遠巻きにヘリコプターの空気を切る羽音が聞こえる。
市街地側から旧首都の方角へ向かった編隊は、おそらく国防軍。
この絶妙なタイミング、狙っていたか──穏便に制圧してくれよ。
テレパシーを遮断している今、旧首都の状況を把握できない。
把握できたところで、処理できるか怪しいが。
「協力の要請か……」
それぞれの言い分を聞かされた私は、思わず天を仰いだ。
漆黒のウィッチ曰く──
灰色のウィッチ曰く──本国を侵略するインクブスの軍勢を撃退する作戦に協力してほしい。
高架橋から私を見下ろすアシダカグモと目が合う。
増援として呼び寄せたファミリアは、首を傾げるだけ。
「はい」
モーガンと名乗ったアメリカ軍のウィッチは素直に頷く。
少尉という肩書を背負うには、あまりに若い。
しかし、無用な諍いを回避できたのは、彼女が肩書に見合う自制心を見せたからだ。
彼女たちは戦闘を続行できる──マジックを無力化しても能力に差異が見られなかったのだ。
心中では胸を撫で下ろしている。
一時的とはいえ、共闘した相手と一戦交えたくはない。
「日本政府の協力が得られなかったため、やむを得ず接触を図った次第です」
モーガンは言葉選びに苦慮しながらも、作戦目的について明かしてくれた。
機密性の問題からチーム内で一悶着あったが。
「…違う」
幼さの残る声が、無慈悲に切り捨てた。
軽々振り回していたシミターをアスファルトに突き立て、肩で息をしている。
ただ無為にエナを放射し、霧散させ、自身は弱っていく。
「ドローンの尾行が失敗して…強硬策に切り替えた」
それでもアメリカ軍への敵意を意固地になって保つ。
手負いの獣が最期に見せる抵抗のようで、見ていられない。
なぜ、エナの放射を抑えない?
「なぜそれを──やはり、ドローンを撃墜したのは…!」
「撃墜…? こちらの存在を露呈する真似などするものか」
ひとまず矛は収めさせたが、それでも敵対関係にある彼女たちは衝突を繰り返す。
言葉を交えるたび、敵意は増長する。
大人の意思を子どもが代弁する不毛な光景。
「蝶との接触を…阻んできたのは…お前たちだ」
「先に奇襲を仕掛けておきながら被害者ぶる気か!」
「やめろ」
射殺さんばかりの鋭い視線が交わる場へ割って入る。
共通の敵を前に共闘など夢物語。
最終目的がインクブスの打倒で共通していようと、立場が違えば相争う。
世界は、単純な構造をしていない。
分かっていても、うんざりする。
「懲りませんわね」
「うむ、必死になる方向性を間違えているな」
浅緑のサーコートを夜風で揺らすウィッチ、プリマヴェルデとパートナーの言葉が交差点に響く。
話に耳を傾けていた部外者の指摘に、2勢力のウィッチは苦々しい表情を浮かべる。
自覚はあるのだろう。
ただ、理解していても感情が追いつかない。
「ラブコールが下手だにゃぁ」
「お茶会に呼べなかった僕たちも他人のこと言えないよ?」
「おぉん、耳が痛いにゃぁ…」
武骨なマシンガンに変化したパートナーと緊張感のない言葉を交えるウィッチ。
ダリアノワールと名乗ったクラシカルな魔女はヤシガニの脚に背中を預け、推移を見守っている。
「どちらの主張が真実であるか、確認する手段はありません。それよりも──」
事務的な口調で言葉を紡ぎながら紅白のウィッチ、ユグランスが私を見た。
一見、感情が希薄そうな紫の瞳、その奥には求知の色。
次の言葉は、予想できる。
「どうされるつもりですか、ナンバー13?」
全員の視線が一斉に集まる。
当事者である私に。
ただ、インクブスを駆逐してきた──それが軍事大国も認めるウィッチ?
笑えない冗談だった。
今も後手に回り、次の一手に詰まっている凡人、それが私だ。
「シルバーロータス、次の段階に進んでみませんか?」
左肩の定位置から為された提案は、劇薬だ。
おいそれと頷けない。
「懸念は理解しています」
効果は覿面だが、及ぼす影響は未知数。
そして、ひとたび駒を進めてしまったら、後戻りできないのだ。
「しかし、今が解き放つ時だと私は思います」
「…なぜ、そう思う」
私を見上げるパートナーに問う。
黒曜石のような眼から感情は読み取れないが、自信に満ちているように見えた。
「そこに救いを求める者がいて、滅ぼすべき敵がいます」
「私に救世主をやれ、と?」
世界には、きっと私より優れたウィッチがいる。
そんな唾棄すべき甘ったれた幻想は、砕かれた。
人類は私の想像よりも劣勢だ。
インクブスどもが──駆逐すべき肉袋が跋扈している。
駆逐すべきだ。
しかし、そのために救世主を気取って人を救うなど傲慢にも程がある。
そんな資格、ありはしない。
「いいえ」
静かに、しかし確固たる意志で、それは否定された。
「ただ利用するんです。私たちは救世主ではなくウィッチですから」
このハエトリグモに感情を表現する器官があったなら──
「
きっと良い笑顔をしていただろう。
このパートナーは、本当に、上手く逃げ道を作るものだ。
そう言われてしまえば、私は頷くことができてしまう。
「まったく……ああ、そうだな」
世界のため、人々のため、ウィッチのため?
違う。
これは、私のエゴを達するため──誰かのためにウィッチをやってるんじゃない。
世界は単純ではないが、私のやるべき事は、いつも単純明快だった。
名前の付いた首輪は不要、狩場を与えるだけでいい。
「黒狼、そしてモーガン少尉」
それぞれの名を呼び、緊張で強張る少女たちの姿を視界に収める。
彼女たちの
だから、一方的に宣告する。
「私は、どちらの手も取らない。協力も救援もしない」
どちらでもない、それを額面通りに受け取った各々が絶望で凍りつく。
気分の良いものではない。
しかし、特定の陣営のためにファミリアを遣わせないと意思を示す。
「だが──」
自称女神の鼻を明かしてやる。
その醜いエゴを実現するために。
「インクブスは駆逐しよう」
静寂の満ちた交差点に、私の声が響く。
それに対して、静観していたナンバーズも含む全員が目を瞬かせていた。
しばし──沈黙があった。
高架橋が交差する台風の目、暇を持て余したファミリアたちが触角の掃除を始める。
「それは、一体どういうことでしょうか…?」
「救援、ではない?」
ほぼ同時に沈黙を破ったのは、モーガンと黒狼だった。
言ってから思い至ったが、まったく言葉が足りていない。
「ファミリアを派遣し、国外のインクブスどもを叩く」
「ナンバー13、召喚ではなく派遣ですか?」
「ああ、翅と脚を使って海を渡らせる」
補足に対し、途中で質問を挟んだユグランス含む3人は再び沈黙する。
今の私に新たなファミリアを召喚する余力はないし、必要もない。
「ま、待ってほしい…海を渡るというが、どうやって──」
「問題ありません」
「準備は終えている」
黒狼の前髪を留める髪飾りのパートナーは、何度か瞬いてから沈黙する。
休眠中のファミリアの7割は、この事態を想定して
あとは、解き放つだけ。
「飛翔前にエナを補給すれば、一度の飛翔で届きます」
「いや、朝鮮半島を経由したルートで行く」
「分かりました」
「海岸線の制圧と同時だ、やれるな」
「はい」
休眠中とはいえ、相変異を終えているファミリアが内包するエナに余裕はない。
ならば、エナの補給を兼ねてインクブスを駆逐していく。
黒狼の話を聞く限り、朝鮮半島は連中の巣窟だ。
「これがウィッチとパートナーの会話ですの…!?」
「うむ! 地下鉄駅の1件が細事に聞こえてくるな!」
「私たちの想定は
「ナンバー13の実力じゃねぇにゃぁ」
「準備は終えている、か……」
ナンバーズの見せる三者三様の反応は、ひとまず聞き流す。
決断を下した今、行動は早ければ早いほど良い。
すぐにでも話を畳み、海中のファミリアへテレパシーを飛ばしたいのだ。
「つまり、すぐ動けるってことかな?」
ダリアノワールへ視線を向け、その問いには頷きで応じる。
協力しないと言ったが、伝達すべき情報もある。
「
「あ、明日…!?」
「それに第1陣ということは……まだ、戦力がある?」
アメリカ軍のウィッチは、驚愕と困惑の入り混じった視線を交錯させる。
彼女たちにとって、今日は想定外の連続だろう。
上官へ指示を仰ぐこともできず、話を一方的に転がされているのだから。
しかし、イニシアチブを渡す気はない。
「あ、明日にも…」
細い喉を震わせる黒狼が一歩、また一歩と踏み出す。
シミターの切先がアスファルトの表層を削る。
左手に得物を保持するだけの力はない。
「みんなが…救われる…?」
私に近づいてくる黒狼は、迷子の子どものようだった。
そこに敵意はない。
しかし、傍らに控えるベッコウバチが大顎を打ち鳴らし、その弱々しい足取りを止める。
「蝶……ううん、シルバーロータス、その…」
「どうした」
私を見つめる黄金の瞳は、不安と警戒心で揺れていた。
ボギーを捻じ切った時やモーガンたちと相対した時と、まるで別人だ。
いや、今が年相応の姿なのかもしれない。
「私たちを……助けてくれる?」
恐る恐る、まるで夢から醒めないように、少女は問うてきた。
ナンバー2という肩書を背負ったために、背負わされてきたであろう呪いの言葉で。
私は──私のファミリアは、誰も助けない。
結果的に
だから、答えは一つだ。
「インクブスは駆逐する、それだけだ」
その回答を、どのように彼女が受け取ったか、私には分からない。
ただ、頬を伝う涙を見ないように、傍らのファミリアへ視線を流す。
開かれた濃紺の大顎を撫で、夜を宿した複眼へ首を横に振る。
「やったぞ、黒狼!」
「うん…うんっ」
何も終わってはいない、始まってすらいない。
想定される敵は、ナンバーズの次席が護る都市すら陥落させるインクブスども。
一筋縄ではいかないだろう。
ただ、喜びに満ちた少女の横顔は──悪いものではあるまい。
「問題は、太平洋の横断か」
「はい」
「さすがに西海岸は遠い」
「諸島を制圧しながらの移動になると考えられます」
「西海岸ということは…本国にも派遣していただけるのですか?」
影のある不安げな表情で問うてくるモーガン。
黒狼の取り繕わない姿を目の当たりにして、漏れ出した本音。
実際は──協力の要請など言っていられる戦況ではないのだろう。
大国の矜持か、大人の体面か、それは分からない。
しかし、私の回答は決まっている。
「当然だ」
4対の青い瞳に希望が満ち、それぞれが顔を見合わせる。
「
「
前衛の2人が戯れ合い、後衛の2人が胸を撫で下ろす。
彼女たちは、確かに軍属のウィッチなのかもしれない。
だが、それでも、やはり子どもなのだと思う。
「目的は、インクブスの駆逐ですからね」
戦力の分散は愚策。
しかし、橋頭堡さえ確保すれば殲滅戦を展開できるとコマユバチたちは実証している。
地続きであるなら増援も容易、多方面作戦は可能だ。
ゆえに、特定の陣営に属さない意思を示し、ただインクブスを駆逐すると宣った。
その結果として、活動当初の混沌を再現するかもしれないが、そこは腹を括ってもらう──
「ま~た、そうやって安請け合いする」
小さな歓声が満ちる交差点に響き渡るは、人を小馬鹿にした少女の声。
今、ここで聞きたくなかった。
振り向いた先、高架橋の落とす影でも一際深い場所より足音。
「なぜ、ここにいる」
厄介な客人は、月下に姿を現す。
携えたハルバードの石突で地を打ち、空色の戦装束が翻る。
自称女神を彷彿とさせる金髪碧眼だが、決定的な違いは口元に浮かぶニヒルな笑み。
「…ラーズグリーズ」
戦女神の名を戴く最強のウィッチが、舞台へ上がってきた。
もうちっとだけ続くんじゃ(予定外)