「虫けらどもが北の塔に取り付きやがった!」
「大陸帰りの持ち場だろ! くそっ口だけかよ!」
「増援が来るまで持たせるぞ!」
重厚な開き扉の向こう側を忙しない足音が駆けていく。
その耳障りな雑音を聞き、黄金の眼は苛立ちで細められる。
動揺して騒ぎ立てようが、有象無象が事態を好転させる可能性はない。
無能を嫌うインプの総長は、忌々しげに溜息を吐く。
「シリアコ卿、本当に救援はよろしいのですか?」
その様子を窺う漆黒のインクブスが恭しい口調でシリアコへ問う。
傍に感情の抜け落ちたウィッチを6人も侍らせて。
「誰に物申しておる。羽虫ごときに後れを取るものか」
静かな怒気が闇の満ちた室内へ広がる。
己の実力を問う言葉は、侮辱に等しい。
数日前の反抗作戦が失敗し、同胞の派遣された巣が次々と全滅したことでインプの権威は暴落した。
同胞の慢心と実力不足は認めるが、総長の実力まで疑われることは我慢ならないのだ。
「これは失礼しました」
恭しく頭を下げる漆黒のインクブス──ボギー。
室内の闇と同化するような黒毛で全身を覆われたインクブス。
ヒトの雌、特にウィッチを調教し、支配することに愉悦を覚える。
精神性はインプに近いが、マジックによる洗脳は好まない。
「貴重なウィッチを使わせてやるのだ。成果がなければ承知せんぞ」
シリアコは苛立ちを隠しもせず、異派のインクブスへ言葉を返す。
インクブスにとってウィッチは貴重な苗床であり、壊れにくい嗜好品であった。
天敵であると同時に極上の獲物なのだ。
「既に3匹も失っておきながら、寛大なお言葉に感謝します」
シリアコの尊大な態度に対して、あくまで低頭の姿勢を崩さない。
大陸にて同胞を率い、ウィッチを狩ってきた実力者に驕りは見られなかった。
ゆえに、今回の作戦に選出されたのだろう。
忌々しいファミリアが苗床
「それは青二才めの
甚大な被害が癒えぬゴブリンやオークは苗床確保のため除外、大陸のインクブスは非協力的とあって、ウィッチを差し出せるインクブスは限られた。
事あるごとに衝突するライカンスロープの渋面を思い出し、口角を上げるシリアコ。
不快な出来事が続く中、久々に愉悦を覚えた光景だ。
腹底まで響く重々しい雷鳴──倒壊する構造物の断末魔。
室内が振動し、天井より微細な破片が零れ落ちる。
天変地異の存在しない異界に轟く雷は、ウィッチのエナで形成された
その不気味なマジックの気配を感じ取ったインプの総長は顔を顰める。
「羽虫め……もう行け、カーティス」
ウィッチの補充を受け取ったカーティスが長居する必要はない。
邪険な扱いを受けようとボギーのカーティスは今一度頭を下げる。
「では…ご武運を、シリアコ卿」
ウィッチを率いる漆黒のインクブスは、女体を模ったオブジェを取り出す。
ポータルの放つ禍々しき光を背にシリアコは踵を返し、重厚な開き扉へ足を向ける。
「…ふん」
ヒトの文化に
「総長!」
扉の両側に控えていたインプが総長を出迎える。
深紫の戦装束と複雑な紋様を刻んだ鎧を纏い、天井を突かんばかりに長大なスピアを携えた同胞。
滅多に見ることがない完全武装した姿に、シリアコは苦々しい表情を浮かべる。
微かな光が射し込む回廊に同胞以外の姿はない。
「狼狽えるでない。彼奴らの位置は分かっておろうな?」
インプの総長は迷いなく回廊を進み、追従する同胞へ問う。
術を研鑽してきたインプにとって屈辱的な姿を強いる元凶の位置を。
「群れの後方に最低でも8……ただ、観測したケットシーは──」
「死んだか」
その末路は言わずとも想像がつく。
エナの雷に打たれたインクブスは文字通り破裂する。
「即死です」
マジックの性質は電撃による物理的破壊であり、発現する事象は焼殺。
しかし、エナの放射流を含んだ一撃は、肉体を循環するエナを飽和させ、
インプの戦装束は放射流を拡散させ、威力を軽減するためにある。
「やはり、眼と耳を狙ってきおるか」
「間違いなく」
シリアコは忌々しげに、しかし、冷静に分析を行う。
ここ数日で21の巣を全滅させたファミリアには類似した習性が確認されていた。
マジックを使用する術士、肉弾戦の脅威となる戦士、情報を収集する斥候、そして指揮を執る上位のインクブスを、徹底して狙う。
インプの総長でありながら、同胞と差異がない戦装束を纏う理由である。
「羽虫どもは500ほどの群れですが、相当に経験を積んでいるようです」
「怖気づいたか?」
雷鳴が轟き、石造の回廊が小刻みに震える。
同胞のマジックを模倣しながら出力過多のため、過剰なエナの放射流が発生する不完全なマジック。
エナを感知する能力に長けたインプは、その拙さを鼻で笑う。
「まさか。羽虫どもに本物を見せてやりましょう」
「上等」
スピアに紫電を迸らせ、口角を上げる同胞。
それを見て、満足げに笑う総長は回廊の先にある目的地へ足を踏み入れる。
「総長!」
「とうとうか…!」
インクブスを生み出した神の絵画が見下ろす大広間。
そこに集った完全武装のインプの一団はシリアコを見て、小さな歓声を上げた。
弱者を嬲ることを是とする加虐者たちは、同格あるいは上位者には敬意をもって接する。
総長へ上り詰めたシリアコを敬わないインプはいない。
「行くぞ、お前たち」
脇に控える同胞から手渡されたスピアの石突で床を叩き、シリアコは厳かに告げる。
大広間の一団が二手に分かれ、出口までの道を開く。
その彼方からは戦闘音楽が漏れ聞こえる。
影より任された己が領地、己が城に攻め寄せる敵──忌々しき災厄を打ち払うため、総長自ら戦場へ立つ。
紅き月が煌々と輝く異界の空。
その下へ現れたインプの一団を悲鳴と怒号が迎える。
「ぎゃぁぁぁ!」
「左から4体、右から5体、来るぞ!」
「装填まだか!?」
インクブスの肉片が散乱する広場は急造の陣地が築かれ、オークとゴブリンが決死の応戦を試みている。
広場を囲うように築造された塔は漆黒のファミリアが取り付き、激しい肉弾戦が繰り広げられていた。
とてもインプの総長が治める城とは思えない。
「大陸帰り、引き付けて撃て! 弾かれるぞ!」
「くそっ──」
死角より飛来した襲撃者はゴブリンの首を紙細工のように易々と噛み千切る。
そのまま陣地へ突入し、重々しい羽音を響かせながら、次なる獲物を──
「羽虫が」
スピアの切先より放射された紫電が襲撃者に直撃する。
一撃で翅と背甲が爆ぜ、首の脱落したファミリアは巨躯を陣地へ沈めた。
その死骸は崩れていき、エナとなって大気へ溶け出す。
マジックへの耐性は高まっているが、あれほどではない。
「シリアコ様!」
救援が城の主と知ったオークの戦士は、ようやく事態が好転すると安堵の息を漏らす。
しかし、雷が東に聳える塔の屋上を破壊し、苦悶の表情へ戻る。
「アロルド、応援に行ってくれ。あそこは要だぞ!」
「了解した!」
シリアコより優先すべき事案の対処に奔走する。
派遣されてきたオークの戦士は優秀だと、不本意ながら評価せざるを得ない。
マジックの使えないインクブスは格下である──その固定観念は健在。
しかし、もはやインプ単独で防衛できる戦況ではない。
「あの羽虫は我らの手で叩き落してやろう。精々城を守っておれ」
上空を睨みながら指示を飛ばすオークの横を通り過ぎ、インプの一団は広場の中央にて足を止める。
矮躯に見合わぬ大きさの羽を広げ、尻尾でバランスを取り、スピアの切先で天を衝く。
それを見たオークの戦士は即座に決断を下す。
「シリアコ様が出るぞ! 斉射で虫けらどもを近寄らせるな!」
「おう!」
術士のエナを浪費させないため、可能な限り障害を排除する。
ボウガンを携えたオークとゴブリンが陣地より飛び出し、外周を固めた。
「斉射!」
急降下で迫る漆黒の弾丸へ矢弾が殺到する。
幾本かは弾き返されるが、複眼を貫徹し、体節を砕かれたファミリアは制御を失う。
頑強な外骨格といえど、無敵ではない。
墜落するファミリアを横目に、シリアコは飛翔する。
「総長に続け!」
総長に続いて飛び立つインプの一団。
一瞬で城の外郭を越え、草木のない不毛な大地へと出る。
転がる岩々が見える低空を這うように、最大速力で飛翔するインプ。
飛翔のマジックへエナの比率を傾けることで速度を得ている。
紅き月の下、眩い閃光が瞬く──刹那、先鋒のインプが前触れなく破裂した。
「これはっ」
戦慄、動揺。
シリアコと同格か、それ以上の距離からの狙撃が同胞を肉塊へ変えた。
付け焼き刃で仕立てた戦装束など無意味と言わんばかりに。
「怯むでない」
正確な方位を記憶し、シリアコは飛翔を継続する。
静止すれば一方的に射殺されるだけでなく、背後より迫るファミリアの群れに呑まれる。
「…鬱陶しい」
眼下の大地が高速で擦過する速度でありながら、再収束するエナの流動は彼方。
そして、シリアコは忌々しげに上空を睨む。
紅き月を背に降下してくる漆黒の影、数は15。
「羽虫が降ってくる!」
「アロンソ、アニセト、任せる」
「承知」
飛翔ではなく、紫電のマジックへエナを傾ければ、否応なしに静止する。
それは死と同義ではあったが、総長の信頼に応えんと同胞は殿を引き受けた。
模倣品ではない本物のマジック──眩い紫電が空を駆ける。
翅を失って墜落するファミリアと殿の同胞を置き去り、インプの一団は前進する。
「総長!」
視界の片隅、殿を務める同胞が紫電の瞬きと共に漆黒の影へ呑まれていく。
断末魔がシリアコの耳へ届くことはなかった。
総長は一団の最先鋒でスピアの切先を構える。
紫電を纏うスピア──彼方で瞬く閃光、放たれるエナの放射流。
鏃のように鋭角の隊形で前進する一団と激突し、紫電と打ち合って大きく湾曲する。
雷に打たれた者はいない。
飛翔の速度は落とさず、高威力のマジックを湾曲させる離れ業。
それを単独で実行したシリアコは速度を維持したまま、紫電のマジックを形成し始める。
「見えた…奴らだ!」
小高い丘に禍々しい影を落とす漆黒のファミリア。
既存の個体を凌駕する巨躯を長大な翅で浮かせ、尻尾に膨大なエナを集中させる生きた大砲。
ただ一つの目標、インクブスの駆逐に特化した変異種を視界に捉える。
これに対して、シリアコの採った作戦──それは至極単純。
ファミリアの前衛を可能な限り城へ誘引し、この変異種を全力で強襲する。
射程を足で補い、最大火力で厚い外骨格を砕く。
「取り巻きに構うでない。狙いを彼奴らに絞れ」
「承知!」
護衛を務める20近いファミリアが射線上に展開し、突進してくる。
打ち鳴らされる大顎に眉を顰めるシリアコは、鼻で笑うだけ。
背後で並ぶスピアの切先は変異種へ、己の切先は護衛へ。
「失せろ」
放射された紫電が漆黒の外骨格を砕き、翅を焼き切る。
シリアコは最低限のエナだけを消費し、正確に護衛の機動力を奪う。
それを予見していたかのように、変異種は腹部の切先を敵へ指向していた。
「速っ──」
閃光、雷鳴。
立て続けに放たれた雷がインクブスを穿つ。
刹那、16ものインプが灰色の羽を焼かれ、高速で激突した地面で生命を砕かれる。
恐るべき速度で放射される雷は、威力は低くとも致命に至る。
「羽虫ども!」
「墜ちろ!」
憤るインプのマジックが変異種へ殺到し、爆ぜる。
しかし、マジックへの耐性を備える漆黒の外骨格は容易く砕けない。
「手緩い!」
シリアコの紫電が真正面から外骨格を砕き、腹部ごと吹き飛ばす。
後続のインプもエナの比率を紫電へ傾け、マジックを放つ。
マジックへの耐性も万能ではない──体節より脚が弾け、複眼を焼かれる。
致命傷か、否。
変異種は姿勢を立て直し、即座に反撃へ移る。
無機質な敵意が漆黒の巨躯を動かす。
「ぐわぁぁぁ!」
「レミヒオ! おのれぇ!」
閃光、雷鳴。
両者間をマジックが飛び交い、断末魔が荒野に響き渡る。
紅の空より大地に落ちた巨躯がエナへ還っていく。
「う、腕がぁ!」
数を減じながらも変異種は、インプの頭や羽、スピアを持つ利き手を狙って焼く。
戦う能力を喪失したインクブスは、既存種でも容易く駆逐できるという判断。
「残り3体…こ、こいつ!」
腹部を損傷した変異種はインプの一団へ突進し、健在の大顎でインプを捕獲。
「ぐえぇ!?」
問答無用で鎧ごと両断し、臓物を空へ撒く。
血飛沫に彩られた漆黒は獲物を求め、大顎を打ち鳴らした。
6体を物言わぬ肉塊へ変えるが、紫電の集中砲火を浴びて墜落していく。
インプの肉薄を許した初めての戦闘──結果は、敗北。
情報は逐次共有し、母へ伝達され、やがて最適化されるだろう。
死する個体が果たすべきは、どれだけ損害を拡大させることが可能か
全ては母の望む戦果を挙げるため行動する。
「後方から羽虫どもが接近中!」
低空より這い寄る漆黒の影。
変異種の意図を汲み、戦う能力を喪失したインプを狙う既存種の群れ。
大顎を打ち鳴らし、ウォークライを荒野へ響かせる。
「エクトル、ガスパル、フェリクス、合わせよ」
「承知!」
シリアコの命を受け、並び立つ腕利きのインプたち。
スピアを半ばで折られ、エナの消耗も少なくないが、ここが正念場。
エナの流動を感知──漆黒の影が広がり、密度を薄める。
マジックの危険性を認識したゆえの退避。
見事に統率された機動を睨みつけ、シリアコは口角を上げる。
「愚か者め!」
天を衝くスピアが眩い閃光を放つ。
放射された紫電が樹のように枝分かれし、ファミリアの群れを串刺しにする。
外骨格の破片が大地へ降る。
そして、翅の焼け落ちた怪物たちも大地へ墜つ。
「…総長、一陣は退けたようです」
地に墜ちても戦意の衰えないファミリアを排除しながら、インプは暫定的な報告を行う。
頷くシリアコは倒れた同胞たちを見下ろし、黄金の眼を細める。
息絶えた者の隣で腕や羽を焼かれた者が痛みに悶える凄惨な光景。
「手酷くやられたな。まったく忌々しい」
インプの一団は半数近くが戦闘不能となっていた。
即死できた者は幸運と言える惨状を見渡し、シリアコは苛立ちと疲労を長い息で追い出す。
ここから負傷者を率いて、帰還しなければならない。
既存種の攻撃に曝される城まで──重々しい羽音が小高い丘を越え、インクブスへ降り注いだ。
今しがた撃破した変異種は、既存種と比較して少数。
しかし、500体の群れに対して8体は
一陣が全滅する瞬間まで息を潜めていた冷徹なファミリアに、インプたちは表情を強張らせる。
ただ、総長を除いて。
「温存しておったわけか…小賢しい羽虫め」
スピアの切先を漆黒の怪物へと向け、不敵な笑みを浮かべて相対する。
死闘の幕は切って落とされた。
光線級吶喊かな(震え声)