見渡す限り不毛な荒野が続き、空には赤い月が瞬く異界。
不毛な大地に生命の息吹は感じられない。
そこに佇む者は──ヒトを喰らう悪意の塊、インクブスだ。
緩やかな丘陵の頂から麓を見下ろす表情は険しい。
「ラザロスよ」
灰色の毛並みをもつライカンスロープは耳を立て、背後へ振り返る。
彼を呼ぶ者は、小山の如き体躯のケットシーであった。
奇怪な模様を刻んだローブを纏い、恰幅と相まって貫禄を感じさせる。
「マルクトか……お気に入りが恋しくなったのか?」
ライカンスロープの長は表情を緩めることなく、同格の長と相対した。
円卓でも変物と評されるケットシーは露骨に顔を顰める。
いかにウィッチを着飾り、円卓で見せびらかすマルクトも死地で連れ歩くことはない。
これ以上、
「ここまで警戒する必要があるのか?」
彼の心配は別件だ。
ラザロスの隣に並び立ち、麓を見下ろす。
麓には、かつて大陸へ数多の同胞を送り出してきたポータルを囲う砦が
「災厄がポータルを解けば、奴らの本隊が来る」
その懐疑的な問いに対し、ラザロスは一切の迷いなく答えた。
「ここで止めなくちゃならねぇ」
ポータルを破壊し、砦を崩落させることで物理的には封鎖している。
それでも大陸から帰還したインクブスたちは、包囲の必要性を訴えた。
大陸に残したポータルは閉じられていない──鍵を解けば、道が繋がる。
その危険性を理解した影は、扉と道の両方を打ち壊す腕利きの術士を遣わせた。
「我らとてポータルの理を全て解しているわけではないが、虫けら如きに解けるとは思えぬ」
インプの長に匹敵する術士は、常識的な見解を述べた。
これまでインクブス以外に扱うことのできなかったオーパーツ。
捕食し、増殖するしか能がない怪物に解せるはずがない。
「そもそも解けたとして通ることは叶うまい」
加えて、ポータルは物理的干渉や異種のエナを阻む機構が存在する。
ポータルが異界を侵す災厄の橋頭堡になるとは思えない。
「リベラートの治める要塞が陥落した今、戦力を遊ばせておく暇はないぞ」
そう言って、マルクトは砦を三方から包囲する軍勢を見遣る。
災厄を幾度も退けてきた要塞が陥落し、最奥で封印していたウィッチを奪還された。
それこそ脅威と認めるマルクトは、包囲軍の必要性に疑念を抱いていた。
大陸から帰還した敗残兵でも貴重な戦力に違いはない。
「俺たちの想定を超えてくるのが、災厄だ」
ラザロスは脚を進め、堂々とした足取りで丘陵を下る。
目指す先は、包囲軍の後衛だ。
彼には──否、彼らには確信があった。
小休止を取る包囲軍の中で、油断なく砦を睨むインクブスたち。
彼らが大陸で戦った災厄に常識は通用しなかった。
遭遇するたび殺戮の精度を洗練し、新たなファミリアと戦術で襲い掛かってくる。
「奴は、化け物だ──」
その言葉に呼応するように、大地が鳴動する。
「なんだ…?」
「おい、揺れてるぞ」
異変を察したインクブスたちは手元の得物を取り、砦の様子を窺う。
足元の礫が小さく跳ね、次いで蹴り上げるような震動が大地を駆け抜けた。
「敵襲だっ」
「来やがった…!」
ウィッチとの戦いでは不要とされる隊列を組み、インクブスの軍勢は瞬く間に臨戦態勢へ移行した。
その間にも震動は続き、瓦礫の山と化した砦が一際大きく揺れる。
「──来る」
ラザロスの耳が微細な音を捉え、災厄の息吹を聞く。
刹那──大地が爆ぜた。
土煙が噴き上がり、大地を伝播する激震がインクブスを足元から震わす。
その噴火の如き威力は、積み上がった瓦礫を天高く打ち上げる。
「くそっ!」
「うわっ…」
周囲へ四散した瓦礫の破片が包囲軍へと降る。
小さな破片では痛痒も与えられない。
しかし、災厄の声無きウォークライを聞き、士気が微かに揺らぐ。
「狼狽えるな!」
ラザロスの鋭い一声が後衛から前衛まで届き、戦士たちは得物を握り直す。
円形のシールドを整然と並べ立て、隙間からボウガンを覗かせる。
「マルクト、頼むぞ」
「……是が非でも、災厄を食い止めねばならぬな」
ケットシーの長は重々しく頷き、配下の術士を呼び寄せる。
作戦の要は、マルクト率いる術士たちだ。
解除した直後の不安定なポータルに最大火力のマジックを放ち、エナの暴走を引き起こすことで消滅させる。
「陣を組め」
「応っ」
己の責務を理解している術士たちは、詳細な指示を受けずとも動く。
ポータルが安定化すれば消滅は不可能、災厄の猛攻で全滅しても結果は同じだ。
時間との勝負になるだろう。
「構え!」
前衛の指揮を命じられたオークの戦士が声を張り上げ、号令を飛ばす。
砦を包囲する前衛がボウガンの照準を土煙の下方に合わせる。
災厄の姿は土煙に覆い隠され、影も形も見えない。
「来やがれ…!」
しかし、確実に存在する。
外骨格を擦り合わせ、大顎を打ち鳴らし、無数の足音を刻む異形の軍勢が。
赤茶けた土煙の中で影が揺れ──巨大な頭角が、異界の大気を切り裂く。
血のように赤き月光を浴び、漆黒の外骨格が妖しく光る。
巨躯を支える脚が荒野を爪で穿つ。
「撃てぇぇ!」
ボウガンの弦が鋭い音を響かせ、矢弾を打ち出す。
包囲軍から一斉に放たれた死の雨が、土煙より現れた災厄の一番槍に降り注ぐ──
「くそっ!」
「なんて強度だ…!」
その全ては強固な外骨格に弾き返され、砕け散った。
甲虫目に分類されるファミリアの外骨格は、矢弾如きでは貫けない。
分厚い鞘翅が開かれ、伸ばされた後翅が土煙を吹き散らす。
「次弾急げ! 擲弾を用意しろ!」
「おう!」
一瞬で動揺を抑え込み、オークの戦士は矢継ぎ早に指示を出す。
冷静に、されど急いでボウガンに矢弾を番える。
ファミリアの突進を許せば、並大抵のインクブスは轢殺されるだろう。
「俺たちが前へ出る!」
前衛より先行したオーガの一団が災厄を迎え撃たんと得物を構える。
大質量を食い止められる者は、彼らを措いて他にいない。
それをファミリアも認めた──母の敵を打ち砕かんと巨躯を加速させる。
矢弾を弾き飛ばしながら、重量級ファミリアは敵へと突進した。
包囲など目に入らぬと言わんばかりに。
「うぉぉぉぉぉ!!」
意気衝天。
オーガは咆哮と共に得物を振り抜き、頑強な外骨格を破砕する──
「ぐっ!?」
そのはずだった。
必殺の一撃は重量級ファミリアの頭角、あるいは大顎に易々と受け止められていた。
それどころか慣性のままにオーガを轢殺せんと押し進む。
「な、めるなぁぁ!」
「叩き落して、くれるわ!」
両手で得物を支え、全身の筋肉が膨張する。
あらん限りの力で後退を止めたオーガは、重量級ファミリアの巨躯を大地へ落とす。
彼らの脚が接地した──大地こそ彼らの主戦場。
3対の脚が荒野に爪痕を刻み、己を押さえ付ける敵を複眼に映す。
大陸で
「ぬ、ぬおっ!」
怒れるアトラスオオカブトは得物ごとオーガを大地から徐々に引き剥がしていく。
壮絶な形相で己を睨む下等な雄は、二足しか持たない。
「馬鹿なっ…こんなことが…!」
ギラファノコギリクワガタと対峙するオーガは、自慢の得物が軋む音に目を見開く。
膂力に優れようと得物を失えば、外骨格は砕けない。
ヒトの脆弱さを嘲笑うインクブスだが、彼らも人型を模してしまった生命体だ。
破断の音が響き渡る──捩じ切られた鉄塊が大地に突き立つ。
クワガタムシ科を模した重量級ファミリアたちは、すかさずオーガの胴体を大顎で挟む。
両断せん勢いで締め上げ、その巨躯を易々と持ち上げる。
「ぐ、くそっ!」
「あぐぁが!?」
無様に腕を振り回し、脚で蹴りつけようと漆黒の外骨格は微動だにしなかった。
体格的に劣るウィッチを嬲ってきたオーガに身体能力の差を埋める
勝敗は決した。
「まずいっ」
「くそっ撃て!」
誤射を避けるため、射撃を控えていた前衛がボウガンを構える。
「目をねら──」
大気を引き裂く風切り音、そして眼前を覆う影。
矢弾の返礼は、オーガの巨体だった。
「うわぁぁあがぁ!?」
「ぎゃぁぁぁ!」
それは砲爆撃に近かった。
オーガの質量はゴブリンを圧殺し、オークの戦士を後衛まで吹き飛ばす。
悲鳴と怒号が飛び交い、包囲軍に混乱が広がっていく。
「固まってたら潰されるぞ!」
「だめだ、身動ぃがぁっ」
追撃のように次々と質量が投射され、荒野を赤黒い染みで彩る。
頭角で捕らえたオーガをヘラクレスオオカブトが空高く投げ、ヒラタクワガタが巨躯を器用に振るって水平に投げた。
「散れ、散れぇ!」
「避けっぐべがぁ!?」
肉と骨の砕ける異音が届き、赤を帯びた土煙に混じってボウガンが宙を舞う。
「隊列を組み直せ!」
「擲弾を装填、あの化け物を殺るぞ!」
混乱の渦中にありながらオークの戦士は、前衛のインクブスたちへ的確に指示を飛ばす。
射程ではインクブスに分がある──
「増援が出現!」
「なに!?」
立ち上る土煙を突き破り、上空に現れる黄と黒の警告色。
そして、崩落した砦より溢れ出す黒い波。
あの島で、大陸で、数多の同胞を喰らってきた災厄の本隊──それは
大顎が打ち鳴らされ、地響きの如き
「違う、本隊だ!」
スズメバチの梯団とグンタイアリの軍団が、包囲軍への突撃を開始した。
「コスタス!」
「お前ら、続け!」
指揮を執るオークの戦士が名を呼べば、一陣の風が吹く。
混乱から立ち直れていない前衛の隙間を縫い、ライカンスロープの群れが駆け抜ける。
高い機動力を誇る彼らは優れた遊撃手だ。
「生き残りたけりゃ脚を止めるな!」
「おう!」
前衛が立て直す時間を捻出するための機動防御。
全力で攪乱し、軍団の突撃を遅滞させなければならない。
荒野を四足で駆ける彼らの眼前に、重量級ファミリアが立ち塞がる。
「散れ!」
地を這うように姿勢を低く、あるいは地を蹴って宙に身を躍らせ、漆黒の大顎を躱す。
「くっ──ごはぁっ!?」
しかし、フタマタクワガタは巨躯に見合わぬ俊敏性で、最も体躯に優れたライカンスロープを捉えた。
長大な大顎に挟まれたが最期、オーガも敵わぬ膂力で両断される。
「や、やめぇぎゃぁぁぁ!」
断末魔、そして筋繊維と骨の断裂する音。
同胞の死に憎悪を迸らせながらもライカンスロープたちは脚を止めない。
背負ったゴブリン謹製のバッグに手を入れ、迫り来る黒い波を睨む。
「放てぇ!」
激突の寸前で方向転換、それと同時に擲弾を投擲する。
充填された劇物はウィッチの捕獲には使用できない
災厄のファミリアであろうと致死の一撃──炸裂、四散。
毒々しい粉塵が舞い、周囲を通過したグンタイアリが次々と横転していく。
後続と衝突し、砕けた外骨格がエナへと還る。
効果あり、されどライカンスロープの表情は焦燥が支配する。
「効いてねぇのか…!?」
軍団は停止せず。
たかが数体が活動を停止した程度でグンタイアリの行進は止まらない。
汚染された一帯を迂回し、突撃を続行する。
「しまっがぁぐがぁぁ……」
「い、いやだぁぎぇぇ……」
方向転換の遅れたライカンスロープが黒い波に飲まれた。
断末魔は無数の足音に踏み潰され、血痕すら残らない。
「ロマノス!」
「くそっくそっ!」
悪態を吐きながらライカンスロープたちは、背後から迫る絶望の遅滞を試みる。
その頭上を重々しい羽音を響かせ、スズメバチの梯団が通過。
目標は、インクブスの前衛だ。
「翅に当たればいい、撃て!」
辛うじて隊列を組み直した前衛は、これを弾幕で迎え撃つ。
風切り音を纏う矢弾の雨、それは──硬質な音と共に砕け散った。
世代交代を重ねたコマユバチとて無事では済まない斉射。
しかし、その情報を共有し、進化してきたスズメバチには通用しない。
「くそっ弾きやがったぞ!?」
「アモソフたちは次弾を!」
強靭な外骨格に加え、大気中のエナを纏って振動する翅は矢弾を弾く。
彼女たちは空を飛ぶ戦車に等しい。
コマユバチの比ではない絶対強者の羽音が戦場を支配する。
「ベネデット、羽虫どもが突っ込んで来るぞ!」
「ああ、嫌でも見えてる!」
オーガは戦闘不能に陥り、矮躯のゴブリンは肉弾戦において不利。
上空から襲い来るスズメバチはオークの戦士が迎え撃たねばならない。
「急降下する瞬間まで引き付けろ!」
各々がボウガンから武骨な得物に持ち替え、異形を睨みつける。
数的には互角、されど体格差は絶望的。
黄と黒の警告色が頭上を覆う──突如、静止するスズメバチの梯団。
身構えていたオークの戦士たちは見事に出鼻を挫かれる。
その姿を映す複眼に一切の感情はない。
ただ腹部に備わる毒針を向けるだけだ。
「まさか──」
エナの放射流という脅威に思い至った戦士たちへ毒のカクテルが馳走された。
「ぎゃぁぁぁぁ!?」
「目が、めがぁぁぁ!」
顔面を押さえ、悶え苦しむオークの戦士たち。
矢弾を装填するゴブリンにまで被害は及び、混乱は際限なく拡大する。
頭部を狙って噴射された毒液は、原種と同様に様々な炎症を引き起こす。
「毒、毒だぁげぇがばっ」
卵の殻を割るようにオークの頭蓋が砕け、鮮やかな赤が警告色の上に散る。
捕食者が被食者たちを無慈悲に齧り取っていく。
「来るなぁぁぁぎえぁ」
「やめっげぇぁ」
逃げ惑うゴブリンの腹部を両断し、弱々しく抵抗するオークの四肢を千切る。
大地へ降り立ったスズメバチは、手当たり次第に肉塊を生み出す。
「腕が、腕が、うでがぁ…!」
両腕を切断されたオークの眼前で、ゴブリンの肉団子へ腕を混ぜ込むスズメバチ。
悲鳴も断末魔も無視し、黙々と噛み砕いて丸める。
その無機質な複眼はインクブスを敵と認めていない。
「俺は、餌じゃな──」
絶句する彼が最期に見たのは、同胞の肉団子を抱えるスズメバチの大顎だった。
至近に迫るグンタイアリが通過すれば、進路上のインクブスは
可能な限り保存食を確保すべく、スズメバチは迅速に作業を進める。
「ば、化け物だ」
「こんなの勝てるわけが……」
「何言ってやがる…!」
遠くない未来の姿を見せつけられ、後衛を務めるインクブスの間に恐怖が広がっていく。
前衛の救援を名乗り出る者は現れない。
彼らは理解していなかった──これは戦争ではない。
必死に得物を振るって退けた相手には、敵意があると信じていた。
しかし、実際には餌か障害物としか見ていない。
そうでなければ、後衛を無視して堂々と解体ショーを始めるはずがなかった。
「に、逃げようぜ!」
「どこに逃げるってんだ…!」
いかに仲間意識が高くとも無惨な死を前に、インクブスたちの士気は崩壊寸前だった。
背を向けた瞬間、災厄に噛み砕かれるという恐怖だけが逃走を抑止している。
突撃を受ければ容易く壊乱するだろう。
「くそっ……俺も出る!」
ラザロスは敗北の気配を肌で感じ、状況を打開せんと駆け出す。
オークの戦士すら怖気づく戦況では、指揮の混乱よりも士気の向上が最優先だ。
ゆえに、彼は地獄に身を投じる。
「マルクト、急げよ!」
作戦の要たる術師たちの守備を手薄にしてでも災厄を食い止める。
目的を達せず、全滅など許されない。
灰色の毛並みを靡かせ、ラザロスは地獄へ向かって駆ける。
その背後を配下のライカンスロープたちが即座に追う。
「分かっておる…!」
振り向きもせず、マルクトは苦々しく告げる。
ケットシーの長は術士たちに陣を組ませ、その中心でエナの制御に集中していた。
マジックに精通した彼が投射可能な最大火力、それの構築には時間を要する。
「エナの収束が遅い…ボス、妙だ!」
「奴原め、何か細工をしておるな」
明らかに普段よりも構築が遅い。
マルクトも異変を早期に察していたが、原因までは把握できていない。
少なくとも
「まさか、奴原にも術士が──むっ!」
戦場を睥睨していたマルクトの耳が立ち、唐突に大地を蹴り抜く。
小山のような体躯が宙を舞い、奇怪な模様を刻んだローブが翻る。
彼の立っていた場所には──奈落が口を開けていた。
闇の奥底から伸びる褐色の太い前脚が土を掻き分け、瞬く間に穴を広げる。
そして、入れ替わるように薄香色の影が地中より姿を現す。
「地中からぶばぁっ!?」
反応が遅れたケットシーの顔面に、強烈な悪臭を伴う粘液が直撃した。
地中より現れたファミリアは、頭部に角──発射機構──を有するテングシロアリだ。
術士たちは陣を解き、粘液の射程外まで飛び退く。
「敵襲!」
至る所に突入口が開かれ、異形が這い出てくる。
ファミリアは後衛を無視していたわけではない。
戦場音楽に聴覚を乱され、掘削音の探知が遅れた後衛を地中から強襲する。
「いつから掘ってやがった!?」
「ぎゃぁぁぁ!」
シロアリのソルジャーが浮足立つ後衛のインクブスを蹂躙する。
恐怖が飽和し、反撃もままならずに彼らは大顎に捕獲された。
「げぇ、うぎぃ、や、ごはっ!?」
ソルジャーは大顎で挟んだゴブリンを大地に何度も叩きつける。
四肢の骨が砕け、生命が尽きる瞬間まで──
「虫けらどもがっ」
一閃。
灰色の風が吹き抜け、ソルジャーの肥大化した頭部が大地に落ちる。
エナの残滓が舞う荒野にライカンスロープの長が降り立つ。
「油断せず1匹ずつ潰せ!」
犬歯を剥き出しにするラザロスは異形を睨みつけ、同胞たちへ告げた。
前衛の救援を諦め、後衛の脅威を排除する。
苦渋の決断だ。
だからこそ、完遂しなければならない。
「おう!」
「切り刻んでやる!」
風の如く駆けるライカンスロープたち、その眼前に立ち塞がる薄香色の影。
迫る大顎を易々と躱し、鋭利な爪が外骨格を引き裂く。
ファミリアが倒れ、エナが虚しく舞う──統率されたインクブスの群れとは脅威だ。
しかし、ソルジャーに撤退の二文字はない。
己の生命か、眼前の脅威を粉砕するまで戦い続ける。
「ひでぇ臭いだ…だが!」
「怯むな、撃てぇ!」
ソルジャーを援護するテングシロアリの粘液は毒物ではない、そう判断したオークが叫ぶ。
恐怖を憎悪に変えた者がボウガンを手に取った。
混沌とした戦場を矢弾が擦過──己の頭部を盾に、ソルジャーが射線を遮る。
外骨格を貫かれ、活動を停止した姉妹の亡骸が荒野に伏す。
それがエナへ還ろうと、ファミリアは悲嘆しない。
全ては次への一手だ。
「虫けらが調子に乗るなよ!」
「このまま押しつぶ──」
ソルジャーの頭部を落とし、口角を上げたライカンスロープの影が掻き消える。
混沌とする戦場を恐るべき速度で疾駆する巨影。
「出やがったな…!」
ラザロスは襲撃者を確かに捉えていた。
長大な脚で巨躯を支え、戦場を睥睨する捕食者。
胸部を貫いたライカンスロープに消化液を注入し、次なる獲物の前へ投げ捨てる。
交戦中もケラが拡大し続けた突入口より現れた重量級ファミリア──アシダカグモだ。
数にして13体、派手な体色のファミリアを背面に載せた珍妙な姿。
だが、ライカンスロープを容易に捕獲してみせた。
時に卵嚢を抱えて移動する彼女らにとって
「ラザロスよ、下がれ!」
振り向きもせず後方へ跳ぶラザロスの眼前に、矢弾の如き火球が降り注ぐ。
同胞を躱し、災厄だけを焦がす。
優れた術士の扱うマジックとは強力無比──
「何をやってやがる、マルクト!」
本来であれば。
直撃を受けたファミリアの過半数が生存し、アシダカグモに至っては命中すらしていない。
前代未聞の事態にラザロスは怒気を滲ませる。
「この状況では陣も組めぬっ…早く奴原を仕留めるのだ!」
怒声をローブごと払い除け、ケットシーの長は異形たちを睨みつけた。
マジックの火力は安定せず、追尾も覚束ない。
エナの収束は遅く、テングシロアリが粘液を散布してからは
状況は最悪だ。
「そちらへ向かったぞ、クルト!」
13体のアシダカグモはケットシーの術士に狙いを変え、混沌の戦場を再び駆け出す。
「化け物が!」
「弾けろぉぉぉ!」
鬼気迫る雄叫びを上げるケットシーたち。
悪臭と不調に苦しみながら、数倍の労力を掛けてエナの焔を生み出す。
その頭上に巨影が落ちる──既にアシダカグモは
アシダカグモの背面でミイデラゴミムシが尾部を持ち上げ、粘液に塗れたインクブスへ照準を合わせる。
「くそっ──」
爆轟を伴う音が大気を震撼させ、無慈悲にガスが噴射された。
「ぎゃぁぁぁぁ!」
刹那、ケットシーはエナの焔に包まれた。
身体を構成するエナ、そして大気に満ちるエナを糧に燃え盛る。
地を転げ回っても消えず、断末魔を上げる喉が焼け、四肢が強張っていく。
まるで踊りだ──ヒトの雄を余興に焼いた同胞の言葉。
それを朧げに思い出しながら、次なる犠牲者のケットシーはガスを浴びた。
テングシロアリの粘液にガスの化合物が反応し、一瞬で全身を焼き焦がされる。
「あつぃあついぃぃぃ!」
「あぁぁぁぁ!」
ガスが噴射された後には、人型の火柱が林立する地獄絵図。
ケットシーの術士を重点的に、後衛のインクブスが次々と焼殺されていく。
アシダカグモという移動手段を得たミイデラゴミムシは、射程という弱点がない。
「おのれ、虫けらめ!」
「これ以上やらせるか!」
マルクトとラザロスは同時に地を蹴り、同胞たちの下へ駆けた。
軍団の足音が大地を揺らし、重々しい羽音が空より降る。
もはやポータルの閉鎖は不可能だ。
ここからは、より多くの同胞を救出すべく奔走しなければならない。
「ちぃっ!」
視界の端、残像を伴って現れる長大な脚。
後脚の膂力を解放──赤き月光を背負い、ラザロスは空中より着地点を睨む。
着地と同時に横へ跳び、異形の突進を紙一重で躱す。
今度こそ右後脚を鋏角に貫かれるところだった。
「俺を追ってきたってか…?」
ライカンスロープの長を見下ろす8つの眼は、どこまでも無機質で感情が読めない。
絶望的な状況下、雪辱戦の幕は切られた。
(理不尽に)生きて、抗え──
発売記念小噺を執筆するなら?
-
姉ちゃんは魔性の女(東芙花視点)
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ナンバーズは斯く語りき(ナンバーズ視点)
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ジェリコのラッパ(モスクワ市街戦)
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波濤の彼方より響く砲声(南アメリカ戦線)