一面の闇より浮かぶ白磁の円卓。
石から削り出したような荒々しい質感の卓に集う魑魅魍魎たち。
ある者は檄を飛ばし、ある者は沈黙し、ある者は天を仰ぐ。
「打って出るべきだ! そうだろ!」
灰色の毛並みをもつライカンスロープの若き長が円卓を叩き、周囲に訴えかけた。
「そうだ!」
「然り! 然り!」
それに同調する総長たちが拳を上げ、声高に支持する。
円卓が形成されて以来、ここまでの熱狂はなかった。
災厄という空前絶後の脅威を前に、彼らは種の垣根を越えて団結していた。
「落ち着け、青二才が」
その熱狂に冷水を浴びせる声。
声の主は、深紫の戦装束を纏ったインプの総長だった。
「虫籠へ飛び込んで餌になるつもりか」
「その虫籠ごと壊せばいい!」
「ふん……虫籠の広さも知らずに壊すとな? 滑稽な話よ」
ファミリアとの死闘を経て、シリアコは変わった。
変異種の波状攻撃から生還した術士の目に、居並ぶ総長を嘲る色はない。
知性を宿した鋭い眼光で、浅慮な者たちを睨む。
「しかし、シリアコよ。このままでは虫けらの餌にされるぞ」
小山のような体躯を丸め、悲観的な言葉を円卓に響かせるはケットシーの総長。
お気に入りのウィッチを着飾り、円卓で見せびらかす変物だが、マジックの腕前はシリアコも認める者。
「それがケットシーの長ともあろう者の言葉か?」
「我を愚弄する気か、シリアコよ…」
「シリアコ卿、変異種による被害が甚大なのは事実だ……卿には説明するまでもないだろうが」
黒毛で全身を覆われたボギーの総長が、睨み合う両者の間に割って入る。
これまでは
変異種による被害──シリアコの視線が微かに険しくなる。
反攻作戦時に現れた変異種の砲撃は脅威であり、その被害は既存の個体の比ではない。
説明不要、既知の事実だ。
「奴らは戦列を組む上、知恵が回る。それが同数以上で攻め寄せてくるとなれば……」
折れた左角を撫で、オーガに匹敵する巨躯を卓に寄せるミノタウロスの総長は、天を睨んで重々しい息を吐く。
防衛戦に立った所感は、ウィッチとの戦いが遊戯に思える死闘。
精鋭と共に行った突撃は十字砲火で粉砕され、彼自身も負傷していた。
「最近は、小隊で襲撃を繰り返し、僅かな休息も奪ってくる! 連中は疲労を知らんのか!」
その隣に座するバーゲストの総長は気を昂らせ、円卓に拳を打ち付ける。
鋭利な鉤爪を持ちながら、肉弾戦よりもマジックを得意とする術士は、連日連夜の戦闘で精神が摩耗していた。
優秀な術士への負担は重く、交代制にも限界がある。
「
皺だらけの醜悪な顔を上下に裂く大口より発される甲高い声。
頭に深緑の葉を揺らすマンドレイクの総長は、根を絡み合わせて形作った
ウィッチを打ち倒す劇物を日々生み出している工房とは、インクブスの生命線。
その1つを潰してから工房を狙ったファミリアの攻撃は激化していた。
「我々も武具の工廠は死守しているが、厳しい状況だ…」
同志の首飾りを握り締め、ゴブリンの総長が苦々しく現状を吐露する。
円卓において中立の立場に身を置くが、内心では攻勢に賛同しているがゆえに出た言葉。
兵站を担い、雑兵として戦線を支える同志の被害は、インクブスでも群を抜いて高い。
「それで、姿も見えぬ相手と決戦か? 短絡が過ぎるわ」
総長たちの悲鳴に近い言葉の数々を受け、それでもシリアコは己の意思を曲げようとはしなかった。
災厄のウィッチとの
遠征軍と同じ轍を踏むわけにはいかないのだ。
「あれだけ同胞をやられて、お前は悔しくねぇのか、シリアコ!」
ライカンスロープの若き長は以前のようにインプの総長を見下すことはしなかった。
戦装束を纏う術士が率いた精鋭は、総長を逃すため荒野に散ったのだ。
その無念を想像し、共感できるからこそ、ラザロスは吠えた。
「黙れ……分かっておるわ」
それを真正面から受け、シリアコは平静に、されど激情を抑え込んで答える。
士気を奮い立たすラザロスのような長は必要だが、冷静に俯瞰した者もいなければならない。
ゆえに、己を殺す。
「災厄めを滅ぼすのであれば、確実でなければならん」
すべては荒野でエナの雷に打たれ、災厄に飲まれた同胞たちのために。
「それが最大の弔いであろうが……違うか?」
円卓に集ったインクブスの各総長は、その言葉に沈黙する。
静寂を取り戻す円卓の間──鼻を鳴らす音だけが響く。
厳しい戦況と夥しい犠牲が、思考力を奪っていた。
総長という立場にありながら冷静さを欠く言動を各々は恥じた。
「よくぞ言った、シリアコよ」
重々しく、しかし明瞭な声が耳に届く。
高濃度のエナによって輪郭を歪めた影が、円卓の一席に現れた。
全てのインクブスを束ねる影へ、一同は畏敬の念を込めた視線を送る。
「今宵は…ずいぶんと遅かったな」
シリアコだけは眼を細め、抗議の視線を送っていたが。
「少々手間取った…許せ」
対する影は厳かだが、どこか親しみのある声を返す。
円卓の間に満ちる緊張を少しばかり緩め、あえて遊びを持たせる。
「さて、まずは──クラレンスよ。カーティスから報告はあったか」
手を組んだ不定形の影は、ボギーの総長であるクラレンスに報告を求めた。
優先されるのは積み上がった難題の根源、災厄のウィッチについてだ。
インプの所有する強力なウィッチを連れ、偵察に赴いた同胞への期待は大きい。
「いえ、一切の報告は受けておりません」
しかし、クラレンスの報告は芳しいものではなかった。
取り繕わず、淡々と、されど無念が滲む声。
「そうか」
真紅のエリオットや遠征軍の第一陣が未帰還であった時と同質の重い空気が立ち込める。
ボギーでも一、二を争うほどの実力者が報告を怠るはずがない。
彼もまた敗れたのだ。
「防衛戦のウィッチは有効に機能しております。カーティスはファミリア以外と交戦したのではないかと…」
苗床となっていない雌を無視するファミリアは、隷属させたウィッチの攻撃で容易く撃破できた。
その弱点に着目し、ウィッチを斥候に放つも、単独では
ゆえに、複数のウィッチと指揮者を送り込んだが、それすら失敗した。
災厄を守護する障壁の厚さにクラレンスは歯噛みする。
「ふむ……遠征軍とカーティスを遣わせた地は近傍であったな?」
「そのはずですな」
遠征軍の編成に携わったゴブリンの総長、グリゴリーが影の問いに答える。
「偵察隊が遭遇したウィッチについて情報は残しているな?」
「残してはおりますが、十分とは言えませぬ……新たに斥候を放ちますか?」
「これ以上、斥候で同胞を失うわけにはいかん」
グリゴリーの提言に対し、影は円卓に集う者が求める言葉を返した。
災厄のウィッチとの決戦は、早計であろう。
しかし、情報収集のため送り出した同胞が戻らず、こちらの戦況が悪化する中、次なる一手が必要だった。
「これより呼ぶ者は──」
「失礼します!」
開け放たれた大扉より差し込む光が、円卓の闇を侵食する。
光の中心には、薄茶色の毛並みをもつ細身のライカンスロープが立つ。
「よせ!」
「会合中だぞ!」
大扉を守護するオークの戦士が遅れて捕縛にかかり、円卓の間に喧噪が響く。
「緊急だ、通せ!」
両腕を捕らえられ、身動きを封じられたライカンスロープは地に伏す。
彼らを率いるラザロスは逸早く状況を察した。
「伝令か」
「──よい、通せ」
影より命令を受け、オークの戦士は即座に伝令を解放し、後方へ下がる。
「報告します!」
飛び込むように円卓の間へと入った伝令は、声を張り上げた。
会合を中断させてでも報告せねばならない緊急事態。
インクブスの総長たちは耳を傾け、次の言葉を待つ。
「大陸に、ファミリアの大群が襲来しました!」
円卓に緊張が走る。
眼を見開き、拳を握り、立ち上がる者すらいた。
「静まれ」
長たちが口を開くより先に、影が手で制し、一瞬で場を収めた。
インクブスが順調に版図を広げてきた大陸に、災厄が及ぼうとしている。
雑音による遅延は不要、情報の収集が第一優先。
「それじゃぁ戦場も規模も分からねぇ……伝令なら務めを果たせ」
その意思を汲み、席を立ったラザロスが歩み寄り、正確な報告を促す。
しかし、伝令は眼を伏せ、言葉に詰まる。
「それは……」
インクブスの総長たちを前に、緊張で言葉が出ないわけではない。
そんな無能をライカンスロープは伝令に選ぶはずがないのだ。
伝達すべき情報を信じられないゆえの躊躇だった。
「どうした、はっきり言え」
ライカンスロープの若き長に促され、伝令は脚色をせず、事実だけを報告する。
「戦場は沿岸から内陸に及び、敵の総数は不明…いえ、計測不能とのことです……」
痛いほどの静寂が、円卓を支配した。
◆
世界の終末を思わせる暗黒の空。
太陽を遮り、大地に影を落とす
豪雨の如き羽音を降らせ、人類の天敵に死を馳走する者。
朝鮮半島のインクブスを絶滅させ、倍に膨れ上がった
「くそっくそっなんなんだ!」
精神を蝕む羽音が止まない。
それを打ち消さんと矮躯のインクブスは悪態を吐く。
つい1時間前まで、街の支配者であった被食者は薄汚れた路地を駆ける。
「あいつらっ…なんで俺たちを襲うんだ!?」
血塗れの同志の問いに答える者はいない。
ウィッチのエナを放っていた時点で、襲来した怪物はファミリアだ。
問答をする意味がなかった。
同志は、オークの戦士を眼前で惨殺された時から平静ではない。
「く、来るなぁぁ……」
「ぎゃぁあぁぁ──」
羽音と悲鳴、断末魔、そして咀嚼音が絶えることはない。
路地の上をファミリアの重い羽音が通り過ぎ、赤い血が壁面を流れ落ちてくる。
ヒトの言葉を借りるならば──ここは、地獄であった。
お気に入りの
しかし、路地の出口が近づくにつれ、4体のゴブリンは速度を落とす。
頼りないボウガンを構え、息を殺して路地の壁に張り付く。
大通りに出てインクブスが生存していられる時間は、瞬きより短い。
「ばっ化けも──」
それは眼前で実演された。
大通りの反対側で不用意に飛び出したケットシーが飛来した影に覆われる。
消炭色の外骨格、斑模様の翅、長く強靭な後脚──それは群生相のトノサマバッタに酷似していた。
1体、2体、3体と集まり、毛の生えた外皮を引き剥がし、肉と臓物を噛み千切る。
エナの飛沫が路面を汚し、リードを握る手が転がった。
「今だ…!」
それを好機と見たゴブリンたちは壁沿いに進む。
通りに散乱する遮蔽の陰に身を隠し、ファミリアに気取られぬよう慎重に。
「お、終わりだ」
「黙れっ」
血塗れの同志を黙らせ、軽自動車の横を通り過ぎる。
目的地は、同志グリゴリーの命により整備された緊急時の仮設拠点だ。
「……術士が全滅か」
絶望的な状況が、無意識のうちに言葉を紡がせる。
咀嚼音と羽音に満たされた大通りには、エナを貪る消炭色の塊が幾つも蠢いていた。
ケットシーが多く棲む一帯だったらしく、リードに繋がれたヒトの雌が至る所に放置されている。
「あの数では、ひとたまりも──」
声を潜めて応じる殿のゴブリンが頭上にボウガンを向けた。
大通りに面した高層建築の窓は割られるか、血痕で彩られている。
その一つからトノサマバッタが頭を出し、インクブスを無機質な眼で睥睨していた。
「見つかった!!」
危機を察した殿の鋭い警告が、開幕の合図。
まるで水が溢れるように消炭色の影が窓や屋上から姿を現す。
「走れぇぇぇ!」
ゴブリンたちは得物を構えることなく全力で逃走に移った。
捕捉とは、すなわち死を意味する。
大顎より血を滴らせるトノサマバッタが降り立ち、傍らの軽自動車を圧潰させた。
「くそっ! くそっ!」
壁沿いであったことが幸いし、ゴブリンたちは難を逃れるも、すぐ後続が降ってくる。
漆黒の天蓋から離れた一群も加わって、大通りは消炭色に覆われようとしていた。
「横か──」
大通りの反対から跳躍してきた質量が殿のゴブリンを捉えた。
コンクリートの壁面と外骨格の間で、同志の生命が砕ける。
それでも脚は止めない。
「死ね、化け物が!」
否応なしに次の殿となったゴブリンは、照準も合わせず背後へボウガンを放つ。
矢弾は消炭色の壁に飲み込まれ、効果など確かめようもない。
どこまでも平坦で、無機質な敵意がインクブスを圧殺せんと迫る。
「見えた!」
横転したトラックの脇を抜け、先頭のゴブリンは吠える。
距離にして30mもない逃避行の末、目的地である地下駐車場の入口を捉えたのだ。
「急げ!」
「もう無りぁがぼぁ」
最後尾の者は死に追いつかれ、血飛沫がトラックのボディを汚す。
そして、正面からも消炭色の壁が迫る。
それでも地下駐車場の闇へ──矮躯の影は飛び込んだ。
「止まるな、走り続けろ!」
闇の中、同志へ叫び、スロープを転がるように前へ進む。
止まぬ羽音に、外骨格と外骨格が擦れ合う音が加わり、それは死神の笑い声を思わせた。
「待てっ」
「どうした!」
脚を止めた同志の視線を追った先には、入口の壁面や天井に張り付くトノサマバッタ。
触角を揺らし、複眼は獲物を捉えたまま。
「……追ってこない?」
しかし、地下駐車場内へ突入してくることはなかった。
まるで不可視の壁でもあるかのように。
それどころか1体、また1体と離れていく。
その不気味な行動が何を意味するか──判断できる情報はない。
「くそっ…考えても仕方ねぇ、行くぞ」
襲撃時に得物を持ち出す幸運はあっても高位のインクブスとは遭遇できなかった。
情報どころか命令もない。
地下駐車場に滞留する闇のように、彼らの行先は見通すことができなかった。
安全地帯である仮設拠点を目指し、ただ前進するしかない。
「……歩哨がいねぇ」
スロープを下った先には、歩哨どころか侵入を防ぐバリケードすらない。
無秩序に資材が積まれ、混沌とした地下駐車場内には不穏な空気が漂っている。
「おい、ここで合ってるのか…?」
「前に確認しただろっ」
外界の羽音に怯える同志の発言を否定するため、語気を強めた。
周囲に満ちるエナで感覚器官が飽和し、暗順応した眼と鼻で探索を続ける。
「止まれ…!」
そして、地下駐車場の半ばに到達した時、彼らは見た。
地に倒れ伏すインクブスたち、その異様な姿を。
「おい……なんだよ、これ」
黒褐色の球体を全身から生やし、身動ぎ一つしない。
攻撃を受けたことは明白だった。
しかし、まったく前例のない攻撃手段に、ゴブリンは思考が停止していた。
恐慌を抑え込み、その場に立ち尽くす。
「ま、まさか、こいつ──」
弾かれるようにボウガンを構えた瞬間、風切り音が闇を切り裂く。
遅れて肉を抉る鈍い音。
同志の体躯が吹き飛び、背後のコンクリート柱に激突する。
「おいっ大丈夫、か…っ!?」
飛来物の正体を見たゴブリンは言葉を失う。
同志の腹に突き刺さる褐色の弾丸──3対の脚をもつ吸血動物だ。
驚愕は一瞬、ノミに類似したファミリアへボウガンを向ける。
この悍ましい怪物が同志に口吻を突き立てる前に排除しなければならない。
「くたばれ、化け物!」
その判断は、浅慮だった。
今まで自身を襲っていたファミリアと同質のエナを放つ存在が、単独行動しているはずがない。
地下駐車場の天井より
「ぐわっがぁっなんだ!?」
闇と同化する黒褐色の雨粒は、ゴブリンの頭ほどもあり、8本の脚があった。
瞬く間に全身を覆われ、ボウガンを取り落とす。
「やめろ! 離せっくそ!」
力の限り手足を振り回し、地へと倒れ、惨めに転げ回る。
しかし、無数の歩脚による拘束は剥がれない。
「ぎゃぁあぁぁぁ!」
一斉に口器を突き刺され、地下駐車場に響き渡る絶叫。
それは外界の羽音を圧倒していたが、徐々に弱まり、前触れもなく止まる。
斯くして仮設拠点の制圧は完了した──命令通りに。
小型で軽量、増殖速度に優れ、閉所の戦闘を得意とする彼らを。
──地上を殺戮の嵐が吹き荒れ、地下では死の雨が降る。
そうして、確実に、一都市のインクブスを駆逐するのだ。
さっきまで命だったものが辺り一面に転がる(直球)