捕食者系魔法少女   作:バショウ科バショウ属

71 / 105
 書籍化が決定しても更新はやめないゾ(小声)


耳目

 コンクリートを打つ雨音が反響していた。

 大穴を穿たれた天井から階下へ降り注ぐ雨が、微かな光を帯びて光る。

 埃の積もった車両が並ぶ立体駐車場は、静かな雨音が支配していた。

 

「ご苦労様」

 

 その静寂を破る少女の声。

 照明の消えた立体駐車場を映す碧眼が客人の姿を捉える。

 

 客人は蒼と真紅──舞踏会にでも行くようなドレスを身に纏った2人のウィッチだ。

 

 ヒールの雅な足音を響かせ、蒼いウィッチが堂々と呼出人の前に立つ。

 その背後に恐る恐るといった体で真紅のウィッチが続く。

 

「ほ、本物だ…!」

 

 空色の戦女神を前にして、真紅のウィッチは感極まった声を漏らす。

 

 最初期からウィッチナンバー1であり続ける常勝無敗のウィッチ──ラーズグリーズ。

 

 情勢の安定化に伴い表舞台から姿を消し、現在はウィッチナンバーのみで知られる存在。

 国防軍に所属して特殊作戦に従事している、国外の危険なインクブスを討伐している等々、様々な憶測が今も飛び交っている。

 

「あなたがレッドクイーンね?」

 

 そんな都市伝説の一種と化した戦女神が、興味深そうにレッドクイーンの顔を覗き込む。

 

「ひゃ、ひゃい。お初にお目にかかりますっ」

「あら、緊張してるの?」

 

 緊張のあまり挙動不審となる姿に、ラーズグリーズは目を細めて小さく笑う。

 最近は初対面でも顔色一つ変えないウィッチばかりで、こういった反応は珍しい。

 

「アズールノヴァから話は聞いてるわ。信奉派の掃除で大活躍してるそうね?」

「え、え?」

 

 気難しいバディに評価されているとは夢にも思っていなかった。

 レッドクイーンが思わず視線を向ければ、感情を削ぎ落した人形のような横顔。

 煌々と輝く蒼い瞳には、無機質な敵意だけが宿る。

 

「ラーズグリーズ」

「何かしら?」

 

 アズールノヴァの視線は場内の一点に固定されていた。

 

「なぜ、その駄犬を連れているんですか?」

 

 ラーズグリーズの背後、立体駐車場を支える柱の陰に佇む人影。

 黒髪を腰まで伸ばし、黒い尻尾を微かに揺らす。

 細い体躯を包む装いまでが黒一色、夜と形容したくなる異形のウィッチ。

 

 次席、ウィッチナンバー2──黒狼(ヘイラン)だ。

 

 透過の権能を用いずとも位置の特定は容易。

 今も絶えず放射されるエナが、可視化した蒼いエナと鬩ぎ合っている。

 

「協力者よ」

「死神の狗になったつもりはない」

 

 間髪容れずに返される非協力的な発言にラーズグリーズは天を仰いだ。

 すかさず世界の色が反転し、風切り音が鳴る。

 蒼き刃を目で追い、黒狼は長大なシミターの刃を左肩に担ぐ。

 

「あの時は見逃しましたが、次はありませんよ」

「私を狙ってたくせに…よく言う──」

「落ち着きなさい」

 

 臨戦態勢に入ったアズールノヴァと黒狼の間で空色の戦装束が揺れる。

 鬩ぎ合うエナが断絶され、立体駐車場に1本の線が引かれた。

 

「まったく……行儀よくしてちょうだい」

「犬は犬でも狂犬だな」

「黙りなさい、レーヴァン」

 

 天井を走る配管に止まる漆黒のカラスを睨み、その嘴を噤ませる。

 

「不本意なのは分かるけど今は協力しなさい」

「私が戦うのは、シルバーロータスと王上尉たちのため」

 

 狼を彷彿とさせる黄金の目がラーズグリーズを鋭く睨む。

 とても協力関係にあるとは言い難い空気だった。

 

「路傍の石が何か勘違いしていませんか?」

 

 アズールノヴァが左足を引き、身の丈ほどもあるソードを下段に構える。

 纏う雰囲気こそ静謐だが、それは激情を押し止めているに過ぎない。

 

「自己保身しか考えていなかった盗人が協力? 酷い冗談ですね、笑えませんけど」

 

 溢れ出た燐光が揺蕩い、灰色の立体駐車場にプラネタリウムを生み出す。

 レッドクイーンが慌てて背後の支柱まで退避する。

 

「あの時は……あれしか方法がなかった」

 

 黒狼の口から吐き出される言葉は苦々しかった。

 旧北部戦区が実行した作戦は決して許されるものではない。

 

 自己の生存のため他者から奪う──インクブスの走狗と同列の所業だ。

 

 それを理解しているがゆえに反論できない。

 聞き飽きた弱者の弁明をアズールノヴァは鼻で笑う。

 

「助力を乞うなら首を垂れよ。常識のない頭は私が落としてあげましょうか?」

 

 有用なウィッチであろうと弁えない愚者は万死に値する。

 ボギーの逃走を阻止した一撃と異なり、今度は真正面から黒狼の首を狙う。

 

「言わせておけば……シルバーロータスの庇護下にあったウィッチが何を言う!」

 

 髪飾りに扮した黒狼のパートナーは怒りを露にする。

 倫理の欠落は自覚しているが、眼前のウィッチが宣う言葉は聞き捨てならなかった。

 蝶と共に虫籠で暮らす者は、倫理が紙屑ほどの価値になる世界を知らない。

 シルバーロータスの存在が無ければ、アズールノヴァの語る常識は別物になっていただろう。

 

「酷い境遇であれば全てが正当化されるとでも?」

「何も背負っていないお前には分からない」

 

 犬歯を覗かせて唸る黒狼に対し、アズールノヴァは絶対零度の視線で応じた。

 両者の得物が燐光を反射して妖しく光る。

 一触即発。

 

「話になりません」

「同感──」

 

 刹那、アスファルトの地が揺れ、重々しい打音が立体駐車場を反響する。

 

 音源は、空色の戦女神──右手に持つハルバードの石突だ。

 

 ハルバードの石突はアスファルトを穿ち、立体駐車場の端まで亀裂を走らせる。

 

「あのね、敵を間違えないでくれるかしら」

 

 目を細めて笑うラーズグリーズが放射するエナが、一瞬で立体駐車場の支配者を塗り替える。

 エナの過剰な放射を防ぐバウンダリが外れた2人を圧倒していた。

 睨み合うアズールノヴァと黒狼は沈黙を貫く。

 

「賢明な判断だ」

 

 渋々構えを解いた両者を見下ろし、戦女神のパートナーは淡々と告げる。

 自他共に認める最強のウィッチに敵う者は存在しない。

 それは世界規模でインクブスと戦っているシルバーロータスさえ例外ではない。

 

「その駄犬が敵でないと?」

「現状の目的は共通してるはずよ」

 

 なおも敵意を黒狼へ向けるアズールノヴァを半眼で見遣り、ラーズグリーズは気怠げな溜息を吐く。

 

「心配しなくても保(・)険(・)は掛けてあるわ」

 

 黒狼に同行する監督者は、最強のウィッチだ。

 そして、王上尉を含む同胞が捕虜となっている以上、反抗は不可能と言っていい。

 

「まぁ、使う機会はないと思ってるけど──そうよね、黒狼?」

 

 あくまで確認の体だが、それは脅迫だ。

 しかし、碧眼に映る異形のウィッチは力強い眼差しを返すだけ。

 

「…ここにいるのは、私の意志」

 

 黒狼は2対の視線と相対し、噛み締めるように言葉を紡ぐ。

 

「シルバーロータスは宣告通り、インクブスを駆逐した」

 

 同情を極限まで殺し、それでも優しさの滲む声で為された宣告を忘れた日はない。

 本人は決して認めないだろうが、シルバーロータスは間違いなく救世主だった。

 

「大勢の犠牲を積み上げて、それでも出来なかったこと」

 

 熱核兵器を投じ、人民の屍と不毛な大地を生み出してもインクブスは殲滅できなかった。

 ウィッチへ変身できる少女を次々と徴用したが、侵略の遅延もままならない。

 そんな絶望的な戦況を彼女は、ただ一人で覆したのだ。

 

「だから、報いたい」

 

 護りたかった人々を脅かすインクブスが駆逐された今、大陸最高戦力の使い道は限(・)ら(・)れ(・)る(・)。

 仮に故郷へ帰還できたとしても、黒狼には血塗られた道しか残されていない。

 ならば、せめて恩人のために力を振るう──

 

「残された時間を使って」

 

 国防軍の死神が書いた筋書通りだとしても、彼女は己の意志で立っていた。

 

「はぁ……そうですか」

 

 エナの輝きを帯びた蒼い瞳を閉じ、アズールノヴァは小さく溜息を吐く。

 黒狼に残された時間は長くない。

 常に限界を超えたエナの放射とマジックの使用は、肉体どころか魂すら歪める。

 手を下すまでもなく、いずれは自滅するだろう。

 

「邪魔をすれば斬ります」

 

 そう一方的に宣告し、凶刃をエナへと還す。

 アズールノヴァの目的は、手負いの獣の処分ではなく、新たな脅威への対応だった。

 そのためにラーズグリーズの呼出に応じたのだ。

 

「物騒ねぇ」

 

 緊迫した空気こそ霧散したが、両者の間には重い沈黙が横たわる。

 煩わしそうに首を振るラーズグリーズは、支柱の陰から顔を覗かせるレッドクイーンへ手招きした。

 

「さて……本題に入りましょうか」

 

 恐る恐るバディの隣に立つレッドクイーンを確認してから、ラーズグリーズは話を切り出す。

 

「まず、あなたたちが遭遇した人間爆弾──仮称フェアリーリングは国防軍も把握しているわ」

「フェアリーリング?」

「頭にキノコの輪があったでしょ。あれよ」

 

 フェアリーリングとは、キノコが地面に環状となって発生する現象であり、菌輪と呼ばれる。

 欧州の民話では妖精や魔女の仕業とされ、毒を撒くカエルの椅子とする伝承もある。

 

「現在、確認されている個体は6体。1体を除いて排除……自爆を排除と言うべきか、悩むところね」

 

 数日前、出現したインクブスの生体兵器と複数の部隊が交戦していた。

 奇襲こそ許したものの、接敵したフェアリーリングは全て戦闘不能に追い込んだ。

 1体を除いて──

 

「取り逃したんですか?」

 

 険しい表情で問うアズールノヴァに対し、ラーズグリーズは背後に佇む人影を見遣る。

 

「シルバーロータスの眷属が捕獲した」

 

 黒狼がシルバーロータスの名前を口にした瞬間、微かに蒼い燐光が舞う。

 

「クモの巣に飛び込んで雁字搦めになったそうよ。間抜けよね」

「…そうですか」

 

 ラーズグリーズの大雑把な補足を受け、淡白な反応を返すアズールノヴァ。

 目を閉じて無関心を装っているが、周囲を舞う燐光は隠せない。

 尻尾があれば機嫌よく揺れていることだろう。

 

「いずれ検体として貰えないか交渉するつもりだけど……それは、ひとまず置いといて」

 

 話が脇道に逸れる前に修正し、口元に浮かんだ笑みを消す。

 

「現状、判明しているフェアリーリングの特性は2つ」

 

 空色の戦女神は左手をアズールノヴァとレッドクイーンへ向け、しなやかな指を2本立てた。

 

「変異するまで人間と判別がつかないこと、自爆時にエナの霧を周囲に散布すること」

 

 傀儡軍閥の兵士や洗脳されたウィッチなど、一般人に紛れ込む尖兵の存在は度々確認されていた。

 しかし、人間を自爆攻撃に用いる例は初めて確認された。

 

 人間を狩り、犯し、喰らう──それがインクブスだ。

 

 一方的な蹂躙を好むが、殺戮は嫌う。

 人類を家畜と見下す彼らに生産性は皆無だ。

 その性質ゆえに、採用されない戦術と思われていた。

 

「あのエナの霧って…どんな影響を及ぼすんでしょう…?」

 

 不安そうに懐中時計を握るレッドクイーンを見遣り、ラーズグリーズは顔色ひとつ変えずに答える。

 

「霧に触れた者は、ウィッチを含めて脳死と判定されたわ。外傷は一切無し……おそらく精神に干渉するマジックね」

 

 雨音の反響する立体駐車場に、少女の理知的な声が沁み込んでいく。

 エナの霧をBC兵器と判断した国防軍は化学防護隊の投入を検討しているが、おそらくは無意味。

 あれはマジックを用いた非科学的な攻撃だ。

 

「そんなの街中で使われたら……」

「不愉快なことになるでしょうね」

 

 現状、人口密集地で自爆した個体は、横田基地の住宅地区に出現した1体のみ。

 本国へ帰還予定だった避難民が犠牲となった惨事は、決して他人事ではない。

 市街地で同様の事態が発生した場合、その被害は横田基地の比ではないだろう。

 

「製作者を潰すか、材料の供給を断ちたいところだけど……」

「前者は当然として、後者は具体的に何を?」

 

 フェアリーリングの材料とは、人間だ。

 遭遇した個体は全て信奉派だったが、信奉派を殲滅すれば終わるとは思えない。

 そもそも信奉派の早期殲滅が現実的か、アズールノヴァは疑っていた。

 

「SNSを凍結されても増えてますからね……1匹いたら100匹はいます」

 

 信奉派が存在し続けている現実に、レッドクイーンは嫌悪感を示す。

 SNSで活動する自称信奉派や愉快犯は、良識ある人々によって排斥された。

 しかし、啓蒙に熱心な愚者は後を絶たず、今も妄言を撒き散らしている。

 

「泳がせて集まったところを一網打尽に、とか色々試してるけど……まぁ、効果は今ひとつねぇ」

 

 日本国に備わる免疫は、信奉派に関連する危険因子を的確に摘み取っていた。

 それでも信奉派という病巣は消えない。

 社会不安を感じる人々を引き込み、癌細胞の如く増殖する。

 

「ネットを遮断すればいい。連絡手段が無くなる」

 

 情報統制に長けた大陸の出身である黒狼は、当然のように宣う。

 早期にインターネットの接続を遮断した旧北部戦区で信奉派の妄言を聞くことはなかった。

 少なくとも彼女の周囲では。

 

「無駄よ。連中にとってSNSは入口、独自の連絡手段があると見るべきね」

「ならば根源を叩く他ないぞ」

 

 黒狼のパートナーから欲しい言葉を引き出し、戦女神はニヒルな笑みを浮かべる。

 

「ええ、だから囮作戦を──」

「やぁ、こんにちは」

 

 第三者の声が、ラーズグリーズの提案を遮る。

 雨音の隙間を縫うような、場違いなほどに爽やかな声だった。

 4対の双眸が車両の並ぶ立体駐車場の奥へ向く。

 

「君らが恐(・)ろ(・)し(・)い(・)ウ(・)ィ(・)ッ(・)チ(・)かな?」

 

 ウィッチたちの前へ姿を現したのは、1人の青年。

 小山のような影を複数体引き連れ、歩みを進めるたび革靴が乾いた足音を奏でる。

 口元に浮かぶ軽薄な笑みがなければ、好青年と言える風貌だ。

 

「さっそく釣れましたよ」

 

 しかし、その内面はインクブスのエナが循環していた。

 小賢しい擬態を鼻で笑い、アズールノヴァは揺蕩う燐光を握る。

 世界の色が反転し、長大な刀身が闇を切り払った。

 

「そうみたいね」

 

 ラーズグリーズは一歩も動かない。

 乱入者の引き連れたフェアリーリングの数を確認し、碧眼を閉じた。

 

「え、えっと…駆除すればいいんですか?」

「お願いしてもいいかしら?」

 

 蒼い燐光を纏うバディの背後で、絢爛豪華な真紅のドレスが揺れる。

 アスファルトにバトルアクスの斧頭が落ち、重々しい音が響き渡った。

 敵対者がウィッチでなければ、レッドクイーンは暴力を振るうことに躊躇がない。

 

「驚かないんだ。製作者を探してたんじゃないの?」

 

 背後に並ぶフェアリーリングを指し、首を傾げる青年。

 この場に集ったウィッチは有象無象と異なり、相当な実力者だ。

 そんな彼女たちの眼前に、あえて姿を晒してみせた。

 

 感知の遅れに驚くか、露骨な挑発に怒るか──何かしらの反応を得られるはずだった。

 

 しかし、全く動揺しない一行を見て、青年は鼻白んだ表情を浮かべる。

 

「まぁ、いいけど……君らも壊して──」

「レッドクイーン」

「え、あ、はい!」

 

 目線で天井を指すバディの意図を理解し、懐中時計を握るレッドクイーン。

 

 秒針、分針、時針が回り、法則性のない時間を指す──刹那、2人の姿は立体駐車場から消失した。

 

 2人の立っていたアスファルトの地が雨水に濡れる。

 視覚の存在しないフェアリーリングはエナの反応を追い、天井へ頭部を向けた。

 

「おっと、危ない」

 

 青年が一歩下がった瞬間、眼球を焼かんばかりの光が天より降る。

 

 立体駐車場を蒼に染め上げる光芒──天井から床面までをエナの奔流が貫通していた。

 

 それはバターを切るようにコンクリートを、立体駐車場を切断する。

 虚を突かれた異形たちは、粉塵を巻き上げて崩壊する床と共に落下していく。

 

「待ちなさい、黒狼」

「なぜ」

 

 粉塵が世界を灰色に染める中、ハルバードの斧頭が眼前に突き出された。

 シミターを左肩に担ぎ、跳躍の予備動作を取っていた黒狼は眉を顰める。

 

「今日は顔合わせって言ったはずよ。抑えなさい」

 

 崩落する天井の残骸を足場に階下へ降りる蒼い影。

 今は亡き友の妹を目で追いながら、ラーズグリーズはハルバードを水平に振り抜いた。

 それは粉塵ごと大気を一掃し、灰色に閉ざされた視界に色を取り戻す。

 

「協力しないのかい? 薄情なんだねぇ」

 

 他者を嘲る軽薄な声が立体駐車場に響き渡り、開かれた碧眼が音源を映す。

 

「あら、死んでなかったの?」

 

 先程とは反対方向の位置、横転した軽自動車の上に人影。

 羽虫の如き2対の翅を揺らし、悠然と佇む青年だった。

 

「あの程度じゃ殺せないかなぁ」

「そう」

 

 安い挑発には一切反応せず、戦女神は亀裂の走った天井を見上げる。

 衝撃で固定が外れ、垂れ下がった配管に漆黒のカラスが止まっていた。

 

「レーヴァン、許容範囲は?」

「1割未満と言ったところか」

「冗談でしょ?」

「あ(・)の(・)程(・)度(・)ではな」

 

 パートナーは淡々と告げ、不安定な足場より音もなく飛び立つ。

 それを半眼で見送る戦女神は、ハルバードの石突で床を小突いた。

 

「相変わらず面倒ねぇ…」

「何の話をしているんだい?」

 

 怪訝そうな表情を浮かべる青年に、ラーズグリーズはニヒルな笑みで応じた。

 崩れ落ちた天井から雨が降り、濡れたコンクリートの臭いが漂う。

 

「力加減の話よ」

「加減だって? 全力で来ないと駄目じゃないか」

 

 青年は軽薄な笑みを浮かべ、両手を大きく広げて無防備な姿を晒した。

 その姿を横目にラーズグリーズは、退屈そうに鼻を鳴らす。

 左手を上げれば、不可視のエナが大気に満ちて色を持つ。

 

「問題ないわ」

「うん?」

 

 空色のエナが糸のように絡み合い、やがて流麗なエストックを形成する。

 それは重力に逆らって浮遊し、首を傾げる青年へ切先を向けた。 

 

「だって、あなた」

 

 青年の体内を循環するエナが膨張し、溢れ出す──目的は自爆だ。

 

「弱いもの」

 

 予想通りの攻撃に失笑し、空色の戦女神は左手を下ろす。

 

 刹那、エストックが消失──立体駐車場の壁面に、真円の風穴を穿つ。

 

 そこからは雨止まぬ灰色の旧首都が見えた。

 遅れて射線上の真空化した空間へ大気が吸い込まれ、埃が舞い上がる。

 

「やっぱり…本体じゃない」

 

 頭上の耳を小刻みに動かす黒狼は鋭い眼差しを旧首都へ向ける。

 首魁と思しきインクブスは消滅したが、階下の戦闘が停止する気配はない。

 

「分かってるわ」

 

 立体駐車場を走る蒼い閃光を横目に、ラーズグリーズは気怠げな溜息を漏らした。

 

「…傀儡(パペット)というより皮(スキン)かしら」

 

 人の姿を模倣するインクブスとの遭遇例は極めて少ない。

 インクブスは格下と侮る存在の姿を模して戦おうとはしなかった。

 あくまで己の能力を以て相手を屈服させようとする。

 

 しかし、例外は存在する──欲求を満たすため、手段を選ばないインクブスが。

 

 例外とは、得てして厄介な存在だ。

 それはインクブスであっても変わらない。

 

「面倒ね」

 

 倒壊する支柱が埃を巻き上げ、世界を不明瞭な灰色に染めていく。




 消えろイレギュラー!(幻聴)
  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. よみあげ
  11. 閲覧設定
▲ページの一番上に飛ぶ  X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。