強まる雨音が橋梁の下を反響していた。
そこで次の言葉を紡げず、立ち竦む2人のクラスメイト。
もう会うことはないだろう。
降り頻る雨中へ足を向け──
「それは、自分の意志で命じたのですか?」
金城が努めて平静な声で問う。
回答は──できなかった。
彼女たちを遠ざけるなら最後まで非道な殺戮者に徹するべきだ。
だが、それは、今までファミリアと為してきたことの否定。
これが快楽的殺人ではないと私は知っている。
「まさか、ファミリアが独断で…?」
十字架のパートナーが告げた言葉で、少女たちの目に光が戻る。
沈黙は語るよりも明確な解だった。
ヒントを与えたのは私か──つくづく詰めが甘い。
「私が殺したようなものだ」
隠すまでもない。
最終的な元凶は私であり、覆しようがないのだ。
ファミリアの責任にして逃れることなど許されない。
「もう私に関わるな」
東蓮花に、シルバーロータスに、関わるな。
そう確固たる拒絶の意志を示す。
これは理屈じゃない。
「おかしいよ…!」
今にも泣き出しそうな政木の声。
その痛々しさが、私の罪悪感を深く抉る。
彼女の善意を踏み躙ろうとしている事実が、ただただ苦痛だ。
「今まで皆を守ってきたのに…そんなのって…!」
政木は胸元でタオルを握り締め、感情の発露を必死に抑えている。
今の私は、彼女へ苦痛しか与えない。
それを安直な同情心で撤回することもできない。
「政木や、気を強く持つのじゃ」
ちかりと瞬く勾玉から水滴が流れ落ちた。
その声には、先程までの苦渋に満ちたものがない。
「殺めたという者たち……手を下さなければ命があったのかや?」
主人の平穏のために、状況を打開すべく言葉を紡ぐ。
それがパートナーだ。
政木の鞄に括り付けられた勾玉のストラップへ視線を向ける。
「生存の可能性を摘んだのは間違いない」
苗床となった女性、洗脳されたウィッチ、傀儡軍閥の軍人。
全員が五体満足で戻れるなどと思ってはいない。
ただ、インクブスが駆逐された世界で、社会復帰できたかもしれないのだ。
その可能性を私が摘み取った。
「シルバーロータス殿、我々も全てを救えたわけではありません」
「そんなことができるのは架空の神だけじゃ」
救われなかった命は許容されていい犠牲なのか?
いや、違うな──
「
救う、救わない、というのは救済者の視点だ。
そこに私は立っていない。
「救えなかったのではなく、殺した」
そこには致命的な差がある。
一般的なウィッチとの線引きは、そこだ。
私の言葉にパートナーたちも閉口し、雨音が場を満たす。
「いずれ罪過は償う。だが、今は──」
「ふざけるな」
初め、その言葉を誰が紡いだか、理解するのに時間を要した。
それほど力強く、ぶっきらぼうな口調だった。
声を発した者は──金城静華だ。
切れ長の目が吊り上がり、微かに黄金の輝きが宿る。
大和撫子の面を捨てたゴルトブルームこそが本来の彼女。
そう思わせるほど、堂々と立っていた。
「どうして救ったものを見ない!」
憤りを隠しもせず、金城は歩み寄ってくる。
救ったわけじゃない。
インクブスを駆逐する過程で救われた命があるのは認める。
だが、そこに能動的な意思はない。
「お前が救ったものを見ろ…!」
そう言って胸元に手を押し当てる金城。
芙花の母校で、確かに私はゴルトブルームを救った。
ただ、インクブスを駆逐しただけだ──私は何に弁明している?
年端もいかない少女が、嬲られるのを黙って見過ごせない?
それは人として当然の行動だ。
その行いによって罪は薄まらない──
「それで、人殺しは正当化されない」
1人救えば1人殺すことが許容される、そんな妄言を語る馬鹿はいない。
歴史に名を連ねる英雄は、積み上げた屍を肯定されている。
だが、それは必要に迫られて行った殺人の咎を、英雄に負わせないためだ。
私は英雄でも、救世主でもない。
「ああ、そうだ…正当化なんてできやしない」
金城は肯定する。
しかし、目を逸らそうとはしない。
私の苦手な、真っすぐな眼差し。
「静ちゃん…!」
政木が次の言葉を紡ぐ前に、それを手で制する金城。
私の発言を肯定しながら、まだ言葉を重ねるのか?
「でも、それはお前だけの責任じゃない」
「何…?」
今まで己に言い聞かせてきた言葉に、正面から切り込んでくる。
胸中が騒めく。
私以外に誰が責任を取るというのだ。
全ての発端はインクブスとでも言うつもりか?
諸悪の根源は連中だ──だから、駆逐する。
いや、絶滅させる。
それは当然のことだ。
「
その論理を持ち出せば、ウィッチの庇護を受ける人々すら咎人になる。
世には知らないままで良いこともあるだろう。
無知は罪か、と問われれば、私は否と答える。
「お前の言う罪は、その皺寄せの結果だ」
人々を守り、社会を守ってきたのは、ウィッチである金城や政木たちだ。
年端もいかない少女たちだ。
それ以上の皺寄せがあるのか?
「ちが──」
「違わない!」
否定を、否定する。
橋梁の下に反響する金城の声は、必死だった。
切実だった。
「お前の代わりは誰にも務まらない…でも、そうさせたのは私たちなんだ…!」
この歪で、どうしようもない世界を、今まで生き残ってきた。
それに加えて、余計な重責を背負いたいだと?
馬鹿げている。
「もう1人で背負わせないぞ」
黄金の瞳には、揺るぎない意志が宿っていた。
現実を知らない、と拒絶することもできる。
だが、それは
何が、そこまで──責任など誰も背負いたくないはずだ。
目を背けたとして、誰も責めない。
いや、そもそも目を向ける必要もないはずだ。
「…なぜだ?」
ついに口から疑問が漏れ出した。
金城に対して──自分自身に対して、だ。
眼前のウィッチを遠ざける言葉が浮かんでこない。
こんなにも私の覚悟は、軟弱だったか?
「私は人殺しだぞ」
馬鹿の一つ覚えに唱える。
鋭利さの欠片もない。
まるで、
「違うよ」
そう告げるのは、金城の隣に並び立つ政木。
苦痛を呑み込んで、凛とした表情をしている。
「東さんは、ウィッチで──私の友達だよ」
決意に満ちた表情には、恐怖も嫌悪も浮かんでいなかった。
殺人への忌避はあっても引き下がろうとはしない。
友達か──私は、彼女たちを、どう見ていた?
子ども、つまり庇護の対象だ。
対等とは見ていなかった。
「何を言われても、私は関わるぞ」
「私も、力になるよ」
ここまでの信頼を受けるに値する人間か、私は?
分からない。
沈黙──コンクリートを打つ雨音、増水した川の唸り声。
「東さんの恐れていることは、分かります」
左肩の定位置から私を見上げるパートナー。
黒曜石のような眼に映った私は、険しい表情をしていた。
「分かった上で、言います……誰かを頼ってみませんか?」
「利用ではなくか?」
「…今までなら、そう言っていました」
パートナーが言葉を選んでいることには、気が付いていた。
私の望む逃げ道を提示するための言葉遊び。
それでも、ずいぶんと救われたものだ。
「でも、その結果が今だとすれば、変わらなければならない」
これまでは、私とファミリアで自己完結しても失敗しなかった。
しかし、今は違う。
明らかにリソースが不足している。
個人には限界がある──当然の話だ。
パートナーの提案は理解できる。
本当は分かっているのだ。
今後、助力は必要になると。
「だから、私は提案します」
「…そうか」
後は、覚悟があるか。
今まで庇護の対象と見てきた彼女たちに、地獄を見せる覚悟が。
「……地獄を、何度も目にすることになる」
私の細い喉から出る言葉は、ひどく安直に聞こえる。
だが、地獄に語弊はない。
二度と見たくない光景の数々を、多角的に見つめ、判断を下す。
私が発狂していないのは、人間性に欠陥があるのか、それとも狂人なのか──
「なおさら、1人で背負わせるわけにはいかねぇよ」
あの夜を思い出させる挑戦的な笑みを、金城は浮かべていた。
腕を組んで、仁王立ちするクラスメイトに大和撫子の面影はない。
「絶対に借りを返してやるから覚悟しろ」
梃子でも動かないとは、今の彼女を指す言葉に思えた。
そして、その隣で頷く政木もまた退きそうにない。
「どうしますか、東さん」
それでも最後に決断するのは、私だ。
本来、ここまで話を拗らせる必要はなかった。
ファミリアの運用能力が向上する──喜ばしいことだ。
それを妨げていたのは、私の自己満足でしかない。
今は、犠牲を低減し、インクブスを駆逐すること。
それだけに集中すべきだ。
「…分かった」
彼女たちは覚悟を決めている。
なら、私は──
「力を、借りるぞ」
◆
一面の闇より浮かぶ白磁の円卓。
その卓に集う影は疎らで、最盛期を知る者が見れば目を疑う光景であった。
「グリゴリー、同胞の帰還はどうなっている?」
全てのインクブスを束ねる影は、重々しい声を響かせる。
同胞の屍を数えることはなかった。
災厄の腹に収まった者の数より生き延びた者へ目を向けねばならない。
「サンチェス、ラザロスを筆頭とする救援が到着し、帰還を支援しております」
「うむ……それで帰還できる同胞は、どれほどになる?」
ゴブリンを率いる長は、同志の首飾りを握り締め、苦悶の表情を浮かべた。
現在、インクブスが直面している災厄は、最悪の記録を更新し続けている。
状況は絶望的であった。
「5割……いえ、4割を切るかと」
災厄のウィッチによる惨禍は、過去最大の損失をインクブスに強いていた。
「…そうか」
寒々しい円卓に、重い沈黙が満ちる。
一族を率いる総長の多くが大陸で命を散らした。
今、円卓には、繰り上げで総長となった者が集っている。
「今は同胞が多く戻ると信じるしか」
インクブスを生み出した神に祈る者は、円卓にいない。
彼らが信じるは、エナの肉体に宿る可能性のみ──
「鬱陶しい羽虫どもめ!」
円卓を打つ巨大な拳。
それは空気を震わせ、重い沈黙を打ち破った。
「なんたる有様だ、これは! たかが脆弱な羽虫に!」
発言者は筋骨隆々の巨躯を誇るインクブス、オーガを束ねる総長。
大陸に版図を持ち、徹底抗戦を訴えていたが、勅命により帰還した。
つまり、脅威を目の当たりにしていない。
「落ち着け、ギルマン」
明らかに体躯に差のあるゴブリンの総長、グリゴリーが諫める。
「落ち着け、だと? グリゴリー、貴様の配下が羽虫を持ち込んだという話ではないか!」
「ヒトの雌以外も拾ってくるからだ!」
「エリオットの奴も、頭も死んじまった! どうしてくれんだよ!」
大陸から帰還した者、総長を失った者、彼らの不満と怒りが爆発した。
オーガという強力な一族を率いるギルマンに便乗し、グリゴリーを糾弾する。
「今、それを追及している場合ではないだろう!」
最も多くの同志を失い、なおも戦線を支え続ける功労者への言葉ではない。
しかし、グリゴリーは無益な反論を試みようとはしなかった。
共に災厄と相対してきた同胞たち、最前線で戦う彼らに恥じないために。
「静まれ」
怒気を含んだ影の一声が、円卓に集った者たちを沈黙させる。
「不和を生み出すことこそ災厄を利すると知れ」
高濃度のエナによって輪郭を歪めた影。
それは重々しく、しかし明瞭な声で集った魑魅魍魎を諭す。
「次なる手を打ち、今は仕込みの時…耐えるのだ」
名も知らぬウィッチにインクブスは敗北を続け、苦渋を味わってきた。
しかし、影は災厄を仕留めるため、次の手を打ち続けている。
その力強い言葉に、皆が耳を傾け──否、オーガのギルマンだけは違った。
苛立ちを隠しもせず、乱雑な所作で円卓の席を立つ。
その不遜な態度に動揺と騒めきが広がる。
「悠長にも程がある!」
己と同じ丈ほどもある鉄塊を担ぎ、ギルマンは影へと吠えた。
「その災厄とやらが現れる地は分かっているのだろう?」
そして、苦々しげな表情を浮かべるグリゴリーへ問う。
言葉の節々に滲む自信から、問いではなく確認の意味合いが強かった。
「まだ推測の域を出ん…早まるな、ギルマン」
「その弱腰が、この惨状を招いた! 違うか?」
円卓に集う者たちへ語りかけるように両手を広げ、声を張り上げる。
「災厄とてヒトの雌…その地に住むヒトを鏖殺すれば、いずれ現れる!」
自身が絶対的な上位者であると信じて疑わない。
大陸において彼を窮地に陥らせた者は存在しなかった。
そんなオーガの戦士にしてみれば、ファミリアなど塵芥同然。
「我々には、勝利が、蹂躙が必要なのだ!」
自信に満ち溢れた声が、円卓を囲う闇に反響する。
オークの戦士とは異なる狂戦士は、不満を抱く者たちを巧みに煽った。
「…然り」
「蹂躙こそ本懐、久しく忘れていたな」
「ああ、俺たちは奪う側、狩る側だ…!」
勅命に従って大陸より帰還した者。
繰り上げで総長となった若き者。
明確な敗北を知らぬ彼らは、怒りと獣欲を滾らせる。
口角を上げるギルマン──堂々と円卓を後にし、大扉へ向かう。
賛同する総長たちが席を立ち、その後を追った。
音を立て、開け放たれる大扉。
「朗報を期待しているがいい!」
その勇ましい言葉を残し、ギルマン一行は去っていく。
困惑の表情を浮かべるオークの衛兵へ、首を横に振るグリゴリー。
「これで、本当によろしかったのですか?」
同情的な視線を大扉の彼方へと向け、グリゴリーは影へ問う。
円卓に残った者は、影の言葉に理解を示した者たち。
既に動揺は沈静化し、次の言葉を待つ。
「こうも大胆に賛同者を募るとは思わなかったが……良い」
配下であるギルマンの独断に、影は全く動じていない。
むしろ、予定調和に安堵している節すらあった。
「シリアコが見れば、露骨だと笑うでしょうな」
「で、あろうな」
疲れたような笑みを浮かべ、ゴブリンの総長は空席を見遣った。
影の嘆息に合わせ、円卓に集った者も苦笑を浮かべる。
「大局の読めぬ者には──せいぜい
インクブスは死ぬ(予言)