夕陽が地平線へ近づき、街並みの影は深まる。
その光景を橋上より眺める少女たちの表情は暗い。
「よろしくないですわ…非常に」
後ろで結った黒髪を風に揺らす少女は、制服の袖を強く握る。
「はい。現在、入院中の彼女が──」
その右隣に佇む人形めいた少女が頷きを返し、淡々と言葉を紡ぐ。
「ナンバー13であった場合」
「もう疑いようがないよ」
仮定を切り捨て、断定する。
橋の欄干に体を預ける猫のような少女は、鋭い眼差しを夕陽へ向けた。
「東さんが…シルバーロータスだ」
通行人どころか車すら通らない閑散とした橋上。
そこで、黒澤牡丹は己へ言い聞かせるように呟いた。
普段の愛嬌ある表情ではなく、静かな怒りを秘めた表情で。
「睡眠不足の原因、どう考えてもテレパシーだよね」
本来であれば感知できないテレパシー。
しかし、東蓮花が意識を失う瞬間、彼女たちはテレパシーによるエナの流動を感知した。
「エナを感知できる量となりゃ、想像を絶する負荷だにゃぁ」
黒澤の耳元で揺れる黒猫のイヤリングが、低い声を響かせた。
事態の深刻性を理解するが故、おどけた態度は鳴りを潜めている。
橋上に満ちる重い沈黙。
ファミリアの集団運用──それに伴うテレパシーの負荷。
ナンバー13の桁違いな力を目の当たりにし、少女たちは失念していた。
弱音を吐かず、堂々と振舞う彼女へ掛かる負荷を。
「その負荷を与えるだけの大群が統制されていない……危険です」
あくまで淡々と告げるが、白石胡桃の表情は微かに強張っている。
統制を外れたファミリアの挙動は、生み出したウィッチしか知らない。
インクブスの駆逐まで活動を続けるのか、停止するのか、それとも暴走するのか──
「私たちにはどうしようもありませんわ……今は、東さんが目を覚ますことを祈るしか」
無力感を噛み締める少女、御剣菖の結った黒髪が風に靡く。
痛ましげな眼差しは、
「探りなんか入れずに踏み込むべきだった」
欄干の陰から同じく軍病院を見つめ、黒澤は言葉を漏らす。
金城静華に端を発する東蓮花への探りは、実を結ぶことはなかった。
昆虫に造詣があり、勉強熱心で、大人のようで子ども、そんな放っておけないクラスメイト。
それが彼女の総評。
「学校での不調と海外派遣の時期は同じ……節穴ですね、まったく」
「ほんと…嫌になるよ」
正反対の性格に見える白石と黒澤は揃って自己嫌悪を露にする。
その怒りの矛先は、自身へ向けられていた。
「……それは結果論ですわ。私たちも互いの正体を知ったのは、ただの偶然ですのよ?」
宥めに入る御剣も、己の無知に憤りがないわけではない。
しかし、そう簡単に正体を明かすわけにはいかない理由もある。
「あの事件の二の舞はごめんですもの……慎重になるのは当然ですわ」
「それで、
御剣の独白めいた言葉。
それに対し、黒澤は噛みつくような言葉を返す。
立ち込める重苦しい空気──口を噤む2人は、同時に溜息を吐く。
「ごめん」
「いえ、私も思慮に欠けていましたわ。ごめんなさい」
忌々しい記憶を忘却するかのように、謝罪の言葉が交わされた。
「……東さんも背負い込むタイプみたいだね」
夕闇に染まった空を見上げる黒澤。
その目は、誰かを思い起こすようで何も映していない。
「しかし、それも限界です。このままでは命に関わります」
事務的な口調で事実を述べる白石。
失神の原因は、睡眠不足と診断されていた。
海外派遣の結果、昼夜を問わず届くテレパシーが休息の時間を奪ったのだ。
英雄の死因は──過労。
あの夜の問答を思い起こし、3人は苦々しい表情となる。
「静華は…律のところだよね?」
「ええ、政木さんを看てくれていますわ。しばらくは動けないでしょうね…」
ナンバーズが提案した
その中心を担うウィッチは動けない。
しかし、近しい人物の喪失に過敏な友人を捨て置くこともできない。
「そっか」
誰も彼女を責めることなどできなかった。
この事態を招いた原因は、一個人への負担を軽減できなかった環境。
つまり、ナンバーズを含む周囲の無理解、そして無知だ。
非難されるべきは、個人ではない。
ただ、引金を引いた者──無知な愚者は、別に存在する。
欄干に預けていた体を起こす黒澤。
その口元には自嘲が浮かぶ。
「黒澤さん、何をなさるつもりですの?」
その行手に立ち塞がる御剣。
一瞬でも剣呑な空気を感じ取れば、無視などできない。
「分かってるでしょ?」
「
鋭い眼差しを正面から受け、されど黒澤の足は止まらない。
「菖は、きっと正しい」
ナンバーズになる前からの付き合いだ。
言葉を多く交えずとも主張は伝わる。
そして、意志を変えることが叶わないことも。
「でもね、僕は決めたんだ」
友人の影を踏み、前へ進む。
多様なグループに関わりながら、定位置を設けない気まぐれな少女。
その虚像を演じ、人間関係をコントロールしてきた目的は、ただ一つ。
「僕の日常を守るためなら、誰であろうと容赦しない」
しかし、過保護な教育者たちの言葉が届くことはない。
今度は表に出ない場所で行われるだけだ。
痛みの伴わない教訓に意味はない──ならば、痛みを与えるまで。
「牡丹さん──」
去り行く背中を見つめる白石が、制止すべきか葛藤しながら友人の名を呼ぶ。
「安心してよ、胡桃」
普段通りの爽やかな声。
振り向いた黒澤は人懐っこい笑みを浮かべる。
「今度は力加減を誤ったりしないからさ」
夕陽に照らされたアッシュグレイの長髪が輝く。
しかし、細められた少女の目には、薄暗い闇が宿っていた。
◆
閑散としたストリートを塞ぐ高層建築の残骸。
散乱する瓦礫を8輪のタイヤで踏み砕き、2両の装甲車は停車した。
『これ以上は前進できそうにない』
『俺たちの仕事だな』
車体上面に搭載された機関砲が廃墟の一角を睨み、兵員室のハッチが開放される。
『行け、行け!』
重々しい足音を響かせ、飛び出す灰色の人影。
装具で全身を固めたサイボーグのような兵士たち──その表情はガスマスクに隠されている。
ここは人類の領域ではない。
怪物たちの支配する敵地であり死地。
ライフルの銃口を瓦礫の陰へ向け、装甲車の周囲を警戒する。
『奴らの姿は見えません』
『よし、移動するぞ』
指示に従い、兵士たちは高層建築の残骸を潜って進む。
異形の怪物たちに
現在の支配者は──瓦礫の上で廃墟を睥睨する巨大生物。
グンタイアリを模した
『見ろよ、マーカス。SFの世界だぜ』
銃口の先を睨む兵士たちの視線が頭上へ泳ぐ。
その視線を浴びようとグンタイアリは、彼らに一切の興味を示さない。
触角を小刻みに動かし、眼下の同族を見下ろすだけ。
『ありゃ、メジャーって奴だな……指揮官だ』
そのデザインは、見る者に己が小人になったような錯覚を与える。
『2人とも勉強会は後にしろ』
『了解』
死角を補い合って進む彼らに一切の油断はなかった。
ガスマスクによって狭まった視界でも隊列を崩さない。
先頭の兵士が停止のハンドサインを出す。
『少尉、奴らの巣まで残り600mほどです』
瓦礫の陰から目的地までの距離を概算し、報告。
彼らに与えられた任務──それは生存者の救出。
西海岸から開始された反攻作戦によって、インクブスの本隊は潰走した。
しかし、市街地に潜伏する勢力は健在、加えて生存者の存在が確認されたのだ。
『ここまでは順調か……』
廃墟の随所で蠢く影を横目に、壮年の少尉は言葉を漏らす。
掃討戦の主力はアメリカ軍ではなく、彼女のファミリアが担っていた。
その能力は極めて高いと評価できる。
『奴らに遭ってませんからね』
兵士たちは未だに接敵していない。
ファミリアは昼夜を問わず捜索を行い、着実にインクブスを駆逐していた。
ゲリラ戦術を想定した
『大きなお友達に感謝だ』
その言葉を最後に兵士たちは口を閉じ、前進を再開する。
荒れ果てたアスファルトを踏む乾いた足音。
倒壊したビルディングを迂回し、瓦礫の隙間を縫うように歩く。
『巣を目視』
『全員、警戒しろ』
『了解』
目的地である映画館を捉え、前進の速度を落とす。
兵士たちは油断なく視線を走らせ、駐車場に進入。
停止のハンドサイン──放置された車両の陰へ身を隠す。
駐車場から映画館までの道中にファミリアの姿はなく、遮蔽物もない。
狙撃には絶好の地形だった。
『既に制圧してるって可能性は……』
『それなら空軍州兵から報告があるはずだ』
空軍州兵の運用する無人機は、今も頭上にある。
制圧の報告はない。
つまり、インクブスは健在だ。
ファミリアとは情報共有ができない以上、アメリカ軍が対処する他ない。
『煙幕を張って一気に抜ける。ビルとクリフは援護だ』
不気味な静寂の中、少尉は映画館の入口と2階の窓へ視線を向ける。
それぞれにライフルの照準を合わせ、兵士たちは小さく頷いた。
『よし──』
「おーい」
静寂の支配するコンクリートジャングルに、
「おーい」
緊張感のない、弛緩した声。
ライフルの銃口が一斉に音源へと向けられる。
映画館と駐車場の空白地帯──そこを歩く矮躯のインクブス。
浅緑の肌に、尖った耳と鼻をもつゴブリンだ。
迷いなくトリガーに指が置かれる。
『待て、撃つな』
『少尉…?』
制止を受け、兵士たちは怪訝な表情を浮かべる。
首を揺らすゴブリンに照準を合わせたまま。
『妙だ』
「おーい!」
先程より大きな声で、
その異常性に言い知れぬ悪寒を覚える。
天敵たるファミリアが闊歩する屋外で、自ら位置を露呈させるなど自殺行為だ。
「おーい」
壊れたテープレコーダーのように繰り返される声。
映画館の入口で、影が動いた。
「何やってんだ、お前!」
ゴブリンの呼び声を聞き、飛び出す二足歩行の狼。
ライカンスロープは優れた脚力で、彼我の距離を縮める。
群れを形成するインクブスゆえの行動だ。
斯くして──
「おーい! おーい!」
狂ったように大声を上げるゴブリンの眼に生気はない。
その声量は羽音を隠すため、影へ気を配らせないため。
「おい、大丈夫か──」
ライカンスロープの頭上より青緑の影が舞い降りる。
「ぐぁっ!? なんぁ…が……」
3対の脚で獲物を路上へ押さえつけ、腹部の毒針が自由を奪う。
一瞬でライカンスロープは無力化された。
驚くべき早業──ここからが本番。
青緑の金属光沢を放つファミリアは、大きな複眼で獲物を観察。
狙いを定め、毒針を獲物の脊椎近くに打ち込む。
「あ、ぁ…ぁ……ぃ」
言語を形作ることはない。
頭部に何かしらの処置を施し、ファミリアは悠々と飛び去っていく。
『今、何をした…?』
『そもそも……なぜ、ゴブリン型を襲わない』
息を潜めて観察していた兵士たちは、意図が読めず困惑した。
無反応のゴブリンと痙攣を起こすライカンスロープに、ライフルの照準は合わせている。
射殺すべきか、判断に迷う──その必要は、無くなった。
前触れもなくライカンスロープが立ち上がる。
その眼に生気はなく、口からは涎が滴り落ちていた。
「おい、大丈夫か」
そして、何事もなかったように言葉を発する。
緊張感のない弛緩した声で。
「おーい」
「おい、大丈夫か」
同じ言葉を繰り返す2体のインクブス。
その脚は映画館に向き、頭を揺らしながら歩き出す。
まるで帰巣本能でもあるかのように。
『まさか、ゾンビ…?』
『あれがウィッチの力というのか?』
無意識に銃口を下げ、歴戦の兵士たちは戦慄を覚える。
シルバーロータスが
友釣り作戦──生餌で獲物を釣り、巣の位置を露呈させ、一挙に殲滅する。
旧首都圏におけるインクブスの駆逐で最も効果があった作戦。
『少尉、後方よりファミリアが接近中、総数不明!』
その最終段階を担う者が、四方から集結する。
『くそっ…全員、動くな!』
車両に身を寄せ、衝撃に備える兵士たち。
生殺与奪の権を奪われた2体のインクブス。
それらと衝突することなくグンタイアリの一群は、映画館の入口へ突進する。
「て、敵しゅ!?」
入口に現れたゴブリンが見た最期の光景は、開かれた大顎。
悲鳴が足音に飲み込まれ、彼女らが過ぎた後に血痕だけが残る。
キリングマシンのエントリーだ──映画館から悲鳴と怒号が響く。
非現実的な光景に、兵士たちは言葉を失っていた。
しかし、アメリカ軍が為すべきことは変わっていない。
『……全員、聞け! 我々は生存者の救出のため突入する』
戦意を奮い立たせる声が、四肢に力を与える。
己に課された使命を思い出させ、戦場へ意識を戻す。
『海兵隊員の誇りを見せろ!』
『了解!』
兵士たちは一斉に車両の陰から駆け出した。
彼らを狙撃するインクブスはいない。
ガスマスクの中で荒い呼吸をしながら、映画館の入口へ踏み込む。
「ぎゃぁぁぁ……」
「く、来ぁえがぼぉ……」
インクブスの断末魔が反響する館内。
照明の落ちた館内の薄闇は、視界の悪さに拍車をかける。
しかし、灰色の人影はライトを点灯させて臆せず進む。
『まず、シアターへ向かうぞ』
『了解』
断末魔が絶え間なく流れる館内を、迅速にクリアリングしていく。
インクブスの存在した痕跡は、床面の血痕だけ。
時折、視界の端に血塗れの装飾品が入り込む。
「化け物を呼び寄せやがったな…!」
廊下の角から現れる異形の影──ライトを一身に浴びる手負いのライカンスロープ。
右腕が引き裂かれ、左眼は潰れている。
それでも右眼に憎悪を漲らせ、兵士たちを睨む。
『撃て!』
低姿勢で吶喊するライカンスロープへ弾丸が殺到する。
それらをエナの防壁は阻んだ。
しかし、手負いでは回避もままならず、その屈強な脚は前進を止める。
『くたばれ、化け物がっ』
その硬直を見逃さない。
ライフルに装着されたグレネードランチャーが軽快な発射音を放つ。
「死ぇ──」
直撃した弾頭が炸裂。
暗い廊下を衝撃波が駆け抜ける。
天井の一部が崩れ、黒煙と埃が視界を覆う。
『よし、1体始末した』
視界が晴れた時、ライカンスロープは赤い前衛芸術を壁面に描き、沈黙していた。
空のマガジンが床面の薬莢を弾き、兵士たちは前進を再開する。
『シアターは2階です』
『どこから敵が現れるか分からない。警戒しろ』
『了解』
血痕が続く階段を上り、開け放たれたシアターの扉に銃口を指向。
奇襲を警戒し、壁面沿いに接近する。
先頭の兵士がハンドサインで突入のタイミングを指示。
『行け!』
シアターに突入──ライトの光が闇を切り裂く。
照らし出された座席には手形の血痕、床には千切れた毛皮。
より深い闇からは咀嚼音が響く。
インクブスの仕業でないことが救いだった。
『少尉、生存者を発見っ』
『本当か!』
ライトの眩い光がスクリーンに人影を照らし出す。
複数名、それも女性だった。
兵士たちは逸る気を抑え、慎重にシアターを下る。
そして──
『おい、大丈夫、か?』
彼らは目撃する。
『…なんだよ、これ』
衣類を身に着けていない女性たち。
その腹部は引き裂かれ、足元には致死量の血が流れている。
生存者はいない。
彷徨うライトの光が──殺人者の残した血痕を追う。
それは咀嚼音の響く方角へ向き、巨大な影をシアターの壁面に映す。
『冗談だろ…?』
そこには、肉塊を食むファミリアの血塗られた姿があった。
ホラーのタグが必要では…(白目)