「姉ちゃん……まもぅ……」
私の膝の上で無防備な寝顔を見せる妹は、どんな夢を見ているのだろう。
頬にかかった黒髪を耳元へ戻すと幸せそうな笑みを浮かべる。
「よく寝ていますね」
「ああ」
夕飯を食べ、児童向けアニメを見終えるなり、電池が切れたように寝入ってしまった。
後片付けは済んでいるし、せっかくの休日なのだから、ゆっくりしてもいい。
この何気ない日常が、私を私たらしめるものなのだから──
「疲れて寝てしまうほど夢中になるのも分かります」
実寸大のハエトリグモに扮したパートナーがダイニングテーブルの上で感慨深そうに宣う。
どうした急に。
「作画と演出、声優の方々の熱演……素晴らしかったですね」
物知りマスコットを目指していたパートナーはサブカルチャーにも造詣がある。
芙花が最近夢中になって見ているアニメ──ナイトウィッチーズについても。
騎士なのか、夜なのか、ともかくウィッチが主役のアニメ。
芙花と見ることもあれば、
「アゲハさんの台詞には、こう、胸打たれるものがありましたね……」
「そうか」
おそらく、仲間たちを敵の洗脳から目覚めさせた主人公の台詞だろう。
そのシーンは挿入歌も相まって印象に残っている。
「東さん」
「言わないぞ」
「ま、まだ何も言ってませんよ?」
「言わなくても分かる」
冷静沈着に見える主人公が想いを熱く語る様に感銘を受けていたようだが、それを私に求めるなよ。
あれは仲間との間に積み上げてきた信頼があるからこそ重みが伴う。
インクブスの屍だけ積み上げてきた私の言葉では、救うどころか心を動かすこともできまい。
そもそも、この世界で言葉は無力──創作に現実を持ち込むな。
ウィッチが困難を打ち破って大団円を迎えるアニメ。
それの何が悪い?
創作物まで鬱屈とした現実が広がっていれば、この世は本当に救いがない。
「……ドローンが気がかりですか?」
私の座るソファの背凭れへ移ったパートナーが真面目な声で問う。
今、直面している問題について──私の気を紛らわせるため、わざと無関係な話題を振っていたな?
そんな柔なウィッチじゃないのは知っているだろうに。
芙花を起こさないよう声量を抑え、問いに答える。
「当然だ」
先日遭遇したドローン、あれは私を追跡していた。
一般に流通している機種だったが、熱心なファンの扱う機材ではない。
「あの場にいたのは、一般人じゃない」
「はい」
休眠中のハマダラカを急遽起こし、周辺を探らせてみれば、どうだ。
捕捉した複数の人影と自壊させた私のコートがあった地点は
「偶然居合わせたとは考えにくいです」
「ああ」
「あれを演技とは思いたくありませんが……」
「演技である必要はない」
その場合、何も知らない被害者がいるだけだ。
情報を得るためなら、目的を達成するためなら、手段を選ばない。
まったく、反吐が出る。
「難民に紛れ込んだ信奉派でしょうか?」
ウィッチを神格化する者がいれば、インクブスを信奉する者もいる。
反国家、反社会的行動に傾倒する層が支持していたが、現在はテロリストとして一掃されたという。
私も実物を見たことはない。
「もしくは、傀儡軍閥か」
信奉派よりも現実的な脅威が、海を隔てた向こう側にはある。
インクブスの傀儡軍閥を含む複数勢力の入り乱れる陣取りゲーム盤と化した大国。
そこから
最近、インクブスの出現数が減少した理由も説明がつく。
「仮にそうだとすれば厄介ですよ、東さん」
「問題はそれだけじゃない」
人間を家畜として扱うなら、闘争の道具として扱うのは目に見えていた。
ゆえにインクブスの傀儡となった人間を無力化する手段はある──使ったことはないが。
懸念事項は、実戦経験の有無よりも現状の複雑さにある。
「件のウィッチだ」
ドローンが墜落する瞬間、エナの流動を観測した。
この世でマジックを使用できる存在はインクブスか、ウィッチだ。
前者は捕捉次第駆逐しているとなれば、後者しか残らない。
「何者なんでしょう?」
「敵ではない…と願いたい」
希望的観測だ。
ドローンの破壊にマジックの使用を厭わないウィッチが交渉の通じる相手かどうか。
旧首都で私を尾行していたウィッチの可能性もある。
その場合、危険性は跳ね上がる。
あれ以来会っていないアズールノヴァの安否が気がかりだった。
「万が一のときは……」
後遺症──重度のPTSDは確実だ──は残っても、元凶を駆逐すれば解放できる
自らの意思で行動しているウィッチが相手だ。
交渉が通じなければ、残る手段は暴力による制圧しかない。
セミ科に酷似したファミリアの奏でる
「やるぞ」
「……はい」
表情は読めずとも苦々しさを滲ませるパートナーの声。
きっと私も似たようなものだろう。
「インクブスを倒すだけ……とはいきませんね」
「ああ」
対処する手札はあるが、情報がない現状は受け身になる。
巻き込まれているのか、それとも当事者なのか、私たちは分かっていない。
インクブスの駆逐に先鋭化したファミリアには、対処能力に限界がある。
そして、エナの供給が不安定なため活動に制約がついて回る。
「ままならないものだな」
「東さん……」
もしも、芙花や近しい人々に害が及ぶなら、最悪の決断を下さなければならない。
──敵味方識別の改変。
それが及ぼす影響や弊害は全くの未知数であり、一歩間違えれば人類の脅威となる諸刃の剣だ。
ファミリアは人間を無視しているだけで、ひとたび命令を受ければ老若男女関係なく駆逐する。
「ここは──」
鳴り響く単調な着信音。
胸元から取り出したケータイの画面には、よく知る名前が映っていた。
前脚で鋏角を押さえ、沈黙のジェスチャーを見せるパートナーへアイコンタクトで応える。
後で話そう。
「もしもし、父さん?」
相手は、今世の父からだった。
芙花を起こすべきか、迷う。
≪蓮花?≫
「うん」
私を下の名前で呼ぶ声は優しく、いつものように温かかった。
意識しなくても口元が綻んだ。
≪突然電話してごめんね≫
父は、いつも電話の初めに謝る。
なかなか時間が取れず、時間帯は不定期になりがちだ。
しかし、それは父が国防の責務を全うしているからに他ならない。
「大丈夫だよ。父さんこそ最近忙しかったみたいだけど、大丈夫?」
≪大丈夫。父さんがタフガイなの知ってるでしょ?≫
ケータイ越しに力こぶを披露している姿がありありと想像できた。
制空戦闘機のパイロット──イーグルドライバーと言うらしい──である父は、文句なしのタフガイだろう。
日夜、インクブスや傀儡軍閥を撃退し続けている九州の防人、国防軍において
父は、そこに所属している。
≪蓮花、芙花はどうしてる?≫
学校での武勇伝から今日の夕食に至るまで元気一杯に報告してくれる芙花は、膝の上で安らかな寝息を立てている。
「眠ってるよ。ちょっと疲れたみたい」
≪なら、起こさないようにしないとね≫
小さく上下する肩へ伸ばした手を止める。
よく遊び、よく学び、成長していく芙花と話せるのは今しかない。
誰よりも傍で見届けたかったのは、父のはずだ。
そして、芙花にとって──これが最後の会話になるかもしれない。
明日が必ず訪れるとは限らない世界に父はいる。
だから、起こしてやりたかった。
「父さん」
≪大丈夫。また、電話できるから≫
そんな私の葛藤を見透かしたように父は言う。
これまでも似たような言葉を返されたが、それを違えたことは一度もなかった。
絶対はないが、それでも信じたくなる。
この人には敵わない。
「分かった」
≪よし、今日は久々に蓮花の武勇伝を聞かせてもらおうかな≫
「私に何を期待してるの?」
≪冗談、冗談だよ……蓮花、学校はどう?≫
勉学以外のことで話せることはない──と思っていたが、最近は小さな事件が色々とあった。
シモフリスズメの絵が上手い金城、政木から貰った惣菜のお稲荷さん、エトセトラ。
話題が尽きないことに我ながら驚いた。
去年とは雲泥の差だ。
「──そんなところかな」
適当なところで話を切り上げないと、いつまでも話し込んでしまいそうだ。
父は合いの手を入れるタイミングが絶妙で、つい話したくなる。
≪そっか……ところで、蓮花≫
「なに?」
≪最近悩んでることはない?≫
父は前触れもなく話を振ってきた。
他愛ない会話を交えていた時とは異なる、生真面目な声で。
「悩んでるように聞こえた?」
≪そんな気がしてね≫
気取られないよう胸中に押し込んでいたつもりだが、どこかで漏れ出していたのだろうか。
それとも父が鋭いのか。
こういう時、心配させまいと本心を欺瞞した言葉が通じた例はない。
「父さんは──」
父になら助言を求めてもいいと思った。
私とパートナーは当事者ゆえに議論の方向性が定まっている。
第三者の視点に事態打開のヒントがあるかもしれない。
「逆境を覆すには何をすべきだと思う?」
≪ふむ≫
私がウィッチであることは明かしていないため、抽象的な問いかけになるが。
しばし黙考してから口を開いた父の回答に耳を傾ける。
≪まず、第一に諦めないこと≫
「うん」
第一前提は、当然の心構えだった。
諦めた時点で敗北は確定し、その惨禍は私だけでなく芙花にも及ぶだろう。
だから、諦める選択肢はない。
≪次に攻め続けること≫
「逆境なのに?」
相手にイニシアチブを握らせないため、攻撃の手を緩めない。
攻撃は最大の防御。
私も大いに同意するところだが、不利な状況下では無謀な行いに聞こえる。
≪父さん流の答えになるけど、戦闘機は前にしか飛べないし、攻撃できない──必ず正面に敵を置く必要がある≫
戦闘機という兵器の特性上、それは当然の話だ。
だが、伝えたい本質は、そこではないだろう。
≪だから、待っていてもチャンスは訪れない。こちらから行動して、相手に対応させる≫
これまでやってきたことだ。
捕捉すれば逃さず駆逐し、安全地帯を叩き、負担を与え続ける。
対応を遅らせるため情報を与えず、後手に回らせる。
だが、それはインクブス相手だから有効であって──
≪どんな相手であっても目的や戦術が見えてくる≫
いや、本質は変わらないのか?
≪そこからチャンスの欠片を集めて、ここぞという時に一番強力な手で叩く≫
まったくの別世界で戦っている父の言葉は、私の方針そのものだった。
相手がインクブスから人間へ変わっても本質は変わらない。
次の手を打ち続け、待ちの手札を切るのはアンブッシュの瞬間だけ。
警戒するあまり狭まっていた視野が開けたような気がした。
≪まぁ、言うは易く行うは難し、だけどね──≫
自嘲気味に笑う父の声を遮り、耳をつんざくサイレンが鳴り響いた。
≪ごめん、蓮花。答えになったか分からないけど…≫
スクランブルだ。
声色が歴戦のイーグルドライバーへ切り替わった父は、まるで別人だった。
一刻の猶予もないが、まだ電話は切られていない。
だから、手短に伝える。
「ううん、ありがとう。話せて良かった」
母が行方不明になっても変わらず見守ってきてくれた父を送り出す。
「いってらっしゃい」
≪いってきます≫
◆
日本と大陸を隔てる海は、夜の闇を吸い込んで墨汁のように黒い。
光源といえば、遥か彼方で瞬く星の輝き。
しかし、人の営みから遠く離れた高空を飛ぶ鋼の翼に光の導は必要ない。
電子の眼によって闇夜を見通す全天候型制空戦闘機4機は、その日も数多の人命が沈む海上を飛行していた。
「マンイータ1より各機、敵機が迎撃ラインに侵入、
虫の複眼を思わせるヘルメットを被ったパイロットが、コクピットパネル右側に位置するスイッチを倒す。
単純作業として処理できるほど繰り返してきた一動作。
それは、鋼の翼の抱く音速の矢が敵を滅ぼすため目覚めたことを意味する。
インクブスの脅威と戦う国軍に国家間戦争をしている暇はない。
ならば、現在も日本へ向けて飛行中の物体──それを敵機と定めるマンイータの任務とは何か。
≪ナイトウィッチよりマンイータ、
その機影を正確に捕捉している早期警戒管制機より通信。
飛来する方位を聞き、パイロットは酸素マスク越しに小さく溜息を漏らす。
「マンイータ1、
操縦系統が入力された情報を翼に伝え、シャークマウスの描かれた機首が指示された方位へ向く。
それを正確に追尾する僚機のターボファンエンジンの咆哮が夜空に虚しく木霊する。
遥か昔に思える平時、彼らが不殺の防人であった日に培った技術は、遺憾なく編隊飛行で発揮されていた。
「レーダーコンタクト」
機首を向けてから程なくして、電子の眼がターゲットを捕捉する。
報告通りの機数を確認し、その位置と速度から機種の目星を付けていく。
先行している4機はエスコート、後続の2機がメインターゲットであろうと。
≪ターゲット4機が変針、接近中≫
通信を受けるまでもなく、機首のレーダーはターゲットの機動を捉えていた。
この海域に到達するまでインクブスの傀儡軍閥から迎撃を受け、残燃料も残弾も心許ない中、最大の障害である国防軍を迎え撃とうとしている。
戦闘機より低速で飛行する後続を逃すために。
「コピー、マンイータ1、
一切の同情も慈悲もなく、マンイータ1は宣言する。
感情の摩耗した無機質な声で。
「
≪マンイータ2、エンゲージ≫
≪マンイータ3──≫
ディスプレイを操作し、最大射程の兵装を選択。
ドッグファイトなど発生し得ない。
制空戦闘機のハードポイントには視界外射程対空ミサイルが夜空を睨んでいる。
勝敗は既に決していた。
それを理解していながら彼らはマンイータと相対する──家族や恋人、親友を地獄と化した大陸から脱出させるために。
夜の闇に隠れて飛行する敵影を電子の眼が捉え、ヘッドアップディスプレイに浮かぶ情報の中から回避不能距離を人の目が睨む。
「ロックオン」
無慈悲な死の宣告が為された。
「FOX3」
≪FOX3、FOX3≫
ハードポイントから切り離された対空ミサイルが紅蓮の焔を吐き出して夜を切り裂く。
マッハ4に急加速した音速の矢は瞬く間に夜空の彼方へ消える。
固体燃料の燃焼が完了し、慣性で飛翔を開始──敵機が散開する様をレーダーが捉え続けた。
終端誘導に入った時点で生半可なジャミングは意味を成さない。
≪グッドキル≫
レーダーから機影が消える。
星の輝く夜空の下、命の灯が4つ消えた。
≪ターゲット2機、尚も変針せず≫
エスコートを失おうと変針はできない、と誰もが知っている。
理解している。
難民を満載しているであろう輸送機は日本を目指すしかない。
引き返せば傀儡軍閥の戦闘機が待ち構えているのだ。
≪迎撃せよ、マンイータ≫
たとえ、子どもを含む罪のない人々が乗っていようとも撃墜する。
それが国防軍、空の防人に課せられた使命。
慈悲が存在してはならない。
難民を受け入れた結果、インクブスの蹂躙を許した那覇の惨劇──沖縄県失陥の主因──を繰り返さないため、
「マンイータ1、コピー」
国民から愛される国防軍において
どこまでも機械的に、努めて感情を殺す。
「こちらとマンイータ2で対処する」
≪コピー、マンイータ1≫
灰色の翼が夜風を切り、鋭利な牙を見せるシャークマウスの切先が敵へ向く。
ヘッドアップディスプレイに表示される正方形のシンボル。
その数が2つであることを確認。
≪マンイータ2、シーカーオープン≫
「シーカーオープン」
シンボルの中心にいる輸送機には定員を超えた人数が詰め込まれているだろう。
しかし、正確な人数が把握されることはない。
海上に降り注いだ時、それらは把握できる形を留めていないからだ。
「ロックオン」
その凄惨で、悲劇的な大量殺人は、ボタン一つで容易く実現される。
誰もが忌避する
護るべき者へ降りかかる厄災の可能性を一つでも多く摘み取るため。
「FOX3」
≪FOX3≫
鋼の翼を背後へ置き去りにして紅蓮の焔が夜空を疾駆する。
低速かつ大型である輸送機に回避する術はない。
命中の瞬間を知覚するは電子の眼だけ──最後の敵機がレーダーから消失する。
二児の父親は、それを無感動に見届けた。
おい、魔法少女しろよ(タグ詐称)
小噺を執筆するなら?
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某市街戦参加ウィッチ視点
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国防軍一般兵士視点
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