難民を受け入れた結果、インクブスの侵略を許した那覇の惨劇は、国防軍の対外姿勢を決定づける契機となった。
新たに大陸から日本国を目指す人々への回答は、鉄火の一撃だ。
そこに一切の容赦はない。
≪──戦闘用意≫
号令が下され、灰色の艦体が重々しい緊張感を纏う。
海原の波濤を切り裂いて進む戦闘艦の任務とは、
175名の乗員が歯車の如く動き、艦は一瞬で戦闘態勢へ移行する。
≪右砲戦≫
艦首方向を睨んでいた主砲が、右舷の海へと向く。
長大な砲身が微動し、小刻みに目標を追尾する。
≪CIC指示の目標≫
目標とは、砲口の彼方──蒼天の下、海原を疾走する漁船だ。
南西諸島が壊滅的な被害を受けてから、近海の漁場に立ち入る者はいなくなった。
そんな海域に現れた漁船は漁具を搭載しておらず、同型の漁船より高速。
その存在は、黒だ。
≪主砲、打方始め!≫
躊躇なく号令が下される。
発砲の衝撃波に艦橋が震え、甲板を薬莢が跳ねた。
大気を切り裂いて飛翔する多目的弾は、恐るべき精度で目標の至近に着弾。
水柱が上がり、漁船の船体を海水が洗う。
かつて汎用護衛艦と呼ばれた戦闘艦の主砲は、速射砲──毎分45発の速度で砲弾を発射する。
砲煙と冷却水を吐き出して、矢継ぎ早に放たれる多目的弾。
それらは正確に目標を捉えた。
船首で炸裂し、次いで船橋、船尾で閃光が瞬く。
≪…主砲、打方止め≫
砲声が止んだ時、海原に浮かぶ漁船は廃船となっていた。
火災が生じる暇もなく、波濤の下へと消える。
浮かび上がる漂流物から生存者の姿は確認できない。
それが最前線の日常であった──
「他愛ない」
海の奈落へ引き込まれる
その者は、鮮やかな色彩の鱗と装飾品を纏う人型の魚。
人類から自由な海を奪ったインクブス──マーマンだ。
脚の水掻きと尾びれで推進力を生み出し、彼らは海中を進む。
目的は、未だ帰らぬ総長の捜索だ。
「肉を無駄にした」
「インプの余興は理解できぬ」
隷属するヒトから船員を無作為に選び、戦闘艦より逃れて上陸できるか──見世物の一種だ。
恐怖を流布することで支配体制を盤石とする意味もあるが、娯楽の側面が強かった。
悪辣な余興を催すインプを、マーマンたちは理解できない。
「ヒトは容易く増やせる。苗床を分ければ良い」
人類を苗床あるいは食料としか認識しておらず、支配に興味などなかった。
海中を高速で進むマーマンは、本能に忠実だからこそゴブリンに次ぐ個体数を誇る。
それで問題がない以上、現体制の改善などしない。
「撃沈する」
海水を切り裂くトライデントの切先を戦闘艦へ向け、高位のマーマンは告げる。
捜索を行う上で不要な交戦だが、撃沈しても問題はない。
「応」
同胞たちは短く応答し、30に及ぶトライデントが獲物を睨む。
その切先を海水が避けて流れ、真空が形成される。
マーマンはマジックによって水の抵抗を無くし、脅威的な速度を得た投槍で獲物を貫く。
「疑問」
「…何?」
戦闘艦を指向するマーマンの1体が言葉を漏らす。
勝利が必定である以上、同胞たちは余裕を持って次を促した。
「なぜ単独なのだ?」
その疑問は、瞬時に理解された。
人類の保有する艦艇は、マーマンに対して無力と言っていい。
小型かつ高速であり、対潜兵器の一撃もマジックで軽減されるのだから当然だ。
多くは逆襲を恐れて港に繋がれ、船団護衛の際に姿を現すのみ。
「理解できぬ」
しかし、工作船を撃沈した戦闘艦は堂々と海原を進んでいる。
海洋の覇者たるマーマンの存在を知らぬはずがない。
水上の戦いを得意とするウィッチが乗艦していようと、この海原で勝機はない。
「構わぬ、細事だ」
高位のマーマンは細事と言って取り合わず、投擲の姿勢に移った。
獲物は必殺の射程内にある。
蛮勇の代償は高いと知らしめる──そこへ
その音は眼下に広がる闇より放たれた。
「なに──」
海底で、紫の閃光が瞬く。
次の瞬間、沸騰した海水の奔流が群れの先頭に直撃した。
白濁が海面まで覆い、海水の蒸発する音が断末魔を掻き消す。
「散開!」
マーマンの群れが四方へ散った瞬間、再び海底が光る。
奈落より放射された衝撃波と熱は、群れの一部を削ぎ落す。
マジックによる対流も、エナの防壁も通用しない。
直撃を受けた者は全身を焼かれ、衝撃で内臓を破壊された。
「狙撃、狙撃だ!」
「潜航せよ!」
水面より注ぐ陽光によってマーマンの影は、下方から容易に発見できる。
闇に紛れんと海底へ向け、急速潜航。
「姿を現せ、卑怯も──」
海底からの狙撃は、威勢の良い言葉ごと同胞を吹き飛ばした。
水圧が上昇し、光の届かぬ闇がマーマンたちを包む。
そして、急激に増大するウィッチのエナ。
「な、何事…だ?」
周囲を
暗闇の支配する世界は、ウィッチの領域ではない。
その異常事態を前にインクブスは対処すべき敵を見誤った。
突如、眼前に現れる鮮やかな玉虫色──それが最期に見た景色。
高速で放たれた捕脚は圧力差で海水を沸騰させ、キャビテーションを生み出す。
打撃とキャビテーション、二度の衝撃がマーマンの生命を完全に粉砕する。
「おのれ!」
「投擲っ」
仇を討たんと息巻き、真空を纏ったトライデントが放たれた。
しかし、体色鮮やかな
恐るべき反応速度、そして機動性であった。
「速い…!」
必殺の投槍は、辛うじて皮で繋がっていた同胞の骸を切り裂くだけ。
その間もエナの気配は増大を続ける。
「次弾を…ぬっ!?」
否応なしに密集隊形となる群れへ
回避に失敗した3体のマーマンを巻き込み、海底へ突き立つ。
その巨塔の如き紅い鋏脚は、間違いなくウィッチのエナを内包している。
「ファミリアと言うか!」
群れの1体が腰に下げたカットラスを抜き、眼前の外骨格へ斬撃を放った。
マジックで対流を操り、高速で振り抜かれる刃は鋼鉄すら切り裂く──
「馬鹿な…!」
刃は鈍い打音を響かせ、表層を削って止まる。
膨大なエナを蓄え、進化したファミリアとは、インクブスを超越する生命体であった。
それを理解させてから、獲物を刈り取るべく周囲の闇より鋏脚が伸ばされる。
「離ぁっがぁ!」
「や、やめぐげえぁ!?」
「ぐわっぁあぁぁ……」
暗赤色、青紫色、灰色の様々な体色の鋏脚がマーマンを挟み、闇へと連れ去った。
海中を反響する悲鳴は、やがて骨肉を砕く咀嚼音に変わる。
「くっ!」
迫る巨大な鋏脚に対し、カットラスを打ち付けて自身の体を下方へ逸らす。
そのまま海底に向かって潜り、最後のマーマンは地獄からの脱出を図る。
沈没したコンテナ船の陰へ──
「がぇぐっ!?」
衝撃が腹部に走り、海水に朱が混じる。
歪む視界には、船体の破孔から伸びる死神の鎌が映っていた。
「な、にが……」
虎縞模様の巨躯が破孔より現れ、細長い複眼がマーマンを無機質に観察する。
その咀嚼音も止み──海底に静寂が戻る。
何事もなかったように魚が泳ぎ、一面の闇は平穏を装う。
日本近海から生還した水生インクブスは存在しない。
◆
屋上へ向かう階段の端に座り、私は天井を見上げていた。
ランチタイムを終えた生徒たちの声が遠巻きに聞こえる。
「東さん、今日は魚が半額らしいですよ!」
「…魚か」
ケータイの上で機嫌よく体を揺らすハエトリグモ。
画面には、贔屓にしているスーパーの広告が映っている。
パートナーはウィッチを補助する存在だが、私生活も範囲に入っているのだろうか?
「今はカンパチが旬と……何が美味しいのでしょうか?」
前脚で画面を操作し、レシピを調べ始めるパートナーは平均的なハエトリグモより大きい。
アシダカグモ程度の体長が最も操作に向いているらしい。
カンパチ──今日、店頭に並ぶ魚介類の多くは養殖だ。
インクブスの侵略によって我が国の漁業は大打撃を被った。
一時期は食卓から魚──ほとんどの生鮮食品──が消えた。
それでも前世と変わらぬ景色が戻ってきたのは、様々な人々の努力があったからだ。
感謝しかない。
「ふむ…東さん、照り焼きというのがオススメらしいです!」
「ほう」
その感謝を噛み締めつつ、家計と相談しながら今夜の献立を考える。
照り焼きには挑戦したことがなかったな──
「む……」
遥か彼方の海底より届いた声に、意識を集中させる。
海中で活動する重量級ファミリアたちの報告は、いつも質素なもの。
採用戦術、戦闘結果、駆逐したインクブスの個体数の3点だ。
「31体…偵察と見るべきか」
「200近い損害を出して慎重になったのでしょうか?」
「オホーツク海の連中は、毎週100単位の損害を出している」
日本の四方を囲む海からインクブスは絶えず襲来する。
対する国防軍は水際作戦が基本であり、ウィッチも同様のスタンスだ。
しかし、私はヤシガニを召喚した時、大型水生甲殻類に可能性を見出し、海中でのアンブッシュを選択した。
「損害が把握できていないのかもしれません」
「そう願う…が、連中も馬鹿じゃない」
切札の一つを
活動中の大型水生甲殻類は度重なる戦闘で急速に世代交代を繰り返し、強力な個体へと進化した。
それはネームドを駆逐し、逆侵攻の要となる存在。
「どうされますか?」
エナは供給しつつ、その存在を秘匿しなければならない。
インクブスも損害が重なれば、戦術を変えてくるだろうが──
「
「供給が途絶えた場合は、休眠に移行させますか?」
「いや、計画を前倒しにする」
「分かりました」
ケータイの上で前脚を上げるパートナーに頷きを返す。
現状維持は停滞、いずれは打破されるだろう。
だから、それまでに次の一手を打ち、イニシアチブを握る。
次の一手は──ふさふさの脚が踏む画面に、クルマエビが映った。
なかなか良心的な値段に目を引かれる。
今夜の献立、芙花が好きな一品を加えても悪くないな。
「……エビフライもいいかもしれん」
「あ、東さん…?」
時系列は本編開始直前(補足)