3体のヤママユガを別の方角へ放つことで追跡を撹乱する試みは、エナの消費量に対して効果が見合っていない。
あっさりと新米ウィッチ──新米の実力ではないが──に発見されるようでは有効と言えないだろう。
まさか、ここで遭遇するとは。
「お久しぶりです、シルバーロータス様!」
尻尾があれば扇風機のように振っている様が想像できるアズールノヴァは、ハマダラカの索敵網より外側から飛来していた。
偶然、通りがかったわけではない。
きらきらと碧眼を輝かせるファンとの再会を喜ぶべきか、それとも──
「お久しぶ──むぎゅ」
反射的に答えようとしたパートナーの鋏角をつまむ。
入口の上で網を張るメダマグモへ待機するようテレパシーを発する。
腰に下げたククリナイフの重みを意識の片隅に置いて。
「後ろのウィッチは?」
見慣れぬ同行者、アズールノヴァの背に隠れるウィッチについて問う。
洗脳されたウィッチ特有の変調したエナは観測していないが、インクブス以外の脅威が明らかになった今、警戒せざるを得ない。
「あ、こちらは」
笑みを浮かべたままアズールノヴァは流れるように背後のウィッチを前へ押し出した。
バラの花びらを思わせる真紅の装いが、ふわりと舞う。
廃工場には場違いなドレスに身を包むウィッチとは初対面のはずだが、妙な既視感があった。
「ひぇ」
視線を合わせるなり、露骨に怯えられた。
私は仏頂面かもしれないが、そこまでか?
王侯貴族でも通りそうな容姿だが、肝心の本人は赤い瞳を忙しなく動かして落ち着きがない。
「一緒に活動しているバディの」
「れ、レッドクイーンれすっ」
噛んだ。
みるみる赤面していくレッドクイーンと笑顔に微かな困惑を滲ませるアズールノヴァ。
演技にしては──そんな穿った見方を頭から追い出す。
油断すべきではないと考える一方で、年端もいかない少女を疑う自身に辟易する私がいた。
とぐろを巻くヤスデの頭を撫で、それから静かに息を吐き出す。
「そうか」
2人の頭上で網を構えるメダマグモへ下がるようテレパシーを発する。
甘いか──甘いな。
だが、本来味方であるウィッチを頭ごなしに疑ってどうする?
他者を疑い出せば、そこに際限などない。
「シルバーロータスだ」
相変わらず慣れない名前だが、初対面の相手には名乗る。
対話を行う上で最低限の礼儀。
駆逐すべきはインクブスであって、ウィッチではない。
私がすべきなのは思考停止ではなく行動すること。
「は、はい、よろしくお願いしますっ」
「そのままでいい」
慌てて頭を下げようとするレッドクイーンを手で制する。
メダマグモこそ下がらせたが、鉄骨の陰に紛れるカマキリや天井で粘液球を垂らすナゲナワグモは臨戦態勢のまま。
そして、今も傍を離れない大蛇の如きヤスデが、私の猜疑心を表している。
自己嫌悪が顔に出ないよう口を引き結ぶ。
「改めまして…お久しぶりです、アズールノヴァさん! 初めまして、レッドクイーンさん!」
「はい、お久しぶりです!」
「は、初めまして」
肩の上で機会を伺っていたパートナーが挨拶する。
途切れかけた流れを取り持つように、溌溂とした声で。
ちらりと黒い眼が私を見る──疑っていた手前、次にかけるべき言葉を探していた私を。
毎度、会話の場で頼るわけにはいかないと思っているが、助けられてばかりだ。
苦手意識を払拭することは難しい。
「あれからお会いする機会がなかったので心配しましたが、バディで活動されていたんですね」
「はい」
廃工場に足を踏み入れる2人の影をカマキリが闇より追う。
ヒールの奏でる足音に反応し、ヤスデが微かに身を揺らす。
「レッドクイーンもシルバーロータス様のファンで、意気投合してから一緒に活動しているんです」
「な、なんと、2人目のファンが!」
アイドル性の欠片もない私のファンが増えたことより、アズールノヴァがバディを組んだことの方が喜ばしい。
端的に言えば、生還率が高まる。
ただ──
「ね?」
「そ、そうなんですっ」
バディに同意を求められて必死に頷くレッドクイーンは、
彼女も新世代のウィッチなのだろう。
しかし、精神的な支えでもなるパートナーを連れていないウィッチは危うく見える。
なぜ、オールドウィッチはパートナーを排した?
「それで、お二人は何をされていたんですか?」
「それについては今から説明しますね──シルバーロータス様」
陰鬱な思考を断ち切り、笑みを消したアズールノヴァと視線を合わせる。
淀みのない真っすぐな目だった。
改まって切り出される本題は良かった試しがない。
「先日、お話しいただいた尾行の件、犯人を突き止めました」
旧首都で活動する度、
ゆえに最低限の対策しか講じていなかったが、険しい声色から嫌な予感がした。
「犯人は、インクブスに操られたウィッチです」
それを聞いた時、一瞬でも安心した私が、いた。
躊躇なく駆逐できる明確な敵、問題解決の道筋が見えたと。
そういう問題じゃない。
「そうか」
年端もいかない少女が、インクブスに敗北したウィッチの
数ある凄惨な末路の中でも最悪に類されるものを。
床へ視線を落とすレッドクイーンも、おそらく遭遇したのだろう。
「インクブス……やはり、度し難いですね」
左肩から聞こえてくるパートナーの憤る声。
その手の戦術を好むインクブスを屠り続けてきた私は、その声が出なかった。
慣れてしまった己が嫌になる。
「…大丈夫か」
口から出たのは、空虚な言葉だった。
「お気になさらないでください」
ウィッチと戦うことは相当なストレスだったはずだ。
しかし、力強く微笑むアズールノヴァに影は見えない。
見せていないのか、上手くコントロールしているのか、私には判断できなかった。
「撃退には成功しましたが、まだ近隣に潜んでいるはずです」
「それで捜索中に私たちを見つけた、と…」
「はい」
燻る感情を持て余す間も話は進む──頭を切り替えろ。
「ファミリアを狙っているように見受けられたので、急ぎお伝えしようと」
「ファミリアを?」
私ではなく、ファミリアを狙う?
根源を絶たない限り、ファミリアは補充されるものだ。
労力に見合わない。
同様の疑問に思い至ったパートナーと目が合う。
「何が目的でしょう?」
「ただ戦力を漸減するためとは考えにくい」
「まさか、ファミリアの休眠中を狙って?」
「なら、少数で行う必要がない」
狡猾だが我慢弱いインクブスは迂遠な手段を好まない。
休眠中のファミリアを叩くなら大規模な群れで徹底的にやるはずだ。
「ともかく、敵はインクブスだ。それが分かれば
インクブス共の意図を読み解くのは、今でなくともできる。
それよりも厄介事に巻き込んでしまった2人に、これ以上関わらないよう言うべきだ。
手遅れだとしても。
「アズールノヴァ」
「はいっ」
「レッドクイーン」
「え、あ、はい!?」
新星のように輝く蒼い瞳と宝石のような真紅の瞳を、それぞれ見る。
「情報提供、助かった」
「当然のことをしただけです!」
「わ、私は特に何も…」
私の目を担うファミリアは変調したエナを観測する精度が高くない。
2人のおかげで対処すべき相手の
十分だ。
「後は、私たちで対処する」
「え?」
アズールノヴァの笑顔が硬直し、レッドクイーンは困惑の表情を浮かべる。
罪悪感を胸中に押し込んで、言葉を続ける。
「この件には、これ以上関わるな」
有益な情報を得たから用済みだと放り出す──最悪の所業だ。
「えっと、それは…そう、ですよね」
笑顔の抜け落ちた蒼いウィッチは、不安げに立ち尽くしていた。
親とはぐれた迷子の子どもみたいに。
酷い自己嫌悪に襲われるが、それでも。
「シルバーロータス様に、お力添えなんて必要ありませんよね……」
「違う、そうじゃない」
個人には必ず限界がある。
全てを自己完結できるなど思ってはいない。
できる、できないは脇に置くとして、協力の申し出はありがたい。
だが、今回は違う。
「ウィッチと戦うことになる」
重々しく吐き出した
受ける心的ストレスは、インクブスとの戦いの比ではないと私は感じている。
特に事後処理、あんな光景は見ないに越したことはない。
「あ、アズールノヴァさんは覚悟した上で、ここに来てます」
緊張で微かに震える声。
消沈したアズールノヴァではなく、隣に立つレッドクイーンからだった。
胸元の懐中時計を握り締め、強張った表情で私を見ている。
「覚悟」
反芻した言葉を、あの時の私は持ち合わせていなかった。
救助が間に合わず、凌辱されたウィッチ。
旧首都の片隅で苗床にされていたウィッチ。
洗脳から解放された瞬間、自害したウィッチ。
凄惨な光景の数々を黙過し、順応しただけだ。
「まだ組んで間もないですけど……アズールノヴァさんは、私と違って迷いません。逃げません」
私よりも近くでアズールノヴァを見てきたバディの言葉には、重みがあった。
その真剣な声色から嘘ではないと分かる。
「だから、戦え…ると思います……」
「レッドクイーン…?」
最後の言葉は尻すぼみとなり、徐々に不安の色が真紅の瞳に浮かんでくる。
それでも撤回しなかった。
そんなレッドクイーンの姿は初めて見たようで、アズールノヴァも驚きの表情を浮かべている。
私が頼めば、彼女は戦う──自惚れに近いが、確信があった。
だが、そうじゃない。
「戦意の問題じゃない。心を守るためだ」
その重要性を説くウィッチはパートナーを連れておらず、メンタルケアも受けられない。
一般的なウィッチよりも危ういのだ。
せめて、自身の心は自衛してくれ。
「…辛い戦いだと分かってはいるつもりです」
視線を落としてから、ゆっくりと私を見るアズールノヴァ。
「シルバーロータス様にとって、私たちは庇護の対象かもしれません」
「それは…」
子どもは大人の庇護下で成長し、大人へなっていく。
ウィッチをやっている年齢の少女とて、本来そうあるべきだ。
あるべきだが、それを私が言うことは憚られた。
「でも、それでも、お力になりたいです」
言い淀む私に対してアズールノヴァは迷わなかった。
一切の打算を感じない真っすぐで、曇りのない目。
私が強く拒めない、あの目だ。
「なぜ、そこまでする?」
ファンという言葉だけでは片付けられない献身。
ゆえに私は、問う。
「貴女に救われたからです」
蒼いウィッチは、答える。
両手を胸元で抱き、祈るように言う。
1人の少女を救った事実は、きっと喜ばしいことだ。
だが、その結果、ウィッチとして戦わせている。
アズールノヴァの意志は強い──思いとどまらせるには、相応の言葉がいるだろう。
やはり、ウィッチと関わるのは苦手だ。
沈黙を貫くパートナーを一瞥すると、落ち着いた声が返ってくる。
「私は
パートナーは決断を下さない。
助言する、諫めもする、相談にも乗る。
だが、最終的な判断はウィッチに委ねる。
「ウィッチの、か」
「はい」
私ではなく、この場にいるウィッチか。
アズールノヴァも、レッドクイーンも、次の言葉を待っている。
ここで彼女たちを拒めば、大人しく引き下がるかもしれない。
しかし、仮に引き下がったとして、彼女たちの次の行動は読めなくなる。
そこまで責任は持てない──納得できるか?
ままならないな、まったく。
選択肢があるようで、ない。
「はぁ……分かった。前言は撤回する」
溜息を止める気にはならなかった。
つくづく甘い。
対する蒼いウィッチは目を新星みたいに輝かせ、真紅のウィッチは安堵の息を漏らしていた。
「ただし、二人とも無理はするな」
「はい」
「あと、連絡手段だ」
「はい!」
完全に調子を取り戻したアズールノヴァは、飼主を前にした大型犬のようだった。
パートナーを連れていない以上、連絡手段はケータイになるだろう。
だが、音信不通となって気を揉むよりは──ヤママユガよりテレパシー。
「釣れたか」
「おそらく」
パートナーと短く言葉を交える。
別方角へ飛ばしたヤママユガがエナの放射を観測した。
インクブスではない。
つまり、私を追うウィッチがいたということだ。
「シルバーロータス様?」
「連絡手段については後だ。まず、予定を済ます」
イレギュラーの訪問で多少予定は狂ったが、早々に片付けるとしよう。
ファミリアへ配置を移動するようテレパシーで指示する。
とぐろを解いたヤスデが月光を反射しながら闇へ潜り込み、私は踵を返す。
「ここでは何をされる予定だったんですか?」
「新たなファミリアを迎えに来ました」
ヒールの雅な足音を背に、一切機材の置かれていない廃工場を進む。
フードを目深に被った鼠色のてるてる坊主が、華やかなドレスに身を包む少女を月下より闇へ引き入れる。
場違いなのは、どちらなのやら。
「新しいファミリアは──」
この廃工場には、至る所に天井が抜け落ちた場所がある。
その一つに、月光を浴びる奇妙な小山を発見したアズールノヴァは、足を止める。
「あれは…インクブスの武器ですか?」
「そうだ」
乱雑に積まれているが、あれはインクブスの得物だ。
ゴブリンやオークの得物は当然、ボウガンの矢弾、へし折ったオーガのメイス、マーマンのスピア、エトセトラ。
目的地は、それらを一際高く積み上げた山だ。
「リサイクルごみ…?」
「当たらずといえども遠からず、ですね」
レッドクイーンの呟きにパートナーが答える。
現代の技術では解体できない代物を、何かに利用できないかと回収してきた。
廃工場の中央付近に積まれたごみの山。
今となっては宝の山だ。
月光を浴びる黒い山を見上げ──ぶわりと青が噴き出す。
積み重なったインクブスの得物、その隙間から次々と這い出てくる影。
7対の脚を懸命に動かし、丸い背中が山を下ってくる。
言わずと知れた私のファミリアだ。
「ひっ」
「わぁ」
悲鳴と歓声が同時に上がる。
隙間から這い出てきたファミリアは、ラピスラズリのように深い青色の背甲をもつダンゴムシ。
その群れが一斉に私の下へ集まってくる。
とことこ、という間の抜けた足音と共に床面を青が覆い尽くす。
「青いダンゴムシなんて初めて見ます!」
ブーツの下に潜り込もうとするダンゴムシ、登ろうとするも失敗して横転するダンゴムシ、それに驚いて丸まるダンゴムシ──足の踏み場がない。
しゃがみ込んで退くように手を出せば、たちまち群がってきて押し合う。
戦闘を主眼とするファミリアとは異なり、ずいぶん人懐っこい。
「綺麗ですね!」
「あ、アズールノヴァさん…!?」
足下に来たダンゴムシを抱き上げて目を輝かせるアズールノヴァ。
バスケットボール大はある節足動物を前にして逃げるどころか頬ずりする勢いだった。
「物怖じしませんね」
「ああ」
本当に物怖じしないな。
捕まったダンゴムシも困惑気味に脚を動かす。
「私は何も見てません私は何も見てません私は何も見てません……」
その傍ではレッドクイーンが懐中時計を握り締め、呪文を唱えている。
あまりの必死さに気の毒になってきた。
群がるダンゴムシを払い除け、時に転がしながらレッドクイーンの前へ立つ。
「レッドクイーン」
「へ、あ、ひゃい!?」
目を開けるなり飛び上がって縮こまるレッドクイーン。
私より身長は高いが、仕草の一つ一つが臆病な小動物を彷彿とさせる。
「無理に立ち会わなくていい。すぐ終わる」
そう言って近場の出口──おそらく戦車砲の貫通痕──を指し示す。
苦手なものに無理をしてまで立ち会う必要はない。
「あ、あの、それって1人で待つってことですか…?」
指差す方向へ追従したレッドクイーンの視線は、出口付近で触覚を揺らすカマキリに固定される。
私の視線に気がつき、前脚を舐めてみせることで存在感をアピール。
よせ、今はよせ。
「む、むむ無理です!」
そう思う。
私のファミリアは優秀だが、万人受けしないビジュアルをしている。
青ざめた真紅のウィッチは、間違いなく苦手そうだ。
物怖じしないアズールノヴァが特別なだけで、その反応が普通だった。
「困らせてはいけませんよ、レッドクイーン?」
「ぴっ」
私の頭越しにバディを見たレッドクイーンの肩が小さく跳ねる。
背後から聞こえた声は調子こそ普段通りだったが、背筋の寒くなるような圧力があった。
「別に困っては──」
振り向いたところには、不思議そうに首を傾げるアズールノヴァがいるだけ。
そう、それだけだ。
本当に
「それなら、いいのですが」
そう言って青いダンゴムシを足元に放す蒼いウィッチは、曖昧に微笑む。
アズールノヴァらしくない
目が笑っていなかった。
彼女が見せる底知れない何か──追究は、やめておこう。
「苦手なものは誰にでもある」
「すみません…」
ただ、萎縮しているレッドクイーンに落ち度がない点は強調しておく。
「す、すぐ終わりますから」
「それまで目を閉じていればいい」
「は、はい」
不安で揺れる目を閉じ、懐中時計を胸元で握るレッドクイーン。
それでいい。
視界を遮るフードを取り払い──周囲に群れるファミリアへテレパシーを発する。
それから壁面と支柱の位置関係を大まかに把握する。
重量級ファミリアには、空間が必要だ。
「この子たちが新しいファミリアですか?」
「いや、今から呼び出す」
アズールノヴァの問いへ端的な言葉で返す。
表舞台へ滅多に現れないが、ダンゴムシはファミリアの中では古参だ。
今回の主役は、別にいる。
「ここで召喚を? それだと、エナが……」
その疑問は尤もだ。
ファミリアにエナの供給比率を傾けているため、召喚を行えるだけのエナはない。
だが──
「問題ない」
だからこそ、ここに来た。
目を閉じ、外界を遮断して暗闇に身を置く。
「二人とも動くな」
夜風、足音、息を呑む声の全てを意識から追い出し、ただ集中する。
周囲で燃ゆるファミリアの灯一つ一つを導き、地に紋様を描く。
螺旋状の円網にも、大輪の花にも、見える。
それはエナを効果的に伝播させるための回路。
脳裏に浮かぶ膨大な情報を選別し、ファミリアの輪郭を形成──
「
目を開き、久しぶりに唱える言の葉。
そして、世界の色は反転する。
紋様を形作るダンゴムシの群れへ微弱なエナの命令文を放った。
ただ、それだけ。
分解者としてダンゴムシは召喚したわけではない──本来はそうだったが、今は副次的なものだ。
マジックと打ち合えるインクブスの得物は、エナに直接干渉する
それを摂食した分解者たちは、性質を変化させて己の背甲に蓄積した。
青き背甲は伝播するエナの命令文を加速し、増幅し、出力する。
「……成功です」
出力された先には、1体のファミリアが顕現していた。
不可視の糸が繋がれた瞬間、テレパシーが飛んでくる。
ファミリアの産声だ。
どこか甘えるような、くすぐったい感覚に頬が緩む。
「立派な姿になりましたね」
「ああ」
感慨深げなパートナーの言葉に頷く。
月光を吸い込む漆黒の外骨格は、
巨体を空中へ飛び上がらせるため翅は大型化し、陸戦にも適応した脚は長大化。
オークの頭蓋も粉砕する大顎は、オオスズメバチよりも凶悪な造形だ。
そして、最も異質な進化を遂げた──マジックの発射機構と化した毒腺と毒針。
飛び道具への対抗策として、苗床にしたインプのマジックを参考に再構築した紫電を放つ。
この絶大な火力と引き換えに、苗床の生産には関与できなくなっている。
進化というより変異が正確な表現か。
「シルバーロータス様、今のは一体何を?」
漆黒のファミリアと私を交互に見てから、アズールノヴァは困惑気味に切り出す。
私でも感じ取れる濃度に達したエナが、今は残滓すら感じ取れない。
しかし、ファミリアは召喚されている。
まるで、
その
「このダンゴムシ」
「モノクロモスです」
間髪容れず訂正が飛んでくる。
抜かりないな。
「…モノクロモスは、エナの出力を増幅させる物質を外殻に蓄積させている」
「それに働きかけることでマジックを発動させたんです」
特性を完全に把握したわけではないため、未だ運用は手探りだ。
それでも微量のエナで重量級ファミリアの召喚を行える点から、極めて強力な能力であることは疑いようがない。
「すごいですよ! それならエナの消費を抑えてマジックの連発が…いえ、より威力を向上させることも?」
説明を聞いたアズールノヴァは、一瞬で有用性を理解したらしい。
足下のダンゴムシもといモノクロモスを軽やかに抱き上げ、目を輝かせる。
「この子たちがいれば──」
「ただし」
希望に満ちた言葉の続きを、私は遮った。
思い描いた夢物語は多くのウィッチを救うかもしれないが、それは実現できない。
一仕事終えたモノクロモスは、床面のコンクリートと大差ない体色になっている。
これが本来の色、本来の姿。
つまり、エナの増幅は行えない。
「一度の使用で背甲に蓄積された分は全て消費される」
「再び蓄積されるまで使用はできません」
二度と使用できないわけではないが、それまでは無力なファミリアの群れだ。
しかし、問題は再使用が可能となるまでの期間ではなく──
「そして、個体数が少ない」
個体数を増やし、手数を補うという正攻法が使えない。
十全な効果を発揮するために必要となるインクブスの得物が有限だからだ。
先日の殲滅戦で得た備蓄はあるが、安易に切れない手札になっている。
「そう、ですか……」
アズールノヴァは小さく肩を落とし、モノクロモスを下す。
画期的なファミリアだと思うのも無理はない。
単純な能力の強化だけでなく、戦術の幅を大きく広げることができるのだ。
ファミリアを呼び出す以外のマジックを持たない私より彼女たちの方が恩恵は大きいだろう。
「召喚されたファミリアは、ハチですか?」
陰りの見えた表情を打ち消し、蒼いウィッチは漆黒のファミリアを見上げた。
この少女は失望しないのだろうか?
ふと、そんなことを思う。
「そうだ」
「ハチではありませんよ!」
三者の視線を受けた元コマユバチは首を傾げ、それから呑気に触角の掃除を始める。
1週間足らずで5桁近いインクブスを屠った変異個体は辛うじて昆虫の形態を保っているが、コマユバチの原形は残っていない。
しかし、何も知らない者からすれば巨大なハチに見えるだろう。
「ふふふ、ナイトストーカー改めデスストーカー……とか、どうでしょう?」
最後まで自信を持って言い切れよ。
ウィッチのファミリアらしからぬ剣呑な名前だが、代案もない。
「好きにすればいい」
「むぅ……私たちのファミリアなんですよ?」
インクブスの駆逐を望むだけの私に名を授ける権利があるとは思えない。
それよりもレッドクイーンを介抱すべきだろう。
コンクリートの床面で眠るように気絶している。
見てしまったのか。
「綺麗な黒色をしていますし、オニキスなんてどうでしょう?」
「ブラックオニキスですか……なるほど、良いかもしれません」
パートナーとアズールノヴァが揃って私を見る。
私に同意を求められても色よい返事は出てこないぞ?
「そんな目で見るな。いいんじゃないか?」
期待に輝く視線へ月並みな言葉を返す。
気絶したレッドクイーンの上を歩き回るダンゴムシを払い除けながら。
「あ──れ、レッドクイーンさん!?」
ダンゴムシパイセン……