血のように赤い月が空に浮かぶ異界。
見渡す限り不毛な大地が広がり、生命の息吹は感じられません。
しかし、ここには恐るべき捕食者がいます。
ファミリア──ウィッチが使役する擬似生命体の1種。
ナイトストーカーです。
見た目は地球に生息する昆虫そっくりですが、その体長はアメリカバイソンに匹敵します。
エナで形成された外骨格は堅牢でありながら軽量。
加えて大気中の微細なエナを翅が捉えることで、高い機動性を実現しています。
今日もナイトストーカーの群れは獲物を求めて飛び立ちます。
獲物は様々──ゴブリン、オーク、インプ、時にはオーガも。
ナイトストーカーは偏食家で知られています。
この群れはゴブリンが大好物。
ゴブリンの利用する頻度が多い道を上空から監視して回ります。
しかし、大きな複眼の視力は見た目ほど良くありません。
代わりに獲物が発する臭いを触角で敏感に感じ取ります。
ゴブリンを発見しました。
生意気にも徒党を組み、武器を持っています。
しかし、日々洗練されていく戦術の前には無力です。
まず、囮が大顎を打ち鳴らして注意を頭上へ引きます。
「で、出やがった!」
「撃て、撃てぇ!」
おっと、危うく翅を傷つけられるところでした。
ゴブリンの持つ武器は強力です。
しかし、その構造から連射はできません。
囮が注意を引いている間に群れが低空から襲撃します。
「ぎゃぁあぁぁ!」
「お、囮ぁぉ!?」
切断工具のような大顎を前に肉も骨も関係ありません。
ナイトストーカーは健啖家で、ゴブリンを頭から噛み砕いて食べます。
パニックに陥ったゴブリンは武器を捨てて逃げ出すようです。
残念ながら、それが叶うことはありません。
「逃げえがっ……」
尾部の毒針から神経毒を注入され、ゴブリンの意識は瞬く間に薄れていきます。
それは彼にとって幸運かもしれません。
獲物は空腹を満たすだけでなく、捕食者の群れを増やす苗床になります。
昏倒した獲物の体内に卵を産み込めば完了。
ゴブリンの命運は決まりました。
翌日には10体ほどの幼虫に体内を食い荒らされ、絶命するのです。
この生態はナイトストーカーの参考となった生物、ハチ目コマユバチ科の特徴が色濃く表れています。
異なる点は卵を宿主の生体防御から守る方法。
コマユバチ科は共生関係にある特殊なウィルスの働きで宿主の生体防御を無力化します。
一方、ナイトストーカーは卵に宿主と同種のエナを纏わせることで同様の効果を得ています。
まだ空腹の満たされない捕食者の群れは、新たな獲物を求めて飛び立ちます。
◆
現代の技術では解明できない異界の技術は、エナさえあれば大概の事象を可能にしてしまう。
まさか、
しかし──
「ナレーションは必要だったか?」
ファミリアの様子を確認できれば満足だったのだが、ドキュメンタリー番組を思わせるナレーションまで付いてきた。
「初見の方には必要かと思いまして……」
定位置の左肩から私を見上げるパートナーは、申し訳なさそうに縮こまる。
「…そうか」
ナレーションが必要と思う理由は、分からなくもない。
初めてファミリアの生態を見る
「……きょ、強烈ですわね……うっ」
ガントレットを外した細い手で私の左手を握るプリマヴェルデは、もう一方の手で口を覆う。
権能以外のマジックを上手く扱えない彼女は、私と接触することでテレパシーを接続していた。
接続を断った今、手を離してもいいのだが──しばらくは動けないか。
「スプラッタは慣れてたつもりなんだけど……
荒れ果てた部屋の中央に置かれた円卓へ腰かけ、ダリアノワールは天を仰いだ。
抜け落ちた天井の彼方、夕闇の滲む空を映す瞳には生気がない。
「うむ、幼虫が腹から現れるシーンは──」
「おい、馬鹿やめろ」
いつにも増して真剣なフクロウの嘴を押さえんと黒猫が円卓を駆ける。
そして、私の左手を握る力が、ぐっと強まる。
肉袋の皮膚を幼虫が食い破る瞬間は、絶対に見せる必要がなかった。
誰が得をするんだ、あのモンスターパニック映画のワンシーン。
「アメリカバイソンって、どれくらい大きいの〜?」
私の前に座るベニヒメだけは、のんびりとした態度を崩さない。
ふさふさのミツバチを両腕で抱え、九つの尻尾で4体のミツバチを
その毛玉の塊に触れてみたい──強い意志で衝動を抑え込む。
そんなことより事態の収拾だ。
ここで羽を伸ばしているミツバチも戻らせなければなるまい。
原種の高い記憶、学習能力を向上させたミツバチは、ファミリアの大脳を司っているのだ。
「アメリカバイソンの雄は300cmから350cmほどになるが、ナイトストーカーは平均280cmだから雌と同程度だ」
「お~大きいね~」
「お前、虫以外も詳しいのか……」
憔悴したゴルトブルームの声が耳に届く。
私の右手をしっかりと握る彼女が、今回の
テレパシーの改変は高度な技術を必要とするらしいが、彼女は30分ほどで仕上げてきた。
素晴らしい手腕だと思う。
「な、なんだよ…!」
「なんでもない」
しかし、その結果は見ての通り。
後悔すると忠告したが、無知は許されないと言い張る協力者たちは止められず、この有様だ。
私にとっての常識は、彼女たちにとっての非常識。
世には知らないままで良いこともある。
「ま、
「そういう問題じゃない」
まだ物知りマスコットを諦めてなかったのか、このハエトリグモ。
対象年齢を下げても映像が
ふと、円卓に座ったまま沈黙するナンバーズの1人を見遣る。
「…大丈夫か、ユグランス」
射し込む夕陽に照らされたユグランスの顔色は、よろしくない。
傍らに控える近衛兵と卓上のハツカネズミが心配そうに主を見守っている。
「はい、問題はありません」
「そうは見えないが……」
「大丈夫です」
どう見ても大丈夫ではない。
ウィッチやナンバーズといった肩書は関係なく、大多数の人間は忌避する光景だったはず。
別に否定しなくとも──
「シルバーロータス」
「どうした?」
「生体防御を無力化する方法は召喚した時から備わっていたのですか?」
明らかに顔色は悪いが、それでもユグランスは貪欲に知識を求める。
殊勝な心掛け、なのだろうか?
「いや、進化によって得た後天的なものだ。初期は失敗も多かった」
「……模倣は難しいでしょうか」
「マスター、その思考実験は極めて危険と判断」
4つの単眼を点滅させ、機械仕掛けの近衛兵が身を乗り出す。
既視感のある光景だった。
「…それは全力で止めさせてもらうよ」
「ユグランスさん、それだけは…!」
「やるならインクブス相手の幻影だけにしろよ……頼むから」
しかし、今回はベニヒメを除くナンバーズも目の色を変えて止めに入った。
普段、私のファミリアを恐れない彼女たちも許容できないものはある。
「一般的なファミリアはインクブスを苗床にしませんよね……」
「画期的とは思うが、やはり視覚が課題か」
「
驚愕の回答が飛び出し、私とパートナーは思わず顔を見合わせた。
確かにハチの幼虫は栄養価が高く、一時期は高級品として市場に流通したこともある。
しかし、肉袋の腹をぶち抜いた
あり得るのか、そんなことが。
「……ベニヒメや、ファミリアは食べられんぞ?」
「それくらい知ってるよ~」
機嫌よく尻尾を揺らすベニヒメは、ふにゃと邪気のない笑みを浮かべる。
「残念だよね~」
その腕に抱えられたミツバチは、ただ首を傾げるだけ。
おい、危機感を持て。
兄者「ダーウィンが来た?」
作者「ナショナルジオグラフィック(迫真)」