「はっ、はっ、はっ、はっ、はっ……」
リズミカルに腕を振る。軽く握りしめた拳を振り上げると同時に身体はふっと浮き上がり、安定したストライドを生む。
辺りの光を取り込むように艶めく黒髪。肩近くまで短くしてあるそれは毛先が少し丸みを帯びている。その髪が踏み込みに応じて軽やかに舞い、跳ねる。
その軽やかな足運びは疲労を感じさせず、しかし吐き出す息の少しの荒さが目立つ。ただそれは走者本人の性格をそのまま反映させたように、どことなく犬のような快活な印象を見る者に与えるのみだ。
『………セカンドか』
『今年もセカンド……』
『あんなに頑張ってたのに……』
『惜しかったよ!来年はきっと大丈夫だって!』
「よっ、ほっ、ほっ、ほっ……!」
少女の脳裏には自分に向けられた仲間からの落胆や励まし、悔恨の感情がこもった言葉がよぎる。しかしそれでブレるような呼吸ではない。
「また、来年、頑張っちゃうもん、ねっ!」
ピピ、という計測音と共に緩やかに速度が落ちていくマシンに合わせて、少女は足を止めないながらも腕の力を抜いてだらんと垂らす。そのままぷらぷらとシェイクして、ようやく足の運びをまともに鈍らせた。
「ふぅ……ぃよっし!」
深呼吸はたったの一回。そして気合を入れるその顔は青色に煌めく綺麗な瞳に長いまつげ。整った眉と鼻。満足そうに上がる口角。
「今日も頑張るぞ……!」
自分を鼓舞するために胸の前で再びぎゅっと力が入れられる右拳。女の子特有の可愛らしさがありながら、どこか只者ではない雰囲気も漂わせるその少女。
Direct Attack 通称DA所属のリコリス。
遠距離支援員。 葉白花楓 ハシロ カエデ
今日も任務遂行に尽力すべく、一歩を踏み出す。
◇◆◇
平和で安全な法治国家、日本。
その首都たる東京には危険などない。
という幻想を守るのが、彼女らである。
日本の平和を密かに守るが、警察や公安などとは異なり独立して治安維持に務める組織。
それがDAこと【Direct Attack】
政府とは協力関係にありながらも指揮下には入らず、その特性から強力な特権を有する組織。
他に特性といえば、実働部隊が年端もいかない女の子たちで構成されているという他ではありえないものもあるが、それは長々と語る必要はないだろう。
警戒されることのない可愛らしさ満点の制服を着て、女子高生にしかできない笑顔を称えたまま花楓は目標地点まで移動していた。
「こちら花楓、目標地点まで残り5分」
『了解。地点到達後指示があるまで待機』
「りょーかい、ですっ!」
小声で過不足なく連絡をとりあった後、花楓は肩にくい込むライフルバッグをしっかりと背負い直す。これでも軽めの狙撃銃のはずだが、それでもやはり長距離移動には向かないか。
その評価を覆すように強く地面を蹴る脚は革靴に模したスポーツシューズと黒タイツに守られていて、スカートとの間で健康的な肌色の太腿が垣間見える。
こんなにも堂々と人集りの中を狙撃銃を背負いながら走れるのも、この特殊なライフルバッグのお陰だ。
こちらからの遠隔操作でいつでも中身がM700からトロンボーンに変わる。ガチャコンというような機械音も鳴らなければ変わる速度も流石の一言で面白くないが、これのお陰で仲間の援護ができるのだから有り難いものだ。
そう。花楓の任務はあくまでも支援。実働員のように必殺仕事人のようなことをするわけではない。少し過激な支援というだけの話だ。
「ほっ、ほっ、ほっ!」
人の気配がないビル内に無造作に入り込み、屋上まで階段を使って登っていく。少し歪んだドアノブに指をかけ、ぐっと力を入れれば奇妙な音を立ててそれは開く。
ぐわっと広がったのは開放的で気持ちの良い景色。しかしそれに目は囚われず、大きく息を吸うのみで、すぐに淵の方に移動する。
「こちら花楓、到着です」
『了解。では待機』
「はーい」
言いながらライフルバッグから相棒のM700を取り出してスコープを装着する。M700は連射性は他の狙撃銃よりやや劣るものの、高い集弾性をもつ遠距離での援護に的確な銃である。
一撃に込められる技術で全てが変わる。
花楓の狙撃センスを十二分に発揮できるまさに相棒。
チャキ、とその銃口を屋上から外に向けて構える。横ばいにスコープに顔を近づけ、目標を視認する。
「確認、っと」
公園のベンチ。そこに座る痩せ型の男。大きめのバッグを抱えたまま座っている。やや神経質か。いや、神経質というよりは自分が持っている爆弾と犯そうとしている罪に怯えていると言ったほうが正しいかもしれない。
「あはは……さすがに今は撃てないよね……」
その周りは既にベージュ色の制服を着た可愛らしい女の子達が取り囲んでいるため、花楓が無理に狙撃をすることもない。
しかし万が一にも取り逃がしはないが、その万が一が作り出されてしまった瞬間に足を撃ち抜けるよう集中する。
作戦開始まであと数10秒。私は手早く直動式のボルトアクションをおこない、そのままゆっくりと深呼吸をして地面と身体を一体化する感覚に埋もれる。筋肉の僅かな震えまで抑え、全神経を引き金を引く指と目に集める。
足から右斜上5cm離れたあたりに狙いを定める。
ついにリコリスが男に向かって歩き出した。作戦開始だ。私はさらに力を抜いてスコープ
リコリスは躊躇なく男に近づいていく。50m、40m、25m、15m、10m、5m、1m――――
そして―――
まず手に持つS&W M&P9Lで肩、胸に2連射。男が座ったまま項垂れる間に手に持っていたバッグはリコリスがキャッチ。そのまま何事もないようにバッグを持ってリコリスは歩いていく。
一瞬で男は制圧された。
任務達成だ。
「ふぅ………」
スコープで未だ覗きながらも、長く息を吐く。それからやっと視界を通常の目のみに頼り、改めて屋上を見渡す。先程は排除した風景がなだれ込んでくる。
「はー、終わったぁー!」
即座にスコープを外す。M700をバッグにしまい、遠隔操作でトロンボーンと入れ替える。ぐーっと腕と足を伸ばして身体を弛緩させる。本来仕事人であれば任務終了後は即退去するのだろうが花楓はそんな怖い仕事人ではない。
任務をこなすエージェントではあるが、殺人を生業とする職人というわけではないのだ。
そんなことを呻いて、思う存分満喫したあと、ライフルバッグを持ち上げて肩に担ごうとしたその時だった。
『花楓!緊急だ!』
通信が入る。
「こちら花楓。どうしました?」
『お前から見てちょうど6時方向にて執行中だった任務が失敗に終わった。対象が逃亡している。今は人もそれなりにいる場所を走っているが、予想通りならばこれから入り組んだ路地に入る。マッピングはしてあるため、可能な限り逃亡を妨害しろ』
「了解!ただちに狙撃準備に移ります!」
反対方向に走る。トロンボーンをM700に変えてライフルバッグから取り出す。スコープを装着し倒れ込むように構えて、即座に装填。
「ん………ぁ、いたいたっ……!」
マッピングされた情報に合わせてスコープを操作し、ついに逃げ回っている男を捉えた。所持品なし。恐らくそれはリコリスが既に奪取している。やや筋肉質。スポーツマンか。いやそれは今関係ない。
足は無理。だとしたら関節、脇腹。動きを鈍らせて
、2発目で確実に止めると花楓は笑った。とにかく動きを止めるのが最優先。
大きくゆっくりと深呼吸をしながら先程と同じような感覚に自分を追い込む。余計な力は抜いて、自身の力を最大限引き出す。
その瞬間。
「ん……?」
男が突然動きを止めた。花楓が不審に思いスコープで男の前方に漂う人影を注視する。
そして視認する。
可愛らしい赤色の制服。勝ち気だが冷静さが見受けられる笑顔。紅蓮に輝く宝石のような瞳。ショートボブの綺麗な髪と、そこにおだんごを作っている赤いリボン。
黒く光るデトニクス。
「っ!」
まさにその姿は、あの電波塔の救世主そのものだった。
千束は瞬時に銃を構え、まず男の右足を撃ち抜く。そのまま走り寄り、男の抵抗を難なく躱しながら最後に零距離で右肩の関節に銃弾を撃ち込む。
痛みと動かない腕によって抵抗の意思を削ぎ落とし、瞬く間に男は千束に確保されその上手当てまでされる。千束はしばらく男と話していたが、通信かなにかで花楓の行動を把握したのだろう。
遠くからこちらを見て「お疲れ様」と言うように満開の笑顔でVサインを送っていた。
「電波塔の、救世主……!」
そこで花楓の今日の任務は全て幕を下ろした。
「司令、今日その男を制圧したのって―――」
「そうだ。知っているだろうが、日本で最も優秀なリコリスだよ……成績だけで見ればな」
DAの主柱、司令の楠木は一瞬目を閉じてすぐ話題を戻す。懐かしむような珍しい表情は途端に真剣な司令のそれに変わる。
「目標は自身を防弾武装で固めていた。幸い衝撃は伝わるからな、バッグは回収したがしぶとかったよ」
「へぇ……それって―――」
「報告は以上だ。引き続き支援のリコリスとして任務を果たしてくれ」
リコリスが来るって分かってたってことですよね?
その銃で殺されることを、知ってたってことですよね?
そんな言葉は表には出してもらえずに心に溶けて消えていった。楠木司令に間接的に「下がりなさい」と言われたのだ。退室するしかない。
「失礼しました〜」
DA内の、綺麗に清掃された廊下をとぼとぼと歩く。
DAはこれからどうなるだろうか。政府が関わっているとはいえ、本当に悪い奴らにいつまでもバレずにやり通せるとは思えない。さっきの失敗、いつの間にか減っていくサード、そして―――
「………」
バレれば多分、おしまいになる。
花楓らは用済みになる。
そんな予感が心と身体を重くしていく。
「……っ!」
そんな心を、突如としてある光が満たした。
思い出したのだ。花楓自身の光を。
「ダメダメ!私らしくないぞー!」
自分を鼓舞してまた走り出す。部屋に戻って同居人に伝えなければ。その思いだけで重い身体を突き動かす。紺色が廊下に残滓を残し、大きなリボンが花楓の目の前で舞う。
ぐんぐんと遠ざかっていく景色と近づいていく目的地に、花楓はそのまま緩やかに速度を落としていく。右に曲がってまた少し、進む。
そして辿り着いた部屋の番号を一応確認した上で、堂々と中に入り込んだ。
「小百合!ただいま!」
「ふふ……元気な足音がしたから来るんじゃないかと思ってた」
小口小百合 コグチ サユリ
机の上のノートに書き込みをしていた同居人のリコリスは花楓の姿を視認するやいなや柔らかい言葉遣いで彼女に応える。
ふわふわな栗色の髪にタレがちな目尻。アメジストのように輝く瞳。見るだけでぷにぷにと分かってしまう頬。整った顔立ちを支える華奢な首に紺色の制服を着こなしながら豊かに育つ身体。
見た目だけではなく性格すらお淑やかな小百合は花楓の帰宅を笑顔で迎えた。
「今日は遅かったね、どうしたの?」
「うん!別現場が少しトラブったみたいでさ。そっちのフォローしてたらね〜」
「あら、そうなの?」
「うん!…………それでさっ!!」
花楓は「言っちゃうぞ!」という顔で身を乗り出す。小百合はいつも通りの花楓の姿を微笑ましく見つめる。
「千束さん見つけちゃったんだよね!!」
「あら」
「もうすっごく格好良くてさー!!!」
葉白花楓。
筋金入りの千束ファン。
千束こそが、花楓の中の光である。
「よかったじゃない」
「うん!もう最っ高だったなぁ……!任務中だし遠距離支援中だったから話せはしなかったんだけど、こっちに気づいたみたいで、ピースして貰っちゃった!!」
「あら、それはラッキーね」
「もう動画撮りたいって思っちゃったよ!!」
興奮冷めやまぬという顔で対象を制圧する時の千束の動きを再現して見せる花楓。その元気な振る舞いに、不在時にいつの間にか心に空いていた穴を満たされていく。小百合は心臓の高鳴りを確かめるように胸に自身の手を添えるのであった。
彼女は必ずそこにいくだろう、と小百合は確信する。
彼女は必ず自身の光の隣に立つことになる、と。
だからその日まで、小百合は想い続けるのだ。
花楓という小百合の存在の全てを。
「でさー!それで千束さんがさー!」
「ふふ、はいはい、どうしたの?」
夜は更けていく。
また、任務の時がやってくる。
物語は続いていく。
葉白花楓が、命を落とすその日まで。
こんな終わり方ですがこの子達のお話は一旦これで終わりです。