不純物のない空で太陽が煌々と輝く。
2対の翅を震わせる赤い編隊が、蒼穹を切り裂いた。
「くそ! 何匹いるんだ!」
「セサル、避けぇぎゃぁぁぁ──」
怒号が飛び交い、断末魔の声が響く。
魑魅魍魎たちは食物連鎖の頂点が違うことを知った。
「正面の軍団は推定3000!」
丘陵の頂より悲鳴に近い声で報告するゴブリン。
背を向けて逃走に移る矮躯の影は──無数の大顎に食まれ、引き裂かれた。
血飛沫を砂に散らし、グンタイアリの戦列が頂より駆け下る。
「アンセルモの戦士団はどこだ!?」
「や、やめぇぉ!?」
「ぐぁぁあぁ!」
漆黒の軍団がインクブスの小集団を次々と呑み込んでいく。
彼らの末路は、分解されて肉片も残らない。
「陣を組め!」
「逃げるな! ここを突破されたら後がないぞ!」
迫り来る災厄を睨み、オークの戦士たちは敗走する同胞へ怒号を飛ばす。
シールドを大地に突き立て、ボウガンに矢弾を番える。
しかし、数にして100にも満たない。
「戦力が足りん! ラザロス殿は!?」
「遊撃に……来るぞ!」
鋭い眼光を黒で染まった頂へ向ける。
攻撃ヘリコプターの如き重い羽音──漆黒の軍団を越え、現れる巨影。
恐るべき強度を誇る外骨格が、陽光を浴びて鈍く光る。
彼の者は、防衛線を一撃で粉砕した重量級ファミリア。
「撃てぇ!」
号令と同時に空を切る矢弾。
その全てを外骨格は弾き、あるいは砕く。
3本の角を向け、全力で突進するアトラスオオカブトは意にも介さない。
「くそっ衝撃に──」
身構えるオークの戦士団を大質量の衝突が襲った。
それは一種の爆発に近く、丘陵で土煙が舞う。
「ぎゃぁぁぁ!」
「く、来るぁがばぁ!?」
土煙を突き破り、丘を転がり落ちていくオーク。
シールドが紙細工のように舞い、振り抜かれた角がオークの四肢を粉砕する。
戦意を喪失し、戦士たちは我先に逃げ出す。
掃討は後続のグンタイアリが行うだろう。
重量級ファミリアは母の声に応えるため、次なる敵へ向かう。
漆黒が覆う丘陵をインクブスの断末魔が満たす。
「総長、西から食い破られます!」
緩やかな丘陵を四足で駆け下る白毛のライカンスロープが吠えた。
その背後には、凶悪な大顎の戦列が迫る。
災厄の色に染まる丘陵。
「アンセルモはどうしたっ」
灰色の毛並みをもつ若き長、ラザロスは振り向かずに問う。
全身に浴びた返り血が、エナへと還っていく。
残されたのは、激闘の傷跡。
「先程、災厄の波に飲み込まれました!」
その報告にラザロスは憎悪と苦悶で顔を歪める。
貴重なオークの戦士を次々と喰われ、指揮を執れる者がいない。
「おのれ、災厄め!」
北アメリカ大陸のインクブスは、絶望的な戦況に置かれていた。
精彩を欠いていた災厄の軍勢──それが統制を取り戻したのだ。
大陸の北部で活動していた同胞は、
残された南部のインクブスは、ポータルの防衛戦で夥しい死を積み上げていた。
「このまま下って合流しましょうっ」
配下の進言を受け、ラザロスは視線を麓へ向ける。
辛うじて災厄から逃れた者を捌きつつ、防衛線を構築する同胞たち。
そこにはオーガやミノタウロスといった戦士の顔触れも見えた。
「いや、大型種を潰すぞ!」
最強の遊撃手である己の為すべきことは何か。
脅威となる大型のファミリアが防衛線へ肉薄する前に撃破することだ。
戦場は総長ではなく、戦士を求めていた。
「続け!」
「承知!」
乾いた砂を弾き、四足で地を駆ける。
災厄のウィッチが何を為そうとしているか、それは読めていた。
3方向から襲来したファミリアの機動は露骨に過ぎた。
目的、それは──この一帯に存在するインクブスの
インプの援護を受けられない戦況で、防衛線は崩壊の危機に直面している。
丘陵から平野へと徐々に後退し、包囲の輪は完成しつつあった。
「総長、見えました! 新手の大型種です!」
西の丘陵、雑草のように同胞を薙ぎ払う漆黒の大顎。
オークが小指ほどに見える距離で、ヒラタクワガタと判別できる巨躯だった。
「行くぞ──っ!?」
視界の端、残像を伴って現れる長大な脚。
ラザロスは後脚の膂力を解き放ち、その場から大きく距離を取る。
思考より反射による動作だった。
「コスタス!」
その背中に配下のライカンスロープは追従していない。
漆黒の蠢く丘陵で、白い毛並みを赤く染めて脚を宙に揺らす。
彼の横腹は太い鋏角に貫通されていた。
「そ、総長…がはぁっ!?」
アシダカグモに類似したファミリアは、機械的に消化液を注入。
血泡を吹いて絶命する獲物を棄て、新たな獲物の着地点へ疾駆する。
その速度は新幹線に匹敵していた。
「殺してやるぞ、虫けらぁ!!」
着地と同時に、ラザロスは咆哮を上げて吶喊。
その姿は灰色の突風であった。
無機質な黒い眼は、その挙動を最後まで正確に追尾。
高速で交差する両者──1本の脚が宙を舞った。
ライカンスロープの鋭利な爪がエナの残滓を引く。
転がるように着地したラザロスは、すぐさま四足で地を蹴る。
眼前に迫るグンタイアリの戦列との接近戦は分が悪い。
「ちっ…やりやがったな…!」
丘陵の砂に吸い込まれていく血。
ラザロスの右後脚に走る傷は、背後より追尾するアシダカグモが刻んだ。
脚を1本失おうと7本の脚を用い、獲物を追う。
しかし──その巨躯は次第に離されていく。
原種と同様に持久力は乏しい。
しかし、それを好機と反撃に移れば、
高位のインクブスを抹殺するため、災厄のウィッチは徹底的だった。
「……災厄め」
距離を離すラザロスは、犬歯の奥から唸り声を漏らす。
見渡す限りの丘陵にファミリアが犇めいていた。
包囲の輪が狭まり、麓の平野部へ同胞が集う。
黒で縁取られた麓は、
「大鍋…?」
胸中に降って湧いた不穏な言葉。
それは円卓にて、遠征軍全滅の報を受けた際、耳にした記憶があった。
包囲殲滅──災厄は凡庸な戦術に終始するものか。
若き長の抱いた焦燥に、大地は鳴動で応えた。
「なんだ!?」
地鳴りが轟き、麓の平野部に穴が生じた。
そこから亀裂が走り、支えを失った大地が崩壊を始める。
土煙が舞い、崩壊の音が丘陵を伝播していく。
「だ、大地がっ!?」
「うわぁぁぁぁ!」
「助けてくれぇぇぇ──」
足場を失った全ての同胞が、奈落へと吸い込まれる。
奈落の底より響く歓喜の歌──無数の足音と大顎を打ち鳴らす音だ。
この丘陵帯は、世界有数の洞窟がある国立公園の近傍にあった。
その地下空間を利用、改修を加え、罠として機能させる。
防衛戦の地に
「こんな、ことが……」
目撃者にして生存者は、ライカンスロープの長を残して存在しない。
北アメリカ大陸の南部を支配していたインクブスの一群は、斯くして全滅した。
◆
最近、味を感じられるようになった。
国防軍病院では病院食だから薄味なのだと思っていたが、私の体には相当な負荷がかかっていたらしい。
気にする余裕はなかった──その時点で限界だったのだろう。
口にした卵焼きの出汁が濃いことに気付ける。
それを認識できるだけの余裕が、ようやく持てるようになった。
「金城さん、大丈夫?」
「ええ…大丈夫です」
隣に座る金城は、明らかに箸の進みが遅い。
彼女のおかげで私の負荷は大きく軽減されている。
しかし、それは彼女が軽減された分を引き受けているからだ。
「やはり、負荷が…」
金城に処理を依頼しているテレパシーは、情報の取捨選択や戦術の効果確認など多岐に亘る。
負荷にならないはずがない。
「それについては心配いりません」
私を見る目は、真っすぐだった。
大和撫子を演じる金城だが、その目だけは嘘偽りがない。
強がり、ではないのだろう──彼女の処理速度は私の比ではなかった。
ゴルトブルームの権能は
複雑なマジックを容易く行使し、他者のマジックにすら干渉可能。
その権能は情報の濁流すらも制御していた。
「ただ──」
長い黒髪に留まったアオスジアゲハを払い、金城は言葉を続ける。
「この蝶の群れが気になって仕方がありません…!」
そう言って肩を震わす金城の膝で、ルリタテハが翅を休める。
人気のない中庭には、再びバタフライファームが現出していた。
色鮮やかな絨毯がベンチの周囲を覆っている。
「…そうか」
もう諦めの境地にある私は、虫たちの好きにさせていた。
しかし、初めての体験だった金城は違う。
つい最近、虫嫌いではないと知ったが、さすがに限度があるか。
「えぇ~私は一面、花畑みたいで好きだよ?」
金城と反対側に座る政木は、のんびりとした口調で言う。
普段通りの調子を取り戻した少女の頭には、花冠のように蝶が留まる。
ただ、腕時計に留まろうとしたジャコウアゲハだけは、そっと払う。
「さすがに限度があるでしょう?」
「あ~確かに、ちょっと食べにくいかな~」
「私に付き合わなければ──」
「それはだめ」
「駄目です」
即答する政木と金城。
この2人の説得を受け、まだ私は学校に通っている。
しかし、私への気遣いで満ちた教室は息が詰まりそうだった。
だから、昼休憩は中庭へ足を運ぶ──そこに2人が現れたのだ。
「一緒にいるのが友達じゃないけど…」
「今の東さんは、なるべく1人にしたくありません」
金城のおかげで状態は改善しているが、倒れた手前、何も言えない。
彼女たちは私を心配し、純粋な善意で行動している。
それを
「戦場の景色は、全て貴女が見ている……東さんこそ無理をしていませんか?」
「慣れている。問題ない」
「慣れの問題では……」
表情を曇らせる金城には悪いが、そこで妥協する気はない。
彼女の優れた権能により、テレパシーを細かく分別して受け取ることができるようになった。
ならば、戦場は私の領域──死を直視するのは私だけでいい。
そこに心の平穏はないが、戦闘に集中すれば、より多くのインクブスを駆逐できる。
昨日はアメリカ軍と調整を重ねた坑道戦で、18312体を一挙に殲滅できた──
「お昼なんだから、そこから離れようよ…」
そう言って口を尖らす政木は、水筒からカップに茶を注ぐ。
常在戦場と言えば、聞こえはいい。
だが、それで自らを潰したのは、私だ。
「はい、お茶をどうぞ~」
差し出されたカップを受け取り、茶色の液面に映る仏頂面を睨む。
ここは学校で、非日常を持ち込むべき場所ではない。
切替が重要なのだと思う。
「…ありがとう」
ふにゃと笑う政木を見ると、肩から程よく力が抜ける。
不思議なものだった。
「律の言う通りですね…今は、ひとまず置きましょう」
同様にカップを受け取り、静かに茶を口にする金城。
その周囲でアオスジアゲハが優雅に舞う。
花のない中庭に集う蝶たち──いや、私は
そんな妄言を頭から蹴り出し、烏龍茶を味わう。
中庭の周囲から注がれる好奇の視線も、今は不思議と気にならない。
色鮮やかなバタフライファームの中心で、ゆっくりと時間が流れる。
「なんか不思議な気分だね~」
不意に、空を見上げた政木が口を開く。
白い雲が疎らに流れていく空模様は、どこか牧歌的に感じる。
「こうしてる今も、ちょっとずつ世界が良くなってるなんて」
ファミリアは派遣された2大陸で、今もインクブスを駆逐し続けている。
統制を取り戻してからは、巻き添えとなる人間もいない。
きっと、世界は良くなっているのだろう。
「……東さんのおかげで漫然とした希望が、確信に変わりました」
金城の言葉を肯定できるほど、私は私を許していない。
罪過は一生消えることはないのだ。
ただ、それは否定する理由にもならない。
誰かの希望なのは、事実なのだろう。
「希望、か…」
インクブスの駆逐は牛歩の進捗で、とても希望など持てなかった。
しかし、ここ数か月で急速に事態は転がり出し、大陸のインクブスに王手をかけている。
明日はアメリカ軍に希望の
苦慮しながら調整を行ったパートナーは──左肩の上でベニシジミに押し負けていた。
私は見なかったことにした。
三人称RTS vs 一人称ACT