久しぶりの学校生活は驚くほど平穏に過ぎていった。
いや、語弊がある。
様々な感情を抑え込み、自然を装おうとする空気が教室には満ちていた。
非日常が日常の皮を被っているだけだ。
教室には空いた席が5つ──2つの机には花瓶が置かれていた。
あの事件当日、あそこに居合わせたクラスメイトが2人
国防軍もウィッチも最善を尽くし、インクブスと戦った。
それでも犠牲者は出る酷薄な現実に気が滅入る。
「田中、どうした?」
「今日も元気なかったよな…大丈夫か?」
鞄へ教材を戻す私の前で、男子生徒が3人ほど集まっていた。
久しぶりの学校とあって放課後の教室には多くのクラスメイトが残っている。
「……実は、
その中心にいる田中くんは頭を掻きながら困ったように笑う。
朝方に漏れ聞こえた会話から、ウィッチのファンを自称する彼はSNS上で嫌がらせを受けているらしい。
「ウィッチを信奉するな……だっけ? 信奉とか意味不明だわ」
「最近多いよなぁ」
「デモの連中と言い、もう非国民だろ」
嫌悪感を露にする男子たち。
世論はウィッチや国防軍を糾弾する者を白眼視し、一部では排斥運動も行われている。
その風潮に安心している私がいた──それが、ひどく醜い存在に思えた。
彼らの糾弾には何一つ同意できる点が無い。
しかし、共感できない
インクブス以外の敵を見出す必要性は無いはずだ。
「東さん~」
私を呼ぶ声に振り向けば、視界の端で長い三つ編みが揺れた。
そして、目尻の下がった眠そうな瞳に私が映る。
きっと仏頂面なのだろう──非生産的な思考を胸中に押し込める。
個人に過ぎない私が、世論など気にしても仕方がない。
「何?」
「また難しそうな顔してるよ~ほら、笑って?」
そう言って政木律は、邪気のない笑顔を浮かべた。
作り笑いすら怪しい私には、ハードルの高い要求だ。
「無理に笑っても仕方ないでしょう」
政木の背後に立つ金城静華が、額を押さえて首を小さく振った。
コミュニケーションを円滑に進める上で、この仏頂面は改善すべきと思っている。
しかし、自然を装えば不自然な表情になるのが私だった。
「微笑った東さん、可愛かったよね~」
「それはそう、ですけど」
そんな期待の眼差しで見られても応えられないぞ。
机の上で前脚を振って応援するパートナーは視界から外す。
「おーい、まだかい?」
ひょっこりと教室の出入口から顔を覗かせるのは、黒澤牡丹だ。
アッシュグレイに染めた長髪が目を引く彼女は、いつものように人懐っこい笑みを浮かべている。
「ちょっと待ってね~」
のんびりと手を振って応じる政木。
歩み寄ってきた金城を見上げれば、小さく頷きが返ってくる。
左手を机に置き、右手で鞄を掴む。
パートナーが机から左手に飛び移るのを確認し、私は席を立つ。
「東さんが、ご学友と一緒に……感無量です」
髪の隙間から頭を覗かせるパートナーの言葉に思わず苦笑する。
放課後に買い物以外の所用があるのは、久々だ。
「ほら、早く早くっ」
手招きする黒澤に急かされ、私たちは教室を出る。
「黒澤さん、フラッペは逃げませんわ」
「いえ、南国フラッペは人気の模様……迅速に行動すべきです」
教室の前には、やんわりと腕を組む御剣菖とケータイの画面を眺める白石胡桃が待っていた。
最近、交流を持つようになった5人が本日の同伴者だ。
共通事項はクラスメイトであること──そして、お茶会に参加するナンバーズであること。
世間とは狭いものだ。
欠席しがちなクラスメイトが羨望を集める人類の守護者とは思うまい。
今日、欠席している3人もウィッチなのだろうか?
「それで……どこへ行くの?」
所用について、私は聞かされていない。
情報の共有、戦況の確認、それとも協力体制に関する提案か。
「ここです」
白石が手に持っていたケータイを差し出す。
その画面には、かき氷と涼しげな青いカップが映っていた。
「南国フラッペ…?」
「はい」
思わず首を傾げる私に、白石は頷いてみせた。
心做しか自信に満ちた雰囲気で画面をスライドさせる。
練乳かき氷にフルーツと小豆をトッピングした人気作──随分と優しい値段設定だ。
販売者は復興支援という名目で訪れているらしい。
生活が精一杯という人も少なくない時勢に、殊勝な人もいるものだ。
いや、そこが問題じゃない。
「ここに…?」
一体何が──いや、南国フラッペがあるのだが、そういう話ではなく。
「東さん、これは経済への貢献を考えると極めて生産的な行為です」
困惑気味な私の視線を受け、弁明を図る白石。
いつも通りの事務的な声だが、節々から強い意志を感じる。
経済の貢献は分かるが、私を呼ぶ必要は無いだろう。
「胡桃、待った……歩きながら話そう、東さん」
背後に回っていた黒澤に押され、放課後の廊下を進む。
すれ違う生徒の視線は、5人のクラスメイトから必ず私に集約する。
どうにも落ち着かない。
「東さん、甘いものは苦手だったり?」
「…特には」
苦手ではないが、好んで食べることもない。
食べる機会があるとすれば、駄菓子や氷菓を芙花に買ってあげた時くらいか。
優しい芙花は一緒に食べたいと言って、必ず菓子を等分にするのだ。
「なぜ、私を?」
壊れ物を扱うように背中を押してくる黒澤に問う。
お茶会の様子を見るに、5人は昔から交流があったと分かる。
放課後、南国フラッペを食べに行くのは交友の一環だろう──そこに
場違いだ。
何とも言えない表情の5人を見て、その直感は補強される。
「え、英気を養うためですわ」
「休みなら1週間あった」
人差し指を立てて硬直した御剣は、天井へ視線を泳がせる。
学校生活では言い淀むことが滅多にない文武両道のクラスメイト。
そんな彼女が次の言葉を探していた。
「その期間中に休めていれば、ですが…」
言葉を引き継いだ白石も、どこか歯切れが悪い。
事後処理や情報共有で厳密に休んだとは言えないが、インクブス自体は出現していない。
それぞれの負担は減っているはずだ。
「素直に言った方が良くない?」
「うんうん…ね、静ちゃん」
黒澤の率直な提案に対して頷く政木は、すかさず友人へ話を回す。
「どうして、ここで私に振るのですか?」
傍らで推移を見守っていた金城が、ゆっくりと振り向く。
その険しい横顔からはゴルトブルームの片鱗が垣間見える。
「う~ん、言い出しっぺだから?」
「うっ…それは……」
首を傾げる政木は怯んだ様子が無く、逆に金城が押し黙る。
薄茶の瞳は私を見てから気まずそうに閉じられた。
しばしの沈黙──通り過ぎた教室から笑い声が聞こえてくる。
それが止むのを待って、金城は意を決して口を開く。
「せっかくの機会ですし、東さんと交流を深めたいと思っただけです」
「交流」
「…はい」
微かに赤面する金城を見て、己の鈍さに呆れ果てる。
コミュニケーションを半ば放棄した私と、彼女たちは距離を縮めようとしていたのだ。
どこまでも利害や打算の介在した思考が抜けない。
「…分かった」
もし、友人を求めているなら、私は候補から外した方が良い。
付き合ったところで楽しくないだろう。
何より稀代の殺戮者だ──それでも、他者からの善意には応えられる人でありたい。
それすら捨て去った時、私は本当の
反応を待つクラスメイトたちの顔を見てから口を開く。
「行こう」
5人の少女は花が咲くような笑顔を浮かべた。
その姿は年相応に見え──なぜか、安堵を覚える。
心配事があるとすれば、私の胃が小さいくらいだろう。
間食のせいで夕食が食べられないなど、芙花には見せられない。
「そうと決まれば善は急げ、だね」
「だからと言って走ってはいけませんよ、牡丹さん」
するりと先頭へ抜け出した黒澤は、白石の注意を受けて階段の前で振り返った。
「間に合いそう?」
頭の後ろで手を組み、意地の悪そうな笑みを浮かべる。
「それは……致し方ありません」
「ちょっと、白石さん…? ああ、もう!」
黒澤を追って足早に階段を下りる白石、そして呆れ顔の御剣が続く。
忙しない彼女たちの後ろ姿に微笑ましさを覚える。
それは泡沫の夢のようで──右手に触れる誰かの手。
隣を見れば、ふにゃと笑う政木が手を握った。
私を繋ぎ止めるように。
「私たちも行きましょうか」
階段の前で振り返った金城が告げる。
切れ長の目を微かに下げ、彼女もまた穏やかに微笑む。
「出発だ~」
友人に手を引かれ、階段を駆け下りていく。
犠牲者が出た後で不謹慎だと忌避し、殺戮者である己を糾弾する私が、心の片隅にいる。
同時に──この平穏な日々が心地良いと感じる私がいた。
◆
インクブスによる襲撃事件は深い傷跡を残していった。
戦闘の余波で破壊された商業ビルなどが良い例だろう。
国道に面する3階フロアの壁面が失われ、無惨な有様の内装が見える。
現在は立入禁止のテープが張られ、そこに人気は無い──
「この国は玩具が簡単に手に入って良いねぇ」
否、夜の帳が下りた街を見渡す者がいた。
白昼の街中であれば、見向きもされない平凡な風貌の青年だ。
しかし、崩れた壁面に腰かける姿は、どこか浮世離れしていた。
「そ、そうですかね……恐ろしいウィッチばかりでは…?」
壁面の下、深い闇に隠れる矮躯の影から言葉が返される。
相手の顔色を窺うような、恐る恐るという声色だった。
「恐ろしい、ねぇ……」
青年は右膝を抱え、受けた言葉を反芻する。
この島国を護るウィッチは粒揃いであり、大陸とは比較にならない脅威だ。
そして、何よりも──災厄の存在がある。
異形のファミリアを従え、数多の同胞を捕食してきた不俱戴天のウィッチ。
しかし、青年は彼女を特に脅威と見ていなかった。
「何が災厄やら……僕を呼べば醜態を晒す事もなかったのにね」
準備運動に数名のウィッチを
下半身で思考する同胞は嘲笑の対象だった。
亡骸の山が築かれようと、いつでも覆せる茶番劇だ。
「おっと、不敬だったかな?」
そう言って口元を押える青年は、明らかに笑っていた。
唯一従属している者にすら形ばかりの敬意も示さない無礼者。
しかし、矮躯の影には咎めるだけの実力も胆力も無かった。
「それにしても、
取り上げた携帯端末を揺らし、興味深そうに覗き込む。
口喧しいインプの長がいなければ、より傍若無人に振舞う。
「きょ、恐縮です」
矮躯の影は縮こまり、嵐が過ぎ去るのを待つ。
眼前の相手は気変わりが早く、同胞の抹殺を厭わない異端のインクブスだ。
「大陸だと役に立たない板だったからねぇ」
青年は携帯端末を小突き、光の灯った画面を眺める。
活動を許された国では早急に規制が行われ、触れたところで役に立たなかった。
「
矮躯の影は早口で説明し、青年の顔色を窺いながら沈黙する。
ヒトの構築した
ゆえに、マジックで交信手段を模倣し、全く独自の基盤を築いて運用している。
「へぇ……まぁ、どうでもいいけどね」
すぐ興味を失った青年は、眼下の影へ携帯端末を投げて返す。
彼にとっては混乱を引き起こし、玩具を集める手段でしかない。
「さっそく使わせてもらうよ、ラタトスク」
「は、はい……」
同格であるインクブスを見下ろし、朗らかに笑う青年。
己の作戦が成功すると信じて疑わない、そんな自信に満ちた表情だった。
──事実、疑っていないのだ。
懸念事項は、
「……それにしても、低能だよね」
視界の端に映った人影を見て、青年は笑みを消す。
フロアで揺れる人影──
空虚な瞳を天井へ向け、微かに体を揺らすだけだ。
3階フロアへ集められた時の興奮状態が嘘のようだった。
「ちょっと囁いただけで妄信するなんてねぇ」
玩具の調達に、特別なマジックは必要なかった。
先行きの見えぬ社会に不満を抱く衆愚に、攻撃しやすい敵を提示してやる。
政府、国軍、ウィッチ──常識的に考えて味方である存在。
真実を隠蔽している、歪曲している、そう嘯けば衆愚は簡単に転ぶ。
低俗なゴシップを真実と流布し、その認識を歪めていく。
妄信する声が増えれば、盲目的な奴隷が出来上がる。
「家畜どもが」
心の底から見下した声色で吐き捨て、居並ぶ玩具から夜の街へ視線を向けた。
縮こまるラタトスクも眼中に無く、これから嬲る獲物へ思いを馳せる。
「さて……」
弱々しい文明の光を眼に映し、青年は口角を上げる。
その背中からは羽虫の如き2対の翅が伸びていた。
「ここのウィッチは、僕の
青年の皮を被った魑魅魍魎、ピスキーの長──パックルは邪悪な笑みを浮かべた。
日常回とは(哲学)