複数の案件を同時進行するのが苦手だ。
パートナーはオーバーワークの間違いだと言うが、それは一つの処理に手間取っているからだ。
ぐっと溜息を胸中へ押し込み、昼休みの廊下を進む。
校舎3階の平穏が愛おしくなる喧騒。
これが学校といえば、そうなのだが。
「今のって…」
「え、なに?」
「ほら、2年の東先輩だよっ」
すれ違った女子生徒たちの視線が背中に突き刺さる。
ここは1年生の校舎のはずだが、有名になったものだ。
悪い意味で。
「あ、知ってる。虫姫って呼ばれてる人だよね」
「本当にすごかったんだよ! 綺麗で……」
目的地が別棟2階にあるため、道中で否応なしに生徒と出会う。
先日のバタフライファーム事件以来、有名人となってしまった私は注目の的だ。
見世物じゃないぞ、まったく。
「虫姫って言うから、もっと華があるのかと思った」
「え、ひどくない?」
窓に映る仏頂面の少女は、長い黒髪以外に特筆すべき個性がない。
蓮花であっても華などない。
それが私だ。
期待されても困る。
「失礼ですね!」
頭上から憤慨した声が降ってくる。
気にするだけ労力の無駄と言っているが、私を貶める言葉が我慢ならないらしい。
最近は、露骨に嫌悪感を剥き出しにした言葉も聞くようになって、より意固地になっている。
学校という狭いコミュニティで異物は排除されがちだ。
特に、私のように交友関係が希薄な、コミュニティに溶け込まない者は排除の対象となりやすい。
「東さんはラブレターを受け取っているんですよ…!?」
やめろ。
忘れようとしていたのに、思い出させるな。
曰く──物静かでミステリアスな雰囲気だが、実は家庭的で、とても優しそうなところに惹かれた。
この無愛想な私のどこから優しさを感じ取れたのだろう?
必死に頭を捻って書いたであろう文面を思い出すと、なんとも言えない気分になる。
青春だ、と傍観者気取りに笑っていられない。
当事者は私だ。
「ふっ…東さんの魅力に気づくとは見所が──むぎゃっ!?」
頭の埃を払うように見せかけて得意げなハエトリグモを叩く。
田中くんと会話の頻度を増やしてから、男子に声をかけられる機会が増えてはいたが、それも他愛のない雑談に付き合った程度。
ここまでの反応は予想外だった。
「野球部の中森先輩が彼女と別れた理由、あの人らしいよ」
「それって本当なの?」
「別れたのは本当だって!」
本人に聞こえないところで盛り上がればいいものを。
うんざりする。
勘違いだと言い聞かせてきたが──私に向けられる視線には、嫉妬が含まれている。
話題性が風化するまでの辛抱という見通しは甘かったのだろう。
にわかに信じられないが、私は私が思うより男子に意識されていたらしい。
自意識過剰であってほしかった。
これからを考えると気分が重くなる。
「ヒラタグモになるところでした」
人の髪に埋もれながら、しみじみと言うな。
「はぁ……」
階段前のシャッターを潜り、人目が途切れた瞬間に溜息を漏らす。
私を日常に戻してくれる場は、非日常の場へ変貌しつつある。
意識を切り替えよう──学校生活より優先しなければならない事案へ。
「そろそろ見解を聞きたい」
「今朝のネームドですね」
「ああ」
今朝、あちらで活動するファミリアから密度の濃い報告を受け取った。
採用した戦術、事細かな戦闘の推移、駆逐したインクブスの総数、被った損害、そして──ネームドとの交戦記録。
ネームドに分類されるべき強力なインクブス、それもインプだ。
その脅威は前回遭遇した真紅のフロッグマンの比ではない。
「マジックの同時使用を行える技量とエナの保有量が、第一に脅威ですね」
「加えて、伏兵にも即応する判断力と統率力だ」
「強襲は想定内でしたが、統率されたインプの戦力は想定以上です」
「インプは72体中44体、こちらは伏兵まで全滅……厄介だな」
変異種17体を含む532体のファミリアを一度に失った。
常勝無敗の軍隊は存在しない。
そう理解していても、胸中に燻る感情は持て余すものがある。
最期の瞬間まで情報を送り続けたファミリアの働きに私は報いなければならない。
「最優先で対処すべきです」
予定調和。
結論は既に出ているが、認識の擦り合わせを行う。
齟齬があれば修正し、作戦の確度を高め、脅威の芽を摘み取る。
──2階から下りてくる足音。
ごく自然な体を装って階段を上る。
階下に1人佇んでいる様を目撃されるのは、あらぬ噂に繋がりかねない。
「あの時、口を滑らせたら…どうしようかと」
「え、えっと……どうする気、だったんですか…?」
不穏な空気を醸す女子生徒二人組とすれ違う。
片方は制服を着こなすモデル体型の女子、もう片方は猫背気味の野暮ったい女子。
対照的な両者、どこか既視感のある二人組だった。
踊り場でケータイの時間を確認、足音が遠ざかってから改めて話を切り出す。
「小細工は無駄だな」
「では、飽和攻撃を?」
「ああ、秀でた個は群で圧殺する」
ネームド駆逐のためファミリアは群れごとに戦術を考案中だが、あまり時間はない。
主力たる元コマユバチと元ヤドリバエ、少数が活動中の元コバチ。
ほぼ原形は残っていないが、その本質は変わっていない。
獲物を狩り、喰らい、苗床を増やす──それを達成すべく強力な個体を生み出した。
しかし、エナの消費量も増大した。
巣を襲うため群れとなり、飛び道具へマジックで対抗し、得られる獲物は格段に増えたが、それでも供給が不足し始めている。
インクブスを狩り続けなければならない。
「集結に時間を要しそうですね……順次攻撃させますか?」
「いや、逐次投入は愚策だ。集結まで待つ」
ケータイのインカメラを起動させ、黒髪の中から頭を覗かせるハエトリグモと視線を合わせる。
「戦力を補充される可能性があります」
「時間を与えてもいい」
「分かりました」
ファミリアが活動を開始してから旧首都圏の人口に匹敵するインクブスを駆逐した。
それでもインクブスどもは戦力を
──エナの供給源には苦慮しないと考えよう。
画面に映る時間を確認し、再び足を進める。
目的地である図書室へ。
「その端末で
時折、私のケータイを使って情報収集していたパートナーは問う。
決してインターネットの万能性を信じているわけではない。
私たちの求める情報は一般に出回らないものばかりで、概要だけならインターネットで十分という意味だ。
「
「学び舎にあるような書籍ではなかったと思いますが……」
「そうでもない」
ここの蔵書量には目を見張るものがある。
生徒に多くの可能性を提示するという理念の下、教員の趣味としか思えない学術書まで置かれている。
まさか目当ての専門書があるとは思わなかったが。
「その…東さん、休息も必要ですよ?」
今日のパートナーが積極的ではない理由は、それだ。
コマユバチもといオニキスを召喚してからも索敵網の再構築と情報収集で睡眠時間を切り詰めていた。
効率は悪いと分かっているが、ウィッチになった頃から常習化している。
悪い傾向だ。
「ああ」
学校に通い、家事をこなし、ウィッチとして戦う。
最低限の睡眠時間を確保しても限度があると
ファミリアからのテレパシーで意識を保つ生活は、ごめんだ。
「分かってる」
旧首都に巣食うインクブスを駆逐していた頃より負担は少なくなった。
インクブスの活動は低調、洗脳されたウィッチも少数であれば現状のファミリアでも対処できる。
第三勢力への対応を始めるまでは、安息日を設けてもいいだろう。
「なら、いいのですが…」
不安げなパートナーの呟きへ答える前に、2階の廊下へ出る。
すぐ左手側には図書室の扉。
教室の前や窓際で雑談に興じる生徒たち、その一部から飛んでくる視線を無視して扉を潜る。
見渡す限り利用者は疎ら──静寂が満ちている。
整然と本の収められた棚が山のように連なる光景は、中々に壮観だった。
ここから昼休みが終わる前に探し出さなければならない。
「おお…本の虫になれそうです…!」
頭上から感嘆の声が降ってくる。
きっと黒い眼を輝かせ、本棚の山脈を見渡しているのだろう。
物知りマスコットを目指していたパートナーは、知識に対して貪欲だ。
専門書の置かれたコーナーまで足を運び、背表紙へ視線を走らせる。
日々、ファミリアのテレパシーを処理している要領で──
「…見つけた」
反射的に手を伸ばし、それから自身の身長を思い出す。
爪先で立って、ぎりぎり指先の触れる高さ。
下手に抜き取ると重量を支えられない可能性があった。
悩ましいな。
「これでいい?」
爽やかな声が影と共に降ってくる。
ずっしりとした重みが頭に乗り、柔軟剤の香りが仄かに漂う。
この重量物は、もしかしなくとも──考えるな。
ひとまず、手元に降りてきた専門書を保持。
するりと相手が離れていく気配を察し、ゆっくりと背後へ振り返る。
「…ありがとう」
感謝はするが、易々と体を密着させるものじゃないぞ。
そんな非難めいた視線を向けた相手は、どこ吹く風といった体で微笑んだ。
「どういたしまして」
アッシュグレイの長髪は染髪で、制服は着崩され、スカートの丈は短い。
あまり詳しくはないが、所謂ギャルというやつか。
接点はなかった、はずだ。
「ドローン情報戦ねぇ…難しそうな本を読んでるね、
いや、この爽やかな声には覚えがある。
直近の記憶を辿り、1人のクラスメイトが浮かび上がった。
クラスの多様なグループに関わる顔の広さを持ちながら、定位置は設けない気まぐれな女子生徒。
「何か用……黒澤さん?」
「あはは、そんなに身構えないでよ~」
クラスメイトの1人──黒澤牡丹は愛嬌のある人懐っこい笑みを浮かべた。
突然、他人の頭に、その立派な胸を置く相手を警戒しないわけがないだろう。
「今、話題の同級生が何を読んでるのか気になってね」
小さく、されど一歩踏み込んでくる。
あのバタフライファーム事件を黒澤が知らないはずもない。
興味を持つ理由は、分かる。
分かるが、これが一切関わりのなかったクラスメイトとの距離感なのか?
「そう」
「わぁ、淡泊……東さんは国防軍を目指してるの?」
「どうして?」
背表紙の堅苦しいタイトルは見るからに軍事関連と分かる。
しかし、執筆者こそ同盟関係にある某国だが、
「学年成績10位の子が軍事関連の専門書を前に気難しい顔してたら、ね」
「…ドローン関連なら工学系かもしれない」
これから借りる書籍──理論電磁気学や電磁場セキュリティと社会インフラ──を見れば、その意見も変わるだろう。
「あ、確かに」
そう言って無邪気に笑う少女の耳元で黒猫のイヤリングが揺れる。
解放は、されそうにないか。
無愛想な私と話して何が楽しいのだろう。
雑談に生産性を求めるものではない。
しかし、退屈ではないのか?
「牡丹さん、何をしているのですか?」
現実逃避していた思考が新たに投げかけられた声で引き戻される。
感情の起伏がない、どこか事務的な声だった。
「話題の同級生と立ち話を」
声のする方角へ振り返った黒澤は軽い調子で応じる。
その後ろから通路に佇む女子生徒へ軽く会釈すると、抱えた本を落とさないよう目で会釈を返された。
記憶を辿るまでもない。
彼女の名は──白石胡桃。
図書委員を選出する際、立候補していた唯一のクラスメイト。
肩上にかかる長さの黒髪で、学年章の付ける位置やスカート丈は全て校則通り、黒澤とは対照的な模範生だ。
「探し物は見つかりましたか?」
「まぁね」
「では、カウンターへ行きましょう」
「大丈夫、もう用は済んだから」
「そうですか」
すたすたと歩み寄ってきた白石の質問に、漫然とした回答で返す黒澤。
身長こそ同程度、しかし正反対に見える両者は、ごく自然な様子で言葉を交えている。
交友関係とは分からないものだ。
「では、行きましょう」
踵を返す白石の手元、抱えた本の背表紙に目を引かれる。
厚い昆虫図鑑の上にファーブルの昆虫記、その上にクラウゼヴィッツの戦争論、そしてハイブリッド戦争時代が重ねられ、混沌としている。
さっぱり関連性が分からない。
私の視線に気づいた白石が踏み出した足を止める。
「どうかされましたか?」
「昆虫記と戦争論の関連性が気になっただけ」
「どちらも参考文献です」
きっぱりと言い切り、再び足を進め出す。
その隣へ流れるように黒澤が並び、手を差し出した。
「胡桃、何冊か持つよ」
「問題ありません。それより菖さんと合流しましょう」
「了解──ということで、東さん。またね」
振り返った黒澤が小さく手を振り、それへ手を振り返す。
利用者の妨げにならないよう配慮した声量でも、不思議と耳に残る爽やかな声だった。
それにしても──何の参考文献なんだ?
「危うく潰されるところでしたよ、まったく!」
「そうか」
(作者に青春時代は)ないです。