった。
「時間稼ぎは終わりだ」
「す、救いは、ないのでっ…あぅ!」
原因の究明は後だ。
今は、切れる手札でインクブスを駆逐する。
吸い込まれそうになる黒い瞳を見据え、意を決して問う。
「ここから狙えるか」
「できる」
打てば響く返答。
私の意図を瞬時に理解したファミリアは、腰に下げたアトラトルを左手に持つ。
転落防止柵に4本の脚を引っ掛けて立ち、眼下の敵を無表情で見下ろす。
「奴から仕留めろ」
「分かった」
その隣に立ち、シースから抜き放ったククリナイフで標的を指向。
標的は路上、ウィッチの眼前──勝利を確信して悠々と構える甲冑武者だ。
少女はアトラトルにスピアを番え、華奢な上半身を捻って投擲の姿勢を取る。
獲物を狙って静止する姿はスズメバチというよりカマキリだ。
そして、鋭い風切り音が耳を撫でた。
「な、にぃっ!?」
快音が響き渡り、真紅の影をアスファルトへ縫い付ける。
スピアは容易く甲冑武者の兜を貫き、そのまま面頬まで吹き飛ばしていた。
威力は十二分、確実に生命を砕ける。
まずは1体。
「行くぞ」
「うん」
異形の少女は両手で私を軽々と抱え、そのまま屋上から空中へ身を躍らせる。
急速に近づくアスファルトの地面──空気を高速で叩く羽音。
世界が減速し、4本の脚で軽やかに着地する。
ウィッチを取り囲んでいた戦闘員が一拍遅れて振り向く。
「新手だと!?」
「どこのエージェン──」
遅い。
私が指示するより早く、肉厚な刃が戦闘員の首を刎ね飛ばす。
見慣れた赤が散ることはなかった。
金属片、配線、機械油──インクブスどころか生物ですらない。
知ったことか。
その内に秘めた精神性に大した差はあるまい。
「殲滅しろ」
「分かった」
ブーツの底が路面を砕き、加速を得た少女は反応の遅れた獲物へ刃を振り抜く。
宙を舞うライフルを横目に私も駆け出す。
羽織っていた鼠色のコートを外し──
「くそったれ!」
私たちを指向する銃口の前で大きく翻して、視界を塞ぐ。
弾丸を浴びたコートが飛ばされた瞬間、背後で鋭い風切り音が鳴り響く。
「がはぁっ」
ライフルを構えた戦闘員の腹に風穴を穿ち、内容物を路面に四散させる。
アトラトルによって投擲されたスピアの一撃。
スズメバチは毒がある限り
「お団子には」
投擲を終えた少女の影は空中にあった。
高速で振動する翅、そして右手に握ったククリナイフが陽光を反射する。
「できないね」
落下速度を加えた一撃が頭から戦闘員を両断し、機械油が路面を汚す。
交差させた両腕のトンファーなど障害にもならない。
ゆらりと立ち上がった異形の少女は、次なる獲物へ吶喊する。
「なんなんだ、こいつは!?」
「囲んでぐばぎゃっ」
表情を一切変えずに、浮足立った戦闘員を次々とスクラップへ変えていく。
彼女の見せる無機質な敵意は、私の知るファミリアのものだった。
しかし、なぜ少女の姿になってしまったのか──
「きゅ、救援感謝しますぅ!」
脱力感を誘う声に振り向けば、満身創痍のウィッチが駆け寄ってくる。
大きな瞳を潤ませながら、両手を胸の前で組む。
ボディスーツの胸元が裂けそうなほど張っている。
「本当に助かりましたぁ……この恩は一生忘れません!」
「…そうか」
この肉感的な体を惜しげもなく晒しながら、単独行動の未熟なウィッチ。
ネギを背負って鍋に飛び込むカモだ。
迂闊にも程がある。
インクブスの苗床にされていないのが不思議だった。
「あ、あれ…?」
注意すべきか思案していると、不意に眼前のウィッチが困惑気味な声を漏らす。
「データベースにエラー…該当ナンバー欠損って、えぇ…?」
私を見ているようで見ていない。
困惑の色を浮かべる瞳の中には、無機質な青い光が瞬いていた。
エナの可視化現象ではなく、人工的な発光に見える。
「えっと……あなたは、どちらのエージェント様でしょうか?」
「エージェント…?」
エージェントとは、代理人や代行者を意味する言葉だ。
しかし、私は誰の代理人でもない。
ただインクブスを屠るために戦うウィッチだ。
「ま、まさか非登録…ですか?」
路面に転がったチェーンソーまで後退るウィッチは見るからに挙動不審だ。
ウィッチナンバーは登録制ではない。
これは話が噛み合っていないか、誤解されている。
「通報すれば謝礼金が……いや、でも、恩人を売るなんて──」
「母様」
「ひぇっ…嘘ですぅ! 傷病手当に収まるくらいで許してくらさぃ!」
背後に現れた第三者に対し、図太い命乞いを始めるウィッチ。
誤解を解くどころか、悪化している。
頭が痛い。
「終わった」
異形の少女は命乞いに耳を貸すことなく、私の下まで小走りで近寄ってきた。
ファミリアはウィッチを認識しても基本的に無視する。
「よくやった」
いつものようにファミリアを労い、ククリナイフをシースへ戻す。
無残に破壊されたスクラップが転がる路上に、新たな敵の姿は見えない。
「…
戦闘後のファミリアはエナを消耗しているため、外部から取り入れる必要がある。
しかし、獲物がエナで構成されていなかった以上、供給源は私だ。
ひとまずエナの比率を傾けて──人影が私を隠す。
少女の端整な顔が至近距離にあった。
じっと私を見つめ、微かに開いた口から赤い舌が覗く。
「まさか……」
原種のスズメバチは成虫になると食性が変化する。
彼女たちは体型の関係上、固形物を摂食できなくなる。
ファミリアは関係なくインクブスを噛み砕いてしまうが、本来は幼虫の分泌液や樹液等を主食にしているのだ。
そして、幼虫の分泌液は口移し──
「待て」
「うん」
大人しく待つ少女から一歩下がり、もう一歩下がってから思考を整理する。
スズメバチを模したファミリアたちも口移しによるエナの補給を行っていた。
知っているとも。
だが、ウィッチである私と物理的な接触でエナを補給する必要はない。
そのはずだ。
「もういい?」
物欲しそうな視線を私に注ぐ異形の少女が、開いた距離を縮めてきた。
まさか空腹で気が立っているのか?
しなやかな指を絡め、がっしりと両手を握ってくる。
当然だが、膂力で勝ち目はない。
スズメバチの複眼を思わせる黒い目が細まり──少女は、無邪気に笑った。
私のエナで形成された彼女は、間違いなくファミリアだ。
だが、この言い知れぬ危機感は──
「まだ終わらぬ…!」
仕留めたはずの甲冑武者が立ち上がり、兜を貫くスピアを一息に引き抜いた。
ほぼ同時に両手を解放され、私は腰のククリナイフを抜き放つ。
これほど敵対者に感謝したこともない。
「そんなぁ……」
私たちを傍から固唾を飲んで見守っていたウィッチが、残念そうに呟く。
見世物じゃないぞ。
「結社の力、とくと見よ!」
「こ、この高エネルギー反応はっ」
甲冑武者の砕けた面頬、その奥に赤き光が宿った。
エナの反応はないが、マジックの類と見るべきか。
ともかく阻止、あるいは牽制する。
アトラトルが振り抜かれた瞬間──甲冑武者の全身が禍々しい紅の光に包まれる。
それはスピアの一投すら吸い込み、空へ向かって一直線に伸びていく。
この感覚はインクブスのポータルに近い。
接近は危険と判断し、ひとまず距離を取る。
「先の投槍は見事…」
禍々しい光が霧散した時、そこにはオフィスビルと肩を並べる甲冑武者が佇んでいた。
スピアの貫通痕は修復され、真紅の甲冑には傷一つない。
「…しかし、これまで!」
大型化したブレードの刀身が大気を切り裂いて唸る。
全長が10m以上もある個体、いや巨大化する個体など聞いたことがなかった。
薄々察していたが、敵はインクブスではない。
「形態変化なんて……報告と違うじゃないですかぁ!」
傍らで泣き言を漏らすウィッチは情報を持っていたようだが、この様子だと役には立たない。
敵の情報は不足し、予備の戦力はない。
「責任問題ですぅ!」
「そんなことを言ってる場合か」
あの巨体が張子の虎でなければ、重量級ファミリアを複数体呼び出す必要があった。
しかし、そんな余力もない。
もし、重量級ファミリアも少女になっていた場合──それは考えるな。
とにかく情報が不足している状況で、交戦は自殺行為。
ここは撤退すべきか。
「そこまでだ!」
蒼穹より響き渡る勇ましい声。
そして、落下してきた高速飛翔体が甲冑武者の頭部に着弾する。
閃光──遅れて爆轟。
真紅の巨体を爆炎が包み、黒煙が市街地を駆け抜ける。
この威力、まさか国防空軍の爆撃?
「何奴っ!」
無傷の甲冑武者が右手に握るブレードで黒煙を払い、空を見上げた。
「あ、あれは……まさか!」
そこには、蒼い光を纏って飛行する4つのシルエット。
先頭を国防空軍の制空戦闘機が務め、その後方にティルトローター機が続く。
そして、見間違えでなければ、さらに後方を国防陸軍の主力戦車と装輪戦車が並んで飛行していた。
まったく意味が分からない。
「国防軍所属A級エージェント、スサノオさん…!」
目を輝かせるウィッチの呼び声に応え、強まる蒼い光。
先頭を飛ぶ制空戦闘機が真っ二つに分離、複雑な変形を経て
「は?」
唖然とする私を置き去りにして、ティルトローター機が胴体に、主力戦車と装輪戦車が脚へ変形する。
それらが火花を散らしながら空中で合体し、胴体からデュアルアイの頭部が現れる。
どこに頭部を格納する空間が──いや、そもそも変形から無理だろう。
桜吹雪が吹き荒れ、白を基調としたカラーリングへ変化する鋼の巨人。
非科学的存在であるウィッチよりも荒唐無稽な、冗談みたいな存在だった。
馬鹿げている。
「額に輝く平和を守る桜星!」
鋼の巨人が市街地へ降り立ち、巻き上がる粉塵。
100t近い重量のはずだが、アスファルトの路面は辛うじて耐え抜いた。
「我は悪を断つ強靭なる剣なり──」
灰色に染まる世界を逞しい腕が切り開き、緑の双眸が光り輝く。
「スサノオ、ただいま推参!」
国防軍謹製合体ロボットは爽やかな声で前口上を言い放った。
「現れたな、スサノオ!」
合体中の無防備な瞬間を見逃し、前口上まで聞いてやる真紅の甲冑武者。
混沌とした状況に、私は理解を諦めつつあった。
もう勝手にしてくれ。
「国防剣──抜剣!」
国防軍謹製合体ロボットが掛け声と共に、胸部から迫り出した柄を抜く。
当然のように質量保存の法則を無視し、現れる長大な刀身。
「これ以上の破壊活動は許さないぞ、秘密結社ペイガン!」
大きく両脚を広げ、ソードの切先を敵へ向けて勇ましく宣告する。
「返り討ちにしてくれる!」
それと相対する真紅の甲冑武者は、逃げも隠れもしない。
ブレードの刃を大地に這わせ、左半身を前にして構える。
両者は同時に地を蹴り、真正面から切り結ぶ。
「はぁぁぁぁ!」
「ぬぉぉぉぉ!」
重量に屈したアスファルトが陥没し、衝撃波がオフィスビルの窓を粉砕する。
巻き上げられた粉塵によって灰色に染まる世界。
「ひぇぇぇ……こんなの労災ですよぉ…!」
腰に抱き着いたウィッチの情けない声を聞き流し、私は一つの結論を導き出す。
◆
重い瞼を上げ、白い紙面に記された文字の羅列を目で追う。
頭痛と疲労感に苛まれる最悪の目覚めだった。
滞っていたテレパシーが一斉に届き出し、情報が駆け巡る。
「東さん!」
突っ伏していた予習用ノートから顔を上げ、ダイニングテーブルを見渡す。
声のする方向には、シャーペンの落下を阻止せんと粘るハエトリグモの姿。
言わずと知れたパートナーだ。
「すまん」
シャーペンを回収し、手元まで跳ねてきたパートナーに謝罪する。
ここが旧首都ならインクブスの餌食になっていたかもしれない。
自宅だからと気が緩んでいた。
「大丈夫ですか…?」
頭を小さく傾げるハエトリグモに頷きで応じ、壁に掛かった時計を睨む。
時刻は、草木も眠る丑三つアワー。
悪夢を見るわけだ。
「どれくらい気を失ってた?」
「3分ほどです」
「そうか……」
椅子に体重を預け、ゆっくりと息を吐き出す。
たった3分の夢だが、私を疲弊させるには十分だった。
疲れているのか?
いや、間違いなく疲れているんだろう。
そうであってくれ。
「…今日は切り上げませんか?」
黒曜石のような眼に映る私は、やはり疲れ切った顔をしていた。
パートナーの提案は尤もだ。
ファミリアからのテレパシーは絶えず受信しているが、可及的速やかに対処すべき案件は全て処理した。
起きている必要性は薄い。
「…そうだな」
欠伸を噛み殺して席を立ち、照明スイッチまで重い足を進ませる。
照明スイッチへ伸ばした右手には、まだ触感が残っているような気がした。
あのまま目が覚めなかったら──考えるな。
下らない妄想を頭から叩き出す。
そして、常夜灯の下で前脚を揺らすパートナーへ声をかける。
「おやすみ」
「おやすみなさい、東さん」
最低限の睡眠時間を確保する。
そう心に誓って、私は暗転したリビングを後にした。
こんな性癖過積載、4月1日にしかできないぜ(グルグル目)