その少女は男勝り──腕白と称すべき子どもだった。
異性に交じり、外で遊び回ることに疑問を抱かない。
しかし、少女の家柄は、それを是としなかった。
淑やかであれと矯正され、やがて少女は両親の望む姿を
それでも武道を嗜んでいたのは、ささやかな反抗だったのかもしれない。
多少の不満はあっても両親や友人に恵まれた半生──どこか窮屈さを覚える世界。
それは、インクブスの出現によって前触れもなく崩壊を迎えた。
人類の天敵は瞬く間に多くの人命と尊厳を奪い去る。
その惨禍は、少女の友人たちにも及んだ。
幸運にも少女自身が失うことはなかった──その幸運こそが暗い影を落とす。
失わなかった者と失った者の差。
かつて窮屈さを覚えた日常は二度と戻らない。
心に生じた罪悪感と復讐心に似た義憤、それが少女を運命に引き合わせた。
オールドウィッチの遣わした
「救済の力を授けましょう、我が主よ」
ウィッチへと変身する異界の技術。
それを得た少女は感情の赴くままに力を振るう。
絶大な力でインクブスを屠り、全能感と達成感に酔いしれた。
しかし、少女の一部を形成した教育は、力に対する重い責任感を芽生えさせた。
そこに失わなかった者という罪悪感が加わり、少女を
結果として──重責に喘ぎながら、それを悟らせまいと傍若無人に振舞う魔女が生まれた。
他者に頼らない。
他者に譲らない。
守るべき人々からの期待、ナンバーズという階級、それらが
同年代の子どもには無い力が、誰にも代わりは務まらないという強迫観念じみた考えを植え付けた。
テリトリーを定めてインクブスを屠る、日常と非日常の反復。
演じる役に飲まれつつあった時──少女を敗北が襲った。
一瞬の油断で、死より惨い末路を迎える。
それがインクブスと戦うウィッチの宿命であった。
「無事か」
そんな宿命を軽々と蹂躙した異端のウィッチ。
赤い瞳に失望の色はない。
ただ少女を案じる安堵の色があった。
責任を果たせなかった自身には、不釣り合いなもの。
「貸し一つだ」
糾弾を待つ少女に、期待した言葉は与えられなかった。
ありきたりな言葉──その一言が、呪いを打ち払う。
自身を救った上位の存在によって、自縄自縛の強迫観念は打ち砕かれる。
ナンバーズ以外に対等の存在がいなかった少女は、こうして
それを為したウィッチの名は──シルバーロータス。
ごく最近になってウィッチナンバー13となったウィッチ。
されど、その実力は未知数、実績は天文学的なもの。
より上位であっても不思議ではない。
しかし、真意はオールドウィッチのみぞ知る。
最強の軍団を率いる魔女に助力など不要に思われた──その小さな体が限界を迎えるまでは。
変わらぬ日常風景、泡沫の平穏を護ってきたシルバーロータス。
想像を絶する重責と負荷が一個人に集中していた。
箱庭の中で戦っていた魔女と箱庭を形作っていた守護者では比較にならない。
誰にも代わりが務まらない者は誰か。
「……探しましたよ」
それは眼前で雨に濡れる、今にも消え失せてしまいそうなクラスメイトだった。
昆虫に造詣があり、勉強熱心で、放っておけない友人──東蓮花だ。
重責を肩代わりする、など口が裂けても言えない。
これ以上、厚顔無恥にはなれない。
ただ、己の
今こそ借りを返す時だと、少女は──金城静華は思ったのだ。
◆
聞き間違いではない。
政木は私を見て、シルバーロータスと確かに言った。
開かれた翠の瞳が次第に薄茶へ
エナへと還る狐耳を見るに、彼女は、政木律は──ベニヒメだ。
身体の一部が変化する友人の隣で、まったく動じていない金城もナンバーズの1人か。
切れ長の目が真っすぐ私を見据えていた。
無意識のうちに一歩下がる。
「…何のこと?」
白を切っても無駄だろう。
彼女たちは確信を持っている。
だからこそ、遠ざけたい。
私は、
「ひとまず、雨風を凌げる場所へ行きましょう」
「うん、家は……ちょっとまずいかな」
雨に濡れた私の格好を見て、金城と政木は眉を顰める。
退院したばかりで馬鹿なことをしているとは思うが、ここで手を取るわけには──
「行きますよ、東さん」
下がるより早く、歩み寄ってきた金城に手を掴まれていた。
柔らかな手だったが、想像よりも力が強い。
「…分かった」
手の震えを抑え込み、渋々といった体で了承する。
すぐさま両脇を2人に固められ、私は傘の下に入れられた。
連行される被疑者の気分──2人の目的は何だ?
私の正体が露呈したのは、意識を失った瞬間だろう。
目的は、ファミリアの運用に支障が出ていないかの確認が濃厚か。
実績を誇示──傍から見れば──したウィッチは自己管理ができないとなれば、不安になるのも無理はない。
「なぜ、ここにいると?」
「私、鼻と耳が良いんだ」
そう言って政木は鼻と頭上を指す。
露呈の危険を顧みず、ウィッチの能力を駆使して探しに来た。
私は
自覚も覚悟も甘いのは、私だけだ。
強まる自己嫌悪。
川を横断する橋梁の下へ入り、不意に腕が解放される。
「…病み上がりに何してるの?」
のんびりとした口調は鳴りを潜め、声に怒りを滲ませる政木。
傘を置き、鞄から白いタオルを取り出す。
「それは……」
タオルを私の頭に被せ、濡れた髪の水分を吸わせていく。
手の動きに合わせて、長い三つ編みが揺れる。
されるがまま──今の彼女は梃子でも動かない気がした。
「確実に風邪を引きますよ…まったく」
政木の物を含め、2本の傘から水を切る金城。
私の体調を気遣った真っすぐな眼差しに、居心地の悪さを覚える。
気まずい。
「…すまない」
反論の余地はない。
だが、想像と違う反応に内心では困惑していた。
シルバーロータスではなく、東蓮花として心配されている?
「心配、したんだよ…!」
声を震わす政木に、そっと頭を抱かれる。
駄目だ。
そんな気遣いを受ける資格、私にはない。
視界の端で揺れる白に真っ赤な血──弾かれたように後退る。
血など見慣れたはずだ。
インクブスの臓物を浴びたこともある。
だが、何かが決定的に違った。
「あ、東さん?」
「迷惑をかけた」
不安げな表情の政木が握るタオルは、白いまま。
錯覚だ。
それに、ひとまず安堵の息をつく。
「…迷惑ではありませんよ。むしろ、協力を申し出ておきながら」
首を横に振る金城は、そこで言葉を区切る。
2本の傘を橋脚に立て掛け、立ち竦む政木の頭にタオルを被せる。
「東さんが倒れる瞬間まで気付けなかった……それに不甲斐なさを覚えています」
不甲斐なさを覚える必要などない。
確かにナンバーズは護衛や補助といった協力を申し出てくれた。
だからと言って、私の自己管理が疎かな点にまで責任を感じるのは違う。
「シルバーロータス殿の限界が近いと分かっていれば……」
金城の首に下がる小さな十字架から声が響く。
その冷静な声には聞き覚えがあった。
「何を言っても言い訳にしかならんじゃろ」
政木の鞄に括り付けられた勾玉のストラップが瞬く。
彼女たちのパートナーも責任を感じてか、苦々しい声だ。
「落ち度は私にある」
「東さん…!」
抗議の声を上げる左肩のパートナーを一瞥して黙らせる。
私の過ちは私だけのものだ。
他者の責任にはさせない。
「これからは運用に集中し、再発防止に努める」
我ながら信用のない言葉だ。
「集中って……それが原因で倒れたんでしょ…?」
「さすがに、同じ轍は踏まないでしょうけど……」
自嘲を奥歯で噛み殺し、心配そうに私を見つめる少女たちと相対する。
「ファミリアに裁量を与え、簡易な判断は任せるつもりだ。それで負荷は減る」
意識を失う以前から行っていたが、これに加えて情報量も絞るつもりだった。
捕食や苗床とする判断、採用する戦術などを一任する──その結果は確認しなければならない。
蓄積した情報から最善手を選択できる者は、私しかいないのだ。
ここに
ファミリアは情報の取捨選択が不得意で、全てを伝達しようと試みる。
ならば、制限を与えることで、情報量を減ずる。
最善手の質は落ちるが、背に腹は代えられない。
「裁量…つまり、自己で判断できる?」
「ファミリアの指揮系統はトップダウン方式と聞きますが…」
首を傾げる金城、疑問を言葉にする十字架のパートナー。
私のファミリアもトップダウン方式を踏襲している。
ただ、長時間顕在して活動するため、思考に
「それなら、全部任せちゃえばいいんじゃない?」
頭に被ったタオルを取り、名案だと目を輝かす政木。
「ファミリアの判断にも限界がある」
今は情報を隠蔽してきた奇襲効果と数的優位がある。
だが、対策を講じられ、反撃を受けた時に同様の優位性があるかは分からない。
方向性を示し、進化を促すことで、インクブスを駆逐し続ける。
そして、ファミリアを無自覚な殺人者とさせないために、全てを明け渡すことはできなかった。
「あくまで手綱は握っておきたい、ということですね」
金城の言葉に頷きで応じる。
現状、敵味方識別は正常に機能し、ファミリアはインクブスだけを駆逐している。
しかし、それを実行する上で障害となれば、人間を排除できる。
一刻も早く統制を取り戻さなければ──
「シルバーロータス」
切れ長の目が私を真っすぐ見据える。
背筋を伸ばし、相対する大和撫子からは並々ならぬ決意を感じた。
「私にも手綱を持たせてはいただけませんか?」
手綱を持たせる──ファミリアの運用に携わると?
いや、これは戦術や作戦といったソフトウェアを指していない。
彼女の言う手綱は、ハードウェアを指している。
「まさか、補助というのは……」
「テレパシーの一部を私が引き受けます」
金城は胸に手を当て、静かに、しかし力強く言った。
私を探していたのは──あの夜の約束を果たすため。
しかし、私のマジックは模倣できないと言っていなかったか?
左肩のパートナーも同様の疑問を抱いたらしく、頭を傾げていた。
「そんなことが可能なのですか…?」
「
パートナー間やファミリア間で混線しないために必要な措置だろう。
一度だけ、他者のファミリアとテレパシーを試みたが、規格の合わない違和感と共に弾かれた記憶がある。
しかし、金城の言葉には確かな自信があった。
「でも、静ちゃんの
政木の言葉に、金城は静かに頷く。
なるほど、権能か。
「ファミリアは模倣できずとも、テレパシー単体であれば抽出できます」
私を見る目には、金色の輝きが宿っていた。
真っすぐな眼差し──穢してはならない不可侵なもの。
協力者であっても、ナンバーズであっても、年端もいかない少女。
塗れるなら血よりも名誉であるべきだ。
どれだけ歪であっても人類の守護者なら、まだ救いがある。
「要領さえ教えていただければ、今からでも──」
「それは、できない」
絞り出した声は掠れ、最後は雨音に飲み込まれて消えた。
──沈黙が満ちる。
灰色のベールに囲われた橋梁の下、雨音だけが響く。
「なぜ、ですか?」
「そ、そうだよ……どうして?」
困惑の表情を見せる金城と政木。
当然の反応だった。
他者の善意を蔑ろにし、胸中を抉られるような痛みを覚える。
「主は複雑なマジックを同時に複数扱える稀有なウィッチです。お力になれるはずです」
金城、いや
初動こそ混乱するかもしれないが、ファミリアの運用を大きく向上させるだろう。
懸念は運用じゃない──殺戮者の協力者となることだ。
年端もいかない少女に、それを背負わせるわけにはいかなかった。
「実力は疑っていない」
「なら!」
「私は」
次の言葉を紡ぐのに、躊躇が生まれた。
何を躊躇している?
殺戮者と知られる──それで彼女たちを遠ざけられる。
これ以上、踏み込ませるな。
意を決して引き結びかけた口を開く。
「私は、人間を殺している」
絞り出せた言葉は震えていなかったか?
冷酷な響きはあったか?
この細い喉が恨めしい。
「え?」
守護者の側に立つ少女たちは、目を見開いて凍りつく。
その驚愕が恐怖と嫌悪に変わることを祈る。
「私は、一般的な……いや、普通のウィッチじゃない」
ここにいるのは、人類の守護者たるウィッチではない。
私は──
「
吐き捨てるように宣った言葉が、耳に残る。
大胆な告白は女の子の特権(白目)