昼間は児童の活気に満ちている小学校も夜は別世界に思える静寂に包まれていた。
月光が射し込む白い廊下を足音だけが反響する。
「主よ」
「なんだよ」
足音の主であるウィッチとパートナーは普段通りの調子で言葉を交わす。
一見無警戒のようだが、鉛色のメイスは暴力を行使した痕跡を廊下へ滴らせている。
「よろしかったのですか、あのようなことを仰って」
十字架に扮したパートナーは問う。
あのようなこと、とは先程のシルバーロータスに対する一件しかない。
こちらに落ち度があるとしながら、横取りするなと牽制し、一方的に競争を持ちかけた。
「あれで乗ってくるなら面白かったんだけどな」
退屈そうにメイスで肩を叩くゴルトブルーム。
想定外のファーストコンタクトゆえの
あからさまな挑発に対して、彼女は──
「問題ない、とか言う割にっ」
扉の影から飛び出すゴブリンの頭が振り抜かれたメイスによって弾け飛ぶ。
これで3体目を数える。
劇薬を塗り込んだらしいナイフが床を滑り、毒々しい色彩を飛び散らせた。
それを気にもせず、ゴルトブルームは足を進めていく。
「追ってこねぇし」
「…ファミリアが召喚される様子もありません」
ウサギのように赤い瞳はインクブスを屠る意志だけがあった。
しかし、それが実行される気配は今のところない。
ゴルトブルームのメイスだけがインクブスの生命を砕いている。
「身体能力は平均以下、エナは微弱で、私の接近を察知できないし、ファミリアは1体だけ」
ネームドを次々と屠ってきた実力を微塵も感じないウィッチ。
ナンバー13に値するとは到底思えない。
功績に誤りがあるのではないか、とオールドウィッチを疑ってしまうほどに。
「あーあ、期待外れだな」
「だからこそ実力を見極める機会だったのでは?」
「こそこそと見守れってか? 冗談じゃない」
他の追随を許さない圧倒的な力でインクブスを駆逐する。
それが序列上位者、ナンバーズである。
監視するまでもなく、その実力は推し量れるもの。
「主よ、協力という選択肢もありましたよ」
インクブスを効率よく駆逐し、シルバーロータスの実力も見定める。
胸元より語りかけるパートナーの提案は、一般的なウィッチであれば採用率は高い。
「それこそ冗談じゃない」
しかし、ゴルトブルームは一般的なウィッチではない。
協力という言葉を耳にして顰められた眉、不愉快であると言外に語る口元──
「インクブスを逃したのは、私の責任だ」
「ふむ……」
そんな口から紡がれた言葉には、ぶっきらぼうな口調からは想像もつかない重みがあった。
雲が月を隠し、闇が訪れる。
一定のリズムを刻んでいた足音が止まり、闇は静寂を得て廊下に満ちた。
「私の不手際は、私の手で片を付ける」
絶大な能力を有するゴルトブルームである時、彼女は他者に頼らない。
他者に譲らない。
その強迫観念じみた考えは、連勝を続けるほど強まっている。
望ましいとはパートナーも思っていないが、手詰まりは否めない──
「出てこいよ、カエル野郎」
細められた黄金の瞳が廊下の奥を睨む。
「へぇ……気づいてやがったのか」
闇の中で肩を揺らす影。
人を小馬鹿にした耳障りな声が廊下を反響する。
「取り巻きを連れてお山の大将気取りかよ」
息づく9つの気配。
前衛に2体、中衛に4体、後衛に3体。
インクブスの使い走りことゴブリン、そして件のフロッグマンだ。
「ここで
哀れむようで見下した声に取り巻きのゴブリンも揃って嘲笑う。
しかし、ゴルトブルームは憤ることもなく聞き流す。
確かに絶大な威力を誇る要塞の主砲は、容易く学び舎を破壊するだろう。
「あれが私の
「なに?」
その浅慮な考えを鼻で笑った。
使用できないのではなく、使用する必要がない。
エナを高純度に収束させ、加速、投射するマジック。
それは遠距離からインクブスを駆逐するため獲得した
「やるぞ、カタリナ」
ゴルトブルーム本来の戦闘距離は、
「かしこまりました、主よ」
すぐ隣で静止した大楯へゴルトブルームは左手を伸ばす。
金木犀の紋章が微かな光を放った後、マキナの駆動する音が廊下に響き渡った。
「
冷たく鋭い金属音が耳を撫でる。
無骨な大楯の背面より迫り出す4本の
その1本を一息に抜き放き、現れた刃は細く、長い。
その
「新しい玩具ねぇ…やっちまえ」
長い得物をフロッグマンは大した脅威と見做さなかった。
閉所では
ナイフ、スリングショット、原始的な得物を手にゴブリンが突撃する。
まず、2体のゴブリンが間合に入り──黄金の刃が揺らぐ。
「浅はかな」
仲間の放ったスリングショットの擲弾が無為に空を切る。
ゴブリンが知覚できたのは、そこまでだった。
「……やるじゃねぇか」
ほぼ同時に床面へ倒れ込む2体の影を見て、唸るフロッグマン。
眼球から後頭部まで穿つ一撃、それが二度放たれただけ。
しかし、その速度は驚異的なもの。
「ここでなら私に勝てると思ったんだろ?」
軽やかなステップで左半身を前に、再び構えられる
その刃が揺らいだ瞬間──スリングショットの斉射が殺到する。
旋回してきた大楯2枚に阻まれ、擲弾が毒々しい噴煙となって視界を塞ぐ。
それを好機と見たゴブリン2体、そして最後衛にいたフロッグマンが躍りかかる。
「逆だよ」
大楯による突撃がゴブリンを撥ね飛ばし、天井へ逃れたフロッグマンをエストックが狙う。
閉所では大火力を使えない。
だが、閉所では機動力も活かせない。
「ちっ!」
即座に黄金が瞬き、眼窩へ鋭い刺突が飛んでくる。
廊下という限られた空間で黄金の刺突を躱すのは至難の業。
間一髪のところを鉤爪で逸らし、後方へと跳ぶフロッグマン。
「逃げんなっ」
大楯2枚を扉のごとく開け放ち、追撃するゴルトブルーム。
飛来する擲弾を軽々と避けながら邪魔者の眼、眉間、喉を貫く。
断末魔もなく倒れるゴブリンの小集団。
「こりゃ面倒なウィッチだぜ」
それを傍目に着地、そして飛び退くフロッグマンへの追撃は、エストックの投擲。
「危ねぇ──」
直撃の寸前で体を捻り、これを回避──した先に、鉛色のメイスが唸り声を上げて迫る。
「な!」
体の捻りを利用し、手に忍ばせた擲弾を放つフロッグマン。
曲芸じみた空中からのカウンター。
それをメイスのフルスイングが捉え、一撃で粉砕する。
「…取り巻きがいなくなったぞ?」
廊下を舞う粉塵を薙ぎ払い、ゴルトブルームは涼しい顔で告げる。
「はぁ…役に立たねぇ」
エストックに眼窩を貫かれたゴブリンの隣へ着地したフロッグマンは溜息を吐く。
雲が流れ、月光が再び顔を出す。
「邪魔者はいなくなったし」
「チェックといきましょう」
新たなエストックを大楯より抜くゴルトブルーム。
迫る黄金の輝き、そして月光から逃れるように真紅のフロッグマンは影へ下がる。
月光の射さない別棟に通じる渡り廊下入口まで。
「気が早いんじゃねぇかぁ?」
逃げるだけの手合にも飽いた。
虚勢に見える嘲りを二度とできなくなるよう次で貫く。
その決意をもってゴルトブルームは踏み込み──渡り廊下から、天井から、正面から、鉤爪が迫る。
「主よ!」
「分かってる!」
1体ではなく3体。
予想外ではあったが、難攻不落の要塞は冷静だった。
大楯を旋回させて一方を防御、正面は迎え撃ち、己のエナより大楯を頭上に形成。
世界の色が反転する。
「っと…手緩いんだよ」
「お見事です」
危なげなく同時迎撃。
純白の装束に触れることは叶わない。
「いやぁ……勝ったね」
奇襲を容易く退けられたトリオは一様に笑う。
三方より攻め立てれば要塞を落とせるなど浅慮が過ぎる。
そう眉を顰めるゴルトブルームを──
「な、なにっが?」
異変が襲った。
視界が歪み、手足が震え、汗が噴き出す。
それはインクブスの薬物による症状と酷似していた。
しかし、ゴルトブルームは一度も被弾しておらず、粉塵を吸い込んでもいない。
「くっ体、が…!?」
「これは…主よ、エナに変調をきたしています! すぐ鎮静化を!」
異変の原因を即座に把握したパートナーの警告。
ウィッチをウィッチたらしめるエナが制御できず荒れ狂っている。
浮力を失って落下する大楯、取り落としたエストック、それらは砂のように崩れ去った。
「マジックを使ってくれてありがとよぉ」
両手を大きく広げてから、拍手するフロッグマンを月光が照らした。
辛うじて膝をつくゴルトブルームは顔を紅潮させ、荒い呼吸を繰り返す。
勝敗は、決した。
真紅のトリオは獲物へ悠然と近づく。
「新薬はどうだ? 抜群だろ」
「体に効かねぇから、エナを通して湧泉を──」
「死ねっ」
背後から近づく気配に振るったメイスは容易く受け止められる。
それどころか手を掴んで引き寄せられ、抵抗できない姿を至近から観察される。
弄ばれていると悟っても弱々しい蹴りを繰り出す。
「元気そうだし、やっちまうか」
「久々の雌だなぁ!」
顔を見合わせる真紅のトリオは、もうウィッチを見ていない。
獣欲を眼に浮かべ、どう雌を蹂躙するか思案している。
敗北したウィッチの末路とは悲惨なものだ。
「この、離せっ!」
その視線に怯まず、黄金の瞳は嫌悪感と憎悪を宿して睨み返す。
鈍化した思考でも彼女の本能が、そうさせた。
しかし、それは余興としてインクブスを喜ばせるだけであった。
「主よ!」
喋る十字架ごと胸元の装束を引き裂くため、鉤爪が伸ばされる。
「簡単に狂うなよぉ……あぁ?」
舌なめずりするフロッグマンは渡り廊下に矮躯の影を捉えた。
浅緑の肌、尖った耳と鼻、言うまでもなくゴブリンである。
物欲しそうな視線を受け、華奢な少女の手を掴むフロッグマンは下卑た笑みを浮かべる。
「お前らも後で使わせてやるから待っ──」
答えることなくゴブリンは、倒れた。
丸々と膨らんだ黒褐色の風船を背負って。
「ふ、風船…?」
否、それは風船などではない。
ゴブリンの背中を掴む8本の
それは獲物の生命を吸い上げる吸血動物の脚だ。
下卑た笑みは消え──ほぼ同時に飛び退くフロッグマンたち。
「…残り3体」
幼げでありながら無邪気さの欠片もない声。
影で妖しく光る赤い瞳はインクブスだけを見ていた。
その場にいた者は、微かに放たれるエナから瞳の主がウィッチであると辛うじて認識する。
「な、なんだよ……こいつら」
しかし、感覚は正常であっても眼前の光景は、その認識を拒絶したくなるもの。
蠢くエナの群れ。
100か、200か、それ以上。
「主よ、これは
ゴルトブルームの震える喉から出た問いへパートナーが答える。
なぜ今まで感知できなかったのか、という驚愕を滲ませて。
影から這い出てくる吸血動物の群れ──天井にはマダニ、床面にはノミ。
個々は小さく貧弱だが、褐色に波打つ群れとなって迫ってくる光景は恐怖しかない。
「お前ぇ……ウィッチか?」
その異様な光景を前にして真紅のフロッグマンは張り詰めた緊張感を纏って対峙する。
さながら蛇に睨まれた蛙のように。
インクブスの問いへ、影より歩み出てきた銀髪赤目のウィッチ──シルバーロータスは答える。
「そうだ」
わからせ(キャンセル)