青空の下、鼠色のコート姿でいるのは久々だ。
陽炎が揺らめくコンクリートの滑走路近くで、じりじりと太陽に焼かれる。
せめて風通しを良くするためフードを取るべきか、それとも頭を擦りつけるアトラスオオカブトを退けるか。
そんな下らないことで悩む私の頭上をアメリカ軍の輸送機が通り過ぎる。
──脳を揺さぶるエンジンの騒音は、今の私には応えるものがあった。
平然と作業を続けている職業軍人の方々には敬意を抱く。
エプロンに駐機する鋼の巨鳥たちを飛び立たせるため、彼らは忙しなく動き回っていた。
「シルバーロータスさんっ」
迷彩服を着た金髪碧眼の少女──モーガン少尉が小走りで近寄ってくる。
先程まで貨物の積込を指揮するロードマスターへ私が伝えた注意点を説明していた。
しかし、別の問題が発生したらしく、大きな碧眼には困惑の色が浮かぶ。
面識のある彼女を窓口としたアメリカ軍には感謝するが、余計な手間がかかっていないか?
「どうした?」
「あちらのファミリア──」
「ノーチェイサーですね!」
「えっと……ノーチェイサーなのですが、本当に重心が移動しないか再度確認したいと……」
ぽっかりと口を開けた輸送機の貨物室には、ノーチェイサーことアシダカグモが窮屈そうに身を押し込んでいる。
一切微動だにしない姿を見ても、周囲に立つ兵士の表情は不安げだった。
固定されていない、それも意思疎通のできない相手となれば無理もない。
「降り立つまで動かないよう指示してあるが……」
私の平坦な胸に頭を擦りつける大型犬みたいなファミリアを見ても説得力はないかもしれない。
信じろ、としか言えなかった。
「不安なら中止するか?」
その道のプロフェッショナルが不安視するなら中止も仕方がない。
既に飛び立った輸送機に載るファミリアでも戦力の代替は十分に可能だ。
「……いえ、信じます」
しばしの沈黙の後、モーガン少尉は力強く頷いた。
インカムに手を当て、流暢な英語を話す少女は年齢よりも大人びて見える。
身元不明の部外者を信頼しなければならない──そこからアメリカ軍の苦境が垣間見えた。
あの台風の目で、モーガン少尉が提案した
それは、ファミリアの空輸作戦だった。
テレパシーで提案を受け、調整を行い、実行するまでに2日。
事前に手筈は整えていたのかもしれないが、それでも相当な強行軍だったはずだ。
重量級ファミリアは是が非でも空輸するという意志を感じる。
「大丈夫でしょうか…」
「心配か?」
「新しい試みは……いつも不安になります」
貨物室の扉が完全に閉じられるまで、アシダカグモの姿を見送る。
パートナーは言葉を濁したが、私たちは基本的に
私のファミリアはインクブスがいる限り、捕食と増殖、世代交代を行って存在し続ける。
つまり、自己完結能力が高い。
その結果、他者に任せる機会が極めて少ない。
「安心してください。私たちの命に代えても必ず送り届けます」
通信を終えたモーガン少尉は胸元に手を当て、真率な声で宣言する。
インクブスに襲われる
あの難民の少女は──何も知らない被害者はいなかった。
その事実には安堵したが、同時にアメリカ軍という軍事組織が信用できないことも悟った。
隠蔽ではなく釈明を行った点を加味しても、だ。
「ああ、任せる」
ただ、アメリカ軍属の人々は信頼してみようと思う。
ここ横田基地に降り立った時、彼らは重量級ファミリアの群れを見て、恐怖で凍りついていた。
それでも理性的に振る舞い、責務を全うせんと動き出したのだ。
その一点で信頼できる。
「感謝します、シルバーロータスさん」
エナによる変質ではなく本物の碧眼に使命感を宿すモーガン少尉は、恭しく頭を下げた。
まだ、感謝されることは、一つもしていない。
それに──
「私は利用する……それだけだ」
私とアメリカ軍の関係性は、協力でも、救済でもない。
一方的な利用関係だ。
「はい!」
だと言うのに、エンジンの騒音に打ち勝つ力強い声が返ってきた。
希望に満ちた目と向き合わないようフードを深く被る。
感謝は不要──提示された
私は正義の味方じゃない。
ただ、インクブスを駆逐するだけだ。
「素直じゃな──むぎゅ」
それを見て苦笑するモーガン少尉がインカムに手を当て、流れるように英語へ切り替えて話し出す。
才女、という言葉が脳裏を過る。
インクブスが存在しなければ──彼女は、どんな人生を送れたのだろうか?
「…シルバーロータスさん、次が最後になります。よろしくお願いします」
「分かった」
アシダカグモを載せた機の隣に駐機する機が
休眠中のファミリアを一気に送り込みたいが、一度に投入できる機材には限りがある。
仕方がない。
「よし、お前の番だ」
アトラスオオカブトの艶やかな頭を撫でると、力強く擦りつけてくる。
角を当てないよう注意して。
他の重量級ファミリアたちも多かれ少なかれ似た反応を示した。
「だめだ、行け」
強めに押すと、アトラスオオカブトは渋々といった体で離れる。
今、中国大陸で活動中のトノサマバッタは淡々としていたが、巨躯のファミリアは我が強い。
とぼとぼと輸送機へ向かう姿に、誘導の兵士が得も言われぬ表情を浮かべていた。
「シルバーロータス」
「どうした」
鋏角を解放されたパートナーは、改まって私の名を呼ぶ。
最近よく聞くようになった声色で。
「お茶会のお誘い、先延ばしにしてもよかったのでは?」
日中はアメリカ軍にファミリアを預け、夜からはナンバーズと
このスケジュールに対してパートナーは度々、苦言を呈していた。
過密という自覚はあるが、取り下げる気はない。
「いや──」
アメリカ軍との調整が重なり、一度延期してもらっているのだ。
拍子抜けするほど簡単に受け入れてもらったが、幾度と欠席してきた身で心苦しい。
「今日で片を付ける」
眠気覚ましに私は、晴れ渡った青空を見上げる。
陽を遮る右手の隙間からは、東へ飛ぶアキアカネの大編隊が見えた。
◆
体調不良を理由に学校を休みながら、自宅療養もせず深夜まで動き回っている。
前世なら不良少女と呼ばれていただろう。
今世で深夜に、それも旧首都を歩き回る未成年はウィッチ以外にいないが。
「これが終わったら夜の活動は控えましょう!」
「ああ」
「これを機に新しい趣味を開拓してみるとか──」
「そうだな」
「……本当に大丈夫ですか?」
私を心配するパートナーの声に反応し、近寄ってきたハンミョウの頭を撫でる。
「大丈夫だ」
甘えん坊な芙花を寝かしつけ、1時間は仮眠も取れた。
あとは、ここで後顧の憂いを断つだけだ。
「それより場所は、ここで合ってるのか?」
「はい、ここのはずです」
パートナーの指示通り訪れた場所は、鬱蒼と緑が生い茂る公園の残骸だった。
管理者のいない園内は、動植物の王国になっている。
いつかのバタフライファームのように、周囲の虫が集まってくる気配があった。
一斉に虫たちが奏で出す美しい歌声──聞き入っていたら寝落ちするな。
邪魔しないよう静かに足を踏み入れ、園内を進む。
コートを登ってきたカマキリを右手に乗せ、ここを選んだナンバーズの意図を考える。
カマキリは私の掌で首を傾げ、長い触角を揺らす。
嫌いな空間ではないが──
「シルバーロータス、お迎えが来ました」
「なに?」
「足下を見てください」
パートナーが前脚で指した先には、私を見上げるハツカネズミがいた。
鈍感な私ではエナを感じ取れないが、まさかファミリアなのか?
かさかさと雑草を分けて、細い獣道を引き返していく。
「行きましょう」
「…ああ」
微かに緊張感を帯びたパートナーの声に頷き、ハツカネズミの後を追う。
木々の陰から射す月光によって、その道筋は辛うじて見える。
時折、ハツカネズミは立ち止まり、私が追いつくのを待つ。
急かすような気配はなく、こちらを気遣う優秀な案内役だった。
次第に公園の中央へ近づき、微かな水音──そして、人の声が聞こえた。
園内に造成された池の方角からだ。
木々の陰から見える一帯は雑草が刈られ、小綺麗に整えられている。
「やっぱり迎えに行こうよ~」
「ですから、それは変に気を遣わせるからやめましょうと──」
「もういい、私が行く」
「おや、
「ぬ、抜け駆けじゃねぇよ…!」
聞き覚えのある少女たちの声は、場所が場所だけに浮いて聞こえる。
女三人寄れば姦しい、というが宜なるかな。
ウィッチナンバーの上位者というより友人のような気軽い会話だった。
「ナンバー13が到着されました」
事務的な口調で私の到着が告げられ、水を打ったような静けさが場に満ちる。
夜の園内に虫の歌声が響き渡る中、私は掌のカマキリを草の陰へと返す。
「それって公園前かな?」
「いえ、既に案内は終えています」
「つまり……今までの会話は」
「おぉん、聞かれてるにゃぁ!」
けたけたと笑う声が鈍い打音と共に沈黙する。
聞かれて問題がある内容だったか?
内心で首を傾げながら、一歩踏み込めば──そこは、月光が照らす池の畔。
宝石のように色鮮やかな5対の瞳が、一斉に私を見る。
途中から聞いた限りで会話の問題点は分からないが、ここはフォローしておくべきか。
「私は……何も聞いていない」
「それは聞いてるって白状してんだよ……」
聖職者を思わせる純白の衣装を纏うウィッチ、ゴルトブルームが額を押さえて唸っている。
小学校の1件以来、姿を見ていなかったが、壮健そうで何よりだ。
「そうなのか」
「そうだよ…!」
そう言って黄金の瞳を見返すと、ふいと顔を逸らされた。
私の背後にいる人間大のハンミョウが視界に入ったからか。
あの1件で彼女は、大の虫嫌いになっていても仕方がない。
「こんばんは~」
声のする方角には、緑の絨毯に腰を下ろす紅のウィッチ。
毛玉の塊のような九つの尻尾を揺らし、のんびりと手を振るベニヒメがいた。
「ああ…こんばんは」
最低限の礼儀として挨拶を返せば、柔らかな笑みが返ってくる。
旧首都で会った以来だが、変わらず邪気のない笑顔だった。
私は彼女の実力を知らないが、この穏やかな少女がナンバーズの1人とは──
「こんばんは、シルバーロータス。調子は大丈夫かい?」
「今日は……前より顔色は良いみたいですわね」
黒猫を摘み上げる魔女と肩にフクロウを留める騎士。
月の映る池を背に佇む彼女たちは、御伽噺の世界にいるような錯覚を抱かせる。
そんな2人が鼠色のてるてる坊主みたいな私を真っすぐ見ていた。
「仮眠を取ってきた」
「…それを聞いて、少し安心しましたわ」
「うむ、体調が万全でない時に無理をさせたくはないからな!」
腕を組んで小さく安堵の息を吐くプリマヴェルデ。
先日、初めて顔を合わせた時、私の顔色は相当悪かったのだろう。
まともな質疑応答ができるか不安に思うのも無理はない。
「時間に問題はありませんでしたか、ナンバー13?」
「ああ、問題ない」
近衛兵を脇に控えさせるユグランスが、切株の椅子から音もなく立ち上がった。
その紫色の瞳は無感情だが、じっと私を見つめている。
むしろ、時間については私の方が謝罪することだと思うのだが。
私に気を遣っている?
「とりあえず、座ろうよ~ほら、こっちこっち」
クッションのように敷いた自身の尻尾を優しく叩いてみせるベニヒメ。
エナで構成された毛玉としても、その手触りには興味が──落ち着け。
一瞬でも魅力的だと思った私を叩きたい。
「いや、大丈夫だ」
「そっかぁ……」
理性的な回答を返すと、ベニヒメの頭上にある耳が小さく垂れる。
彼女には悪いが、越えてはならない一線があった。
ナンバーズに気を遣われている──それは自意識過剰だ、と言い切れない。
今までと明らかに接する態度に差があった。
彼女たちはウィッチでも一握りの上位者で、矜持も持ち合わせているはずだ。
対等な相手であっても、予定を先延ばしにさせた相手に、
落ち着かない。
「立ったままで構わない」
違和感の正体を追及するより、早々に用件を済ませる。
その方が面倒が少ない、お互いに。
「…始めてくれ」
フードを取り払い、可能な限りロリータボイスに厳かさを持たせて告げる。
私より序列の高いウィッチは12人いるはずだが、黒狼のように国外のウィッチがいる以上、全員揃うことはないはず。
おそらく、今がお茶会の
「分かりました、ナンバー13」
虫の奏でる歌声の流れる夜の公園に、ユグランスの平静な声が響く。
「始めましょう」
欠席のナンバーズ多スギィ!