第1弾は、アンケート結果1位「旧首都攻略戦シルバーロータス視点」
凄然
コンクリートで形作られた長大なトンネルに灯る人工の光は疎らだ。
利用者も管理者もおらず、朽ちるのを待つ。
東洋有数の大都市圏を支える交通インフラは、誰に知られることもなく息絶えるのだ。
「連絡が遅れたくらいで大袈裟だっての…!」
そう言って苛立ちを露にする者は、裸足で線路上を歩く魑魅魍魎。
浅緑の肌で、尖った耳と鼻をもつ略奪者──ゴブリンである。
右手には鋭利なナイフを握り、闇の中であっても迷うことなく脚を進めている。
しかし、その表情は気怠げだ。
「伝令のボイコが戻ってねぇんだ……異常があったのかもしれねぇ」
隣を歩くゴブリンも言葉だけなら勤勉に聞こえるが、心配している様子はない。
周囲に注意を払うこともなく、欠伸を漏らす。
2体のゴブリンは、隣の地下鉄駅に構えた巣へ向かっていた。
「新しいウィッチを捕らえたって聞くし、
下卑た笑みを浮かべ、舌なめずりするゴブリン。
インクブスはヒトの雌を苗床にして繁殖する下劣な生命体である。
「この国も大したウィッチがいねぇから大変だよなぁ」
地下鉄道の新たな主たるゴブリンは、我が物顔で線路上を歩き、下品な笑い声を闇に響かせた。
最近は人類の激しい抵抗で土地を奪えずにいるが、ウィッチの捕獲は順調。
人類の守護者は強大な力を持つが、幼く脆い。
インクブスにとって獣欲を滾らせる獲物でしかなかった。
「違いねぇ──あぁ?」
相方に釣られて笑うゴブリンの眼が、弱々しい照明の光が降る線路上で止まる。
そこには──床面を覆わんばかりの血痕。
スリングショットと擲弾が投げ捨てられ、赤に塗れている。
2体のゴブリンは下品な笑みを消し、得物を構えた。
「敵襲か?」
周囲を用心深く観察するも、コンクリートの壁面しか見えない。
点滅する照明の下へ慎重に歩み寄り、血痕を確認する。
触れた血は粘度があり、ゴブリンは顔を顰めた。
「まだ新しい」
「ウィッチじゃねぇ……一体何が」
何度かウィッチと相対した経験があるゴブリンは、異常な光景に警戒を強める。
血痕は、人工の光が届かぬ闇へと続く。
「どうする?」
闇を見通す眼は、床面を引っ掻く何かの痕跡を捉えている。
それが
「確認しねぇことには何も分からねぇだろ」
相方はナイフを腰に下げ、スリングショットを抜く。
一切の情報がなければ、対応策を練ることはできないだろう。
ウィッチに対して数の利で戦うゴブリンだが、無策で戦うほど愚かではない。
「いざって時は、こいつを使おう」
「おう」
劇物を充填した擲弾を携え、ゴブリンたちは血痕を辿り始める。
照明が途切れ、闇と静寂が支配する地下鉄道。
常に奪う側であるインクブスは不安に駆られることなく脚を進めた。
闇の奥底──壁面沿いで煌々と輝く緑の光。
非常口を示す光を視認し、ゴブリンたちは半分の距離まで来たと知る。
普段なら何も考えず、通過する地点を前に脚を止めた。
「なんだ、ありゃ…?」
脚を止めざるを得ない。
2対の視線の先には、小さな人影があった。
武骨なククリナイフを右手に持ち、鼠色のオーバーコートを緑に染める何者か。
おそらくはウィッチ──されど放つエナは微量、絢爛とは無縁。
雌の匂いを感じ取るも、異常を察したゴブリンは動けない。
闇を映す赤い目が、不気味に光る。
「っ!?」
突如、増大するエナの気配にインクブスは気圧された。
ウィッチの背後より黒き影が現れ、コンクリートを引っ掻く足音が反響する。
「く、くそっ」
人工の光を覆い隠す闇へスリングショットを構え──漆黒の大顎が、殺到した。
「う、うわぁがっ!?」
一瞬で四肢を拘束され、全身を抉られる。
取り囲む影はゴブリンの矮躯より小さいが、大顎の挟力が尋常ではない。
「ぎゃぁぁぁぁ!」
そして、体を引き裂かんと四方へ引っ張る力も。
絶叫など意にも介さず、ただインクブスを破壊すべく小さな影は動く。
無数の触角が揺れ、無機質な眼が獲物を映す。
「ああぁぁぁぁ──がっぐぁ」
骨肉を砕く鈍い音が混じり、相方が沈黙する。
「ぐぁっぁがぁぁ…っ!」
激痛で悲鳴を上げながら、ゴブリンは眼を動かす。
そこにはククリナイフから血を滴らせ、蠢く影を見下ろすウィッチの姿があった。
フードの奥で光る赤い目──それがゴブリンの首を照準する。
その者が一歩踏み出せば、周囲で蠢く影は道を開けた。
振り上げられた刃が緑の光を浴びて瞬く。
「これで74体目」
発された声は幼く、しかし無邪気さの欠片もなかった。
◆
ククリナイフの刀身から血を舐め取るヤマアリを眺めつつ、私は思考を回す。
肉袋どもの斥候は全て挽肉に変えたが、巣は健在だ。
放棄された地下鉄は漏れなく連中が巣食い、人々を襲う前線基地にしていた。
虫唾が走る。
「全て潰してやる」
冷静な思考の片隅で、激しく凌辱された少女たちの姿が脳裏を過る。
ここから生きて出られると思うなよ、肉袋ども。
「……配置が完了しました」
左肩から控えめに声をかけてくるパートナーを一瞥し、私はテレパシーに耳を傾けた。
この先にある地下鉄駅の出入口に
──北部を担当するグンタイアリとスズメバチの戦果が著しいか。
「行くぞ」
「はい」
視界の端、ぬっと闇から現れる灰青色の重厚な鋏。
大型トラックほどもあるヤシガニを前面に出し、私たちは前進を再開する。
ヤマアリの戦闘能力は高くないため、主力は別のファミリアが担う。
「また……ウィッチが囚われているのでしょうか?」
「ウィッチだけとは限らん」
苦々しい声色で問うパートナーへ感情を殺して応答する。
1時間前、全滅させた71体の小規模な巣には、3人のウィッチが囚われていた。
だが、次もウィッチがいるとは限らない。
一般人の可能性も大いにある。
ファミリアが一斉に触角を上げ──コンクリートの天井が小刻みに震えた。
地震ではない。
国防軍あるいはアメリカ軍の爆撃だろう。
首都圏を取り戻すため、彼らは大火力を投じて都市ごとインクブスを粉砕する。
「定期便ですね」
「ああ」
その効果は芳しくない。
インクブスは大陸における戦いで、重火器が脅威であると認識していた。
そして、弾薬に限りがあることも。
ゆえに囮や人質を用い、非効率な運用で消耗を強いている。
「む……動きがあったようです」
先行しているゲジが巣の動向をテレパシーで伝達してきた。
私の目は足元しか見えていないが、状況は手に取るように分かる。
爆撃の影響を確認する気か──罠へ飛び出す前に奇襲を仕掛けたい。
前進の速度を上げ、闇の中を進む。
反対側から駅へ接近するファミリアの一群も速度を上げ、歩哨と接敵する。
「……なにぃ…ぎゃぁ……」
断末魔が小さく響き、後には沈黙が残された。
歩哨は今頃、オオムカデの腹を満たしているだろう。
点滅する照明の下を抜け、駅の乗降場とインクブスの影を目視する。
「…なんだっ!?」
ヤシガニを発見し、歩哨は慌ててスリングショットを構えた。
弾体は対人に特化した劇物、無視して突っ込む。
投射される擲弾──毒々しい粉塵が鋏で弾けるも、重量級ファミリアは止まらない。
重厚な鋏の奏でる風切り音が、地下を反響する。
「く、来ぐがぁぁぁぁ!」
後退った肉袋を挟み、乗降場から線路へ叩きつけて両断。
血飛沫を浴びるヤシガニの背甲を伝い、乗降場へ降り立つ。
「て、敵襲!」
無人の乗降場には魑魅魍魎どもが犇めく。
ククリナイフを握り直し、最優先で駆逐する個体を探す。
一斉にヤマアリが乗降場に雪崩れ込み、視界を艶やかな黒が覆う。
「な、なんだこいつら!?」
「ぎゃぁあぁぁ!」
四方から迫る大顎を躱すことは困難だ。
捕まった者から引き倒され、黒の中に埋もれる。
「21体、増援も来ます…!」
「殲滅するぞ」
点字ブロックを粉砕し、傍に立つヤシガニ。
その重厚な鋏を軽く叩いて、私は渦中へ突っ込む。
乗降場は乱戦状態だが、円陣を組んでヤマアリを迎撃する集団がいた。
指揮を執っている個体がいるのだ。
「右から来るぞ──ウィッチだ!」
乱戦の中から飛び出した私を捉え、それから背後のヤシガニへ視線が向く。
伝播する驚愕と恐怖──得物の切先が揃っていない。
どれを狙うか、迷ったな?
姿勢を落とし、斜め左へ逸れて駆け抜ける。
「う、撃ぎゃぁ」
大質量の一撃が飛び、円陣を根こそぎ刈り取った。
指揮を執っていた個体だけは鋏に両断され、血飛沫を降らせる。
落ちてきた下半身を跳ねて躱す。
「や、やめてくぇぇぇ!」
残る肉袋はヤマアリの大顎に四肢を引っ張られ、生きたまま解体される。
階段から増援が下ってくるのと乗降場を長大な影が走るのは、ほぼ同時。
「何が起こってる!」
「とにかく急──」
先頭の肉袋は、最後まで言葉を紡ぐことなく姿を消した。
21対の脚が刻む足音、そして骨の砕ける音が頭上から響く。
「ば、化けも」
鎌首を擡げるオオムカデが、後退る獲物たちへ突進した。
タイル張りの階段を赤で彩り、肉片を飛び散らせて上階へ向かう。
私もヤマアリを引き連れ、臓物の転がる1段目へ足を掛ける。
「…が、はぁ…くそっ」
階段に寄り掛かるインクブスが、悪態と血泡を吐く。
両脚を失い、神経毒で呼吸が浅い。
いずれ力尽きるだろうが──ククリナイフで頭を叩き割っておく。
この世に1秒でも長く存在できると思うな。
「残りは?」
「53…50、いえ49体です!」
上階で断末魔が絶えず聞こえ、オオムカデの活躍が目で見ずとも分かる。
階段を上がり、息のある肉袋の頭を潰す。
「大丈夫ですか?」
重労働の連続で、さすがに息が続かない。
「問題ない」
パートナーの心配を軽く流し、階段の踊り場で深呼吸する。
麻痺した嗅覚でも血の臭いが分かった。
あの饐えた臭いよりは良い。
「逃走した個体は?」
「3体を処理しました」
1区画先のインクブスへ救援を要請すると見ていたが、案の定だ。
地上で張っていたメダマグモは、見事に責務を果たした。
「よし…仕上げだ」
ヤマアリを率いて階段を駆け上がり、薄暗い構内を見渡す。
乗降場に通じるエスカレーターやエレベーターから黒が溢れ、至る所で断末魔が聞こえる。
包囲を脱する頭数はない。
このまま殲滅する──
「来るな! こ、こいつが死ぬぞ!」
聞き慣れた無様な脅迫が耳に届く。
振り向けば、トイレを背にして
周囲で大顎を鳴らすファミリアではなく、私に向かって吠えていた。
「し、死にたく…ない……」
恐怖と絶望に染まった目が私を見る。
ナイフの切先を首に当てられた女性は成人したばかりに見えるが、その腹部は大きく膨らんでいた。
もう見慣れた──この世で最悪の光景だ。
闇の濃い天井を一度だけ見遣り、肉袋へ死を宣告する。
「死ぬのは、お前だ」
「な、何を言って…あぁ?」
インクブスの腕に、肩に、頭に、野球ボールほどの物体が落ちた。
8本の脚で皮膚を掴み、一斉に突き立てられる吻。
「は、離せぇ!」
「きゃぁっ」
女性を突き飛ばし、肉袋は吸血動物を引き剥がそうと踊った。
駄目押しにマダニの雨が降り注ぎ、緑の矮躯は全身を覆われる。
顔面まで隈なく串刺しにされ、断末魔を上げることもなく絶命した。
耳障りな断末魔が減り──咀嚼音が構内を満たすようになる。
そして、か細い命乞いの声が耳に届く。
生存者8人の声を一切無視し、ファミリアは咀嚼を続ける。
「こ、殺さないで…助けて……殺さないで……」
目の前で、小刻みに震える女性は壊れたように同じ言葉を唱える。
血肉をぶちまけるファミリアの姿を間近で見て、正気でいられる人間は稀だ。
半狂乱になって取り乱すか、現実逃避に入って思考を止めるか──今日は後者だ。
ここから国防軍に引き継ぐまでの時間が、いつも長い。
「敵は倒した……大丈夫だから」
ククリナイフをシースに叩き込み、甘ったるい声の抑揚を殺して話しかける。
インクブスを屠る術しか知らない私には、苦渋に満ちた時間だ。
メンタルケアの心得などないというのに。
いつもの風景じゃん(錯覚)