昼下がりの陽光が射し込む旧首都。
疎らに雑草の生えた交差点で気怠げな溜息をつく空色の戦女神。
「私に言われても困るんだけど?」
錆びついた信号機に腰かけ、見下ろすは漆黒の大型犬。
どこか鋭利な印象を与える顔立ちの獣は、理知を宿した目で見上げる。
「我々が知る限り、彼女に最も近いのは君だ」
「それで国防軍に圧力をかけた、と」
国防軍に圧力をかけられる呼出人などアメリカ軍しかいない。
対等な同盟国となってからも大国は交渉のカードを多く持っている。
「あなたが出てくるなんて、切羽詰まってるわねぇ」
ウィッチナンバー3に名を連ねるヘカテイアのパートナー。
アメリカ軍の要石と言える存在へ、ラーズグリーズは人を小馬鹿にしたような声を降らせる。
「ああ、コンタクトを取るために必死さ」
それを軽く受け流し、整然と言葉を返すパートナー。
その背後には、直立不動の姿勢で待機している灰色の人影。
先日の国防軍の作戦行動に憤っていたウィッチたち──酷な人選をするものだ。
最強のウィッチを前に武力の威圧など無意味。
単純に
「はぁ……」
面倒事の気配を察したラーズグリーズは、再び溜息をつく。
交渉役の目的、それは──仲介。
国防軍も
人類にとっての福音、インクブスにとっての災厄。
そんな彼女が交渉を拒否し、沈黙した──
「まったく……何を言って怒らせたの?」
それはアメリカ軍にとって死活問題。
今度こそシルバーロータスの
ひとまず、理性的な行動を評価し、ラーズグリーズは話に耳を傾ける。
「怒らせるつもりはなかった。ただ、負担を軽減するため、戦域の縮小を──」
「本当のこと言いなさい、帰るわよ」
体面を取り繕った言葉に価値はない。
渋い表情を浮かべる漆黒の犬は、静かに頭を下げる。
次に戦女神を見上げた時、眼差しには真摯な色が戻っていた。
「彼女には感謝しても感謝しきれない。それは、我々の総意だ」
その謝意に嘘偽りはないだろう。
「しかし、我々は土地を取り返せばよい、というわけではない」
「まぁ、そうでしょうね」
パートナーの言葉には含みがあった。
それだけで、ラーズグリーズは面倒事の全てを悟った。
危惧していた事態が発生した、と。
「彼女には、拉致被害者への傷害を思い止まってほしいんだ」
重々しく告げられた言葉に、ラーズグリーズは目を細めるだけ。
拉致被害者とは、インクブスの苗床となった女性と置き換えることができる。
「知っているとは思うが、我々は治療法を確立している。救える人命は救いたい」
「無闇に人間の腹を捌くような趣味はないはずよ。何か聞いてないの?」
苗床の状態次第では、ファミリアは攻撃の対象とするだろう。
しかし、それを主たるシルバーロータスは絶対に是としない。
その善性を知る戦女神は、ある可能性を既に導き出していた。
「可能な限り回避すると通告は受けていたが、現在は皆無と言っていい」
「現在は、ということは最初は回避できていたのね」
「気遣いすら見えたよ。だが、数日前から突然の方針転換だ……異常の報告もない」
報告がないのではなく、
ファミリアが枷を取り払った──つまり、シルバーロータスが意識を喪失したのだ。
「あの馬鹿……」
思わず眉間を押さえ、漏れ出す悪態。
彼女の生活圏と思しき一帯を管轄する国防軍も一生徒の体調不良までは気が回るまい。
過度の干渉を許されないが故に、忠告しかできない己を呪う。
「何か?」
「何でもないわ、続けてちょうだい」
怪訝そうな表情を浮かべる漆黒の犬に、手を振って続きを促す。
アメリカ軍が強硬策を選択していない時点で、軍属への直接的な被害は無い。
交渉を試みていることが、その証左だ。
「
「インクブスを彷彿とさせる……まさか言ってないでしょうね」
「言うはずがないだろう…!」
さすがに抗議の色を滲ませ、反論するパートナー。
国防軍の兵士もファミリアと遭遇した際、同種の報告を挙げていた。
彼彼女たちの
「ここ数日で、兵士のPTSDが増加している」
「たった数日で?」
「ああ、劇的だよ」
眼前で、救うべき人々の腹を引き裂き、肉塊を食む巨大生物。
その言葉の一切通じない存在を、味方であると言い聞かせ続ける。
前線の兵士は、黙示録の目撃者だ。
そのストレスは想像を絶する。
「総軍の士気や国民感情に深刻な影響が出ている」
「だから、やめてくださいって? シルバーロータスは
国軍には許容しがたいと理解しながら、酷薄な言葉を戦女神は叩きつけた。
インクブスを駆逐するだけ、その宣誓を了解したアメリカ軍の代弁者へ。
「それは…重々承知している」
喉の奥から絞り出すようなパートナーの声。
そして、唇を強く引き結ぶ灰色のウィッチたちを見下ろし、戦女神は鼻を鳴らす。
「しかし……人とは群れを成す生命だ。同胞の死に無頓着ではいられない」
「そうね」
アメリカ軍は合理的な取捨選択を行い、時には非情な判断も辞さない。
だが、その総体を支えるのはアメリカ国民だ。
救世主が与える犠牲の全てを許容せよ──そんな戯言を唱える者に国防は務まらない。
「だから……せめて、巣が確認された市街地の制圧だけは任せてもらえないか、と提案した」
野戦をファミリアの軍勢に一任すれば、アメリカ軍は対テロ戦争から注力してきた市街戦にリソースを集中できる。
独力の国防は不可能、ゆえに妥協の提案。
その言葉は苦渋に満ちていたが、それでもアメリカ軍の意地が垣間見えた。
「結果は?」
無慈悲な問い、一拍の間。
「沈黙だったよ」
アメリカ軍の
否、届く前に彼女のパートナーが止めたのだ。
「……正直、途方に暮れていてね。君の助力を求めたい」
ヘカテイアのパートナーは、心底申し訳なさそうに頭を下げる。
その背後、直立不動のウィッチたちも祈るように目を伏せていた。
「なるほどねぇ……」
個人の善性に期待した
それはシルバーロータスの状態を把握し切れていないが故に。
彼女の状態を把握した場合──あらゆる手段を講じて保護に動くだろう。
そして、万全のバックアップ体制で彼女を出迎える。
管理下に置くことは諦めても、戦力の安定化に最善を尽くす。
そういう国家だ。
「私から言えることはないわね」
残念ながら、それを
この理想の箱庭から彼女を出すわけにはいかないのだ。
「聞いてもらえるまで下手に出るしかないわ」
毒にも薬にもならぬ助言を口走り、その間にも事態を収拾するため、思考を巡らせる。
問題は単純化できる──ファミリアの総数に対する処理能力不足だ。
時間経過で事態は改善せず、悪化する。
打開策は単純明快、シルバーロータスの負担軽減だが──
「あれ以来、沈黙されてね……打つ手がない」
眼を伏せ、首を横に振る漆黒の獣。
空色の戦女神は喉まで上がってきた悪態を呑み込み、蒼天を仰ぐ。
シルバーロータスのパートナーが選択した沈黙は、悪手だ。
相手に状況を推察させ、予期せぬ行動を誘発する。
「やはり……
淡々とした口調、されど落胆の色が滲む声が響く。
黒い羽根が舞い落ち、信号機の端にはカラスが留まっていた。
「黙りなさい、レーヴァン」
半眼で睨みつけられた戦女神のパートナーは嘴を閉じる。
ラーズグリーズは信号機の上に立ち、おもむろに一歩前へ踏み出す。
交渉役の眼前へ落下──音もなく着地。
黄金の髪と空色の戦装束が、風を孕んで靡く。
それを前にしてヘカテイアのパートナーは、臨戦態勢に移ったゴースト7を眼で制止する。
「私もビジネスパートナーみたいなものよ」
そんな細事には興味もないラーズグリーズは、口角を上げて不敵に笑う。
戦女神の回答は、依頼の受諾であった。
「期待しないでちょうだい」
「いや、感謝する」
深々と一礼する交渉役。
武骨な得物を下ろし、それに倣う灰色のウィッチたち。
「貸し一つよ」
未来永劫使うことのない貸しをつけ、その場を後にするラーズグリーズ。
人を小馬鹿にした声とは裏腹に、表情には邪気がない。
アスファルトを叩く雅な足音──頭上より響く漆黒の羽音。
それ以外は静寂の支配する旧首都で、空色の戦女神は思考を巡らす。
猶予は短く、切れる手札は少ない。
しかし、ここでナンバー3と対立することは望ましくなかった。
前倒しで進行中の計画を停滞させるわけにもいかない──
「……あら、怖い番犬さん」
不意に足を止め、高層マンションの残骸を見上げるラーズグリーズ。
一瞬だけ口元に微笑みを浮かべ、すぐ打ち消す。
「誰が犬ですか」
鈴を転がすような声が響き、頭上より舞い降りる蒼い影。
可視化したエナの燐光が漂い、蒼いドレスが翻る。
この容姿端麗なウィッチは、彼女の前では別人のように振舞う。
例えるなら、大型犬。
「あなた、自覚──悪かったわよ」
言語化する前に、鋭利な刃物のような視線に晒され、ラーズグリーズは降参だと手を挙げる。
「それで、何か用?」
そして、単刀直入に問うた。
眼前の蒼いウィッチ、アズールノヴァは無駄な前置きを嫌う。
ラーズグリーズとしても時間の浪費は望んでいない。
「あの時、貴女なら計画を覆すと思っていました」
アメリカ軍が指定した交渉の舞台を、蒼い瞳が鋭く睨む。
「何のことかしら?」
惚けた振りをするラーズグリーズだが、心中では困惑があった。
敬慕する者の全てを肯定してきた少女──それが初めて見せた不従順な反応。
その原因は、シルバーロータスの意識喪失しか考えられない。
「ファミリアの海外派遣は負担が大きいと気付いていたはずです」
非生産的な過失の追及。
蒼い瞳は、自己嫌悪あるいは罪悪感で揺れていた。
自身の無力を知りながら、それでも言葉を吐き出してしまった者の目だ。
「忠告はしたわ」
「忠告を聞くような方じゃないです」
落ち着いているように見えるが、言葉は感情的だ。
身の丈ほどもあるソードを振り抜く時の冷徹なウィッチはいない。
「知ってるわよ。なら武力行使でもすればよかったかしら?」
「それは……」
これは
地獄を生き延び、一度は折れた少女が見せる懐かしい感情の発露。
無意識に緩んだ口元を不敵な笑みで覆う。
「その時は全力で止めに来るでしょ? 嫌よ、面倒くさい」
図星だったらしく、渋面のアズールノヴァは口を噤む。
絶大な力を御す聡い少女だが、敬慕する相手には盲目となる。
そこが玉に瑕だった。
「……あの方にしか出来ないことでした」
「そうね」
罪を告白するように呟かれた言葉。
それに頷きを返し、戦女神は棄てられた軽自動車に腰かける。
日陰より蒼いウィッチを見つめ、言葉を続けた。
「あれは誰にも真似できないわ」
「だから、私は……偉業を見届けようとしました」
まるで自身を群衆の1人のように語るアズールノヴァ。
シルバーロータスの心労の種であり、
それを理解しているラーズグリーズは溜息を吐く。
「あの方も私と同じ人の心と体しかないのに…!」
感情の昂りによって放射されるエナ。
それが蒼い燐光となって可視化され、灰色の廃墟を照らす。
彼女の状態が
どれだけ業物でも諸刃の剣──未成熟の少女。
他人には見せない迷いを吐き出す様に、亡き友の横顔を幻視する。
「私が忌避したことを、私は──」
「人には得手不得手があるのよ」
自責の言葉を遮り、ラーズグリーズは静かに告げた。
アズールノヴァと目を合わさないよう、顔を逸らして。
「あなたは、よくやってるわ」
ほぼ単独でシルバーロータスの不得手とする敵を排除し続けている。
その勤勉さが事態を複雑化させることもあったが、それでも優秀な役者だ。
「すみません」
視界の端で舞い踊っていた燐光が沈静化し、蒼いウィッチは覇気のない言葉を紡ぐ。
「調子狂うわね」
そう口にしながら、空色の戦女神の声色に負の感情はなかった。
奇妙な沈黙が、両者の間に訪れる。
示し合わせたように溜息を漏らし、交差する視線。
「……本題に入りましょう」
軟弱な己と決別し、アズールノヴァは為すべきことへ意識を向ける。
「そうしてちょうだい」
名残惜しさを覚えつつ、ラーズグリーズもまた思考を切り替える。
「2日前、信奉派を4人斬りました」
普段の平静を取り戻したアズールノヴァは、端的に報告する。
人類の守護者たるウィッチは、まるで殺人を忌避した様子がない。
「面倒な名前が聞こえたわねぇ」
そして、ウィッチナンバーの最上位者もまた顔色一つ変えなかった。
駆逐すべき敵とは、インクブスであり、その隷属者である。
ゆえに獅子身中の虫たる信奉派に人権などない。
「まったく……仕事を増やさないでほしいわ」
蒼いウィッチへ気怠げな視線を投げる戦女神は、可愛くない仏頂面を思い出して自嘲気味に笑う。
英雄の死因は過労──鏡を見よ、と。
君もワーカホリック!