断続的に砲声と爆音が響き、閃光が曇天に走った。
傀儡となったヒトの駆る兵器──自走対空砲──が畑の畦道より砲火を絶え間なく空へ放つ。
紅蓮に包まれた消炭色の影が次々と畑に墜落し、エナとなって霧散する。
泥水のように濁った大河の対岸では、災厄の先鋒と交戦が開始されていた。
「頭、敵の群れが現れた!」
岸辺の打ち捨てられた倉庫の屋根に座る深緑の影は、同胞の報告を受けて立ち上がる。
頭と呼ばれたフロッグマンの長、エルドレッドは眼を回して下流へ視線を向けた。
「来たか……災厄め」
河川へ配した同胞が消息を絶った元凶を睨み、怨嗟の声を漏らす。
茶色に染まった水面を滑走する複数の高速移動体。
忌々しいウィッチのエナを宿すファミリア──長い4本の脚で水面を移動するアメンボ。
水面下にもエナの反応が犇めき、川底の土砂を巻き上げて全速で突進してくる。
「数は300ほど……後ろに大きなエナの気配がある」
「よし、戦士団へ伝えろ」
敵を観測していた同胞を防衛線の中核たるケルピーの戦士団の下へ走らせる。
この防衛線においてフロッグマンは眼であり、脚だった。
「頭、俺らはどうする?」
大群との正面衝突は不得意とするフロッグマンに為せることは少ない。
ゆえに、影よりエルドレッドへ下された命は、支援だった。
彼らの背後──ヒトの架けた長大な鉄橋を渡るインクブスたちの支援だ。
無秩序にポータルを解いた結果、広域で空間の歪みが生じ、自ら退路を潰してしまった者たち。
しかし、戦意を失おうと生き残った数多のインクブスを見捨てることはできない。
「まだ動くな……まだ、な」
絶望的な状況下で逃亡しない同胞たちを見遣り、エルドレッドは冷静な頭領として振舞った。
偵察、伝令の他、川に転落したインクブスの救出、場合によっては遊撃にも出る。
空中に浮かぶ4つの影、ウィッチがエナ不足で墜落した際は、それの回収もフロッグマンの役目だった。
今に忙殺されることになるだろう。
「戦士団は、正面から迎え撃つか」
エルドレッドの視線の先、鉄橋の橋脚部より大河に飛び込む複数の影。
馬に似た頭をもち、脚の水掻きと尾びれで水中を自在に動き回るケルピーの戦士たちだ。
沿岸部のマーマンが次々と全滅し、近辺で戦える者は彼らしかいない。
「豪胆だな、ラナルド」
先陣を切って敵へ向かうケルピーの長が、水面近くにてランスを構える。
それに後続が続き、鏃のような隊形でファミリアの一群と相対。
鉄橋の上空で閃光が瞬く──刹那、水面を滑走するアメンボが四散した。
色彩豊かなエナの光弾は、ウィッチが放つマジックだ。
かつての輝きを失い、淀んだ色となってもファミリアは敵と認識しない。
一方的に穿たれ、エナの粒子となって散る。
「愚かな虫けらどもだ」
「しかし、このままでは終わるまい」
屋根の上より戦場を睥睨するエルドレッドは、楽観視していなかった。
距離が縮まるにつれ、水中のファミリアが2つの梯団に分かれていると気付く。
先頭は発達した2本の後脚で高速移動する流線型のファミリアに対し、後続は鎌状の前脚を有する扁平なファミリア。
災厄のウィッチは、無意味な布陣を取らせない。
「戦士団が攻撃を始めるぞ!」
「やっちまえ!」
長の懸念など露知らず同胞たちは声援を飛ばす。
ケルピーの戦士団が構えたランスの切先へ収束するエナ。
頭上を通過するアメンボの一群には目もくれず、戦士団は進路上のファミリアに照準を合わせる。
エナで圧縮された高圧水流が放たれ──先頭の梯団を貫く。
「おお!」
「さすが、ケルピーの戦士だ!」
四散するエナの反応を感知し、同胞たちは歓声を上げる。
濁った大河の水面に外骨格の破片や遊泳毛の生えた脚が浮き、下流へ流されていく。
「妙だな」
「ああ、威力が出てない」
先頭の梯団で高圧水流が止まっている。
エルドレッドや古参の同胞が知るケルピーのマジックとは、この程度ではない。
水面に浮かぶ白濁したファミリアの体液が怪しいと睨むが──
「…優位は揺らぐまい」
威力を減じたところで、ケルピーの戦士団は一方的にファミリアを穿つだけ。
いかに高速で移動しようと容易に距離を縮めさせはしない。
対岸の状況や空中のウィッチを注視しつつ、フロッグマンの長は戦況の推移を見守る。
「頭ぁ!!」
己を呼ぶ声にエルドレッドが振り向けば、下流部の街へ偵察に向かわせた同胞の姿があった。
その生還を喜ぶ暇はない。
倉庫の下へ辿り着き、長を見上げる同胞には鬼気迫るものがあった。
「どうした!」
「撤退を急がせてくれ! 遡上してくるファミリアに──」
すべての言葉が紡がれる前に、大河の下流にて太陽が爆発した。
「何の光だ!?」
「くそっ」
青みを帯びた紫の閃光、絶大な熱量、そして戦場に轟く
大河を遡上したプラズマの光芒──それは万物を溶融させ、破壊した。
瞬きよりも短い刹那、それだけで戦局は覆る。
「なん…だと…?」
再び眼を開けた時、エルドレッドは状況を飲み込めず、硬直した。
そして、撤退中のインクブスが殺到する鉄橋が溶断されていた。
マジックに精通した一握りの術士が再現できるか、という破壊の行使。
「何がどうなっぎゃぁぁぁ!!」
「団長はどうした! くっ虫けらがぁぁ!?」
生き残ったケルピーが水面に顔を出した瞬間、アメンボの口吻が串刺しにする。
その近くでは4対の脚に捕獲され、川底へ引き摺り込まれる影。
孤立した戦士は次々と包囲され、口吻を突き立てられ、大顎で腸を食い千切られた。
「うわぁぁぁ! 目がぁぁぁ!」
「あぢぃいぃぃ!」
「だすけでくぇぇ……」
熱量の直撃を受けた鉄橋上は地獄絵図と化していた。
蒸発してエナの粒子となった者は幸運。
身体の一部が炭化しながら生き残った者は、全身を激痛に苛まれる。
それから逃れんと大河へ飛び込んだ者は、二度と浮き上がることはない。
「頭…俺たちは、どうすれば──」
「遡上中のファミリアに、この元凶がいるのだな?」
絶望を隠せない同胞の声を遮り、フロッグマンの長は生還した俊足の同胞に問う。
硬直から立ち直ったエルドレッドは、意識を切り替えていた。
絶望の底は更新を続けているが、大人しく全滅を待つことを長は是としない。
「あ、ああ! 前脚が異様に大きい…下流部の街を襲ったファミリアがいた!」
「よし」
貴重な情報を得たエルドレッドは思考を加速させ、最適解を探る。
捕食されるケルピーの断末魔が絶えず響き、空中のウィッチだけが反撃で水柱と四散したエナを生み出す。
思考に多くの時間は割けない戦況、決断しなければならない。
「アーネストたちは可能な限り救出に当たれ。撤退の時を見誤るなよ」
「分かった」
「デズモンド、お前は脚が速い。必ず情報を持ち帰れ」
「おう」
下された命を受け、同胞たちは一斉に動く。
群れを率いる才のある大柄なアーネストに場を委ね、俊足のデズモンドを伝令として後方へ走らせる。
決断を下した長は屋根より飛び降り、残る古参たちを見遣った。
「ジャレッドたちは俺に続け!」
「おう!」
少数精鋭を率い、エルドレッドは件のファミリアを捕捉すべく駆ける。
生還できる
「頭、虫けらが寄ってくる!」
濁った大河より迫る鎌状の前脚をもつ扁平な影。
しかし、後続の梯団に属するファミリアは機動性に難がある。
接近まで時間があった。
「脚を止めるな! 駆け抜けるぞ!」
「おう!」
エルドレッドは脚を止めることなく、岸辺より離れ、荒れ果てた畑の中を疾駆する。
体色を順応させ、周辺の色に溶け込む。
残るは泥土に刻まれた足跡のみ。
紫の閃光が走り──対岸で爆炎が上がる。
次なる犠牲者は、鉄橋の前で立ち往生するインクブスの集団だった。
弾幕を張る自走対空砲も巻き込み、一帯は焔と死が支配する灼熱地獄と化す。
「後列は全滅かよ…!」
「災厄めっ」
古参のフロッグマンたちも動揺を隠せない凄惨な光景。
防衛線は崩壊し、鉄橋が落ちた今、もはや戦闘と呼べるものではない。
空中のウィッチだけが機械的にマジックを放っているが、戦力外となるのも時間の問題だった。
「……許せよ」
同胞の犠牲を無駄にしないために、災厄の情報を可能な限り収集する。
エルドレッドは畦道を飛び越え、2回目の砲撃で得られた情報を脳内に広げた。
この砲撃は──マジックではない。
大気中のエナが微量に変動するだけで、マジックの発動による急激な増減を感知できなかったのだ。
ゆえに、フロッグマンたちは残る感覚器官に意識を集中する。
「頭ぁ、見つけた!」
同胞の鋭い声に反応し、エルドレッドは畑の窪みに身を投げた。
それに倣って後続も泥土に塗れて、眼だけを大河へ向ける。
一切の遮蔽がない最悪の立地で、せめてもの偽装だ。
「沿岸部を襲った個体に似てるぞ……」
恐怖が滲む視線の先には、小山のような緑褐色の影があった。
大河の中央、砂州に4対の脚を突き立て、巨大な鋏脚を構えている。
甲殻類に造詣のある者ならば、テッポウエビと呼ぶであろう姿。
「…前脚が
エルドレッドの分析へ応えるように、エナを帯びた鋏脚が鉄橋へ向けられる。
その射線上にファミリアはいない。
超高速で閉じられる鋏──衝撃波が土を巻き上げ、プラズマの光芒が大河を駆けた。
大気中に満ちるエナを水中と見立て、
本来は、霧散する膨大なエネルギーをエナで封じ込め、一方向へ直進させた結果、それが光芒の正体。
「これがファミリアと言うのか…!」
その原理を知る由もないエルドレッドは、災厄の底知れなさに恐怖した。
恐怖しながら、そのままで終わらせまいと情報収集に思考を回す。
しかし、いかに体色を視覚的に隠蔽しようと、ファミリアの眼からは逃れられない。
空から、陸から、河から、彼彼女らは見ているのだ。
「頭、捕捉された!!」
「なにっ!?」
胸甲に覆われた漆黒の眼に、無機質な敵意が宿る。
巨大な鋏脚が土煙を切り裂き、再びエナを帯び始めた。
その照準は、己を盗み見るフロッグマンの一群へと向く。
「散れぇぇぇ!」
長の警告より速く動いた者も逃れることは叶わない。
撃鉄が落ち、エナが弾ける。
刹那──青みを帯びた紫のプラズマが視界を覆い尽くす。
それがエルドレッドの見た最期の景色だった。
◆
世界は白一色だった──そんなはずがない。
一瞬ではあったが、世界の色が反転していたような気がする。
いや、大丈夫だ。
目の前の地図帳が何色か判別できている。
「──ぁさん、東さん?」
脇のテーブルで前脚を上げるハエトリグモは、私のパートナーだ。
実寸大の小さな体を精一杯使って存在をアピールしている。
それが微笑ましく──
「東さん、大丈夫ですかっ」
視界が開け、ようやく己の座っている場所を正確に
私は新しいケータイを購入するためキャリアショップに来ていた。
「…ああ」
EMPによる影響を失念し、アズールノヴァと連絡を取ろうとした時、ケータイが破損したことに気が付いた。
そして、父との連絡手段だけは早急に復旧しなければと6限目が終わり次第、ここを訪ねるも利用客が多く、席が空くのを待っていたのだ。
「本当に大丈夫ですか?」
パートナーへ視線だけ返し、小さく頷く。
それから開けている地図帳のページ、中国大陸の一角を見る。
黄河を遡上するファミリアが交戦に入った瞬間、テレパシーが一気に増加し、処理に手間取った。
常にメールの通知が鳴っているような状態──飽和している。
現在進行形でインクブスを駆逐し続けているファミリアから届く声は、今までの比じゃない。
パートナーと分担し、ある程度の裁量をファミリアに与え、それでも飽和中だ。
己の想定の甘さに嫌気が差す。
「そんなに落ち込むことですか?」
「落ち込みますよ……」
そう離れていない席から女子生徒の声が漏れ聞こえた。
放課後とはいえ、利用客に生徒が多いような気がする。
見慣れた制服をよく見るのだ。
「今まで収めてきたウィッチの写真が全部消えてしまうなんて…」
女子でも、いや女子だからこそウィッチのファンとなる。
悪を打ち払い、人々を救う華々しい姿に憧れて。
彼女たちの現実を知っても、その憧れは続くのだろうか。
「まさか消していなかったとは……驚きました。次からは確認しましょうか」
「そ、そんな!? もうSNSに上げたりは──」
「なら、後ろめたいことはありませんね?」
「うっ……いえ、その…それだけは……」
会話の雲行きが怪しくなってきたぞ。
ちらりと地図帳の陰から女子生徒の姿を盗み見ると、どこかで見た二人組の姿。
制服を着こなすモデル体型の女子、もう片方は猫背気味の野暮ったい女子。
どういう関係性なんだ──
「おやおや?」
耳に残る爽やかな声、肩に置かれる細い指、背後から微かに漂う柔軟剤の香り。
「こんなところで会うなんて奇遇だねぇ、東さん?」
この馴れ馴れしいスキンシップは、もしかしなくとも、黒澤牡丹だ。
相変わらずの距離感の近さだが、彼女のコミュニティでは普通なのか?
「黒澤さんもケータイの買い替え?」
「黒澤さん
黒澤は、私の言葉を反復する。
その表情を見ることはできないが、妙な間が気になった。
「うん、そうだよ」
アッシュグレイの髪が視界の端で揺れ、一歩下がったクラスメイトに振り向く。
しかし、愛嬌のある人懐っこい笑みを浮かべる黒澤から
「今は友達を待ってるんだ」
そう言って、料金プランについてキャリアショップの店員と話す女子生徒2人を見遣る。
1人は模範生の白石胡桃だと声で分かった。
揃って買い替えとは、珍しいこともあるものだ。
「…そう」
「東さんは地理の勉強?」
反応の鈍い私の手元を覗き込み、興味津々に目を光らせる黒澤。
警戒心が薄れた瞬間、懐へ入ってくる。
ギャルというより、猫でも相手にしているような。
耳元のイヤリングは彼女を表して──今日は黒猫ではなく、黒い蝶だった。
「そんなところ」
じろじろと見るわけにもいかず、適当な相槌で返す。
すると、黒澤は好奇の色を宿す目を閉じ、人懐っこい笑みを浮かべた。
「でも、そこって今の試験範囲と関係ないよね?」
よく覚えていたな、という驚愕と同時に欠落していた警戒心を呼び起こす。
他愛ない会話のはずだ。
しかし、クラスメイトに対する興味の示し方とは違う。
追及を避ける題材がないかと無為に視線を泳がせ、ふとテレビが目に入った。
「…
黒澤が私の視線を追った先には、夕方のバラエティ番組。
人々が日常を噛み締めるための番組は、とある映像について熱く論じていた。
テロップは日本海に謎の暗雲──どう見ても私のファミリアだ。
深夜帯に飛翔させたが、羽音で目を覚ます人々がいたらしい。
人間を超す体長のトノサマバッタとまでは分かっていないようだが、憶測が憶測を呼び、相当な騒ぎになっていた。
「新種のインクブスとか言われてる、あの雲の?」
物申したげなハエトリグモの前脚を指先に置かせ、宥める。
流行に敏感そうな黒澤は、雲の正体はインクブスだという説を推しているらしい。
「うん」
真実を知らない人々には恐怖か、好奇の対象でしかない。
インクブスが数を減じた今、話題性に飢えたメディアが飛び付くのも無理はなかった。
不快ではない、と言えば嘘になるが、利用させてもらう。
「さすが、国防軍志望ってことかな?」
元国防軍の肩書を持つ専門家の解説を眺め、黒澤は独り言のように呟く。
朝鮮半島へインクブス撤退か、という無責任なテロップが画面で踊る。
「ただの好奇心……国防軍は関係ない」
図書室で似たような問答をした気がする。
ただ、以前とは異なり、傍から聞いても険がある声で返してしまった。
「ごめんごめん。お邪魔だったね」
するりと相手が離れていく気配を察し、私は失敗したことに気が付く。
体調が優れない上、テレビの内容に不快感を覚え──それは他人には関係ない。
自身の体調で態度を変えるなど情けない話だ。
人に当たるなよ。
「私こそ…ごめん」
「うん? 気にしてないよ」
振り向いた先に佇むクラスメイトは、何に対する謝罪なのかと首を傾げる。
彼女にとっては気にするほどでもない細事なのか、それとも。
「あ、そうそう」
何かを思い出したらしい黒澤は、前屈みになって私の顔を覗き込む。
真っすぐな、人を思い遣る眼差しだった。
それが私の内にある罪悪感を抉る。
「静華と律が心配してたよ。最近、顔色が悪いって」
金城と政木の名前が彼女の口から飛び出すとは思っていなかった。
芙花や近所の人から心配され、ついにクラスメイトからも。
ファミリアの活動が軌道に乗るまで、化粧で顔色を誤魔化す案を採用すべきかもしれない。
「私も、その通りだと思うから無理しないようにね~」
「…善処する」
小さく手を振って立ち去る黒澤を、頼りない言葉と共に見送った。
無理しない──どうやって善処する?
新しいケータイを手に帰路へ就き、誤魔化すという
まずは、案件を割り振って負担を減らすべきだろう。
まったく頭が働いていない。
茜色に染まる夕刻の通りで、無意識のうちに溜息が出る。
「東さんっ」
定位置の左肩から聞こえてきた声へ返答しかけて、周囲を見回す。
大学生らしき男女やサラリーマンの男性とすれ違う。
人通りのない路地の陰に入り込み、改めて問う。
「どうした」
すぐ傍のマンホールから頭を覗かすジグモには何もないから帰るよう手で促す。
緊迫した空気を醸すパートナーは、私を見上げて答えた。
「ウィッチナンバー3のパートナーからテレパシーが届きました…!」
ナンバー3、つまり──アメリカ軍からのコンタクトだ。
指パッチン(相手は死ぬ)