首都圏がインクブスの手中に落ちようと、日本という国家は続いている。
人々の営みが続く限り終わりはない。
たとえ神出鬼没の侵略者に脅かされようと。
「雌は20匹ってところですぜ」
昼下がりの市街地に出現したインクブスは、下卑た笑みを浮かべる。
浅緑の肌に、尖った耳と鼻をもつ略奪者──ゴブリンだ。
その視線の先には、恐怖で縮こまった人々が身を寄せ合っている。
ほとんどが昼食を済ませた会社員や飲食店の店員だ。
「まぁまぁ、だな」
血の滴るクラブを担いだ巨躯のインクブス、オークは鼻を鳴らす。
勇敢にも立ち向かった男性2名を撲殺した邪悪は、
「足りない分は……お前に補ってもらうぜ?」
上機嫌な理由は、もう一つある。
哀れな人々を護るため現れた人類の守護者が、眼前で膝を突いていたからだ。
「ルゼニクス、立て!」
首から下げるペンダントに扮したパートナーから叱咤が飛ぶ。
しかし、青紫色の装束を纏うウィッチは顔を上げられない。
彼女にとって二度目の戦いは、絶望的なものとなった。
「こ、こんなのっ…無理だよ……」
スピアの石突で上体を支えているが、エナの底は見えていた。
オークとゴブリンの連携攻撃によって平静を失い、マジックを連発した結果である。
何もかも未熟な少女が、闘争を心得たインクブスに勝利を収めることは難しい。
ウィッチの直面する現実は悪辣だ──メディアの映すウィッチは、全貌を映していない。
勝利は目撃者がいるからこそ成り立つ。
敗北すればウィッチも目撃者も、
「諦めるな! もうすぐ救援が──」
「そんなもん来るわけねぇだろ」
パートナーの言葉を打ち消し、オークは口角を上げる。
国防軍は首都圏に戦力を集中させ、腕の立つウィッチは少数。
ありふれた悲劇のために、現れる救援など存在しない。
「馬鹿な連中だぜ」
「大変だなぁ、ウィッチってのは!」
取り囲むインクブスたちの耳障りな笑い声が響き渡る。
しかし、心折れたウィッチは恐怖と不安で顔を歪めるだけ。
「せいぜい楽しませて……おい、どうした?」
人々を蹂躙せんと構えていたオークは、敏感に異変を感じ取る。
戦士の優れた勘を信じるゴブリンたちも、その視線を追う。
視線の先には、雑居ビルの路地──獲物の退路を塞ぐ同胞の姿。
「あ、え、あぁ…」
口から泡を吹き、眼の焦点が合っていない。
意思を失った矮躯が持ち上がり、手にしたナイフが滑り落ちる。
路面を叩く金属音に、思わず顔を上げるウィッチ。
「え…?」
次の瞬間、ゴブリンの首は噛み千切られた。
血飛沫を浴びる大顎、そして美しい金属光沢を放つ外骨格が路地より現れる。
突然の事態に、誰も反応できない。
「きゃぁぁぁ!」
タイトスカートに飛んだ血で、現実を認識する女性の悲鳴。
それが合図だった。
側溝のグレーチング、マンホールの蓋が弾け飛び、漆黒の外骨格が天日を浴びる。
「なんだこいつら!?」
誰もが一度は見たことがある姿、ヤマアリ科に属する昆虫。
しかし、その体長はゴブリンほどもあった。
彼女たちは大顎を開き、近場のゴブリンへ一斉に襲いかかる。
「ぎゃぁあぁぁ!」
市街地に響き渡るインクブスの悲鳴。
群がるヤマアリに全身を噛まれ、皮膚ごと肉を千切られる。
生命力の高さは苦痛の時間を引き延ばすだけだ。
「そこら中にいっぐぇ!?」
次々と地上に姿を現す黒、その間を縫って金属光沢の輝きがゴブリンに躍りかかる。
3対の長い脚で地を駆けるハンミョウだ。
数は4体と少ないが、確実にゴブリンの生命を噛み砕いていく。
「孤立するな!」
迫り来る敵を一振りのクラブで迎え撃つオーク。
恐るべき膂力が繰り出す一撃は、漆黒の群れを容易く粉砕した。
それを潜り抜けたヤマアリの大顎は、厚い皮膚に阻まれる。
「く、くそがぁはっ」
ヤマアリと力比べを試みていたゴブリンの首に凶刃が叩き込まれ、血飛沫が舞う。
崩れ落ちる骸に群がる黒、それを見下ろす小柄な人影。
その者は鼠色のオーバーコートに身を包み、フードで顔を隠す。
「お前……何者だ!」
周囲の虫と同じエナを感じ取り、オークは険しい表情で問う。
モンスターパニックの渦中に置かれた人々も否応なしに注目する。
回答はない──血の滴るククリナイフが向けられるだけ。
それは宣戦布告だ。
ゴブリンの骸を投げ捨て、4体のハンミョウが疾駆する。
捕食者に追随し、ヤマアリの群れがオークへ殺到した。
「援護を…くそがぁ!」
率いていたゴブリンは漆黒に埋もれ、無為に揺れる手足が見えた。
勝者は転じて被食者となった──断じて認めぬ。
オークは幾度もクラブを振るい、押し寄せる漆黒を薙ぎ払う。
弾けた外骨格や脚が散り、一瞬でエナへと還る。
「ちっ!」
俊敏なハンミョウは大振りを躱し、オークの両脚に大顎を突き立てた。
挟力は強くないが、無視もできない。
しかし、対処に手間取れば、ヤマアリに集られる。
持久戦は不利──ならば、指揮官を叩く。
オークの優れた感覚器官は、死角へ回り込もうと駆ける人影を捕捉した。
微弱なエナであっても逃しはしない。
「遅いんだよ!」
集るヤマアリを振り飛ばし、あらん限りの膂力を込めて踏み込む。
放たれた渾身の一撃は、鼠色の人影を捉える。
ククリナイフの刀身を間に割り込ませるも衝撃は殺せない──小柄な体躯は、ボールのように飛んだ。
道路に面したカフェの窓を突き破り、ガラス片が四散する。
常人であれば即死、ウィッチであっても致命傷は免れない。
「ふん、そこで寝てい…くそ、鬱陶しい!」
脛に噛みつくハンミョウを睨み、叩き潰さんと拳を繰り出す。
粉砕されるアスファルト片を弾きながら、鮮やかな甲虫は離脱する。
その間もオークの脚を漆黒が登り、大顎を突き立てた。
「この虫けらども、が…?」
それを振り払わんと暴れるオークの頭上より重々しい羽音が降る。
見上げた先には、黄と黒の警告色──凶悪な大顎が打ち鳴らされた。
腹部の先端、毒針を獲物に指向する巨大昆虫。
スズメバチの名で知られる彼女たちは、一斉に毒液を噴射した。
「ぎゃぁぁぁ!?」
オークの顔面に直撃した毒液は、効果覿面であった。
路上を絶叫が満たす中、カフェの入口より飛び出す小柄な影。
「くそっ何も見えん! ぐぁっ!?」
ハンミョウとヤマアリが連携し、オークの体勢を崩す。
路面へ激突する巨躯、その腹上に小柄な人影が飛び乗る。
銀の髪が風に弄ばれ──紅い瞳が眼下の敵を鋭く睨む。
その横顔は幼く、体躯は華奢。
白磁のポンチョとロングスカートを纏い、武骨なククリナイフを握るのは、
「離せ、虫けらどもぉぁぉ!」
暴れるオークの両脚を4体のハンミョウが、両腕を6体のスズメバチが抑え込む。
ヤマアリの群れは全身に大顎を突き立てるも、頑強な筋肉に阻まれる。
だが、完全に獲物の動きは拘束された。
「ぐがっ!?」
胸板に膝をついた少女が、ククリナイフをオークの眉間へ叩き込む。
眉間を割れず、滑った刃が眼球を潰す。
「ぐぎゃぁぁあぁ!」
ヤマアリに耳や首を挟まれ、身動きの取れないオークの絶叫。
それを聞いた人々は反射的に身を竦ませた。
少女だけが機械的にククリナイフを振り上げる。
「がっ…このぉっがげぇっ」
何度も頭へ叩き込み、血と肉が白磁の装束を汚す。
重心が安定せず、同じ点に振り下ろせない。
「くぞぉ、やめ、ぐおっ」
何度も、何度も、肉の潰れる音が響く。
殺意の限り刃を振るい──ついに、頭蓋は叩き割られた。
屈強な四肢から力が抜け、静寂が訪れる。
オークの顔面は無惨に破壊され、原形を留めていない。
血塗れの少女は、肩で息をしながら立ち上がる。
「やった、のか…?」
観衆の誰かが引き攣ったような声を漏らす。
安堵の色はなく、恐怖は継続していた。
少女の周囲にスズメバチが集う、そして──大顎を皮膚へ突き立てる。
皮膚を引き裂き、血肉を食む。
すぐさまスズメバチの頭は皮膚より下へ潜り、溢れ出た血が一帯を汚す。
「ひぃ!」
「嘘でしょ…?」
「く、食ってるぞ!」
悲鳴が上がろうと、咀嚼音が止むことはない。
執拗にオークの脛を噛んでいたハンミョウは、既に骨まで肉を削ぎ落していた。
ヤマアリの一群はゴブリンの頭や腕を咥え、側溝へ戻っていく。
「まさか…と、共喰い?」
呆然と佇んでいたウィッチはエナの流動を感じ取り、見当違いな結論に至る。
「いや、共喰いではない……ないが、あり得るのか?」
否定しながらも、明確な回答は返せないパートナー。
思考が停止した両者の眼前へ少女が降り立つ。
ククリナイフの刀身、白磁の装束、そして左腕から血が滴り落ちる。
「は、ひぃ…!」
恐怖に蝕まれた頭が理解を拒み、ウィッチは体を硬直させた。
少女の左腕が振り子のように揺れる──骨が折れているのだ。
重傷のはずだが、少女の開かれた右目は何かを探す。
その敵意を宿す目に、ウィッチは思わず後退った。
「…ゴブリンは?」
血を垂れ流すオークの腹から頭を出し、大顎を打ち鳴らす虫たち。
それを率いる主は、敵の姿を探し求めている。
「左腕の心配をしてください!」
「まだ2体、いたはず」
左肩で跳ねるハエトリグモの言葉を無視し、少女はウィッチへ問う。
しかし、今にも得物を構えんとする姿を見て視線を外す。
血塗れの虫たちが忙しなく触角を揺らし、周囲を探る。
「ば、化け物だ」
「おい、こっちを見たぞ…!」
ウィッチの背後で身を寄せ合う人々は、その光景を前にして動けない。
たとえ、オークを打倒した存在であっても、その姿形と所業は恐怖の対象だった。
一般人の認識は、脅威がオークから虫に移り変わっただけ──
「そこか」
微細な臭いとエナの反応を捉え、人々が集まる方角へ一斉に頭を向ける。
正確には、その背後──雑居ビルの間にある路地の奥。
そこへ駆け込む矮躯の影を捉えたのだ。
「こ、こっちに来るわ!」
「逃げろぉぉ!」
しかし、それを知る由もない人々は一瞬でパニックに陥る。
形振り構わず走り出し、我先に逃げ出す。
巨大昆虫とは、インクブス以上の恐怖と嫌悪の対象だった。
「と、止まってください…!」
虫を操る主の眼前に、人類の守護者が立ち塞がった。
祈るような声も、握る得物も、細い足も震えている。
それでも勇気を振り絞り、銀髪赤目の少女と相対する。
「ルゼニクス、彼女はウィッチ──」
「なぜ?」
スピアの切先には目もくれず、少女は足だけを止めて問う。
同じく脚を止めようとしたハンミョウに鋭い視線を向け、前進を続けさせる。
逃げ遅れた人々を追い越し、路地へ突入していく。
「助けてぇぇ!」
「軍は何やってんだよ、おい!」
「し、死にたくないっ」
巨大昆虫が至近を通過するだけで、人々は恐れ慄いた。
悲鳴と怒号が市街地を満たし、絶望に囚われたウィッチの思考は際限なく鈍化する。
眼前の少女を退ける言葉が紡がれることはない。
本能的な恐怖に抗うだけで精一杯だった。
「や、やめっぎゃあぁぁぁ!」
「ひっ」
ゴブリンの断末魔が響き渡った瞬間、ウィッチは弾かれたように踏み込む。
未熟であっても繰り出す一撃は、人体を貫くのに十二分な威力だ──
「よせ、ルゼニクス!」
疾風が吹き抜け、銀の髪が舞う。
少女の頬に赤い線が走る──スピアの槍頭は、辛うじて頭を外していた。
パートナーの制止で正気を取り戻し、切先を逸らさなければ右目は穿たれていただろう。
その目は頬を掠めた刃を一瞥して、青紫のウィッチへ視線を戻す。
「シルバーロータスっ」
「騒ぐな」
左肩で狼狽える
護るべき人々の悲鳴を耳にして、ただ口を強く引き結ぶ。
「あ、あ…私は……」
青紫のウィッチは己の過ちを認識し、無意識のうちに後退った。
命の恩人を危うく刺殺するところだったのだ。
未熟は免罪の理由とはならない。
「落ち着け、落ち着くんだ…!」
ペンダントから響く声は届かず、主はスピアを取り落として小さく震える。
その姿を映す紅い瞳に怒りはなく、ただ悲痛な色が宿っていた。
幼い容姿に見合わぬ複雑な表情を浮かべ、銀のウィッチは踵を返す。
「…引き上げるぞ」
「自己治癒を優先してください!」
血塗れの銀髪を引っ張るハエトリグモを無視し、シースにククリナイフを収める。
刀身に付着した血が一気に溢れ、アスファルトに血痕を残す。
行かせてはならない──未熟な、それでも善なる少女は手を伸ばす。
己をウィッチたらしめる善性に突き動かされ、震える喉で言葉を紡ぐ。
「ま、待って…待ってください!」
しかし、異端のウィッチが振り向くことはない。
謝罪も懺悔も不要だと、華奢な背中は言外に語っていた。
国防軍の汎用ヘリコプターが頭上に現れ、強烈なダウンウォッシュによって戦塵が巻き上がる。
灰色に染まる視界の中、肉片を咥えた虫たちも去っていく。
彼女たちへ感謝の言葉はなかった──誰一人として。
捕食者系魔法少女・イヤーワンだゾ(白目)