彼の者の盾はどこへ向かうのか。   作:mukurobone

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幕間 もうひとりの少女の行方

 新緑に眩しい峻厳な山々。その裾を縫うようにながれる水を求めて、一人の少女が、川のほとりのごつごつとした岩場に姿をみせた。

 少女は、腰紐に結び付けていた瓢箪の筒の紐をほどくと、栓としてさしてある蓋をポンッと引き抜き、激しくも清涼な音を響かせる川に差し入れた。

「ぅわっ!? 冷たぁっ」

 水流の激しさもあって筒を持つ手はびしょ濡れだ。

「――婆。生きてるかな。それに……」

 水の流れを一身にうけた筒のなかは、すでに冷たい水で満水になっていた。それでも、すぐに筒を持ち上げる気がしないのは、ひやりとした手の感覚が、あの日のことを呼び覚ましたからだ。

 里は、正体不明の敵……いや、あれが婆が言ってた躰に神を宿す者。武神。とかいうやつだったんだろうな。

「あんなの。勝てるわけない」

 あの日。突如、里を襲った武神は里の者たちを見境なく斬り捨てた。

 浅い、深いはあっても、全員が巫舞の使い手だった。

 

 トーン タンタン。 トーン タンタン。 トーン タンタン。

 

 トーン タンタン。 トーン タンタン。

 

 巫舞の華が蓮花のように舞った。幾度も。幾人も……。

 

 普通じゃないのはわかっていた。だけど、負けるとも思っていなかった。

 

 ――あの漢が矛を振るうまでは――

 

「天に武を示すは、ただ、我一人也。紛いものはいらぬッ!!」

 

 宙を舞う彩る蓮花が一刀のもとに、両断。あるいは、裁断された。

 

 およそ常識という枠をはずれた存在である蚩尤。

 

 その雛であっても、常人の武を優に上回る剣技の持ち主なのに。

 

 なにも通用しない。ただ、ただ。無力に、屍を晒す。

 

 知らずに、白鳳を握る手に力が入った。手のひらに拡がる底冷えた感触を誤魔化したしたわけじゃない。絶対にだ!!

 

「――化物め。刺し違えてでも、殺してやるぞ!!」

 深く、深く、深く。 トーン 

 己を落とし込む。 タンタン。

 深層の闇の底に向かうように。 トーン

 その身を浸す。 タンタン。

 

 もっと。もっと、深く。 トーン タンタン

 

「白鳳……いくよ」

 

 地に触れた脚は蝶の羽のように軽く。地を蹴る力は猛牛のように力強く。地を駆けるは猟豹のごとし。

 

 流れてめぐる視界は、拍の間に、後方へ跳び消える。

 

 瞬の舞により遅延する視界。

 

 刹の刻にとどまる世界。

 

 里の仲間の腕が飛んだ。同時に、宙を袈裟斬りにされた躰が舞う。その死角、隙間から躰をねじ込み跳んだ。露わになったうなじに目掛けて一閃した。

 

 切っ――「なァっ!?」

 

 

 

 しかし、白鳳は届かなかった。

 龐煖は、後方右から襲い掛かった脅威に対し、右の手一本で振り抜いていた大矛の先端を下方に向け背面に柄を沿わせたうえで左の手を添え、白鳳を受け止めたのだ。

 龐煖の目が襲撃者をギロリと睨み上げた。

「所詮。貴様たちにできることは、この程度だァ! 我が矛を止めるに足りぬわァ!!」

 龐煖は最小の動きで躰を旋回し、同時に、大矛を振り抜いた。大矛は、膂力のままに振り切られ、常人の剣速をはるかに上回り唸りを上げた。

 

 ――大矛の刃が脅威を両断し―― 得なかった。

 

「ヌッ!?」龐煖は大矛から伝わる感触から瞬時に身を翻した。が、ほぼ直下から突き出された剣。白鳳を躱しきれず、わずかに、皮膚から血が流れた。

「どうじゃ!! これが霞の術じゃ。このまま――」

 これを好機ととらえ少女は追撃を。

 

「――図に、乗るなッアアア!!」

 

 直後、響いた咆哮。

 龐煖の体幹は、直下からの一撃から身を翻そうとも微塵も揺らいでおらず、即座に、反撃の刃を振るった。

 と同時に、金属同士が強くぶつかり合った音が響いた。

 その様は、勝敗を示すようであった。

 片や。大地に根をおろす大木のように悠然と佇み。

 片や。打ち払われた小枝のように激しく身を地に転がしていた。

「――っう。……痛ったいのゥ」

 少女と龐煖の距離は、少女の身の軽さも相まって大きく飛ばされ、離れていた。龐煖は大矛を構えたまま、ざっ。ざっ。ざっ。とゆっくりと歩みだす。 

「少しはやるようだが、我の敵でない。土に還れ。天に紛いし、神堕としの一族の者よ」

 それに、少女は躰を地に預けながら虎視眈々と飛びかかる機を窺っていた。が、そのとき、二人の意識の外からしわ枯れた大声が割って入ったことで再び状況は動き出した。

「礼よ! これ以上、その者と戦ってはならぬっ!!」

 少女こと礼は、伏せたまま視線を声を方角に向けた。 

「いそぎ、逃げるのじゃ! なんとしても、生き延びよっ!!」

 そう必死に訴えていたのは、育ての親である婆であった。礼は声をあげた。

「婆ァ! おまえ、なに言っておるのじゃ!? こいつは里のみんなを殺したんじゃ。おめおめ引き下がれるものかァ!!」

 礼を叫びの声を肯定するようかのに、里の舞の手たちが、ふたたび、龐煖に飛びかかっていく。

「ええぃ。口答えも問答も無用じゃ。これは儂から、最後になるかもしれん言葉じゃぞ。礼よ」

 数瞬のこと。礼は、このまま戦いを継続するか、婆の言葉に従い逃げ出すのか、葛藤したのち、決断を下した。

「なにをしておる。礼っ!!」

「あぁもう――」と、礼は口からこぼすと伏せた姿勢から一気に加速して婆がいる場所に移動した。

「婆は、うっさいのう。逃げるっつってもどこにいくというのじゃ」

「お前は、ただちに山を降り、象のもとへ向かえ。象が、秦におる」

 礼は己が耳に届いた名を疑うように婆に視線を向けた。

「……ついに、ぼけたか。婆。象姉は何年も前に死んだぞ」

「呆けとらんわ。お前たちの姉であった象は、生きておるのじゃ。とにかく。急ぎ山を下り、象を頼るのじゃ。礼。あやつならお前たちを、羌族を任せられる」

 礼は婆の表情や仕草からそれが真実であると確信すると、「象姉も……生きておったのか」と小さく呟いた。

 蚩尤に連なる者として、祭で命を落とすことは運命だと割り切っていても、姉として慕っていたひとが生きている。生きて、外の世界にいるという事実は、礼の胸を、あたたかくさせた。

「それで、識は。識はどうした。一緒ではなかったのか」

「識は、今日の夕ごはんの当番じゃ。修行の帰りに、でっかい兎を獲ってくるからって、わかれたままじゃ」

「むう……やむを得まい。礼はさきに向かえ。識には儂から伝えておく」

 婆の言葉の意味は分かる。けれど、とても承服できる内容ではなく礼は拒否した。

「いやじゃ。識が来るまで、どこにもいかんぞ」

「この……わがままをいうでないわ。アレが倒せない相手でないことくらいわかっておろう。それに、お前たちは他の里の者たちにくらべ、いまだ幼い。いまは。いまだけは、自分だけでも逃げ延びることだけを考えるのじゃ。識のことは、儂にまかせよ」

 龐煖に目を向ければ、年上だったの舞の手をまたひとり切り捨てられたところであった。礼にして、状況がどんどんと切羽詰まっていくのが手に取るようにわかった。

「むぅ。――なら絶対、絶対にじゃぞ。識に、ふたりの。ふたりの秘密の場所で待ってるからって伝えくれよ。絶対だぞ」

「ああもう、なんでもいいから、さっさと行かんか!」

 婆は、そうして礼が深い森に姿を消していくところを見届け、戦い場に目を戻した。

 

「この里は……もう、だめじゃ。よもや、他の里から音沙汰がなくなった理由はこれであったとは。儂もこれまでか――」

 

 眼前に、大矛で脅威を打ち払った龐煖が、もうまもなく。と迫っていた。

 

 

 そして、話は冒頭に戻る。

 礼は、ふたりの秘密の場所で識を待ち続けていたのだ。

「婆のやつ。識に、ちゃんと伝えたんだろうな。もう、ひと月になるぞ」

 礼は、満水になった瓢箪の筒を持ち上げると一口分を含んだ。峻厳な風景のなかを流れる川の水は、一際、冷たかった。

 一息ばかりの弛緩のときだった。

 山に茂る草木の一部ががさっと揺れた。

 それは、「ガフっ」と耳慣れた鳴き声を発する獣であった。ちいさな四つ足を、とこっと。トコっト。トコっト。とした。

「あ! おまえ付いてきたのか。寝床で待っとれといったろうに」

 獣は、四つ足の一つに添え木を巻き付けられた尻尾を持つ小さな獣であった。

「クゥーん。クゥーん」と甘える声に庇護欲を刺激される。

「まったく。お前というやつは、本当に甘えん坊だな」

 そっと驚かせないように近寄り、四肢を包み込み胸まで持ち上げた。

 獣は貌をあげて礼を見つめ礼の胸もとに貌をすりすりと寄せたあわせた。

「ははっ。なんじゃ、かわいいやつめ」

 胸のうちがあたたかった。一向に姿をみせない識を心配して戻った里の惨状に言葉を失くした。わかっていた。アレがいたのだ。里が、壊滅するのはわかっていたのだ。斬り捨てられたままの肢体をつつく烏の群れがいた。獣にはらわたを食い荒らされた肢体もあった。儂らは蚩尤の修行のもと、野盗を切り殺し、鼻をつく血肉のにおいなどなんども嗅いできた身だ。だから、それを不快におもうことはない。けれど、見知った者たちの無残な姿に、なにもおもわないなんてことも、絶対にない。

「せめて……じゃ。埋めて、弔ってやるか」

 礼は探した。識の姿を。自分より強かった識の姿を。秘密の場所で、降りしきる大雨の中で。気配を押し殺して、一日、二日。と雨の晴れ間を待ったことを悔いながら。

 識は、簡単に死ぬような。約束を、破るようなやつじゃない。きっと、生きている。そう信じていても、埒外の強さを持った龐煖と名乗った武神の姿がそれを否定しようとした。

 礼は里中をくまなく駆けまわった。羌族の里とはいうものの、それぞれ二人一組となり年長の姉たちに育てられるがゆえに、拠点は、里の周囲に点在していたからだ。

「ッ。し、識の――この場に。識の躰はない」

 小さな希望の灯だった。だから、識が秘密の場所にこなかったことに理由があったんだとおもった。探索の最中だった。里のはずれで見つけた血だまりの跡。肢体はなかったから、再びアレに挑んだのかと気にも留めなかったけど、今になって、それが無性に気になった。血だまりの跡まで戻ってから、この場を中心として外に向かって痕跡を探した。

「やっぱりじゃ。よくよく見たら、枝葉は里の方角じゃなくて、外に向かって折れておる。わずかにじゃが、血のあとがぽつぽつと葉っぱに残っとる」

 なにものかの痕跡は、ひたすら、外に向かっていた。

「これの主を追いかければ――」

 そう希望を胸に痕跡を追いかけたものの、数日に渡った大雨は、すべての、痕跡を押し流していた。礼は崩れた斜面を呆然とみつめることになった。

「これでは、どこに足を向けたのか、見当もできんぞ……」

 そんな時だった。かすかな声。いや、鳴き声を耳にしたのは。鳴き声を導に、少し離れたところにあった藪をひらいてみれば、怪我をして弱弱しく横たわったこの子を見つけたは。

 そして、ふと思った。

 今の自分。識のこと。そして、里のことを。 

「は、ははっ……もう。里の掟もくそも、なんもなくなったんじゃな」

 自分の周りは大きく変化したのだ。

「そうじゃ。里は、もう……ないんじゃ。帰る場所も――識の行方も、なんも、わからん」

 突如、胸に去来した虚しさがあった。

 頬を、ただ滑るように、涙だけが、こぼれて落ちていく。眼前には、弱弱しくも必死に威嚇しようと唸るちいさな獣の姿があった。

「お前も、ひとり、なのか――」

 不意に、あの日の識の記憶が浮かんだ。

「礼はさ。里の外にでたら、なにをしてみたい?」

 それは、たわいもない話だ。たわいもない夢の話だった。

「――を飼いたい。く、食うんじゃないぞ。かわいいのを飼ってみたい」

「なんで、飼いたいの。礼は?」

「な、なんでっ、て……絶対にか、かわいいじゃんか」

 理由を訊かれて、すこし頬が朱くなってしまったのを、覚えている。

「ふふ、そうかな。変なの。でもさ、それって大きくなっても、可愛いかな?」

「ふっ。儂は大きくなっても、絶対に、かわいがれる自信がある。絶対じゃ!」

「絶対? ほんとかなあ」

 そう、疑うようでいて、どこか、すっきりとした表情をした識の顔が。

 記憶のうちにあった、夢。そう、夢だ。

 礼は涙を拭い、やさしく手を獣に差し伸べた。

「よし! お前、儂と一緒にこい。今日から儂が面倒をみてやるぞ!!」

 ちいさな獣は、そのやさしくさしのべられたそのてに――

 噛みついた。野生の獣なのだから当然だった。しかし、いまだ歯がしっかりしていなかったことが救いだったのだろう。軽く痕が残る程度であったという。

 

「あ、痛ったァあああ! こいつ。噛みつきおったぞッ!? この畜生めがァああ」

 

 なんて、山にそんな声が響いたのは、ご愛敬。といったところかもしれない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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