「まずは、こちらの要請に応じてくれたことに感謝を」
そう言って黒い毛並みをもつ大型犬が、恭しく頭を下げる。
陽炎が揺らめくコンクリートの滑走路では、ひどく熱を蓄えそうな色だ。
「そちらには私を非難する権利がある」
「助力を乞うている我々に非難する権利はないよ」
この喋る大型犬こそが灰色のウィッチたちのパートナー。
背後に控えるモーガン少尉に代わるアメリカ軍の窓口だ。
「…確かに犠牲はあった」
私が奪ったものは、誰かの未来だ。
犠牲──その言葉の持つ意味は重い。
輸送機の傍らで待機する兵士から向けられる視線を、直視できなかった。
私は彼らの家族や友人、親しい誰かの命を奪ったかもしれない。
胃に鉛を流し込まれたような錯覚に陥る。
「しかし、それは悲しい事故だった」
「…それでいいのか」
「人命の価値に大小はないが、あえて言おう」
左肩のパートナーを見遣ってから、理性的な眼が私を見つめた。
「
人命を数として捉えた冷酷な言葉。
しかし、それを口にした代弁者と言葉を耳にした兵士たちは、一様に険しい表情をしていた。
理解はしている──納得はしていない。
アメリカ軍は危険な市街戦を買って出ても、国民の救出に尽力している。
彼らの言葉を額面通りに受け取ってはならない。
「これからが重要だ。そうだろう?」
「…そうだな」
安直に糾弾を求めるなど浅慮だ。
国軍である彼らは、そんなことをしないと分かって甘えていた。
大人に甘えるな。
「感謝する」
彼らへの謝意を以て、思考を切り替える。
今やるべきことをやれ。
「それはこちらの台詞だよ──ありがとう、シルバーロータス」
小さく尻尾を振り、大型犬は深々と頭を下げた。
私もフードを取り払って、頭を下げる。
「ところで…」
頭を上げた黒毛のパートナーは首を傾げ、私の背後を窺う。
「後ろの5人は、監視かな?」
今日の私はファミリア以外の
5人ほど。
言わずと知れたナンバーズの5人──和傘を差したベニヒメが小さく手を振る。
ここへ1人で向かう旨を伝えたら、彼女たちに猛反対された。
心配なのは理解できるが、こそばゆい。
「…護衛だ」
ベニヒメに手を振り返す。
すると、少女たちの背後に控えるファミリアの一群が触角を揺らす。
「ウィッチナンバーの上位者が護衛か…それは心強い」
「ああ」
感慨深そうな声に頷きで応じる。
どれだけ華奢に見えても、彼女たちはウィッチでも一握りの強者だ。
打倒できるとすれば、あの戦女神くらいか?
「よし…第2陣の移送準備に移ろう」
黒毛のパートナーが背後に目配せし、兵士たちが一斉に動き出す。
「分かった」
私もテレパシーを発し、誘導に従ってファミリアを移動させる。
ゴルトブルームが再構築してくれたおかげで、情報のロスが少ない。
より正確に指示が飛ばせる。
「シルバーロータス、一つ質問してもよろしいかな?」
移動を開始したファミリアを眺めながら、黒毛のパートナーは控えめに聞いてくる。
「何が聞きたい」
「感謝する…それで、あのロングホーン・ビートル」
「ボーゲンローアです」
間髪容れずに左肩のパートナーが名前を訂正する。
触角を手入れするハンミョウの後方で、より長い触角が揺れていた。
「ちょっと、ベニヒメさん…!」
「大丈夫、大丈夫~」
ベニヒメに触角を撫でられているファミリアは、ヒゲナガカミキリに酷似していた。
大顎は強力だが、小柄で攻撃性は低そうに見える。
その評価は概ね正しい──戦闘が目的ではないのだ。
「先日、確保したポータルに対して投入する」
目標は、大陸で度々目撃している大規模なポータルだ。
中国大陸では破壊を許したが、アメリカ大陸では確保に成功していた。
「あれは、我々の攻撃が通用しないぞ?」
インクブスのエナを有する者しか通過できない異界への扉。
それは、あらゆる物理攻撃やマジックを受け流す。
この場にいる者が共有する
「破壊はしない」
「なんだって?」
仮に破壊できたとしても、別の場所にポータルを開放されるだけだ。
なら、
「マツノザイセンチュウを知っているか?」
無関係に思える話題に、黒毛の大型犬は困惑の表情を浮かべる。
当然の反応だった。
己のコミュニケーション能力の低さに自己嫌悪を覚える。
「マツ科樹木を枯死させる感染症の原因ですわ」
「そうだ。管類を閉塞させ、樹液の流れを妨げることで樹木を枯死させる病原体だ」
飛び入り参加したプリマヴェルデの説明に補足を加える。
感染症の正式名称は、マツ材線虫病と言う。
マツノザイセンチュウとは、その病害の原因となる病原体だ。
「それが、どう関係するんですの?」
私を見かねた助け舟──ではなく、朱の瞳は純粋に好奇心で輝いていた。
その背後には、同様に私の言葉を待つユグランスの姿。
ナンバーズでも2人は知識に貪欲のようだった。
「ボーゲンローアは、そのマツノザイセンチュウの
「万物のエナを侵食、干渉し、その流動を制御できます」
左肩でパートナーが能力を説明する。
本来は、エナの性質を知るために呼び出した個体だった。
「ポータルは特定のエナを通過させるだけの単純な構造、と私たちは考えている」
凌辱した女性──体内にエナを有する存在──をインクブスは連れ帰る。
しかし、徹底的にエナへ
インクブスのエナだけを通過させている──異種のエナは、ただ受け流しているだけ。
防御機構があるわけではない。
しかし、通常のポータルは瞬時に消失するため、今まで検証が不可能だった。
「そこに干渉することで、ファミリアを通過可能なポータルに改造する」
「まさか、そんなことが…?」
今こそ絶好の機会だ。
ポータルを形成するエナに干渉し、通過可能なエナを切り替えられるか試す。
「可能なのですか、シルバーロータス?」
「分からん。だが、試す価値はある」
ユグランスの問いには、まだ答えられない。
何もかもが未知の領域だ。
ポータルへの接触は、インクブスの血液を多量に被れば可能という結果を得ていた。
後は、ベニヒメに触角で遊ばれているボーゲンローア次第だ。
「ポータルから増援を派遣できれば、より多くのインクブスを駆逐できる」
重量級ファミリアを筆頭とする戦力を送り込めば、より多くのインクブスを駆逐できるだろう。
希望的な観測をすれば、救出作戦も射程に入る。
「ま、待ってくれ……少し、いいだろうか」
言葉を探すように、黒毛のパートナーは慎重に尋ねてきた。
そこまで恐る恐る聞かなくてもいいのだが。
「君は、今…
「ああ、言った。今は優勢を保っているが、限界が訪れる前に……」
言い切る前に、私は異変に気が付く。
大型犬も、耳を傾けていたナンバーズも、灰色のウィッチたちも、一様に固まっていた。
「…増援を送りたい」
そして、私は思い至る──あちら側の展開状況について、初めて口にしたと。
陽炎揺らめくコンクリートの上に沈黙が降ってくる。
エプロンで忙しなく動き回る兵士の声が、よく響いた。
「どうやってポータルを?」
黒毛のパートナーは懐疑的な声色だった。
信じられない、と顔に書いてある。
「インクブスの体内に……ファミリアの卵を産み付けて、送り返した」
誤魔化すことも考えたが、それでは不信感を与えるだけだ。
だから、素直に答える。
「卵を、産み付ける…?」
「そうだ」
ポータルの除外基準は甘い。
捕獲したインクブスのエナを弄り回している時に、その穴に気が付いた。
何度も試行し、それを確かめ、私は確信した。
これは使えると。
「ま、まさか…それは捕食寄生ですの?」
朱色の瞳を不安で揺らすプリマヴェルデに、頷きを返す。
「死骸から得るよりエナの質がいい」
捕食寄生は、画期的な増殖方法だった。
インクブスの体内を循環するエナを摂取したファミリアは、恐るべき速度で進化する。
オニキスが良い例だろう。
「シルバーロータス、それは初耳なのですが」
「ああ……言っていなかった」
じっと見つめてくるユグランスから目を逸らす。
言ってないのではなく、言えなかったが正解だ。
インクブスを苗床とする作戦は、一般的な感性では理解されない。
「はいはい、ちょっと待って…」
私とユグランスの間に割って入るダリアノワール。
とんがり帽子の下から琥珀色の瞳を向け、魔女は問う。
「つまり…その、逆侵攻してるってこと…だよね?」
「そうだ」
その確認に対し、私は肯定を返す。
つい最近、軌道に乗ったばかりだが、着実にインクブスどもの生存圏を脅かしているのだ。
逆侵攻と言ってもいいのだろう。
「こ、こいつはたまげたにゃぁ」
「もう驚くことはないと思ったけど、さすがに予想外だよ」
肩から下げた武骨なマシンガンから感嘆の声が発され、それにダリアノワールも頷く。
逆侵攻を考案する者が私以外にいなかったとは思えない。
しかし、今のところ他者のファミリアと遭遇した事例は皆無だ。
私は初の成功事例なのかもしれない。
「凄まじいな」
黒毛のパートナーは懐疑的な色を取り払い、私を見上げる。
羨望と後悔が複雑に入り混じった──哀愁を覚える眼差し。
そんな眼差しを向けられたのは、初めてだった。
「…君は、世界を相手にしていたのか」
紡いだ言葉には、何かが削ぎ落されたような違和感があった。
何か、は分からないが。
「連中の全貌は見えない。世界というには、限定的だ」
インクブスという悪辣な生命の全貌は、底が知れない。
種族や総数は不明、為政者に該当する頂点が存在するかも不明。
絶滅は容易ではない。
「…道理でテレパシーの距離感に狂いがあったわけだ」
誘導に従って動き出したボーゲンローアの足元。
両腕を組んだゴルトブルームが半眼で私を見据えていた。
その隣には苦笑を浮かべるベニヒメが佇む。
「すまん」
これまで誰かと情報を共有する機会などなかった。
しかし、それでは円滑な協力などできるはずがない。
忌避される結果となっても情報を共有していくべきだろう。
「気を遣ってくれたんだろ? まったく、せめて私には──っ!」
最後まで言葉が紡がれることはなかった。
ここより遥か彼方の空──オニヤンマがエナの流動を捉える。
同時に金色の瞳が見開かれ、あるいは狐耳が立ち、少女たちの纏う気配が変質する。
「この気配は…!」
「ああ、インクブスだ」
テレパシーを共有するゴルトブルームへ頷きを返す。
上空のオニヤンマが続々とテレパシーを飛ばしてくる。
既存の種、未確認の種、それらの数を事細かに。
出現位置は市街中央、つまり──人口密集地だ。
これまでの小規模な襲撃じゃない。
駆逐に必要となる数のファミリアを投じれば、広域のパニックは必至という規模だった。
「ここは、いつもの3人かな?」
物干し竿のようなライフルに腰かけるダリアノワールは、既に地から足が離れている。
「ええ、市街地なら私たちが適任ですわ」
拳を固めたプリマヴェルデが宙へ浮き上がり、魔女の隣に並ぶ。
そこに焦燥はなく、ただただ冷静だった。
「ナンバー8とナンバー9は引き続き、護衛をお願いします」
機械仕掛けの近衛兵に抱えられたユグランスもまた平静に振舞う。
「分かった」
「3人とも気を付けてね」
それに対し、ゴルトブルームとベニヒメも力強く頷き、友を見送る。
彼女たちは、ただの少女ではない。
ナンバーズに名を連ねるウィッチなのだ。
「…任せる」
宝石のように色鮮やかな3対の瞳が輝く。
これまで人口密集地で戦ってきた彼女たちに一日の長がある。
だから、大人しく見送る──芙花の事が脳裏を過る。
今日は、あの辺りに外出していなかった。
焦って事態を悪化させるな。
「お任せください」
「ええ、行ってきますわ」
「たまには良いところも見せないとね」
紅白の近衛兵が滑走路を蹴って、市街地へと跳ぶ。
その影を追って魔女と騎士が一斉に飛び去る。
「我々も即応態勢に移行する。移送作業はまた後日に」
「ああ」
足早に立ち去る軍属のウィッチとパートナーの後ろ姿を見送り、ファミリアに中止を命じる。
銃器を携えた兵士たちが格納庫へ走っていき、空気が緊張感を帯びていく。
アメリカ軍も情報を得たらしい。
「シルバーロータス、これは今までと規模が異なります」
「突入の準備はしておくぞ」
「分かりました」
偵察とは明らかに違う本格的な攻撃だ。
国防軍やウィッチを総動員した激しい戦闘になるのは間違いない。
「……待つって、もどかしいね」
物々しい雰囲気に包まれる基地で、ベニヒメは紅の和傘を回して市街地の方角を眺めた。
テレパシーの管理を担うゴルトブルームと違って、私の護衛とは基本的に待機だ。
「こればかりは仕方ないの」
「うん、これも大切なことだから」
彼女たちの判断は尊重すべきだが、ナンバーズを遊兵化するのは得策か?
ベニヒメを含む4人であれば、2組のバディが組めるはずだ。
それは戦闘効率の向上だけでなく、生還率も高める。
今から追っても──
「いや、できることなら……あるぞ」
滑走路を吹き抜ける風が純白の装束を揺らす。
私が口を開くより先に、傍らのゴルトブルームが動く。
「シルバーロータス、試してみたいことがある」
銀髪赤目のウィッチを映す金色の瞳には、並々ならぬ戦意が宿っていた。
兄者「東パッパ、故人にされてるで」
作者「ほーん」