夜を乱す不届き者が跋扈しなくなった旧首都。
人類の守護者たちも眠りにつき、今は静寂の支配する文明の墓標へと戻っていた。
しかし、全ての闘争が去ったわけではない。
「何をしているんですか?」
鈴を転がすような声が闇より響く。
人工の光が途絶えたコンクリートジャングルは一寸先も見えぬ闇に包まれている。
しかし、埃が積もった路地裏の奥で舞う蒼い燐光。
不可視であるはずのエナを可視化する濃度で放つ者が、そこにいた。
「な、何って…」
問われた者は答えに窮する。
黒を基調とした装束に身を包み、華奢な体躯に見合わぬハルバードを携えたウィッチ。
その視線は答えを求めて宙を泳ぎ、路地裏より見える雑居ビルの側壁で止まる。
「そこのインクブスを倒さなくちゃ──」
「面白いことを言いますね」
有無を言わせぬ圧を伴ってウィッチの言葉を遮った。
くすんだ銀のハルバードが指向する先には、乳白色のアブラゼミ。
つまり、
「あの方のファミリアが、インクブスに見える?」
身の丈ほどもあるソードから蒼い燐光が放射され、夜のコンクリートジャングルを彩る。
舞踏会にでも行くようなドレスが闇より浮かび上がり、ヒールの雅な音が鳴り響く。
「胎の中に
可愛らしく首を傾げるも、その声色は空恐ろしくなるほど無機質だった。
狭まる瞳孔、隠蔽しようともしない殺意。
明確な害意と相対したウィッチは──
「遅い」
ハルバードを構えるより早く、蒼い閃光が空間ごと両断した。
そして、断末魔すらも。
首と胴が泣き別れした影が倒れ──蒼い焔が路地裏を照らす。
微塵の躊躇もなくウィッチを屠った者は、振り向かない。
「おやすみなさい」
ただ機械的に紡がれた言葉は空虚なもの。
敵を追い立て、その命を刈り取る少女にとって意識を割く事象ではなかった。
己を救った愛おしきウィッチを害する存在は、排除すべき有象無象としか映っていない。
「はぁ…困りますね」
凶行の一部始終を静観していた乳白色のアブラゼミを見上げ、苦笑を浮かべる。
「連中は、あなた方を嫌っているようです」
返答は当然ない。
彼女のファミリアはインクブス相手でなければリアクションを見せないのだ。
人類の守護者は強力無比だが、人間の善性や良心を過信したデザインが成されている。
今までは、それで良かった。
しかし、知らぬはずもない。
インクブスの策を正面から粉砕してきた彼女が。
ゆえに、助勢など傲慢な宣誓は立てない。
絶望に満たされた世界で咲く彼女の──
「あ、アズールノヴァさん」
燐光が舞う路地裏に第三者の声が響く。
あの日から変わらぬ決意を再確認するアズールノヴァへ声をかける者。
蒼い瞳が路地裏を覗き込む人影を捉え、僅かに細められる。
「どうかしましたか、レッドクイーン?」
名を呼ばれた
その影を蒼き焔が取り払えば、現れる真紅のウィッチ。
腰まで伸びた髪、恐怖を滲ませる瞳、バラを思わせるドレス、その全てがワインレッドで染め上げられている。
「さっきのウィッチは…」
胸元で揺れる懐中時計を不安げに握り、路地裏を照らす蒼い焔について問う。
心底どうでもいい質問にアズールノヴァは目を瞬かせ、どう回答したものかと沈黙する。
「あ…いえ、やっぱり」
「敗北したウィッチが幸か不幸か生かされた場合、どうなるかという一例です」
委縮して小さくなるレッドクイーンへ、あえて要領を得ない回答を返す。
漠然としか想像できない者は、呆気なく死に至るものだ。
「場所を変えましょう」
「は、はい」
絶対順守の命令に背筋を伸ばし、レッドクイーンは首に掛けた懐中時計を握り締めた。
秒針、分針、時針が回り出し、まるで法則性のない時間を指す。
刹那、世界の色が反転──景色が埃の積もった路地裏から高層ホテルの屋上へ変わる。
標識の消えかけたヘリポートの縁に佇む2人のウィッチ。
夜風にドレスの裾を靡かせ、両者の瞳は旧首都を見下ろす。
「洗脳、隷属、人質……苗床以外にもウィッチは使われます」
不意に口を開いたアズールノヴァの言葉にレッドクイーンは身を固くする。
まるで夕食の食材を選ぶような気軽さで飛び出したウィッチの末路。
誰もが忌避する現実であった。
「
闇に沈む雑居ビルへ無機質な視線を投げる蒼い瞳。
武力ではなく、人心を陥れる手管に長けたインクブスは厄介な存在だった。
ウィッチを苗床ではなく、人類の敵へと変貌させるのだ。
彼女のファミリアには通じず、一方的に駆逐されていたが──
戦力温存のための捨て駒か、それともウィークポイントを認識したものか、判断はつかない。
「この前のウィッチも、ですか?」
「いえ、先日のウィッチは違います」
先日のウィッチとは、ホテル屋上からも見える紅白の電波塔から旧首都の一帯を監視していたウィッチを指す。
レッドクイーンのマジックを用いて強襲、問答無用で首を刎ね飛ばした。
「あれはインクブスではなく、国の組織に属するウィッチです」
「国…く、国の?」
彼女に害を為す存在と聞き──拒否権は存在しないが──協力した真紅のウィッチは、告げられた新事実に蒼白となる。
個人ではなく国家が相手とは夢にも思っていなかったのだ。
「はい、遠路はるばる海の向こうから」
「優れたウィッチを監視、あるいは懐柔するための工作員みたいなものですね」
懐柔するだけでなく、時に拉致を強行しようとする者たち。
その浅慮な行動の数々を思い出し、アズールノヴァは口角を上げる。
「監視ということは……あのドローンも?」
比較的穏便に済んだ昨夜の一幕を思い出すレッドクイーン。
一般的なウィッチにとってドローンとは熱心なファンが持つ高価な機材という認識。
しかし、アズールノヴァは捕捉と同時に、これを破壊した。
それが意味することは──
「別組織のようですけど、同類ですね」
事もなげに肯定された事実に気弱な協力者は息を呑む。
使用機種は民生ドローンだったが、アズールノヴァは運用者のユニフォームがマルチカムの戦闘服であると知っている。
昨夜、住宅街で活動していたのは、
「国防軍とか…ですか?」
別組織という単語を耳にしたレッドクイーンは願望に近い言葉を絞り出す。
国民から愛される国防軍であればいい、と。
「あそこはウィッチの
ウィッチを囲った各国軍とは対照的に国防軍は戦力化を一切行っていない。
放任主義を疑問視する声は内外問わず存在した。
しかし、能力に秀でたウィッチが次々と現れ、国内のインクブスを撃退したことで、これを封殺。
以降も一貫してスタンスを変えていない。
「だとすれば……どこの組織なんですか?」
不安で揺れる赤い瞳を退屈そうに見返す蒼い瞳。
知ったところで取り巻く環境は変化しない。
アズールノヴァにとって合法非合法関わらず国内で蠢動する組織の正体など細事だった。
「どこでも構いません。あの方の障害となるなら──」
偶発遭遇ではない計画された追跡の目的は、定期的な情報収集ではない。
彼女の確保を容易とするための一手。
であれば、己が為すべきことは決まっている。
「斬るだけですから」
殺意を宿す蒼い瞳に、懐中時計を抱いて震え上がるレッドクイーン。
これまで敵と認めた者を躊躇なく排除してきたアズールノヴァに二言はない。
たとえ、相手が国家の暴力装置であろうとも。
◆
草木のない不毛な大地を進む魑魅魍魎の群れ。
ヒトの言葉を借りるならば、百鬼夜行。
張り詰めた空気を纏って行進する彼らの目的地は、73番目に陥落した同胞の巣。
蹂躙と略奪しか知らぬ侵略者にとって初の
「巣まで、どれくらいだ?」
「まだ先さ……くそったれが」
ボウガンを担ぐ矮躯のゴブリンが険しい目つきで荒野の彼方を睨む。
同志の巣がファミリアの巣へ変貌する前に攻撃しなければ、死闘は必至。
時はインクブスに味方しない。
「焦っても仕方ねぇよ」
隊列の側面で敵襲を警戒するライカンスロープが苛立つゴブリンたちを宥める。
「俺たちは群れが乱れない速度で急いでる。ここらが限界だ」
こういった事態を想定していたからこそ早急に軍団を編成し、出撃できた。
エナで肉体を構成するインクブスは、ただ生存するだけなら物資を必要としない。
必要とされる物は、己の肉体と得物、そして
極めて身軽な軍勢は、今出せる速度を出して前進中だった。
「それに…虫けらを殺る前に疲れてちゃ意味ねぇだろ?」
鋭利な牙を見せて低い声で笑うライカンスロープ、その言葉に頷くオークの戦士たち。
最前列で戦う者は、ゴブリンたちの苛立ちを理解していた。
時間的な制限に加え、同志の仇を討つ使命が彼らを突き動かしていると。
「我々の同胞を一度は下した羽虫だ。容易と思ってくれるなよ」
隊列の中央を歩くオーガの肩より上を飛ぶインプが声を降らす。
同胞が巣の防衛に失敗した事実は、彼らの特権意識を叩き折った。
不機嫌な態度を隠しもしないが、伸びた鼻が折れて溜飲が下がった多くのインクブスは気にも留めない。
それが気に喰わないインプは、全滅したであろう同胞へ毒づく。
「羽虫ごときに何を──」
刹那、荒野の彼方から閃光が走り、インプの頭部が弾け飛ぶ。
攻撃──インクブスの軍勢は事態を呑み込めず、硬直した。
着弾から数秒遅れて、雷鳴が轟く。
マジックによる狙撃、それもインプを凌ぐ威力の。
その事実を最初に理解したインクブスは、オークの戦士だった。
「狙撃だ! 盾を構えろ!」
怒号に近い大声がインクブスの軍勢を硬直から立ち直らせた。
しかし、行進するための細長い隊列は指示が行き届かない。
ゆえに指示を飛ばす者は声を張り上げ、手を振り、忙しくなく動く。
つまり、
「インプは頭を下げろ! 狙い撃ちさ──」
オークの頭が風船のように弾け、次いで指示を聞き漏らしたインプの上半身が破裂する。
指揮を執る者が次々と即死し、収束するはずだった混乱が拡大していく。
「ウィッチか!?」
この異界に戦えるウィッチなど存在しない。
馬鹿げた同胞の言葉にインプが吠える。
「いるわけなかろうが! 反撃しろ!」
閃光、雷鳴。
赤い月の下に浮かぶ灰色の影は全て上半身を砕かれ、墜落する。
プライドゆえに反撃を選択したインプは
瞬く間に反攻作戦の要たる術士が全滅し、混乱は加速する。
「どこからの攻撃だ!?」
「知るか!」
「ぐおおぉぉぉ!」
次に必殺の雷の直撃を受けたのは、一際目立つ巨躯のオーガたち。
マジックへの耐性を超過した集中砲火で皮膚を焼き、筋肉を爆ぜさせる。
オーク以上のタフネスを備えたインクブスが膝を折り、次々と絶命していく。
「敵襲!」
空を睨むゴブリンが悲鳴に近い声で叫ぶ。
肉弾戦における
重々しい羽音を奏でる4枚の翅。
赤き月を映す漆黒の外骨格。
忌々しき災厄──インセクト・ファミリア。
雷鳴が止む。
これ幸いとインクブスたちは得物を手に取り、盾と同胞の屍をもって即席の陣地を築く。
士気は最低、されど逃走の選択肢はない。
「急降下する瞬間まで引き付けろ!」
「おう!」
「隊列に突っ込んで来る奴は、逃さず得物を叩き込め!」
術士を失おうと無抵抗で餌食になるインクブスではなかった。
膨大な犠牲を経て、対策を考案し続けてきた──闘争の過程で学習したのは、インクブスだけではない。
蓄えた膨大な記録から
最優先で駆逐すべき目標の設定。
それの達成を容易とする個体の増殖。
そして、既存戦術のアップデート。
今、インクブスが相対しているファミリアは、殲滅戦に最適化されたシステムだった。
「おい、あれって…!」
荒れ果てた大地を這うように飛行する集団をライカンスロープが捉える。
上空の影より小型、されど漆黒の影は弾丸のごとく。
目標は支援、攪乱、蹂躙。
エナの放射を隠蔽し、インクブスをサイレントキルする小さき暗殺者のエントリーだ。
「同時攻撃だと!?」
「上空の連中は囮だっ」
別種による同時攻撃という異常事態に動揺するインクブス。
しかし、時もファミリアも止まらない。
「来るぞ!」
「とにかく撃てっ」
動揺と混乱は収束せず、統制された射撃の機会は失われた。
疎らな矢雨に無機質な敵意を制止する力はない。
陣地に突進したファミリアは、侵略者たちを駆逐する。
──その日、人類の敵を駆逐せんと進化を重ねてきたファミリアの集大成が産声を上げた。
次回は東パッパを出すネ(ニチャァ)